『ざまぁ』は、もうお腹いっぱいです 〜最高の人生、強制終了のお知らせ〜
これ以上の幸せがあるだろうか。
窓から差し込む柔らかな陽光。庭から聞こえてくる領民たちの活気ある声。そして、隣で安らかな寝息を立てている愛する妻、リーザの温もり。
「……アルス様、起きていらっしゃいますか?」
リーザが長い睫毛を揺らし、蕩けるような微笑みを僕に向けた。
「ああ、おはようリーザ。今日も世界で一番美しいよ」
歯の浮くような台詞だが、本心だった。僕は今、この人生に一点の曇りもない満足を感じている。
僕は、転生を繰り返す「ざまぁ被害」のプロフェッショナルだ。
一度目は、婚約者に裏切られ、村を追われた農夫。
二度目は、手柄を全て仲間に奪われ、魔王軍の餌食にされかけた冒険者。
三度目は、無実の罪で汚名を着せられ、凍土へ流刑となった魔術師。
四度目は、冷酷非道な王子を完璧に演じ抜き、実の弟に「正義の剣」を突き立てられて処刑された廃嫡王子。
僕が持つ固有能力『永遠生贄』。
現世で理不尽に虐げられ、惨めに破滅すればするほど、次の人生の初期設定がグレードアップするという、あまりに皮肉なパッシブスキル。
僕は過去四回の人生をすべて、誰かに「ざまぁ」されるためだけに捧げてきた。将来手に入れる「最高の人生」という報酬のためだけに、わざと嫌われるムーブを徹頭徹尾やり抜き、完璧な悪役を演じ続けてきたんだ。
そして四度目の「公開処刑」という極上のざまぁポイントを全振りした結果、五度目となる今世、僕はついに「あがり」を手に入れた。
最強クラスの魔力、豊かな領地、そして何より代えがたい「愛する家族」。
もう、誰かを冷遇して恨みを買う必要はない。傲慢な台詞を吐いて、誰かに復讐の機会を与える必要もない。僕はもう、ただの「アルス」として、この慎ましくも最高に幸せな人生を全うするんだ。
「パパ! 見て見て、お花!」
寝室に飛び込んできたのは、五歳になる愛娘のナディアだった。泥だらけの手で、庭に咲いていた名もなき野花を差し出してくる。
「ああ、綺麗だね。ナディア、ありがとう」
娘の柔らかな髪を撫で、妻の淹れてくれた安いが香りのいい茶を啜る。王宮で飲んだ最高級の琥珀液より、今のこの温いお茶のほうが、ずっと僕の胸を熱くさせる。
(……ああ、幸せだ。本当に、幸せだ。もう次なんていらない。神様、もしいるなら聞いてくれ。僕はここで、このまま死にたいんだ)
そう心の中で呟いた、その時だった。
『ピコンッ!』
脳内に、不快なほど明るい通知音が響いた。前世で何度も聞き、その度に「よし、ポイントが入った」と喜んでいた、あの忌々しい音だ。
【通知:前世報酬による「幸運保護期間」が終了しました】
【現在:幸福度120%。落差係数:測定不能(SSS級)】
【待機状態:『マイ・ざまぁ』の強制発動を開始します。今世も鮮やかに破滅しましょう!】
心臓が跳ねた。血の気が引くのがわかる。
「……やめろ……やめてくれ。頼む。今回は『ざまぁ』なんていらないんだ! 僕は不幸になりたくない! ずっとここにいたいんだ!」
だが、僕の願いを無視して、視界の端には赤いカウントダウンが表示された。
【メインイベント:『光の勇者による公開糾弾』まで残り60分】
窓の外を見ると、遠くの街道から、黄金の鎧を光らせた騎士団の列がこちらへ向かってくるのが見えた。僕がかつて何度も「演出」してきたあの破滅の光景が、僕の意志を無視して始まろうとしていた。
「パパ、どうしたの? お顔が真っ白だよ?」
ナディアが僕の服の裾を引く。その無垢な瞳を見て、僕は胃の腑がせり上がるような恐怖を覚えた。いけない。逃げなければ。このままここにいれば、僕は「ざまぁ」の舞台に引きずり出される。
「リーザ、今すぐナディアを連れて裏口から……!」
言いかけた言葉は、喉の奥で物理的な熱に変わった。
『条件達成:ターゲット接近。シナリオ、強制同期します』
脳内で無機質な声が響くと同時に、僕の視界に半透明の「台本」が展開された。そこには、かつての僕が泣いて喜んだであろう、完璧な「破滅へのセリフ」がびっしりと書き込まれている。
「っはは……ははははは!」
突然、僕の口が勝手に笑い声を上げた。リーザが、見たこともないほど怯えた表情で後ずさる。
「アルス様……? 何を、笑って……」
「馬鹿な女だ。そんな野草を喜ぶ父親がどこにいる? ナディア、そんなゴミは捨ててこい」
違う! 何てことを言わせるんだ!
僕は自分の口を両手で押さえようとした。だが、腕は動かない。それどころか、僕は優雅にベッドから立ち上がり、リーザを冷たく見下ろした。
「これまで『善良な領主』を演じるのは骨が折れたよ。だがそれも今日で終わりだ。光の勇者が、僕の隠し持っていた『毒薬のリスト』を見つけてくれた頃だろうからね」
毒薬? そんなもの、一度も触れたことさえない! それは、システムが勝手に僕の蔵の床下にテレポートさせた「証拠品」なのだ。
「……嘘、ですよね? アルス様、冗談でしょう?」
リーザの瞳に涙が溜まる。その雫が床に落ちる音が、僕の心臓をナイフで切り刻むようだった。心の中では「逃げてくれ、今の僕は僕じゃないんだ!」と叫んでいるのに、鏡に映った僕の顔は、かつての処刑前と同じ、完璧な悪役の笑みを浮かべていた。
『ピコンッ!』
【効果:対象(家族)への絶望付与に成功。ポイント倍率+2.5倍。いい調子です!】
うるさい! 黙れ! 僕は叫びたかったが、足は勝手にバルコニーへと向かっていた。外では、すでに「勇者レオ」率いる騎士団が、館を何重にも取り囲んでいた。そしてその背後には、昨日まで僕に笑顔で挨拶をしてくれていた領民たちが、怒りに顔を歪ませて集まっている。
「悪徳領主アルス! 貴様の悪行はすべて白日の下に晒された! 貴様が裏で隣国と通じ、この地の子供たちを奴隷として売ろうとしていた証拠があるぞ!」
勇者レオが、黄金の剣を僕に突きつける。
違う。僕は子供たちのための学校を作ろうとしていたんだ。その資金を、奴隷売買の代金だとすり替えられたのか。僕は必死に抵抗した。喉の自由を取り戻そうと、舌を噛み切る勢いで抗った。
「……ああ、バレてしまったか」
僕の口から出たのは、この世で最も冷酷な吐息だった。
「つまらない正義感だな、勇者。家畜を売って金にする。主人が家畜をどう扱おうと、それは主人の自由だろう?」
その瞬間、領民たちの怒りが爆発した。
「殺せ!」「ペテン師め!」「ナディアちゃんを返せ!」
さっきまで僕の膝の上で笑っていた娘の名前が、呪詛のように叫ばれる。
「アルス・ヴァン・ノイマン! 貴様の全財産、爵位を剥奪し、この国から永久に追放する! ……そして、貴様の妻子もだ。連帯責任として、貴様と共に泥水をすするがいい!」
勇者の宣告。それは、本来なら僕がガッツポーズをするほど待ち望んでいた「完璧なざまぁ」の瞬間だった。
地位も名誉も失い、家族さえも苦境に立たされる。落差は最大。次の転生先は、間違いなく「神」の位だろう。だが、バルコニーで膝をついた僕の目から溢れたのは、演技でも報酬への歓喜でもない、本当の絶望の涙だった。
☆★☆★☆★
一週間後。
僕たちは、国境沿いの湿地帯にある、崩れかけた廃屋にいた。館にあった金品はすべて略奪され、僕の手元に残ったのは、追放される間際にナディアが握りしめていた、あのしおれた野花だけだった。
魔力は封印され、身体は重い。夜の寒さが、ボロ布のような服を突き抜けて骨まで凍えさせる。
(……ああ、終わったんだな)
僕は冷たい床に横たわり、天井の穴から見える月を見上げた。過去四回の人生、僕は常にここで「死」を選んできた。「ざまぁ」の判定が確定した直後に自殺すれば、報酬ポイントに「悲劇的な最期」というボーナスが乗る。
今、この瞬間に僕が舌を噛んで死ねば、次は銀河を統べる皇帝か、あるいは不老不死の超越者になれる。システムもそれを促すように、僕の脳内に「自死のすすめ」というポップアップを出し続けている。
「アルス様……」
暗闇の中で声がした。リーザだ。彼女もまた公爵令嬢としての気品を失い、泥に汚れた姿で僕の隣に横たわっていた。
僕は怖かった。彼女が僕を蔑み、「あなたのせいで」と呪いの言葉を吐くのが。そうなれば、僕の「ざまぁ被害」は完璧になり、ポイントはカンストする。
「……リーザ、ごめん。僕は最低の夫だった」
僕は震える声で謝った。これだけは、スキルに邪魔されず、自分の声で言えた。だが、返ってきたのは罵倒ではなかった。温かい、体温だった。リーザが僕の背中にしがみつき、ナディアが僕の腕の中に潜り込んできた。
「分かっていました。あなたが本当は、誰よりも私たちを愛してくれていたこと。あの時、勇者様の前で言った言葉……あなたの瞳は、死ぬほど泣いていましたもの」
「パパ、あったかいね。ナディア、パパがいれば、おうちがボロボロでも平気だよ」
視界が、一瞬で歪んだ。僕は二人を抱きしめた。骨が軋むほど、強く。
五回の人生。何百年という月日をかけて、僕は「次」のために「今」を捨て続けてきた。けれど、この泥水の匂いがする廃屋で、空腹に震えながら身を寄せ合う今が、これまでのどの王宮生活よりも「生きてる」と感じられた。
(転生なんて、してたまるか)
僕は脳内のシステム・メッセージを、心の底から怒鳴りつけた。
(僕はここがいい。この、最高に不自由で、最高に惨めで、そして最高に愛おしい、この人生を絶対に終わらせない!)
僕は生きる決意をした。明日から、この湿地を耕そう。家族三人、食いつなぐために泥にまみれよう。それが、僕がシステムに叩きつける、唯一の「ざまぁ(逆転)」だ。
……しかし。僕がそう決意した瞬間、視界の端で不吉な文字が明滅した。
【警告:ターゲットが『現状の不幸』を『幸福』であると誤認。このままでは悲劇ポイントが目減りします】
【緊急措置:『逆転勝利の帳尻合わせ』の予約を開始します】
「……え?」
嫌な予感がした。僕の意志を無視して、また何かが、僕を「幸せ」へと引きずり戻そうとしている。
☆★☆★☆★
それからの生活は、客観的に見れば地獄だった。
耕しても石ころしか出てこない痩せた土地。冷たい雨が降れば、雨漏りを防ぐためにリーザと二人で一晩中バケツを持っていた。
けれど、僕の心は晴れやかだった。昨日まで悪役を演じていた僕が、リーザの代わりに汚れた服を洗濯し、ナディアが捕まえてきた小さなカエルを一緒に観察する。
「パパ、見て! 大きいのが捕まったよ!」
「ああ、すごいなナディア。でも、それは家の中に入れちゃダメだよ」
そんな何気ない会話が、僕にとっては数万ポイントの報酬よりも価値があった。
しかし、僕が「今の不幸こそが幸せだ」と噛み締めるたびに、網膜のシステム・ログが狂ったように警告を吐き出し続ける。
『警告:悲劇ポイントの急速な流出を確認。ターゲットの精神状態が安定しすぎています』
『自動修正、救済措置を実行します』
その日の午後。僕が小屋の裏にある、誰にも見向きもされないような硬い地層をスコップで叩いていた時だった。
『ガチッ』
鈍い音と共に、地面から眩いばかりの光が溢れ出した。
「……は?」
掘り起こされたのは、見たこともないほど巨大な、七色に輝く結晶の塊だった。脳内に無慈悲な鑑定ログが走る。
『おめでとうございます! 伝説の【賢者の石・原石】を掘り当てました!』
『市場価値:一国の国家予算の約十倍。これにより「財産の喪失」という不幸設定が消失しました』
「ふ、ふざけるな! 何が賢者の石だ! ただの綺麗な石ころだろうが!」
僕は慌てて石を埋め戻そうとした。だが、時すでに遅し。空から、巨大な魔法陣と共に、王家の紋章をつけた飛竜騎士団が舞い降りてきた。
「アルス・ヴァン・ノイマン様! ようやく見つけました!」
先頭に立っていたのは、かつて僕に冷たい石を投げたはずの近衛騎士団長だった。彼は飛竜から飛び降りるなり、泥の中に膝をついた。
「真実が判明したのです! 勇者レオが所持していた『証拠』はすべて魔族による偽造魔法だったことが、聖教会の鑑定で明らかになりました! 勇者レオは現在、民衆によって広場で『ざまぁ』の刑に処されています!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の膝から力が抜けた。
「……え、待って。レオがどうなったって?」
「貴様をハメた悪党どもはすべて破滅しました! そして貴方の『悪行』とされた数々の行動……実は、魔族の侵攻を遅らせるための高度な陽動作戦だったと、賢者会議が正式に認定したのです!」
そんなわけがない。僕はただの悪役だったんだ。将来の転生のために、プロとして嫌われていただけなんだ。なのに、システムは僕の過去の「悪役ムーブ」を、すべて「深謀遠慮な英雄の行動」として世界に再定義してしまった。
『ピコンッ!』
【条件達成:完璧な逆転劇(ざまぁ返し)。民衆の支持率:99.9%。全世界の感謝を獲得】
【累積ボーナス:これまでの5回の人生分を合算。称号『至高の救世主』を付与します】
「嫌だ……。戻りたくない。僕はここで、家族と三人で暮らしたいんだ!」
叫ぶ僕の背後から、リーザとナディアが出てきた。
「アルス様! やっぱり、貴方は正しかったのですね!」
リーザが感動の涙を流している。
「パパ、すごーい! パパは本当は、みんなを守るヒーローだったんだね!」
ナディアの瞳に、僕への尊敬が満ち溢れる。
ダメだ。こうなったら、誰も僕を放っておいてはくれない。民衆の歓喜の声。莫大な富。そして、世界を統治してくれという押し寄せる期待。僕が手に入れたかった「静かな幸せ」は、システムが用意した「最強の逆転劇」という濁流に飲み込まれていく。
☆★☆★☆★
それから数十年。
僕は「聖皇帝アルス」として、歴史上最高の平和を築き上げた。世界から戦争はなくなり、貧困は消え、僕はすべての人々に愛され、崇められた。
最愛のリーザを看取り、成人したナディアに国を譲り。僕は今、豪華な王宮の最上階で、ふかふかのベッドに横たわっている。窓の外には、僕を讃える歌声が響いている。客観的に見れば、これ以上のハッピーエンドは存在しないだろう。
だが、僕の視界には、死の直前になってようやく現れた「最終リザルト」が浮かんでいた。
【全人生トータル評価:測定不能(SSS+)】
【おめでとうございます! 貴方は『最高に不幸を演じ、最高に幸せを噛み締め、最後に最高にざまぁを返した』唯一の存在です】
【最終報酬:個体名『アルス』の転生先を確定します。――次世、貴方は『全知全能の創造神』として君臨していただきます】
「……っ、ふざ……けるな」
僕は消え入りそうな声で絞り出した。神様になんて、なりたくない。全知全能なんて、ちっとも欲しくない。僕はただ、あの雨漏りのする小屋で、リーザとナディアと一緒に、温いスープを飲みたかっただけなんだ。「ざまぁ」なんて、二度といらなかったんだ。
けれど、意識は無情にも浮上していく。身体が光の粒子となって砕け、家族の温もりも、土の匂いも、すべてが遠ざかっていく。次に目を開けた時。僕は真っ白な、何もない空間に一人で浮いていた。手足はなく、ただ「意思」だけが存在する、完璧な孤独の世界。
『おはようございます、創造神様』
脳内に、聞き慣れたあのシステムの声が響く。
『貴方はこれから、新しい宇宙を作ることができます。どんな世界にしますか?』
僕は、震える意思で答えた。
「……誰も、誰も『ざまぁ』されない世界がいい。みんなが、ただ隣の人と笑い合って、そのまま死んでいける……そんな世界に……」
『承知いたしました。では、シナリオを設定します』
『第1章:完璧な悪役が、誰かに陥れられるところから始めましょうか?』
「やめろぉぉぉ!!」
神の叫びは、虚空に虚しく響き渡る。僕の新しい「最高条件」の人生は、またしても誰かの「ざまぁ」を演出するために動き出したのだった。
(完)




