深紅の美姫
「話はわかっているな?」
己への自信に満ち溢れた姿でヴィオレットの目の前に立ち、獲物を逃さぬ鋭い金色の瞳でヴィオレットの姿を見据えた男は、当然のようにそう説いた。
彼の腕の中には、可憐な肩を震わせる最近後宮入りしたばかりの少女。
ふわふわと揺れるアッシュブラウンの髪と、涙に濡れる翡翠色の瞳は、守りたくなるような儚さを演出している。
まるで仲睦まじい恋人のような2人を見つめながら、ヴィオレットはため息をついた。
「なんだ、その態度は」
不満げに眉を寄せる目の前の男を、半ば呆れながら見つめる。
髪も目も睫毛も鼻の毛も、そして見たことは無いが恐らく身体中に生える毛も全て金色に染め上がったこの男は、後宮内での私的なパーティーだと言うのに、嫌味なほど光り輝いている。
眩しい。
サングラスでもかけたくなる気持ちで、目を細めた。
自称“断罪”を行っているのにも関わらず、ふてぶてしいその態度は、目の前の男を怒らせたらしい。
陶器かと疑いたくなる程白い頬を真っ赤に着色して、男は怒鳴る。
「なんだ、なにか不満でもあるのか!全ては貴様がまいた種だと言うのに!」
逆上して気持ちのままに怒鳴る男の唾が飛ぶ。
汚いなと何処か達観しながら見つめていると、男の腕の中に居た女が言う。
「アレク。痛いわ…」
「おっ、ああ、すまない」
蚊の鳴くような小さな声に、男はみっともなく眉を下げ、腕の力を緩める。
まるで、下手な三文芝居でも見せられている気分だ。
己の不快さを隠す気のない態度のヴィオレットに男の堪忍袋の緒はいよいよはち切れてしまったようだ。
「こちらがラストチャンスを与えてやったというのにその態度…もう我慢ならん!ヴィオレット・レーヴェ!貴様をこの後宮、ひいてはこの王国全土から追放する!二度とこの地を踏むでない!!」
ラストチャンスとはなんだ、ラストチャンスとは。
腐ってもこの国を収める国王なのだから、もう少ししっかりとした言葉使いをして欲しい。
ちなみに、国外追放などという前例のない行為をしようとしているが、ちゃんと根回しはしているのだろうか。まさか、根回しもなく行えるとかそんな甘い事を考えてはいないだろう。
仮にもこの国の国王だし。
そう。例えこの男の脳みそがお花畑の楽園だとしても、悔しい事にこの男はこの国の王なのだ。
この男の言葉にはしっかりと力がある。
レーヴェの家に、手塩にかけて育てた娘が国外追放なんて汚名を着せる訳には行かない。
だから、たとえ相手をするのが面倒くさくても、しっかりと会話をしなくてはいけないのだ。
呆れと疲れを飲み込んで、ヴィオレットは口を開いた。
「お言葉ですが、国王陛下?私は貴方様にそこまでの事を命じられるような罪は犯してはおりません」
「この後に及んで、まだそれか!お前にはあきれたぞヴィオレット!!」
仕方がないなぁと言わんばかりのその態度。
やっぱり腹が立つ。
呆れと疲れの後から、さらに怒りも飲み下す。
男は続けた。
「お前がそこまで愚かとは思わなかったぞ。お望みとあれば、お前の罪を数えよう」
ありもしないものを数えるとは一体どうするつもりなのだろうか。
手品かなにかでもするつもりなのだろうか。
冷めた目で見ていると、男は得意げに口を開く。
「お前は、この後宮の筆頭妃、深紅の間の主としての立場を悪用し、この娘ルビィ・カレンダを傷つけた!」
深紅の間を収めるこの国の筆頭妃の1人、深紅の美姫として名高い女の罪は何かと、好奇心を露わにしていた野次馬たちが一斉に力を抜くのが分かった。
なんだそんな事かと白けた空気が流れる。
そんな空気を知ってか知らず、この国の王たる男は胸を張って罪状を上げていく。
曰く、ヴィオレットがルビィに対し暴言を吐き、心を傷つけた。
曰く、ヴィオレットはルビィの持ってきた宝物を奪い、壊し、涙を流すルビィに対して、嘲るように笑った。
曰く、ヴィオレットがルビィのドレスを破き、夜会に出られないようにと小細工をした。
曰く、ヴィオレットがルビィの部屋中に虫を放ち、心の休めない状態にした。
等々。
どこをどうほじくり返しても、女同士のキャットファイトでしかない内容が続く。
というか、この女はこんな事で心が折れた、傷ついたと涙を流すのか。
随分と弱いでは無いか。
手に持つ扇で口元を隠しながら、キャットファイト所か暗殺されかけた事さえあるヴィオレットは嘆息した。
ここは後宮。女の園。
一人の男の寵を競い、時には殺し合いすら行われる悪意渦巻く世界なのだ。
今日着るドレスが破れていた所か、今朝食べた粥に毒が入っていようが、信用していた侍女に朝から殺されかけようが、帰ってきた部屋が荒らされていて一睡も出来ていなかろうが、それでも優雅に微笑んで、化かし合いする場所なのだ。
たいしたことない嫌がらせの1つ1つにいちいち心折れている様では、この場所で生きていけない。
加えて、目の前のこの男は後宮の女に目もくれず、人が1人死のうがどうしようが何もしてはくれなかったのだ。
成程、これが寵愛の差かとヴィオレットは納得した。
早く終わらないかなぁという周囲の雰囲気に気づくことなく、得意げによく動いている口を見つめて、ヴィオレットは頭を動かす。
目の前の男の中には、悪鬼から愛しい女を守り抜くというメルヘンチックな御伽噺しか無いのだろう。
完全に自分に酔っている。
こんな男に頼るなどという事は、考えることすら無駄に違いない。
どうすれば家を守り、名誉を守り、この男の後宮から出られるのかを考えていたから、男の発した言葉をうっかり聴き逃しそうになった。
「よって、貴様は私の後宮に相応しくないと考えられる!したがって、貴様は今度隣国フィケーネに送られる妃とすることに決まった!!」
瞬間、静まり返るパーティー会場。
男の腕の中の女も、驚きのあまり目を見張っている。
かく言うヴィオレットも、驚きを隠せなかった。
隣国フィケーネと言えば、一年中雨が少なく、それでいて自然に溢れる言わばサバンナの地帯。ただし国土はとても広く、内陸国であるこの国と違って海に面した所もあり、近頃貿易と観光で力を伸ばしつつある、新進気鋭の大国だ。
国王である男は、無骨で荒々しいと聞くが、同時に強大な武力を持ち、間違っても敵には回せない国のひとつだ。
そんな国に、この国から追放を言い渡すほどの罪を犯したとした私を送る?
大方、綺麗で優雅を美徳とする我が国のトップが、そんな野蛮な所に娘をやりたくないだろうと考え、丁度いいと白羽の矢を立てたのが私だったのだろう。
余りにも短慮。余りにも愚か。
だが、余りにも面白い。
娘を武骨な者の蔓延る野蛮な地域に送ったとして、我が家は称えられ、国外追放という汚名はある程度払拭できるだろう。
それに、新しい国の新しい文化に触れられるまたとない機会だ。
受け入れる理由はあれど、突っぱねる理由はない。
まだ口を動かそうとする男を遮って言った。
「そういう事でしたら、謹んでお受け致しますわ。貴方様の臣下の1人として、精一杯励んでまいります」
それだけ言って、家庭教師に褒められまくったカーテシーを披露して、踵を返してその場から去った。
後に残された男は、間抜けな顔をしていたらしいが、よく知らない。
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