隣国 フィケーネ
カタカタと小気味いい音を鳴らしながら馬車は国境を隔てる門に着いた。
フィケーネとウラルツカと呼ばれるヴィオレットの産まれた国は、現在同盟を組んでおり二国間の関係は概ね良いものだといえるだろう。だが、過去にはもちろん領土問題や民族問題で何度か小競り合いが起こっている。その為二国間の間にはきっちり壁か山があり、出入り出来る門にはしっかり両国の税関職員が居て出入国を管理している。
とはいえ、先に述べてあるように両国間の関係が非常に良い今は、形だけの物になっていて両国の職員同士は気軽に喋るし、手続きに来た旅人の多くも近くに居るものと楽しげに笑いあっている。
「平和ねぇ…」
「ん?どうされました?」
思わず呟かれたヴィオレットの独り言をバッチリ拾った職員が、屈託のない笑みを浮かべて尋ねてきた。
なんでもないわとヴィオレットは答え、手元の書類を見る。
住所も国籍も、性別も名前もしっかりと記入してあるそれに、書き落としは見受けられない。
これで良いだろうとルリの分も含めて2枚分、目の前の青年に差し出した。
承りますと彼は受け取り、普段の様に書き落としや怪しい点が無いかだけ軽く確認し、出国印を押す。
そしてそのまま隣にいるフィケーネの官僚に渡した。
フィケーネの入国管理官の青年は、隣から書類を受け取って、そして驚愕した。
「ちょ、あのう…すみません、こちらの書類に間違いはございませんか?」
「?ええそうよ」
「え、あっ、でしたら他のお連れの方などはどちらにいらっしゃいますか?」
困惑と驚きを綯い交ぜにした様な顔で青年はこちらに尋ねる。
連れという心当たりも思い当たりもない単語に眉を寄せると、フィケーネの官吏は分かりやすく慌て出した。
「あ、も、もしかして本当におふたりでいらっしゃったのです?護衛の方などは…」
「いないわ」
「いっ?!」
官吏は驚愕の表情で固まる。
ヴィオレットは、心の中で仕方ないじゃないと反論する。
だって、護衛の用意ができる余裕なんてなかったし、そもそもヴィオレットの身の回りの人間は、ほとんどヴィオレットの生家であるレーヴェ家か国の雇った者たちだ。彼らが、国を出てフィケーネへ嫁ぐヴィオレットについてくるわけが無い。
と、ここでなかなか進まない手続きに疑問を覚えたウラルツカ側の官吏がやって来て、固まる同僚に声をかけた。
「おい、どうした?先がつかえるから早く進めてくれないか?」
「あ、ああ、そ、そうだな…あ、すみませんほんと、驚いてしまって」
なるほどとヴィオレットは納得した。
彼は驚いていたのだ。嫁ぐというのに侍女ひとりのみを連れ、軽装でやってきたヴィオレットに。
彼の常識からして、公爵令嬢ともあろう人間が自ら手続きをするというのも信じられないのだろう。
なるほど、これならヴィオレットにも多少の責任はありそうだ。
「大丈夫よ。先触れもなく来てしまって、こちらこそごめんなさい」
その発言に、今度はウラルツカの官吏が片眉をあげる。
「先触れ…ですか?おい、ニック、ちょっと書類みせろ」
「え、お前さっき判子押してただろ?」
「いいからっ」
ニックと呼ばれたフィケーネ側の官吏が不思議そうにしながら、ウラルツカの官吏に書類を渡す。
すると、今度は彼が驚愕の表情で固まった。
「え、あ、ヴ、ヴィオレット・レーヴェ様…でしたか…」
「ええ、そうよ」
「な、ならどうしてここに…」
「決まってるじゃない、フィケーネに嫁ぎに行くのよ」
「「え?!」」
今度は2人揃って固まった。
どうやら、ヴィオレットが国を出てフィケーネに嫁ぐという情報はまだここには届いていなかったらしい。
困ったわとヴィオレットは眉根を寄せた。
国境のここまで情報が届いていないなら、フィケーネにも上手く伝わっていないかもしれない。
もしそうなら、ヴィオレットは信憑性のない情報をもとに押しかけてきた、ただの迷惑女である。
流石にその汚名はいただけない。
どうしたものかと困っていると、ニックと呼ばれた彼がやっとの思いで声を出した。
「と、兎に角、書類に判子は押されていますし、深紅の間の主の方ともあればこちらの知らない事情もありますでしょう。取り敢えず入国許可は出させて頂きます」
「あら、いいの?」
「はい。書類は揃っておりますし、上からも貴女様を通すなと指示が出ている訳でもありませんから」
通常の規定に基づけば、一瞬で入国許可はおりますからと、ニックは笑みを浮かべて言う。
想定外だったせいか今回はボロが出ていたが、流石はフィケーネの官吏に選ばれるだけあって、頭はよく判断力もあるらしい。
感心しながら、ヴィオレットは笑みを浮かべ頷く。
だが、彼の発言には続きがあった。
ですがと口を開き、彼は続ける。
「流石に護衛もつけずに送り出したとなれば、大問題です。僕らの首が飛びます」
「まあ」
「なので、こちらで護衛を探しますから暫くお待ちいただけませんか?」
願ってもない話である。
ヴィオレットも知らない国で侍女と2人は流石に心もとないと思っていたし、彼女の伝はこの国にはない。
向こうが用意してくれるのであれば、願ったり叶ったりである。
ヴィオレットは一も二もなく頷いた。
「もしかして、護衛を探してたりするかい?」
突然、いかにも旅人という格好をした男が声をかけてきた。
何事かと思いヴィオレットは身構える。
男はごめんごめんと笑いながら、話を続けた。
「たまたま話が聞こえてきたんだ。だから、そんなに警戒しないで」
怪しい者じゃないよと、怪しい人みたいな口調で言う。
ヴィオレットは訝しげに眉をひそめた。
「ほんとにたまたまだってば。あと、僕れっきとした傭兵だし。怪しくないし」
男は少々不満げに続ける。
どこからどう見ても怪しいのだが、ここまで怪しいといっそ本当にやましいものなんてないのかと思えてくる。
ヴィオレットは、彼には構わずニックに声をかけた。
「あの、本当に護衛の方を紹介して頂けるのですか?」
「あ、え、えぇ…」
ニックは歯切れ悪くそう答えた。
先程までの毅然とした態度からの変わりように、ヴィオレットは少し驚いた。
すると、先程の青年が不満げに声をあげる。
「ちょっとちょっと、僕は無視?」
失礼だし無礼だしなんなら、空気も満足に読まないその態度に、ヴィオレットはちょっとイラッとした。
「当然でしょう」
「え、」
「自分から名乗りもせず、頼まれた訳でもないのに人の事情に首を突っ込む人に護衛など頼みません」
「それは確かにそうだ、これは大変失礼致しました」
そう言うと彼は恭しく頭を下げた。
「僕はリータ。リータ・ルイギス。この街で傭兵をしております。よろしければ僕にこの街を案内させていただけませんか?」
こうしてはっきりと誘われてしまえば、無視をするわけにもいかない。
ヴィオレットはため息を一つ吐いて、リータと名乗った男に向き直った。
「本当は断りたいところだけれど、生憎とこの街に知り合いはいないし」
そこでちらりとニックを見る。
彼は困り笑いを浮かべて、ヴィオレットとリータを見ていた。
その様子からは、なにかしらの事情があるのだろうと察することができる。
「貴方が本当に信頼できるなら、貴方に頼もうかしら」
できる官吏は、それだけでヴィオレットの言わんとするところを察し、笑みを浮かべてしっかりと頷いた。
「彼の身元はしっかりしておりますし、ギルドにも登録している信頼のおけるものです。何か不都合ございましたら、私と彼の登録しているギルドが責任を取ります」
「なら、リータ、貴方に護衛をお願いするわ」
この国を案内して頂戴と繋がると、リータは人当たりの良い笑顔を浮かべて力強く頷いた。
「お任せください。貴女にとって最良の旅路になるよう努めます」
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