第4話 違法な道具
鐘が鳴った。
まるで何かのスイッチが切り替わったかのように、教室に張り詰めていた空気が一気に緩む。
「今日はここまでです。」
ミリアン先生は、いつもと変わらない落ち着いた口調で告げた。
「先ほどの件について、今すぐ結論を出す必要はありません。」
「各自、気持ちを整理してから帰りなさい。」
それ以上の説明も、慰めもなかった。
彼女は杖を収め、教室を後にする。
扉が閉まった瞬間、ようやく教室が本当に動き出した。
ひそひそとした会話があちこちから聞こえ、丸一時間抑え込まれていた感情が、ようやく逃げ場を得たようだった。
すぐに、何人もの生徒がパキシール・ドナグの周囲に集まる。
「本当に行くのか?」
「あのグレイン相手だぞ……」
「生徒会は止めないのか?」
ドナグは一つ一つに答えていた。
その声は、想像していたよりもずっと冷静だった。
ミルレイ・リンはその隣に立ったまま、眉を寄せ続けている。
――彼らの関係は気になるところだが。
残念ながら、俺がそこに加わる理由はなかった。
意図的に距離を取ったわけじゃない。
ただ、あの場所はもう俺を必要としていなかっただけだ。
人が集まれば、物事は勝手に決まった方向へ転がっていく。
俺は荷物をまとめ、教室の後ろ扉から静かに出た。
廊下に人影は少ない。
一年生の多くは教室に残るか、寮へ向かったのだろう。
俺は別の道を選んだ。
誰かを追っているわけじゃない。
単に、すぐに戻る気分じゃなかっただけだ。
曲がり角を抜けた瞬間、かすかな魔力の揺らぎを感じた。
弱い。
だが、不自然だ。
俺は足を止めた。
揺らぎの発生源は空き教室だった。
扉は完全には閉まっていない。
中から、抑えた声が漏れてくる。
「……本当にダメなの?」
「少し借りるだけよ。」
「ダメだ。」
「それはまだ封印状態だ。」
俺は覗き込まず、ただ耳を澄ませる。
「でも、今夜使う予定なの。」
「失敗したら……」
「だからこそ、使えない。」
会話はそこで途切れた。
次の瞬間、扉が開く。
俺と中の人物は、正面から目が合った。
相手は一瞬、明らかに戸惑った様子を見せる。
短く整えられた暗色の髪。
二年生のネクタイ。
胸元には生徒会の徽章。
視線が素早く俺をなぞり、年次と制服を確認したあと、わずかに眉をひそめた。
「一年生か?」
「すみません。」
「道を間違えました。」
淡々と答える。
余計な感情は乗せない。
彼は二秒ほど俺を見つめた。
どこまで聞いていたか、測っているようだった。
やがて、小さく息を吐く。
「ここは君が来る場所じゃない。」
「すぐに立ち去ります。」
踵を返そうとしたとき。
「待て。」
俺は足を止めた。
「さっきの話、どこまで聞いた?」
「ほとんど。」
「使ってはいけない物がある、という程度です。」
嘘ではない。
ただ、すべては言っていない。
彼は少し黙り込み、やがて手を差し出した。
「二年生、生徒会。」
「アルヴィン・シュト。」
「情報管理担当だ。」
俺はその手を取る。
「ヴィナ・シュン。」
それ以上の挨拶はなかった。
「一年生が、生徒会封鎖中の教室に立ち入るのは本来問題だが……」
アルヴィンは上を指差す。
確かに、封鎖を示す布が掛けられていた。
なるほど。
空き教室を使って、何かを持ち出そうとしていたわけか。
ここで騒げば、事態は余計にややこしくなる。
「面倒事は嫌いです。」俺は言った。
「この学院で、面倒事を避けられる人間は少ない。」
彼は淡々と返す。
そのとき、教室の中にいた人物が異変に気づいたのか、外へ出てきた。
「どうしたの、シュト君?」
「ずいぶん時間がかかってるけど。」
女性だった。
彼女はすぐに、廊下に立つ俺へ視線を向ける。
「その子は……?」
「通りがかった一年生だ。」
「じゃ、じゃあ……さっきの話は……」
俺はわざと首を傾げ、何も分かっていないふりをする。
不思議そうな俺の表情を見て、彼女はようやく警戒を解いた。
「……返事は、さっき言った通りよ。」
アルヴィンは鋭く彼女を睨む。
そして、わざと声を張り上げた。
「これ以上聞かれたくないなら、早く戻れ!」
女性は言い返しかけたが、俺の存在を意識し、困った顔で教室へ戻っていった。
廊下に静寂が戻る。
彼女の姿が完全に消えたのを確認してから、アルヴィンは声を落とした。
「さっきの件、借りを作った。」
「助かったよ。」
俺はすぐに答えず、少し間を置いてから口を開く。
「それなら。」
「一つ、聞いてもいいですか。」
アルヴィンが目を上げる。
「何だ。」
「封印されている物って、何なんです?」
「誰かが、それを使おうとしているんじゃ?」
空気が一瞬、冷えた。
彼は否定しなかった。
代わりに問い返す。
「どうしてそう思う?」
「さっきの彼女の様子です。」
俺は落ち着いて答えた。
アルヴィンはしばらく沈黙し、やがて覚悟を決めたように言った。
「全部は話せない。」
「だが、一つだけなら。」
彼は一歩近づき、さらに声を低くする。
「その道具は、魔力回路を歪める。」
「使用時間が長いほど、後遺症は重くなる。」
「どの程度?」
「不可逆だ。」
「重ければ、治療も時間稼ぎにしかならない。」
想像以上に深刻だった。
「すでに校内へ流れ始めている情報も掴んでいる。」
アルヴィンは言う。
「だが、出所を特定するまでは、表に出せない。」
「さっきの女性は……?」
「ああ……」
「最近、二年生が一年生を挑発して、決闘に持ち込もうとしている。」
「噂は聞いたことがあるか?」
――聞いたどころか、当事者は同じクラスだ。
「彼らは、封印された道具を試している可能性がある。」
「さっきの彼女も、その一人だ。」
「だが、学院の名誉のためにも、我々にできるのは情報を抑えることだけだ。」
それが生徒会の立場。
理解できる。
だが、無力でもある。
「分かりました。」
それ以上、聞くことはなかった。
借りは、ここで使い切りだ。
アルヴィンは俺を見る。
「君が何をするつもりかは知らない。」
「だが、表に出るつもりがないなら――」
「舞台に立つ気はありません。」
即答だった。
本心だ。
彼はしばらく俺を見つめ、やがて小さく頷いた。
「それならいい。」
俺たちは別れた。
廊下は再び静まり返る。
俺は寮へ向かいながら、頭の中で情報を整理する。
違法な道具。
魔力の増幅。
不可逆の副作用。
……なるほど。
さっき空き教室で感じた不安定な魔力。
あれは、没収された違法道具の影響か。
それが消えれば、
決闘は純粋な実力勝負になる。
そうなれば――
誰が舞台に立つかなんて、俺の知ったことじゃない。
夜は、まだ始まっていない。
だが、
明日を迎えるべきじゃない物も、確かに存在している。




