チリ交ヤマ
幼い頃、私はその男が苦手だった。
坊主頭で顔は汚く日に焼け、ときおり見せる前歯のない歯茎はヤニで黒ずんでいる。身長はまだ小学低学年だった私と同じくらいだったから、大人としてはかなり低い方だったろう。
男の名前はヤマという。夕方、路上で遊んでいるとヤマは片足を引きずりながらどこからともなく現れる。
「おい坊主、いいもの見せてやる」
と言うと、脇に挟んでいたエロ本を開いてみせ、「へへへ、いいだろう」と嫌らしく笑う。そして、この町にたった一軒しかない赤提灯へ入るのだ。
その店は日が暮れる頃から混み始める。客の殆どがチリ交たちだった。
チリ交と言っても今では知る人も少なくなってしまったが、これは所謂チリ紙交換のことで、昭和の終わり頃までは町中でよく見かけたものだった。ヤマもチリ交である。
赤提灯の近くには古紙の回収場があるため、自然、店にはその日の仕事を終えたチリ交たちが集まってくる。
チリ交は変わり者が多かったが、その中でもヤマは特別な存在だったに違いない。
夏のある夜のことだった。私は母に連れられて近くの小学校で催される盆踊りに行き、その帰りに道端で座り込んでいるヤマを見た。かなりの泥酔状態である。呂律が回らないから何を言っているのか分からない。ただ、ヤマの股間の辺りが濡れているのだけはすぐに分かった。
「さあ、行くよ」
立ち止まっていつまでもヤマを眺めている私の手を強く引き、母は家路を急いだ。
昭和の時代が終わる頃、塵が風に吹き飛ばされるようにヤマは死んだ。
夜中に泥酔して川に落ち、そのまま溺死した。水面に浮いているヤマを発見したのは早朝のマラソン人だったらしい。
ヤマの屍が川から引き上げられたときは流石にちょっとした騒ぎだったが、時間が過ぎれば誰もヤマのことなど忘れてしまった。
町ではチリ交たちの姿が徐々に減っていく。古紙が地域の資源として扱われるようになると、チリ交たちは仕事を奪われる形となる。職を離れる者が相次いだ。
このようなチリ交の終焉を、ひょっとしたらヤマは感じ取っていたのかもしれない。今になってそんなことを考えるようになった。
チリ交たちが通い詰めた赤提灯も、今はしゃれた美容院になっている。
勿論、そこにチリ交たちの姿はない。