第10話 逆転の布石
「どうして……あの商人が……」
俺に押さえつけられている黒衣の男が、嘲るように鼻で笑った。
「俺たちが、秘密を知った人間をそのまま帰すとでも思ったのか?」
——やはり。
あいつを帰したのは、間違いだった。
「本気で俺たちに手を出すつもりなら……」
男は声を低くする。
「こいつも生きて帰れない。賭けるつもりか?」
胸の奥が、重く沈む。
あの商人は、俺たちのせいで巻き込まれた……。
もし最初から、俺が関わらなければ——
「……分かった。」
俺は手を離した。
男はよろめきながら後退し、頬をさすりつつ勝ち誇ったように笑う。
「そうこなくちゃな。」
ローブの内側から手錠を取り出し、俺の両手首に嵌めた。
カチリ。
金属が噛み合う音が、路地裏に響く。
……なるほど。
封印術式付きか。
確かに魔力の流れは一部抑えられている。だが——
「おい、本当にそれで大丈夫か? 無詠唱だぞ、あいつ。」
「安心しろ。ただの低位魔法の無詠唱だろ? この程度の封印錠で十分だ。」
……そういう評価か。
なら、好都合だ。
連行されながら、俺はポケットの中の警報器をそっと押した。
この魔道具には二つのモードがある。
一つは、引けば大音量で鳴るタイプ。
もう一つは、対になる道具と連動するタイプだ。
片方が押せば、もう片方が鳴る。
自分で引けない状況の人間のための機能。
すみません、シュト先輩。
今の俺は、その「自分で助けを呼べない側」です。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ——!
「なんだこの音は!?」
「まずい、人が集まるぞ! 急げ!」
黒衣の男たちは足早に市場を抜け出した。
市場の西側には広大な工業区が広がっている。
煙を吐かなくなった煙突。
錆びついた鉄骨。
夜の闇に沈む廃墟群。
俺はその中の一つ、廃工場へと連れ込まれた。
内部は入り組み、分岐する通路はまるで迷路だ。
……隠れ家としては悪くない。
「入れ!」
粗末な牢へ突き飛ばされる。
錆びた鉄格子、剥がれ落ちた壁、埃だらけの床。
「手錠も嵌めたし、何もできねぇだろ。」
「はははは——!」
嘲笑とともに、三人の足音が遠ざかる。
やがて静寂。
俺はゆっくりと両手を上げ、魔力を流した。
次のシュン間——
パキン。
封印術式が砕け散る。
「……やっぱりな。」
格が低すぎる。
軽く身体強化をかけ、鉄格子を掴む。
ギギギ……。
金属が歪む。
人一人通れる隙間ができれば十分だ。
「これで出られる。」
だが、すぐには出ない。
どうせ連れてこられたんだ。
この工場、徹底的に調べさせてもらう。
ビーッ、ビーッ、ビーッ——!
「うわっ!?」
アルヴァン・シュトは思わず警報器を落としそうになった。
激しい音に周囲の視線が集まる。
彼は道具の用途をよく理解している。
シュンが、危ない。
彼は市場周辺を走り回る。
そして角で、連れ去られるヴィナ・シュンの背中を見た。
「くそっ、待て!」
手を掲げ、魔法陣を展開する。
「重力よ、すべてを支配せよ——」
だが詠唱の途中で、影は路地の向こうへ消えた。
「……ちっ。」
歯噛みする。
「待ってろ、シュン。」
シュトはすぐにレイラたちと合流した。
「シュンくんが……連れ去られた?」
レイラの顔が青ざめる。
凜は無表情のままだが、視線がわずかに沈んだ。
ドナグは深く息を吸い、感情を整える。
「シュト先輩、追跡できますか?」
「やってみる。」
警報器に手を当てる。
白い魔法陣が展開された。
「流転せし魔力よ、今ここに刻め。
その存在を我が視界に示せ——
刻印追跡!」
青い細線が空中に伸び、市場の端へと続いていく。
「この方向だ。」
「追いましょう。」
ドナグの瞳に決意が宿る。
「急いでくれ……消耗が激しい……」
シュトの額に汗が浮かぶ。
「もう少しだけ持たせてください!」
ドナグは振り返り、強く言った。
「安心してください、先輩。」
その目は鋭く光る。
「必ず、シュンを取り戻します。」




