ディーノの戦い
自分をつけていた男が誰なのかに気づいた食人鬼は言う。
「勇者を助けた男ですか」
「ほう、それを知っているのか」
「ええ」
ディーノは首肯し、
「……じゃあ。どこまで事実を掴んでいるのかな?」
「……」
無言となり、
「言うわけ無いか」
イクスは苦笑いをして、
「何の用ですかね。あなたと敵対する気は無いのですが」
と言いながらもディーノは半身を前にして、油断なく攻撃に備えている。
イクスは、全く警戒した様子も無く、無造作に一歩前に出ながら言う。
「俺も、無意味におまえらに難癖をつける気はない。誰が善なのか悪なのかここでの善悪など判断できないからな」
「ここ? はて、あなたは一体どこから来たのやら?」
「……まあ、どこかは勝手に想像してもらって良いが……」
「……食人鬼を悪としない国などどこにあるのやら」
と、少し、拗ねたような、皮肉っぽい口調のディーノに、
「行ってみたいのか?」
「は?」
イクスは至って真面目な顔で言った。
「そんな世界もある」
「どこに?」
ふざけて言っているのなら、許さないという表情のディーノに……
イクスは星空を見る。
「……天にあると」
「お前が信じるならな」
相変わらず、冗談などまったく言ってるそぶりのないイクスに、ディーノは、
「なるほど……信じたいところですが、あなたは私に希望を伝えるために来たわけではないですよね」
「そうだ」
「罪を問いたいわけでもないのですか」
「おまえらの善悪に関わる気はない」
「今しがた、泣き叫ぶ女たちを食い殺したことも不問にしてくれるのですか。それはありがたい……しかし……ならば……」
ディーノは、間合いをするりと、さりげなく詰めながら。
「私になんの用……ですかね!」
瞬く間にイクスの懐に飛び込んで、目にも止まらぬ速さで手刀を放つ。
何十発も。疲れなどいっさいないかのように、スピードも威力も変わらずに。食人鬼の驚異的な体力を、爆発的に集中させる。手に長く鋭い爪をたてて、ただの人間では、いや勇者でもこの猛攻に無傷とは行かなかっただろうが……
「……終わりか?」
何事もなかったかのように、退屈そうな顔で立つイクス。
「触れることさえできずですか……ならば……」
そう言うと、一瞬で変身を終え、完全な鬼と化したディーノ。
鋭い爪に牙。熊を超えるような大きな体格。
この全力を持って襲ってこられたら、人間などひとたまりもなく倒され、喰われてしまうのだが、
「襲ってこないのか」
イクスは、両手の爪を前につきだしたまま、微動だにしないディーノに向かって言う。
「……」
「それなら、こっちから行くぞ」
「!」
イクスが、動いたと思ったその瞬間——ディーノが吹っ飛び、地面に落ち転がった。
「まだまだ……」
いつの間にか、とっさに立ち上がったディーノのすぐ横に来ていたイクスは数発の拳をはなつ。しかし、爪でそれをいなした食人鬼の牙が月明かりに光り、
「…………!」
何もない空間を噛んでいた。
それに驚いているディーノの後ろには、
「なかなか良い反応だ。力の差を正確に理解していて、カウンターに勝機を見出したのも、魔法による身体強化との連携も見事だ……あの勇者パーティの誰もお前には勝てないだろうな……」
感心した表情のイクスが立っているのだった。
それに気づいたディーノが、
「……っ! 」
とっさに、前方に逃げようとするのだが、
「悪いな」
イクスの拳が背中にめり込んで、そのまま前にゆっくりと倒れるのだった。
静寂の戻った路地。
地面に転がるディーノの懐から、イクスは、いわく有りげな、宝石で飾られた短い杖を取り出すと、現れたときと反対に、暗闇の中に溶け込むように消えるのだった。




