目が覚めて
洞窟の中、暗殺者の女は目を覚ました。
自分が柔らかいものの上に寝かされて(まさかコカトリスから引きちぎった羽毛だとは思いもしていないが)、周りを三人に取り囲まれている。
なぜ自分が生かされているのか理解できないが、意識が戻った彼女には、取れる選択肢は一つしかなかった。
——殺す。
敵う相手ではないことは、意識を失う前の戦い絵で思い知らされていた。
暗殺対象となっていた男も強かった。
事前に聞いていたのと話が全く違った。
冒険者となりながら、諸国を放浪している剣士。
かなりの手練れとは聞いていた。
しかし、実際は「手練れ」どころではなかった。
帝都のSランク冒険者ならば、十人ぐらいはまとめて殺す自信が暗殺者の女にはあった。
対人戦闘であれば大陸最強と自負していた。
それでも、用心に用心を重ね、禁呪のアーティファクトを使ったのだ。
体と心を潰すつもりで加速させた。
寿命と引き換えに体を回復させた。
この戦闘のあとに生き残るつもりはなかった。
どうしようもない時のための準備もした。
勝ち目がないと分かってそれを使った。
爆発がすべてを吹き飛ばしてくれるはずだった。
彼女の呪われた運命と一緒に。
しかし、全てが失敗したのならば、もう一度……
「……動けない」
女は自分が指先一つ動かすことのできないことに気づいた。
「そりゃ、あんな好戦的なあなたみたいな人をそのままにしておくわけないでしょ」
「君の意思では体は動かないから。あ、でも呼吸とか影響ないから命の心配とかしなくて良いよ」
サクアとフェムはすごい目つきで睨まれても全く意に介さずという表情で言う。
「くっ……命の心配など」
「なるほど、心配なのは自分の命ではなくて、ですね」
「妹のほうなのか……」
「なぜ……」
それを知っていると驚愕の表情になる女。
「あなたはマスカットという名前なのですね」
「マスカット・ベリー、コードネームはA。組織のとっておきの秘密兵器だね」
「——!」
「なるほど、大変んな思いをしたんですね」
「村が盗賊に襲われた時に、両親が食い止めてる間に森に逃げたのに、残党狩りをしていた奴隷商人に妹と一緒に捕まった」
「その後、変態貴族の慰み物として売られそうになる直前、暗殺者になる才能を見込まれて、南の帝国の暗部に買われた」
「そこで、酷い訓練をうけたようですね」
「黙れ!」
「……妹を人質に取られて、人を人とも思わない酷い訓練に絶え続けてたんですね」
「最後のそれひどいね。廃墟に集められてデスゲームか……」
「なぜ、それを……」
「過去の戦争で滅びた国の荒れ果てた森の中の砦ですね」
「そこに買われた子供質が集められた」
「卒業試験というわけですね。訓練の最終段階です」
「ただし、卒業できるのは一人だけ」
「廃墟の暗闇に隠れて、殺し合い、騙し合いが始まった」
「一緒に育った子どもた同士を……これは趣味悪いね」
「……」
暗殺者の女——マスカットは、忘れたいが忘れることのできないその日のことを、まるで今眼の前にあるかのように鮮明に思い出してしまう。
床に鎧の中の白骨死体が転がる暗い建物の中で、一緒に暗殺者の訓練を受けた子どもたちが殺し合う光景。
自分一人であれば、仲間を殺すよりも、さっさと殺されてしまいたかった。
しかし、自分が死んだら……逃げたなら、妹が暗殺者候補として同じ目にあってしまうのだ。
自分が暗殺者として一人前になったのなら、妹は組織の表向きの顔である大きな商家でメイドとして過ごすことができる。
マスカットに、他に選択肢はなかった。
後ろの暗闇からの微かな気配に反応してナイフを投げれば……
倒れていたのは、マスカットと一番中の良かったアロマという少女。
あわてて駆け寄ると、彼女は笑っていた。
致命傷を受け、息絶える寸前になりながらも、
『これで逃げられる……こんな地獄から……』
マスカットはその地獄に自ら入っていく。
廃墟の暗闇に潜み、他の誰かがヘマをするのを待つ。
そんな緊張に耐えられず城から逃亡しようとした者は、外で待ち構える組織の射手の弓によって殺される。
砦はは次々に血に染まり、子供たちの息も絶えていった。
そして、最後に残ったのは、プショネという意地の悪い少年とマスカットであった。
訓練のときも、いつも徒党を組んで嫌がらせをしてきた男子の親分格だった。
彼も、可哀想な少年ではあった。
父親が狩りの途中で死んでから、一家は村の邪魔ものとして扱われ、母親が病気で死ぬのと同時に帝都のスラムでゴミをあさり、盗みをしながら生きながらえてきた。
帝都の警備隊のスラム刈りで囚われたときには、すでに人の心など何ものこっていない。
すでにいっぱしの犯罪者であった。
生きるためにはなんの躊躇もない悪であった。
さらに狡猾であった。
彼は弱いものは蹴落とし、強いものはおだてなだめすかして利用して、生き残った。
自分の切り札を、この日、この時まで隠し通して、
『へっ、捕まえた」
認識撹乱の精霊術であった。
意識していたのならば、簡単には騙されなかったのだろうが、極限の状態で一瞬乱れた認識——酷いめまいの中で、眼の前の気配に切りかかったマスカットは、いつの間にか首に細い縄をかけられていたのだった。
『さようなら……』
嫌らしい口調の声を聞きながら眼の前が真っ暗になってくるマスカット。
手持ちのナイフや暗器はとっくに使い尽くしていて、途中で死体から拾った長剣を手に持っていたがそれで後ろに密着する少年を攻撃するのは難しい。
ジタバタと手足を振り回しても背中への攻撃は難しく……
ならば、
『えっ」
驚きの声とともに背中の少年の力が抜けた。
マスカットの体は、自らが持つ長剣が刺さっていた。
いくら振り回しても背中に攻撃が当たらないのならば、自分の体を貫いて少年を突き刺したのだった。
自分の臓器の急所はぎりぎり避けてはいたが、激痛の中でも、マスカットは最後の一人まで生き残ったことにほっと安堵していた。このくらいの傷くらい、最後まで生き残った彼女のために組織がいくらでも治療してくれるだろうから。
ああ、これで、
「妹を助けられるですか……」
「で、そのあともずっと訓練された君は……今回のヴィンくんの暗殺に成功したら、妹のことはそのままメイドとして幸せに暮らすことが保証されると言われてここにやってきたんだね」
「……知らない!」
「お、やっと心を読まれているかもしれないって気づいたのですね」
「もう、全部知ってしまったあとだけど」
「うるさい……なら殺せ」
「いや、いや、なんでそうなるの」
「君は、生きて妹を助けなければならないんでしょ」
「お前らを殺せないのならば……妹は私のかわりに暗殺者に……」
「なるほど、美しき姉妹愛ですが……」
「そもそも、そんな妹なんて本当にいるの?」
「……え?」
一瞬、呆然とした顔になる丸カットであった。