第55話 バレンタイン③
そうしてそのまま、二人で手を繋いで、琴美の家まで向かった。
制服のままだけど、そのままの恰好で上がらせてもらう。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
そう琴美とやりとりをする。どうやら響子さんはまだ帰ってきていないようだ。
琴美に促されるまま、琴美の家のダイニングテーブルの席に座る。
「お茶淹れるね」
そう言って琴美はキッチンに向かっていった。
「あ、ありがとう、なんだか、悪いね」
「ううん、全然。ただアタシが悠珠に、チョコを一番美味しい状態で食べてほしいだけだから」
そう言って笑顔を向けてくれると、何も言えなくなってしまう。
琴美はそのままキッチンに入っていった。
そして戻ってきた琴美は、紅茶のティーカップ以外にも、ケーキ皿も一緒にお盆に乗せて、ダイニングに戻ってきた。
ケーキ皿の上にあったのは、正方形の形をした、黒のチョコケーキ。
「チョコブラウニー?」
「う、うん。上手くできたかは、わからないけど」
そう言って照れた顔を見せる琴美。
上手くできたか、できなかったかなんて。
チョコを湯せんで溶かして型にはめるのだって簡単なものではないのに、チョコブラウニーという、手間もかかるし難易度も高いケーキを、俺のために作ってくれただけで。
「もらえて、本当に嬉しい。ありがとう、琴美」
そう、笑顔で伝える。
「うん、でも、アタシは、美味しいって言わせたくて作ったから」
俺の意図を汲んでくれて、それでもなお、自分に高い目標を掲げる。
そんなところも琴美の素敵なところだなあと、感じながら。
「いただきます」
俺は一礼して。チョコブラウニーを口に運んだ。
「……美味しい」
その言葉はもちろん、心からのものだった。
ケーキは焦げなどもなく、しっとりとしていて、甘すぎず苦すぎず、ちょうどよい甘さで。
中に少し散りばめられたナッツが、さらに食感をよくしてくれて。
心から、美味しいと思えるものだった。
「こんなに美味しいものをもらえるバレンタインなんて、初めてだよ。ありがとう、琴美」
それは、俺の心からの感謝だった。
でも、琴美は、ちょっと苦笑いを浮かべて。
「ごめんね、アタシ、ちょっと意地悪した」
突然、琴美はそんなことを言いだした。
「ホントはね、悠珠、他の子からもいくつかもらえるはずだったんだよ」
話しているときの琴美は、少し俯き加減だった。
「だけど、アタシが止めたの。悠珠にあげるのはやめて、って」
「そんなの、恋人なら当たり前じゃあ……」
俺の言葉を遮るように、琴美は首を振る。
「怖かったんだ、アタシ。悠珠が、みんなに認められていくのが」
懺悔のように、琴美は続けていく。
「悠珠はさ、アタシと恋人同士になってから、沢山頑張ってる。だから、当然それに気づく人もいて、悠珠のこと、いいよねっていう人も、周りに増えていって」
「それは、琴美への誉め言葉として……」
「そうだね、きっとみんなは、そういうつもりで言ってくれてるんだと、アタシも思う。でも、それでもアタシ、モヤモヤしちゃって。アタシ、重いんだ。悠珠のこと、きっともう、手放せない。きっと、独占したくなっちゃう。本当は、悠珠が周囲から認められることはいいことなのに、アタシはそれを、喜べない……」
琴美はそう言うと、俺の方から目線を逸らし、ため息を一つついた。
俺のするべきことは何か、すぐにわかった。
俺は、席を立つと、琴美の側まで駆け寄り、琴美と目線を合わせるようにしゃがんだ。
そして、琴美の頬に、右手でそっと触れた。
琴美は、驚いた顔を見せる。
これまで、俺の方からは、あまり積極的に琴美に触れすぎないように、気を付けてきた。
性欲というものは、基本的に男性側の方が、やっぱり強い。
その「欲」を見せすぎないように、琴美を怖がらせないように、自分を律し、制するようにしてきた。
だけど、今は、今だけは。
伝えたい、って、思った。
俺がどれだけ、琴美を、琴美だけを、愛し求めているのか、と。
俺は手を琴美の頬に添えたまま、顔を近づけ、目を閉じ、唇を奪った。
これまで、琴美に無断で、キスをしたことはなかった。
それにキスをしても、短い時間で、唇を離すようにしていた。
だけど今回は、長く、長く触れるように、キスを続ける。
そして、自分の口を小さく開き、舌を出して、琴美の唇を、そっとノックする。
緊張、不安、色々なものが合わさって、心臓がバクバク言っているのを感じるほどに勇気がいることだったけれども、琴美は、そっと応じてくれた。
そっと開いた琴美の口に、自分の舌を入れ込み、琴美の舌を捕まえる。
これが俺の想いだと、これが俺の琴美を求める気持ちだと、琴美にわかってもらうために。
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どれぐらい、そうしていただろうか? ひょっとしたら、時間にしたらさほど長くもないのかもしれない。
だけど、息苦しさを感じて二人で唇を離したとき、二人揃って息が上がっていた。
琴美はとろんとした瞳で、それがどうしようもなく淫靡に思えて、俺は自分の浅ましさを改めて恥じる。
でも、今日は、今日だけは。
琴美に、伝えないと、と思った。
「琴美、愛してる。ずっとずっと、琴美だけを、愛してるよ」
「うん……うん!」
琴美のキラキラとした笑みには、そっと一筋、涙が頬に添えられていた。




