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部屋に戻れば彼女が“波”の形で固まっていた

作者: 神月大和

 部屋に戻れば彼女が“波”の形で固まっていた。

 国民的ポーズであるあの形である。鏡の前でやっていたところからすれば、間違いなく練習をしていたのだ。


 しかし彼にはなんと言えば良いのかわからなかった。


 何事もなかったものとしてただ声をかければ良いのか、或いは大阪人のようにノリとともに吹っ飛んで見せれば良いものか、或いは“波”をやり返す、或いはからかう、笑ってネタにする。頭をポンポンして「可愛いね」と言ってやる。

 そのどれもが正解のようでいて不正解のような気もする。

 そして対応を間違えれば今後の関係性に支障をきたすような気もする。


 はて、どうすれば良いものか。


 彼女は、三か月前から付き合いはじめた彼女とは、すでにお互いの家に行き来するような仲になっていた。今日は彼の部屋に彼女がやって来、彼は今しがたコンビニに行った帰りだった。

 帰ってきた音や気配は感じなかったのだろうか。


 ははぁ、イヤホンをして夢中になっていた。


 普段は真面目でそつのない彼女だ。が、これまでにも時折隙のようなものを見せるときがあった。そこがたまらなく好きなのだが。


 自分以外にはそのような姿を見せず、飲み会でもガードは固い。そのような彼女の彼氏としていられることは、あまり誇るべきところのない彼としては胸を張りたいところだと思う。


 ならば何故彼女は自分と付き合ってくれたのか。


 それとなく訊いてみれば、飲み会の席でこまめに皿を片付けていたからだと言った。飲み会のノリについて行けなかった行動が、まさか彼女に刺さっていたとは。そう照れ隠しに正直に答えれば、


“知ってる。私と同じ様な人がいるって見てたから”



 ――恥ずかしくなった。

 と同時に嬉しくなった。


 それからなんとはなしに近くにいるようになり、ほそぼそと話していくうちに付き合った。どちらから告白したということもない。一緒にいることが自然になっていた。


 彼女と出会ってからの時間は、正直楽しかったと思う。

 自分がこんなことで喜び、何よりも彼女が楽しそうにすることが一番に嬉しいとは、まさか自分でも思ってはいなかった。そうした、何気なくも楽しい日常がこのまま続くのだと思っていた。


 それが今日、部屋に戻れば彼女は国民的“波”のポーズで固まっていた。


 きっと自分が帰って来るまでに何度も練習したのだろう。或いはこれがはじめてではないものか。

 惚れ惚れするような“波”であった。


 彼女を好いているというバイアスを抜きにしても、見事な“波”であると思う。しかも顔を耳まで真っ赤にして眼を見開き、そのままの形でぷるぷるしている点もポイントが高い。体操であれば間違いなく10点を挙げている。

 しかしこの状況はいたく拙いものなのだ。


 彼女が“波”のポーズを取るなどまったくもって想像もしていなかったし、まさか彼の部屋で行っているとは。

 もしかすると、彼氏の部屋で恥ずかしいポーズを取るというスリルも彼女が“波”を行った理由の一つであったのかも知れない。


 ――可愛い。

 ――好きだ。


 思わず口角が上がりそうになるが、ここでそんな狼藉を許せば勘違いされること甚だしい。笑うことは許されないことである。が、こんな時に「笑えばいいよ」とは許されないのならば、いったいどのような対応を取れば良いのか。彼は寡聞にして知らないし、このような場では誰かに訊くことなどもありえない。

 彼女にも訊けず、誰かに言うよりはこの情景はそっと心の宝箱に仕舞っておきたい。


 ならばどうするか。

 ――発想の転換だ。



 今どうするべきかわからなければ、今後どうするべきか、どうしたいかを考えれば良いのだ。

 彼は思った。


“波”の形をして耳まで真っ赤にしている彼女をまじまじと見、


 ――可愛い。

 ――好きだ。


 ――絶対に離したくない。



 そう思った時、彼にはたった一つの冴えた答えが浮かんだ。

 ならばそれを選択するべきだろう。


 今すぐに。

 可及的速やかに。


 そして彼は、ツカツカと、“波”の形で固まり、顔を耳まで真っ赤にしている彼女の許に歩を進めた。

 彼女は「ち、違うの、これは、そう、蚊がいたの、蚊がいたから……」


 蚊を“波”で退治しようとしていたらしい。

 そのあまりにもな言い訳に彼はますます決心を固くした。


“波”で固まったままの彼女の手を取り、指に指を絡め、言った。



「結婚しよう」  



「ふぇ!? ……へ、……あ、…………ばか、………………はい。……えへへ」


 真っ赤になりながらも頷き、はにかむ彼女に、

 彼女の“波”は彼を粉々にしていた。――


        了

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