後でメチャいい事があると分かっていれば、辛い事も耐えられる。いわゆる1つのツンデレカフェ
※ここでちょっとだけ少女の暗い心理描写が入ります(※暗さからの反動で、一気に明るくするためです)
※災害にトラウマのある方や、読みたくない人は飛ばして次のエピソードに進んで下さいね。
『宇部京子の日誌』より
その日、私はいつものように寝床の中で泣いていた。
日本があのでっかい怪物たちに襲われて、もう10年の月日が経った。
実家の山口県で評判のふぐ……もとい、ふく料理を振る舞っていた私の家は、オーク型ゾンビに一瞬で踏み潰された。
あちこち血まみれになった父さんが、死にもの狂いで私を瓦礫から助け出してくれたけど、母はもう拾い集めるのも無理なぐらいいたましい姿だった。
あれから10年。父さんも心労がたたって亡くなり、私はひとりぼっちになった。
なじみの避難区が壊滅してあちこちたらい回しにされ、見知らぬ土地で毎日震えながら眠っている。
検査の結果、人形重機とかいう10メートルぐらいあるロボット(※人工筋肉と操作補助のOSを搭載、人と同じような動きができる)の操縦適正があるとかで、毎日前線でバケモノと戦う事になったのだ。
自衛隊が壊滅し、あまりにも人手不足だったから、わたしたち身寄りのない孤児を加えた自衛軍ってのになったかららしい。
「あいつら必要な事は『検討します』しか言わないくせに、そういう怖い法案だけは秒で通すんだよ」
と舌打ちしていた先輩パイロットは、小型の化け物にコクピットをこじ開けられて喰い殺されてしまった。
血まみれで助けを求める先輩の顔が頭から離れず、私はうすっぺらな毛布を頭からかぶってガタガタ震えていた。
…ああ、また朝が来る。
今日は生きて寝床に帰れるんだろうか。
もう嫌だ、早くお父さんお母さんのところに行きたい。
どうせ生きてても辛い事しかないんだもの。
できれば怪物にむさぼり喰われるんじゃなくて、もっと楽な死に方がいいな…
当時悲観しまくっていた私は、そんなふうに考えていたのだったが……次に目が覚めた時には、全てが様変わりしていたのだ。