あたしが追いかけたその背中
あたしは、自分で言うのもなんだけど、天才だった。
物覚えが良く、理解力も人並み外れていた。
勉強で苦労した記憶なんて、一度もない。
それだけじゃない。
身体能力にも恵まれ、武術や剣術では誰にも負けない才能を発揮した。
さらに、五行の適性まで持ち合わせ、精霊術師としての才まであった。
何をやっても上手くいく。
努力をすれば、その分だけ結果がついてくる。
まさに、向かうところ敵無し。
あたしの人生は、これ以上ないほど順風満帆だった。
そんなあたしは、傭兵養成学校に入学した。
このまま今まで通り努力を続ければ、学年一位の成績を収める。
周囲から認められ、たくさんの友人に囲まれる。
そんな未来になる確信を持っていた。
あの男に出会うまでは。
その男と出会ったのは、傭兵養成学校でのことだった。
その男は、無愛想で、人付き合いをほとんどしない。
友人と呼べる相手もおらず、何を考えているのか分からないような、ひどくつまらない男だった。
休み時間になれば、誰かと談笑することもなく、一人で黙々と勉強をしている。
誰かが話しかけても、返事は短く、どこか距離を置いているようだった。
いつしか、その男の周囲からは自然と人が離れていった。
入学して間もない頃、事件は起きた。
武術の授業で、模擬戦が行われることになったのだ。
そして、あたしの対戦相手として選ばれたのは、よりにもよって、あのつまらなそうな男だった。
正直、相手になるとは思っていなかった。
「適当にやっても勝てる」
その時のあたしは、そう考えていた。
それが、大きな間違いだった。
開始の合図が響いた瞬間、あたしの予想は完全に覆された。
そして、決着がつくまでに、そう時間はかからなかった。
あたしは、地面に倒れていた。
目の前には、拳を振り上げた男の姿がある。
次の瞬間には、その拳があたしの顔に叩き込まれる。
そう思った。
初めて感じる敗北への恐怖に、思わず目を閉じる。
「そこまで!」
その瞬間、教官の鋭い声が響いた。
振り下ろされるはずだった拳は、あたしの顔のすぐ目の前でピタリと止まっていた。
拳が風を切る音が聞こえるほどの距離。
あたしは、人生で初めて負けた。
よりにもよって、自分がつまらない男だと決めつけていた、あの男に。
悔しさを飲み込みながら、あたしは上半身を起こす。
そして、立ち去ろうとする背中へ声をかけた。
「待ちな。あんた、名前は?」
男は足を止める。
しかし、こちらを振り返ることはなかった。
「…グラッド」
それだけ告げると、男はそのまま去っていった。
まるで、最初からあたしを相手として見ていなかったような態度が、あたしの胸を苛立たせた。
あたしが負けたのは、油断していたからだ。
本気を出していなかったからだ。
そうに決まっている。
あたしは、そう自分に言い聞かせた。
次の模擬戦で、あたしは屈辱を晴らすことを決めた。
自分から、あの男へ声をかける。
「おい、グラッド! あたしとやろうか!」
グラッドは、こちらを見ると小さく頷いただけだった。
返事すらしない。
その態度が、どうにも気に入らなかった。
…まあいい。
今日は前回の屈辱を晴らしてやる。
そう意気込んで挑んだ模擬戦だった。
しかし、決着がつくまで、またしても時間はかからなかった。
気が付けば、あたしは地面に倒れていた。
目の前には、振り下ろされる寸前の拳。
「そこまで!」
教官の声が響き、グラッドの拳が止まる。
また、負けた。
しかも今回は違う。
油断なんてしていなかった。
最初から全力だった。
それなのに…なぜ?
何が原因で負けたのか、まったく分からなかった。
グラッドは、何も言わずにその場を離れていく。
その背中を見ながら、あたしは必死に考えた。
…そうか。
あたしは、五行を使える。
それなのに、体術だけで戦っていた。
そもそも男女では身体能力に差がある。
純粋な体術勝負なら、不利になるのは当然だったのだ。
どうやら、あたしは自分から不利な土俵に立って戦っていたらしい。
ならば
次は違う。
次こそは、あたしが勝つ。
次の模擬戦でも、もちろんあたしから声をかけた。
「おい、グラッド! あたしとやるぞ!」
そして、続けて言い放つ。
「次は魔法もありだ!」
グラッドは、いつものように無言で頷くだけだった。
その余裕そうな態度が、どうにも腹立たしい。
まるで、何度挑まれても結果は変わらないと言われているようだった。
今度こそ、あたしが勝つ。
そう決意して挑んだ戦いは、これまでとは違った。
決着がつくまでの時間は、確実に伸びていた。
五行による身体強化。
属性を利用した攻撃。
持てる力をすべて使った。
それでも…
気が付けば、あたしはまた地面に倒れていた。
目の前には、岩石を纏ったグラッドの拳。
「そこまで!」
教官の声が響く。
また、負けた。
今回は決して手を抜いていない。
五行も使った。
身体強化もした。
それなのに、なぜ勝てない?
あたしは必死に考えた。
そして、ようやく気付く。
…そうか。
あたしは、剣術が得意だった。
なのに、なぜ素手で戦っていたんだ?
勝つことに夢中になりすぎて、一番大切なことを見落としていた。
自分が最も得意とする戦い方を。
ならば…
次こそは!
木刀を持ち込んでも、勝てなかった。
ならばと、今度は戦い方そのものを変えた。
リーチを活かすために棒術を試した。
間合いを制するために槍術も学んだ。
剣だけにこだわらない。
勝つためなら、使えるものは何でも使った。
あたしには、それができた。
新しい武器を手にしても、動きを理解するのに時間はかからない。
身体の使い方を覚え、相手との距離を測り、自分なりの戦い方へ昇華する。
それが、あたしの才能だった。
…なのに。
結果は変わらなかった。
木刀でも。
棒でも。
槍でも。
あたしは、グラッドに勝てなかった。
そこで、ようやく気付いた。
これが、本当の天才というものなのか。
あたしは今まで、自分こそが一番才能に恵まれていると思っていた。
でも違った。
グラッドは、あたし以上に武術の才能を持っている。
だから、どんな方法を試しても届かないのだ。
そう考えるしかなかった。
あたしは、そう自分に言い聞かせた。
グラッドが本物の天才だと認めてからは、不思議と肩の力が抜けた。
勝てない相手が一人いる。
そう割り切ってしまえば、学校生活は驚くほど気楽だった。
もちろん、グラッドには勝てない。
けれど、それ以外の生徒に負けることはなかった。
武術も。
剣術も。
勉学も。
何をやっても成績は常に上位。
…ただし、一位だけは決まってグラッドに持っていかれる。
結局、あたしは何をやっても二位だった。
それでも、不満ばかりの毎日ではない。
気の合う友人にも恵まれ、毎日が賑やかで楽しかった。
今思えば、あれはあれで悪くない学園生活だったのかもしれない。
ある夏の夜。
学校で、一つの噂が流れ始めた。
毎晩、誰もいないはずの校庭で、武人の幽霊が鍛錬をしているらしい。
その噂は、もちろんあたしの耳にも入った。
そんな面白そうな話を聞いて、じっとしていられるはずがない。
あたしは女子生徒三人を誘い、深夜の学校へ忍び込んだ。
夜空には雲がまばらに浮かび、その隙間から満月が静かに校庭を照らしている。
そして、校庭へ足を踏み入れた時だった。
噂通り、人影があった。
誰もいないはずの場所で、一人黙々と拳を振るう武人の姿。
「きゃあっ!」
友人たちは悲鳴を上げ、一目散に逃げ出してしまう。
けれど、あたしは逃げなかった。
むしろ、正体をこの目で確かめたくなった。
ちょうど雲が月を隠し、人影はぼんやりとしか見えない。
ならば、その幽霊のご尊顔を拝んでやろうじゃないか。
足音を殺しながら近づく。
そのたびに、正拳突きが空を切る鋭い音だけが静かな夜に響いた。
やがて、月が雲間から姿を現す。
銀色の月明かりが、人影を照らした。
そこにいたのは…
グラッドだった。
「…え?」
思わず声が漏れる。
どうして、グラッドがこんな時間に一人で鍛錬をしている?
あたしの胸を、嫌な予感がよぎった。
もしかして…
グラッドは努力だけで、あたしを上回っていたのか…?
そんなはずはない。
そう否定しようとして
ふと、今までの戦いを思い返す。
確かにグラッドは強かった。
けれど、一度たりとも才能の差を見せつけるような戦い方はしていなかった。
五行も土行しか使わない。
しかも、そのほとんどが身体強化や近接戦闘の補助ばかり。
今思えば、派手な術を使うところなど、一度も見たことがない。
あたしは、それ以上その場にいることができず、静かに校庭を後にした。
翌朝。
あたしは、何気ないふりをしてグラッドに近づいた。
そして、その手を見た。
分厚く硬くなった手のひら。
幾重にも重なった傷跡。
皮膚は何度も裂け、ようやく塞がった跡が残っている。
それだけじゃない。
今もなお、裂けたままの傷がいくつもあった。
その手を見た瞬間、あたしは確信した。
グラッドは、やはり努力だけであたしを超えていた。
あたしは勝手に「天才だから勝てない」と決めつけていた。
その方が、自分にとって都合が良かったからだ。
でも、違った。
あたしは、グラッドが積み重ねてきた努力を、「天才」という一言で片付けてしまっていた。
それは、あまりにも失礼なことだった。
自分の考えが、ひどく恥ずかしくなった。
だから、せめてもの償いに。
何も言わず、グラッドの傷だらけの手を治癒してやった。
グラッドは少し怪訝そうに眉をしかめたが、何も言わなかった。
その日、あたしは心に決めた。
今度は、あたしも努力で追いつく。
グラッドと同じように積み重ね、いつか追い越してみせる。
そして、その時は胸を張って言ってやるんだ。
「あたしの方が強い」って。
そう決意してからの日々は、あっという間に過ぎていった。
友人と遊ぶ時間を減らし、あたしも勉強と鍛錬に打ち込んだ。
最初の頃は、つい気が緩んでサボってしまう日もあったけど…
努力を重ねるほど、自分が少しずつ強くなっていくのが分かる。
グラッドとの差は、ほんのわずかだけ縮まっている。
そんな実感が、あたしの背中を押してくれた。
まぁ、当のグラッドは相変わらずだった。
無愛想で、口数も少ない。
今日も黙々と鍛錬を続けているのだろう。
学校生活、最後の模擬戦。
「そこまで!」
教官の声が響く。
あたしの拳は、グラッドの顔の寸前で止まっていた。
ついに勝った。
何度挑んでも届かなかった相手に。
あたしは、ようやくグラッドを超えたんだ。
胸の奥から喜びが込み上げる。
ずっと、この瞬間を夢見てきた。
「グラッド! 今回は…」
嬉しさのあまり勝利宣言をしようと、あたしはグラッドの顔を見た。
そして、言葉を失った。
その瞳に映っていたのは、敗北の悔しさではなかった。
深い絶望と恐怖。
まるで、この敗北が人生の終わりだとでも言うような表情だった。
どうして、そんな顔をする?
ただの模擬戦なのに。
理解が追いつかないまま立ち尽くすあたしを残し、グラッドは何も言わずに背を向ける。
いつものように。
ただ静かに、その場を去っていった。
あの日を境に、グラッドの様子が変わった。
もともと無愛想ではあったけど、どこか思い詰めたような表情で学校へ来るようになったのだ。
さすがに気になって、友人たちに「グラッドに何かあったか知らない?」と聞いて回ってみた。
けれど、返ってきたのは有力な情報ではなく、
「えっ、ガーベラってグラッドのこと気になってるの?」
なんて、からかい半分の言葉ばかりで困った。
ただ、あの時の表情が頭から離れないだけなのに。
まぁ、グラッドほど優秀な成績なら、卒業後の就職先はいくらでも選べるはずだ。
きっと、将来の進路で悩んでいるんだろう。
そう思うことにした。
卒業後、あたしはすぐにどこかの商会や組合へ所属することはしなかった。
別に、ライバルであるグラッドがいない環境じゃ物足りない…なんて理由じゃない。
そうさ。
せっかくなら、色々な土地を巡って、自分の目で様々な商会や組合を見てから進路を決めようと思っただけだ。
そうして、あたしは旅に出た。
アグニス。
エヒメア。
イズーナ。
ビワリア。
サカリウム。
各地を巡り、多くの人と出会い、多くの傭兵たちと腕を交えた。
それでも…
どこにもグラッドはいなかった。
それから何年も、仕事の合間に聞き込みを続けた。
そして、ようやく居場所を突き止める。
どうやらグラッドは、バルダックという辺境の小さな村で暮らしているらしい。
半信半疑で足を運ぶと、本当にそこにいた。
相変わらず無愛想で、黙々と仕事をこなすグラッドの姿が。
思わず声をかけようとして
あたしは、ある重大なことに気付いた。
「…あ。」
化粧、してない。
というか。
あたし、化粧の仕方なんて知らないじゃん…。
今さら気付いてしまった。
こんな身なりで何年ぶりかに会うなんて、出来ないじゃん。
そう思った瞬間、あたしは踵を返していた。
慌ててパウロへ戻り、学友に頭を下げる。
「お願い! 化粧を教えて!」
事情も説明せず頼み込んだあたしに、学友たちは呆れながらも笑って付き合ってくれた。
化粧の仕方や肌の手入れ。
髪型や服の選び方まで。
気付けば、そんなことばかり学んでいるうちに、一年があっという間に過ぎていた。
少しは女らしくなれた
…と思う。
少なくとも、学友たちは「見違えた」と褒めてくれた。
あとは、グラッドに会いに行くだけだ。
そう決意してパウロを発とうとした時、不意に自分の手が目に入った。
グラッドのように拳一つで戦い続けてきた手。
厚く硬くなった皮。
無数の傷跡。
どう見ても、女性らしい手ではなかった。
思わず胸が痛んだ。
慌てて、その手を隠せるものはないかと店を見て回る。
その時だった。
店先に飾られていた、一枚のエプロンが目に留まる。
大きなくまさんが描かれた、どこか愛らしいエプロンだった。
そうだ。
これからグラッドを旅に誘うんだ。
あたしも女なんだ。
料理くらいしてやらないと。
そう思い、あたしはそのエプロンと手袋を買うことにした。
料理なんて一度もしたことはない。
でも…
まあ、どうにかなるだろう。
そう軽く考えていたことを、この時のあたしはまだ知らなかった。
バルダックに到着すると、すぐにグラッドの姿を見つけた。
見つけたはずなのに…
あたしは、なかなか声をかけることができなかった。
気付けば一時間近く、茂みの中に隠れていた。
一体、何をしているんだと自分でも思う。
けれど、頭の中では色々な想像が膨らんでいた。
「あれからどうしていたんだ?」
そう言って、昔のことを覚えていてくれたら嬉しい。
もしかしたら…
「一緒に旅をしてくれ」
なんて、あたしを誘ってくれるかもしれない。
いや、それどころか。
「この村で一緒に暮らさないか」
なんて言われたりするかもしれない。
そんなありえない想像までしてしまう。
でも。
本当に怖かったのは、別のことだった。
グラッドが、あたしのことを覚えていないこと。
何度も挑んだ相手。
何度も負けた相手。
そして、誰よりも追いかけ続けた相手。
そのグラッドにとって、あたしがただの知らない人だったら。
それだけは、嫌だった。
だから、あたしはあえて初対面のように振る舞うことにした。
「あんたがグラッドかい?あたしは、ガーベラ。精霊術師の旅に出るんだ。付いてきてくれないか」
と、勇気を出して声をかけた。
本当は。
「久しぶりだな、ガーベラ」
そう言ってほしかった。
ほんの少しだけ。
そんな言葉を期待したんだ…
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語は、ガーベラがグラッドと出会い、彼の背中を追いかけるようになるまでのお話です。
では、グラッドはなぜそこまで努力を続けていたのか。
なぜ彼は、誰にも見せないほど必死に強さを求めていたのか。
その理由を描いた物語が、
『街の英雄と呼ばれた男がアタシになるまで』
になります。
もしガーベラが追いかけた「その背中」の先にあるものが気になった方は、ぜひそちらも読んでいただけると嬉しいです。
ありがとうございました。




