プロローグ
「――これからお前は、大きな試練に立ち向かうことになる」
唄うように穏やかな、男の人の声。
微睡みのなか、ボクはそのひとの言葉に耳を傾ける。
「死者の魂を操り、遺骸を弄び、人としての倫理を捨てた魔術師。 それがネクロマンサーだ」
ボクの体は、宙に浮いているような感覚がする。
この人に抱きかかえられているから……かもしれない。
「お前は優しいから、ネクロマンサーのような人でなしにはなれない。 けど、アイツらみたいな聖人気取りの狂信者にもなれない」
自分がどこにいるのかもわからない。
わかるのは、暗い場所へ向かっていることだけ。
ボクに語りかけるこのひとは、いったい何者なんだろう?
「狂信者は、病的なまでに神を信じた結果、無垢な赤子の遺体や水子の魂を、天使と名付けた人形に封じた。 その天使たちは、世界中でネクロマンサーを襲ってる」
ボクの体が、柔らかい何かの上に置かれる。
「ここは、狂信者が作り上げた異界。 領域内は天使が跋扈し、奥のフロアではネクロマンサーのやり方を真似た実験も行われている」
そして、男の人がボクの頭を撫でた。
「――ボクは、なにをすればいいの?」
無意識に、言葉を紡いでいた。
「この異界を壊して、囚われた人々を解放してほしい。 そのための武器は、ここにある」
男のひとは、どこかから杖を取り出し、ボクの横に置いた。
「死霊魔術の粋を集めて作り出した、対天使用魔術兵器『コフィン』。 お前でも扱えるように、変形しない機体を用意した」
「それで、みんな壊せばいいの?」
そうだと答えたあと、男のひとは激しく咳をする。
口元を覆っていた手のひらには、赤黒い血がべっとりとついていた。
「天使から祝福を受けたせいで、もう長くないんだ……」
だから、お前にオレの役割を託す。
次の言葉は、声がかすれていたせいで聞き取るのがやっとだった。
「天使の目をごまかすために、お前に偽装の魔術をかけた。 その副作用で消えた記憶は、時間が経てば戻る」
「記憶……」
そういえば、自分の名前も思い出せないや。
このひとのことも知っているはずなのに、なにも思い出せない。
「疲れたろう? もう少し眠っているといい。 ここに天使は来ないからな」
男のひとは、ボクを見つめて微笑む。
「おやすみ。 そして、さようなら」
その瞳は、涙で潤んでいたような気がするんだ。
「きっと、新しい出会いがお前を幸せにしてくれるよ」
男のひとは、血に濡れた指先でボクの唇を撫でる。
「待って――」
ボクは、踵を返した男のひとを呼び止めようとした。
でも、男のひとは振り返らないまま、部屋を出て行った。
――ああ、どうして?
どうしてボクは、あのひとの名前を思い出させないの?
あのひとは、ボクにとって大切なひとのはずなのに。
どうして忘れてしまったの――?
視界が徐々に暗くなっていって、ボクは意識を失った。