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その1*千花

 カレンダーを一枚めくれば、そこはパラダイス。私の頭の中は一面がお花畑になる。

 そんな日々を続けて、早十二年が過ぎた。これはもう、誰かに表彰状でももらわないと済まされないくらいのすごい執着心だと思う。

 ……でも、今日は駄目。目の前、真っ暗闇になってる。高校からの帰り道、足取りも重い。

「おい、どうした?」

 電信柱と同じポーズでそこに立っていた人を無視して通り過ぎようとしたら、三十メートルくらい過ぎたところで呼び止められた。

 黙ったまま、のろのろと振り返る。今日の私は日本海溝よりも深く沈んでいるから、ちゃきちゃきした反応は無理。そしたら、電信柱の上にくっついている顔が、意地悪くにやりと笑った。

「とうとう日付の感覚がなくなったか、天然ボケもそこまで進むと大変だな」

 これで私よりも三歳年上、しかも現役合格で今年の春から大学生だって言うから呆れちゃうよね? 花の十六歳が人生の終わりのような顔をして歩いているというのに、やさしい言葉のひとつもかけられないなんて最悪。

「ごめん、これで記録はストップすると思う」

 それだけ言って、目の前の門を開ける。同じようなデザインの建物がいくつもいくつも並んでいるここはよくある新興住宅地。私はそのまま自分の家に入ろうとした。

「待てよ」

 先ほどの意地悪男は、まだ同じ場所に立っている。そう、たぶん彼は私のことを待っていたわけじゃないんだよね。ちょうど出かける支度をして家を出てきたところで、向こうの角を曲がってやって来る私に気づいたんだ。いいよなー、お気楽な大学生はこんな夕方からご出勤か。

「今日の俺のシフトは深夜までだぞ。やっぱり気が変わったって泣いたって、間に合わないからな」

 最近始めたスポーツジムのバイト。空き時間に施設が使いたい放題ですごくおいしいって自慢してた。そのせいか、以前にも増してムキムキになってきて、いったい何を目指してるの? って感じになってる。

 ちっちゃい頃は本物の電信柱みたいにひょろりとしていたのに、人間って鍛え方次第で変わるものなんだなあ。

「いいもん、今だって泣きたい気分だから」

 本当に涙がこぼれそうになったから、慌てて家の中に飛び込もうとした。それなのに、意地悪男がわざわざやってきて、私の動きを阻止する。正確には、後ろから片腕を掴まれた。

「何かあったのか?」

 だからさ、もうちょっとやさしく、声をかけられないのかな。新しい彼女ができてもすぐに振られちゃうの、絶対にこの性格に原因があるんだと思う。

「別に。いさおくんに話すようなことは何もない」

 いいじゃん、もう。放っておいてよ。

「何もないなら、どうして149回目を放棄するんだ」

 私はすごーく嫌そうな顔で振り向いた。

「……148回目、なんだけど。勝手にひとつ増やさないで」


 三歳の春、ここに引っ越してきた私はお隣に住む勲くんに一目惚れをした。理由なんて覚えてない、ただひとつ言えることは自分がずいぶんませたコドモだったってことだな。

「あたし、いーくんがすき! およめさんにしてください!」

 思い立ったらすぐ実行、策を練るとかそういうのがまったくできないところは十二年前も今も同じ。そしたら、彼は即答した。

「お前、頭、大丈夫?」

 その日が四月一日、そう世間ではエープリルフールと呼ばれるその日だったことも災いした。必死の告白は呆気なくスルーされ、何ごともなかったかのように毎日が過ぎていく。そりゃあね、落ち込んだよ、三歳児なりにね。

 そして、一枚カレンダーがめくられたときにハッとした。また「1」という日がある。嬉しくて次の一枚もめくってみた、もちろんまた「1」という日がある。毎月、毎月、新しくやってくるその日に同じくらい新しい気持ちを伝えよう。たくさん頑張れば、いつかきっと彼も「うん」と言ってくれる。そう信じて。

 お隣の「いーくん」は私のお兄ちゃんと同級生。だからふたりはいつも一緒に遊ぶ、小学校だって一緒に通う。私はふたりのあとをどこまでもどこまでもくっついていった。校門の前で、お前はあっちの幼稚園に行けと言われて、わんわん泣いたっけ。

 あれから、十二年と四ヶ月。未だに私には「春」が訪れない。

 だけど、負けるもんか。今となっては、月初めの定例行事のようなものになってしまった「告白」だけど、毎回手を変え品を変え頑張ってきた。当たって砕けて、再生してまた翌月。それが……記念すべき?150回目を目前として、心がぽきっと折れるようなとんでもない事件が起こるなんて。


「何だ、これは」

 このまま下手に言い逃れをすることもできないだろうなと諦めて、私が差しだした一枚の紙切れ。それを不思議そうに眺めている彼。

「見ればわかるでしょ、四月に高校でやった健康診断の結果」

「へー、154.4cm? 相変わらずのチビだな、お前」

 やっぱりそこを見たか。この電信柱男は身長だけが自慢なんだものな。いつも三十センチも高い場所から私のつむじを見下ろして、すごく偉そう。

「そこは見なくていいから! ……もうちょっと、下の方を見てよ」

 体重とか座高とか、恥ずかしい数値が並ぶけど、まあいいとして。ここまで来たら腹をくくる他ないものね、落ち込みの原因を一番わかりやすい方法で教えてあげよう。

「肥満度っていうの、11.3%になってるでしょ?」

 隣に書いてある「肥満度の見方」っていう項目によると、10~20%未満は「肥満傾向」となっている。ようするに「ちょっと太り気味」ってことでしょう?

「でもなあ、こんなの身長と体重から計算しただけだろ? お前は部活やってるんだし、筋肉の重さもあると思うぞ」

 これって、一応は慰めてくれてるのかな。けどなあ、残念ながら私の心は浮上できるはずもない。

「実は……今、そこにある体重より、三キロも増えちゃったんだ」

 はあ? って口をあんぐり開けた彼が、夏服の制服から出た私の腕や脚をじろじろ見てる。

「ま、まあ……多少は肉が付いたって感じか?」

 やっぱり、わかるか。だよねーっ、三キロだもん。

「だから、元通りの体重になるまで、勲くんには会わないことにしたの。ちゃんと話したんだから、もういいでしょ!?」

 本当に、乙女の気持ちがわからない人なんだよな。私にだって、プライドってものがあるんだからね。彼に言い寄ってくる女子たちって、みんな例外なくとってもスリム。そのくせ、出るべきところはきちんと出てるというオソロシサだ。

 あーゆー人たちとなら付き合ってもいいって思ってるんだよね? はっきり言って、私は全然好みじゃないってことだよね? ……わかってるんだけど、そうだけど、それでも諦めきれないから147回も頑張ってきたんだ。

千花ちか

 そこで今日初めて、彼は私の名前を呼んだ。

「千回目で花を咲かせるって言ってたのは、お前だろうが」

 何だか、いきなり古い話を引っ張り出してきたよ、この人。

「……でも、それだと八十三年掛かるって教えてくれたの、勲くんだよ?」

 いつまでもいつまでも首を縦に振ってくれない彼にしびれを切らして、とうとうこんなことを言い出したのは三年目の春。ちょうど私が勲くんと同じ小学校に通い始めたその年だった。

「もうひとつ、忠告してもいいか?」

 どうでもいいけど、早く出かけないとバイトに遅刻するよ? あまりにぐずぐずしてると、こっちの方が心配になっちゃう。

「本気で痩せる気なら、毎日学校帰りにばかでかいパフェを食うのは止めろ。あれだけ食ってて、太らない奴いたらその方が不思議だ」

 ……え、何なのそれって……。

「あそこのファミレス、俺のバイト先と真向かい。毎日馬鹿面で何をしゃべってるのかと思ってたぞ」

 ……そのーっ……

「勲くん、それって軽くストーカーしてません?」

 言っちゃ駄目だと思ったんだけどさ、ついつい。でもひどーい、見られてたなんて全然気づかなかった。

「見たくもないものを視界に入れてしまう俺の立場になってみろ」

 ……あ、ちょっと怒ったな。わかりやすいんだからな、この人って。

「それにな、三キロくらい増えても減っても、そうたいした変わりはないって。―― ほら、見ろ」

 七月一日、梅雨の晴れ間の夕焼け空が私たちの上に広がっている。次の瞬間、その朱色が少しだけ近くなった気がした。

「えっ、えええっ……!」

 いきなり抱き上げられてますけどっ、しかもお姫様抱っこって奴ですけどっ!? ど、どうなってるの。これって、絶対に変―― !!!

「まだ、これくらいちょろいもんだ。安心しろ」

 それから、夕焼けのせいか少し赤くなった頬で付け足す。

「今回は出血大サービスだからな、……これで何か言いたくなっただろう?」

 えーっ、……ちょっと待って!? ど、どうしよう。すごく嬉しいかもっ、でもそれよりも恥ずかしさの方がもっと上かも……!

 だってだって、いつもは遠いはずの彼の顔がこんなに近い。ほとんど目立たない毛穴とかお髭のそり残しとか、そういうのまで全部チェックできちゃうよ。

「えっ、ええとっ、……ええとね」

 困った、考えが全然まとまらないっ。頭の中がごちゃごちゃ、いろんな言葉が渦巻いて収拾が付かなくなってる。

「三キロ痩せたら、ご褒美にチュウしてくれる!?」

 もちろん彼はすごい驚いた顔になって、もうちょっとで私を落としそうになった。どうやらもちこたえてはくれたけど、そろそろ限界かな。

「馬鹿、いきなりそんなこと言うな」

 ものすごい怖い顔になったから、一瞬鼻先に噛みつかれるのかと思っちゃった。でも次の瞬間、頬に一瞬だけ触れた彼の唇。

「そういうことは、大人になってから言え。俺はガキ相手はごめんだからな」

 夕焼け色の頬を眺めていたら、すごく嬉しくなってきた。だから、ちょっとだけ笑っちゃったの。内緒だけどね。

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