人魚の呪歌 -2-
今目に見えている『水槽の間』は『巨人の間』同様、先が見通せないほど広かった。
道に迷わないよう、青白く照る壁に印を刻みながら、セイジ達は奥へ奥へと進んでいく。
「……なあ、アンティーク、聞こえるか?」
お父さん……お父さん
『うん。なんとなくだけど』
セイジは横の2人を見た。サトルがうなずき、カナが険しい顔で眉をひそめる。
「なんか、気持ち悪い……」
お父さん、私ね……5つの間の1人に選ばれたのよ!
本当か!? すごいじゃねぇか! さすがオレの娘だな!
団長がね、私のために水槽の間を用意してくださったの
それに私のこと、とても褒めてくださったのよ
私が団員の中でいちばん頑張ってるって
「ビッグの時にも似たような感覚はありましたが」
『あの不思議な結晶が割れたときね?』
「『5つの間』は……それ自体が特別な力を持っているのかもしれません」
そうかそうか! セイレーンは頑張りやさんだもんな!
ええ、私もっともっと頑張るわ。お父さんが自慢できる娘になりたいもの
はっはっは! 今でも自慢の娘だけどな!
「……主人の想念が流出し、空間を支配する。ビッグの場合は結晶状に固く凝縮していましたが、セイレーンのものは水か――歌のように、絶え間なく流れ続けている」
「こんな中に長くいたら頭がおかしくなりそうだ……」
飛びかかってきた“マーメイド”を蹴り落とし、セイジはため息をついた。
その間も、“歌”は続く。
頑張っているようね? セイレーン。嬉しい……嬉しいわぁ……
はい団長。私、少しでも人魚になれるように頑張ります
ほんと? あなたを5つの間の1人に選んでよかった
あなたなら……きっと人魚になれるわ
頑張ってね? 裏方のお父さんのためにも。応援してるわ。ずっと……
ありがとうございます。父も喜びます――
セイレーン……そろそろ休憩してはどうだ?
身体もずいぶん冷えただろう?
ああ、お父さん
もうちょっと……私もっと泳ぎが上手くならなくちゃいけないのよ
それに最近は水の中のほうが落ち着くから……身体も大丈夫よ
でもお前、水の中にいる時間のほうが長いだろ?
ほんとに人魚になっちまうぞ?
「……ジ……セイジ」
ほんとになれたらいいのに……人魚に
セイレーン……
「セイジ!!」
強く頬を張られ、セイジは我にかえった。見ればけっこうな至近にサトルの顔がある。
「な、何してんだ、サトル!?」
遅ればせながら妙な焦燥にかられ、セイジはサトルを突き放した。
サトルは、ほっと息を吐いた。
「よかった……正気に戻りましたね」
「はぁ!?」
『どうしたの? もうちょっとで眠りそうになってたんだよ、セイジ』
言われてみれば、直近の記憶があやふやになっている。サトルが宙を睨んだ。
「甘く見すぎていたようですよ。ここは思ったよりもずっと危険な空間だ……」
「ど、どういうことだよ……っと!」
グロテスクな形状の魚が牙を剥いた。セイジは素早くサーベルを振るい、怪魚の頭をたたく。それを、カナが棒の一降りで遠くへはじき飛ばした。
「……“セイレーン”を知っていますか、セイジ」
「オッサンの娘だろ?」
「外国の民話ですよ。嵐の夜に歌を歌い、水夫を誘惑して船を難破させる、海の美しい魔物です。ゲンも因果な名前をつけたものですね……」
「こら、サトル」
セイジはサトルをさえぎった。
「俺達が会いに行くのは、“人間”のセイレーンだからな。間違えんな」
「……失礼しました」
「俺も悪かったな、突きとばして……」
もっと上手く泳がなくちゃ
もっと華麗に動かなくちゃ
もっと水の中で息が続くようにならなくちゃ
もっと……頑張らなくちゃ
頑張ればきっと……私は人魚になれる
人魚になれる――
「ともかく、あまり聞き入っては駄目です。互いの様子に注意して、できるだけ早く、ここを抜けることを考えましょう」
「……なあ。思ったんだけど」
「はい?」
「これがセイレーンの思念だとしたら……一番強く聞こえる方に、セイレーンがいるんじゃないか?」
サトルとカナが顔を見合わせた。
お父さん? どうしたの? 恐い顔して……
やっと……水から出てくれたのか
「――理屈には合っています。危険とは思いますが」
「でも他に目印もなさそうだ」
珍しくカナが援護してくれた。するとサトルは、小さく息を吐いた後、すいと指を上げた。
でも、もう遅い……!!
お父さん……?
これ以上、頑張らないでくれ……!
「あちらです。この方向から、声は流れてきている」
「へえ……? お前耳いいんだな」
「行ってみますか?」
――やめて、お父さん……!
「当然!」
セイジはこぶしを握った。
痛い……
足が痛い……
私はただお父さんの自慢の娘でいたかったのに
――ひどい
恨んでやるわ
水の中で、一生お父さんを恨んでやる……!
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