満月と雪の寓話
記念すべき初投稿。冬童話2020参加作品です。
全ての音を吸い込むような一面の銀世界。
一晩中森に降り続いた雪が止み、その夜は月が柔らかな光を投げかけていました。
黒猫は1日ぶりの散歩に出掛けて、白い息を吐き出します。昨日までとは森の景色が一変していました。全てが白一色で覆われて、シンとした空気の中で、サクサクという自分の足音だけが妙に響くようです。
闇夜に紛れることを得意とする、艶のある漆黒の毛並み。満月を思わせる煌めきを見せる黄金色の瞳。夜の化身のような、その猫はとても美しく、気高い猫でした。
いつもは心が安らぐ夜の散歩ですが、今日は自分の影が気になって落ち着きません。それでも美しい景色に惹かれて、一歩、また一歩と森へ足を進めていきます。
いつもの散歩コース、森の中ほどに木々が開けた場所があります。いくつかの切株が月に照らされ、月光浴にはもってこいの場所です。
その場所に、黒猫のお気に入りの場所に、そのコはいました。
お行儀よくきっちりと足をたたみ、切株の上でじっと蹲る姿に、黒猫は一瞬で目を奪われました。月の光を全身に纏うように煌く真っ白なウサギは、黒猫に気付く素振りも見せません。
黒猫は、ウサギを驚かせないようにそっと遠くから見つめ続けました。胸がドキドキして、触れてはいけない神聖な存在を見つけてしまったことに、戸惑いと喜びを感じていました。
黒猫は一晩中そうしてウサギを見つめ続けました。
小さな小さな声で、「お友達になってよ」と繰り返しながら。
*
翌日も黒猫は森へ出掛けて行きました。
「あのコは今夜もいるかしら」
また会えるかもしれない期待と、もし居なかったら…という、ほんの少しのザワつきを胸に感じながら、知らず知らずのうちに早足で森を進みます。
そして、いつもの場所が見えたとき。
「あ!いた!」
昨日と同じ場所に、そのウサギは座っていました。けれど、心なしか少しやつれたように見えます。
黒猫の喜びに膨らんだ胸が一瞬でしぼみました。
「どうしたんだろう?具合が悪いのかな…」
少し項垂れて見えるウサギの姿に、心配になった黒猫は昨日よりもう一歩、近付いて様子をみることにしました。
「大丈夫?心配だよ」
そう一晩中つぶやいて。
*
また翌日のことです。
その日、黒猫は大きな決意を固めて森を歩いていました。その口には真っ赤な木の実を咥えて、半ば走り出しそうな勢いで。
そのコは、今夜も確かにいました。
けれど、その姿は昨日より更に一回り小さくなり、今にも消えてしまいそうな儚さに満ちていました。
黒猫は勇気を振り絞って、ウサギのいる切株まで近付きます。
そして、ずっと練習し続けていた言葉を口にしました。その声は少し震えて掠れていたけれど、ありったけの想いが詰まったものでした。
「お友達になってよ」
「大丈夫?」
「キミが心配だから、少しでも食べられそうなものを持ってきたよ。ほら、キミの瞳によく似てる真っ赤な木の実を見つけたからさ」
黒猫は一生懸命話し掛けます。怖がらせないように、必死に言葉を紡ぎます。
それでも、ウサギは黒猫を見ようとはしませんでした。返事もありません。
「お友達に、なってよ…」
黒猫は、なにも答えようとしないウサギに、なんとか想いを伝えようとしましたが、その言葉は虚しく夜の暗闇へ溶けてゆくだけ。
黒猫の黄金色の瞳から、ホロリと雫が零れ落ちました。ホロリホロリと流れ出す雫は止まらず、静かに黒猫の頬を濡らします。
「我が子のように思っていた黒猫が泣いている!あんなに胸を痛めて震えている!おぉ…」
夜空から黒猫をいつも見守り続けていた月が、泣きました。黒猫の悲しみを思って、泣きました。
キラキラと煌めく月の光が、雨のように降り注ぎます。悲しみに沈む黒猫へ。そして、物言わぬウサギへ。
月の雨を浴びたウサギが、みるみるうちにその姿を失い、溶けていくさまに、黒猫は目を大きく見開きました。
「消えないで!お願い!」
とっさに伸ばしたその指先に…
ふわり。
ふるふるっと全身を震わせて、雪の欠片を振り払ったのは、真っ白な毛皮をまとったウサギでした。
そのウサギは後ろ足で立ち上がり、月の匂いを嗅ぐように鼻先を空へ向けました。
「ふふっ。あなたの瞳、あの満月みたいね」
ウサギがにっこりと黒猫を見つめました。