第58話 ホワイトデー③
琴美と一緒に、バームクーヘンを食べて、紅茶を飲んで、しばらくして。
俺が、お手洗いに立った隙だった。
「あ、やっぱり」
ふとそんな声が聞こえてきて。
俺がリビングに戻ると、琴美が冷蔵庫を開けていた。
そこには、焼け焦げたり、形が崩れたバームクーヘンが、沢山入っていた。
そう、ホットケーキミックスを使えばいいとか、卵焼きのように焼けばいいとかわかっていても、別に俺は元々卵焼きをきれいに焼けるわけでもない。
卵焼きを焦がすように、俺はバームクーヘンを焼いて丸めている間、生地を何度も焦がし、丸め方に失敗して形をぐちゃぐちゃにし、失敗作を沢山作っていた。
それこそすぐには食べきれないほどあったので、後で自分で消化しようと、まとめて冷蔵庫に入れておいたのだった。
おそらく、俺が冷蔵庫をチラチラ見ていたことから、俺が何かを隠しているだろうと察知した琴美が、俺がいない隙に冷蔵庫を開けたのだろう。
俺としては、隠していたテストが見つかったときと似た感覚で、バツの悪さを感じる。
「あんまり、見せたくなかったんだけどな、恥ずかしいから」
そう言って、照れ隠しに頭をポリポリと掻いた。
「そう? アタシは、嬉しかったけどな。悠珠が、アタシのために、こんなにたくさん頑張ってくれたんだな、って実感できて」
琴美は、そう言って、微笑んでくれた。
正直、琴美ならそう言ってくれるんじゃないか、という気持ちもあった。
実際にそう言ってくれた琴美の優しさを感じて嬉しい気持ちもあったり、琴美の優しさに甘えてしまったという後悔のような感覚もあったり、色々な気持ちが渦巻いて、俺は気持ちを言葉にできずに、上手く返事ができなかった。
そんな感じで黙っていると、琴美がバームクーヘン失敗作の一つを冷蔵庫から取り出そうとしていた。
「ちょ、ちょちょちょっと待って!」
慌てて冷蔵庫前の琴美に駆け寄り、琴美の手を取って失敗作を冷蔵庫に仕舞わせて、冷蔵庫を閉めた。
「なんで出すの!」
「えー、だって今入ってるのも、悠珠の努力の結晶なわけでしょ? なら、アタシは全部ほしいなって思うのは、普通じゃない?」
「いやいや、それでも美味しくないものは美味しくないから。琴美には、美味しいものだけを、あげたいよ」
俺の気持ちをくすぐるような言葉をくれる琴美に心揺らぎつつも、何とか押しとどまり、琴美を止めた。
そんな、一瞬、油断が生まれたタイミングだった。
「えー、そんなに言うなら……」
突然、琴美の美しい顔が自分へと迫ってきたかと思うと、
ちゅ。
そっと、触れるように、琴美が俺の唇を奪った。
「代わりに、悠珠を、もらっちゃった」
少し照れも見える中でも、してやったりといった笑みを浮かべ、そんなことを言う琴美。
そんな琴美に対して、嬉しいやら恥ずかしいやら、それ以外も様々な感情がまぜこぜになって、よくわからなくて。
でも、頭の中の全てが、琴美のことで埋め尽くされていることだけはわかって。
「かなわないなあ、もう」
そうつぶやいた俺は、既に身も心もすべて、琴美のものなんだと、そう実感したのだった。




