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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある前世を思い出してしまった侯爵令嬢と、彼女が幸せになるまでのアレコレ

とある前世を思い出してしまった侯爵令嬢と、彼女が幸せになるまでのアレコレ

初投稿です。

何か不備がありましたら申し訳ありません。


前半は人間関係が上手くいかない鬱展開が多いので、苦手な方は読み飛ばすことをお勧めします。

また、一か所体罰的表現が出てきます。ご注意ください。

 自分に違和感を覚えたのは3歳のある夏のことだった。


 その日は私の弟か妹がそろそろ生まれそうだと、広い邸内が慌ただしく動く使用人達の気配にさざめいていた。

 夏の日差しがきついので庭に出ることは許されず、乳母のミーシャと二人で自室で過ごしていたが、本を読んでも、人形をかわいがっても、気が散ってしまって部屋の外がとても気になっていた。

 乳母のミーシャが笑みを浮かべながら私の藍色の髪を優しく撫で、

 「今日は新しいご家族様が生まれそうなので、皆さんお忙しいのです。ディルキャローナ様はここでお利口にまっていて、お母様を応援しましょうね。」

 と言った。私はミーシャにうなずき、新しい弟か妹がうまれる喜びが胸に溢れると同時に、ふと気づいた。

 昨日までの私なら、自分だけがこのイベントにのけ者にされるのは我慢ならず、何が何でも見てみたいとばあやのミーシャの隙をついて覗きに行こうとするのだが、今は全くそんな気になれなかった。おそらく現在の『現場』は大戦争だろう。大量のお湯やら清潔な布やらを用意し、ともすれば血まみれの現場に幼女が一人のこのこと乱入して使用人や母の気をそらしてもいけないし、万が一事故などが起こって産後の肥立ちが悪く母が亡くなったり、まだ見ぬか弱い弟か妹が亡くなったら、悔やんでも悔やみきれない。


 ・・・はて、?自分はここまで先が読めるような人間(こども)だっただろうか。

 疑問を持ちながらも自室でお気に入りの絵本を読んだりおやつを食べたりしている間に夜も更け、珍しく食堂ではなく自室に夕飯が運ばれてきた。前回の自室夕飯の刑は家の花瓶を7個も割ったとき以来だったが、特に悪いことをしていない一人夕食にも文句もつけずに大人しく食べると、いつになく大人しい私にミーシャもほっとしているようだった。そのままいつもの時間に就寝をし、朝起きると再び邸内の気配がさざめき立っていた。どことなく部屋の前を通る使用人の印象や気配が端々に喜びに溢れていることから、新しい赤ちゃんは無事に生まれ、母も無事だったのだろうと気づいた。朝が弱い私を毎朝起こし着替えさせてくれる使用人がいつもの時間に来ないようなので、自分で着替えを始めている時に気が付いた「いくらなんでも3歳児としては異常だし、異常だと思うことも異常だ」と。

 昨日までの私なら間違いなく使用人を呼ぶベルを連打し、お母様の無事と赤ちゃんの性別を食い入るように確かめ現場に突撃、一人夕飯の寂しさにお父様にギャン泣きで訴えを・・・・・どれだけお転婆だったのか私は―――してただろうが、今日は向こうのトラブルでおそらく「私が起きるまでは別の仕事を優先しているであろう」使用人を慮っている。そして、おそらくお嬢様が起きると面倒くさいから今日くらいはギリギリまで寝かせておこうという相手側の算段も気づいている。(犯人は何時も私のお転婆ぶりに頭痛を進呈される執事だろう)


 私は・・・?



 『家族を失くしたくない』



 ふと、胸の内に言葉が湧き上がってきた。と、同時に訪れる、ひどく切ない気持ち。



 『もう、ひとりぼっちになりたくない』



 ポタリ、と雨粒が落ちたような音がした。雨漏り?って思ったけど今日は晴れてるし、未だかつてこの豪華な邸内で雨漏りしているのを見たことがない。―――私のなみだ?



 『置いていかないで』

 『私さえ居なければ』

 『家族に恨まれても仕方ない』



 次々に溢れ出る、私のものではない未知なる『私の気持ち』と一緒に、気づけば涙がたくさん零れ落ちていた。苦しく、切ない、締め付けられるような想い。愛しさと、虚無感。そうだ『私』は―――――

 



――――前世で家族をすべて失ったのだ。




 前世の『私』は、地球という世界の日本という国に生まれ、普通の家庭で育ち、17歳の夏に父、母、弟全てを帰省中の車の事故で失った。高校受験の勉強のために家に残っていた私だけが家族の中で生き残った。

 どうしたらいいのかわからなかった。電話で訃報を聞いて、ずっと玄関先で座り込んでたらしい。

 父の妹であるおばさんが、私の様子を見に自宅に駆けつけてくれて抱きしめてくれた。その後、気づけば葬式が終わっており、手続きも何もかも終わっていた。私は大人しくおばさんの言うことを聞いてぼ~っと座っていたらしい。その時の私の精神状態は大分おかしかったのだと思う。鈍いモヤがかかった様な記憶の中で、事故の状況をおばさんが説明してくれたのをぼんやりと所々不明瞭に覚えている。出会いがしらの事故で―――運転していた父に過失はなく―――避けられなかった――――相手はひどく酔っており逃げた――――遺体は損傷が激しく家族は見ない方がいいと―――など本当に部分的にしか覚えていなかった。

 自分の罪だと思った。私があの時、家族が出かける前に拗ねて、お土産をねだったりしなければ、少し出発が遅れてしまったから、家族を殺してしまったのだと。自分を責めるというより、酷く質の悪い事実として受け止めてしまったように思う。


 不明瞭な虫食いの記憶の後―――おそらく、葬式後しばらく経ってから、その先は全く覚えていない。あんな精神状態であったなら『家族のそばに行かなきゃ』と気軽に自殺を図っても不思議じゃないとも思うし、私をかわいがってくれていた叔母さんが、そんなヤバい精神状態の私を一人で置いておくとは思えないので頻繁に家に様子を見に来るか自宅に連れて帰った可能性もある。もしくは狂って病院に入れられたのかもしれない。何はともあれ覚えていない事はどうしようもない。


 前世のヘヴィーな記憶を思い出した私ことディルキャローナは再び狂う―――ということはなかったが、メンタルに重大な欠陥と言ってもいい大きな変化を及ぼした。天下のお転婆姫ディルキャローナ嬢(使用人にもそう呼ばれてた)だった私が、急に大人しくなったのだ。目を離しても脱走する事なく自室で大人しく過ごし、食事を一人でも暴れずにとり、家庭教師のカツラをむしる事もなく静かに席に着いて勉強し、庭から塀を乗り越えようともせず、全く使用人の手を煩わせない。

 うちの使用人(特に執事)はもろ手を挙げて最初は喜んだ。この時誕生したのが待望の跡取り息子だったので、そちらのお披露目や王城への申請、貴族や出入り商人などへのお礼返し、神殿への奉納、厄除け、敵対勢力への対策もろもろで一家総出で忙しく、父母にも使用人達にも1年くらい興味を持たれてなかったと思う。乳母のミーシャだけが、、毎日少し申し訳なさそうに私を見て、「お嬢様はとても良い子になりすぎましたね」と時々優しく抱きしめてくれた。

 ようやく諸々の行事が終わり、弟が無事誕生から一年を過ごして名前が正式にローランドに決定した。日本とは異なり、この国では死にやすい赤ちゃんには1歳まで名前を付けず、10歳から正式に戸籍に登録されるらしい。弟の名前などの登録、お誕生日のお披露目会などすべて終了し一息ついたあたりで、父が「そういえばディルキャローナはどうしている」と執事に尋ねたそうだ。

 当時4歳になっていた私は以前の私と比べて大変大人しく過ごしていたため、自身のお誕生日も、3歳の貴族的お披露目も(これは5歳までにやればいいそうだが以前の私はすぐやりたい!と大騒ぎしていた)完全に忘れ去られていた。これまでは自己主張が激しすぎたので、いくら多少大人しくなったとは言え我慢できなければ本人が言うだろう、ディルキャローナが大人しいうちに雑事は済ませてしまおう。みたいな暗黙の了解が父母にも使用人達にもあったと思う。父母に呼び出され、私の近況を聞かれたミーシャが「お嬢様はここ1年間おひとりで毎日食事をなさり、あれから無茶なこともおいたも何もせず、勉学にもはげんでらっしゃいました。ほめて差し上げてください。でも、あまりにいい子になりすぎておしまいになられ・・・最近はあまり笑われなくなってしまって、お嬢様の気持ちを思いますと・・・」と涙ながらに報告したらしい。父母は私の様子にも1年間全くあっていなかった事実にも大変なショックを受けたそうだ。お互いどちらかが偶に娘と会っているだろうと思いこんでいたらしい。


 慌てて次の日の晩餐に呼ばれた私は、すでに1年前とはまるで別人と化していたと後に執事は言った。

 「お久しぶりです、お父様、お母様。」

 喜怒哀楽激しい我がまま令嬢天下のお転婆姫ディルキャローナと思っていた娘が、ニコリとも笑わず礼儀も完璧にこなし淑女の礼をした事に両親と執事は驚愕の表情を浮かべていた。

 前世の記憶のおかげですっかり自分の行動への恐怖感を覚えてしまった私は、失敗することを過度に恐れる子供になってしまった。結果、使用人が困るようなことはせず、本で知識を詰め込み、大変大人しい喜怒哀楽表現が乏しい人間になっていた。

 「キャロ、どこか具合でも悪いの?」

 「どうした、キャロ。しばらく忙しくて相手にしてあげられなかったが拗ねているのか?」

 など次々とお父様とお母様が質問を飛ばしてくるが、『前世がよみがえってこういう人間になりました』などとぶっちゃける事はできないため、困って小首を傾げるしかできなかった。あと、こちらの人は早口で、私が考えている間にもう次の質問が飛んでくる事が多い。結果、沈黙の令嬢になってしまうのだ。

 「いえ、わたくしももう姉になったので、しっかりしないといけないとおもったのです。」

 辛うじてそれだけはちゃんと言えた。だが、父母はとても困惑している様子だった。

 そのうち反応がいまいちな私に質問が飛んでくる事はなくなり、他人行儀に感じたのだろうか、それとも1年前のディルキャローナと違いすぎて取り換え子の様に不気味に思ったのだろうか?。晩餐は案の定盛り上がらず、次から週1回で義務的に晩餐に呼ばれるようになったものの、時々頑張って話しかけてくる父母に広がりのある回答ができず、毎回盛り上がらずお通夜晩餐が形成されることになった。両親には大変申し訳がない。




 数年が経ち、弟のローランドが晩餐の間に来れるようになったので、一度「わたくしがいない方が団欒ができるのでは」と父に提案したら物凄く怒られた。怒られて少しうれしかったのは内緒だ。

 またある時、ローランドが3歳、私が6歳の時の頃、定例晩餐会の時にローランドがやらかしてしまった。「ねー何で、魔女と一緒にご飯食べるの~?」と無邪気に父母に聞いて怒られていた。正直ちょっとショックだったが、無表情だったので動揺は隠せたと思う。・・・どうやら近年私の不気味さを感じ取ってきた使用人から、私は「取り換え子」「魔女」など影口を叩かれている様だ。魔女なんて単語、幼児からすぐ出てくるわけないので、必然的に誰かのうわさを耳に挟んで覚えちゃったのだろう。意味もちゃんと分かってないだろうに、怒られるローランド可哀想だった。


 あの晩餐以来、父は私の教育に厳しくなった。正直前世の記憶がなかったら挫折していると思う。これも後継ぎのローランドがいるので、他家に嫁に行く可能性が高い私の価値を高めるために必要な事、と納得している。その合間を縫って嫁以外の選択を得るために、武術や魔法の家庭教師も追加でお願いし、父に了承してもらうことが大変だった。ローランドの誕生日以来、他にわがままを言わない私が唯一希望したことなので最終的に認められたが、「デビュタントまでの私のお誕生日会は無し」という条件で折り合いがついた。どちらかといえば「お誕生日会はなし」といえばさすがに諦めるだろうと父は思ったようだが、私はお誕生日会など客寄せパンダの様なことは望んでいなかったので嬉々としてその条件でお願いした。私の完全勝利と言える。

 


 母は私に対してあたりが厳しくなった。「どうして、思っていることを言わないの?」「以前はお菓子をあげたらとても喜んでたでしょう?」「わたくしがそんなに許せないの?」などと事あるごとに責められる。特になにもお母様に対して思ってる事はなかったのだが、偶に優しく抱きしめてくれないかな~?くらいであったが、怒っている時にそれも言いづらい。お母様なりに焦りもあったのだと思う。だって、17の時に私を生んでまだ23歳でしょう?娘が急に4歳になったら笑わなくなったら困惑するわな・・・。前の私が生きてたらほぼ同級生?今の自分が娘がいて教育するとかホント無理。お母様はすごいって思うよ。

 そしてある時決定的な出来事が起こった。ローランドと遊んでいたときに、ローランドが積み木を自分で崩してしまい泣き出した時に、泣き声を聞いて近くでお茶をしていた母が飛んできて私を平手でぶった。あまりの出来事に動揺したローランドの乳母が「ち、違うのです奥様・・・」と言っている間に私はカテーシーをきめて「大変申し訳ございません、退室させていただきます」と許可もとらず部屋から下がった。お茶会に何人かお母様の友達もきていたし、私のぶたれた姿を見せるわけにはいかない。私が許可を得ずに退出する泥をかぶったほうが丸く収まると思ったからだ。それ以来、母は虐げることはしないが、あまり話しかけてこなくなった。迷うような瞳で時々見つめられてることもあるが、目が合ったことに気づくと目を逸らしていなくなってしまわれるのだ。至らない娘で思うことがあるのだろうか。だからといって、子供らしく甘えることもできず、世間に合わすこともできない私は母に何を言っていいかわからず、結果的に没交渉になった。

 

 ローランドとは彼が5歳になるくらいまでは関係が上手くいっていた。「魔女とごはんたべるの?」事件以来、姉という存在に気付いたローランドは私に興味をもったらしい。あまり笑わない私によく懐いてくれて、色々成長を見せてくれて大変かわいらしかった。わたしが本を読んでいたら、絵本を読んでとせがんでくる。庭を散歩していたら、採れたてのミミズを見せに来るなど日々できることが増えていった。3歳以前の私なら張り合ったり両親をとられたと嫉妬したりしていただろうが、精神年齢が離れすぎていて親戚の子供を見るような感覚だったし、前世の弟を思い出して時々夜にこっそり泣いた。彼とは喧嘩ばかりしたけど仲の良い姉弟だったから。そして、ローランドは今度こそ守ろうと誓った。

 5歳になるころ、ローランドも世間との付き合いが生まれてくる。当時、8歳にして「かわいげのない」「氷の令嬢」や「毒婦」など言われたい放題だった私である。ローランドがお友達に嫌がらせでも受けたのだろうか?私を避けるようになった。「ねぇさんのせいで、大恥かいたんだ!大嫌い」と泣きながら言われた日以来会うのをやめた。「ごめんね」としか言えなかった。本当にこんな姉で申し訳ない・・・



 振り返ると私酷い。ホント酷い。

ディルキャローナは記憶を思い出さなければもっと家族に負担をかけることなく上手く生きていただろう。とんでもないお転婆だけど。こんな中途半端に思い出して『私辛いんです』アッピルみたいでほんと辛いし恥ずかしい。でも、表情筋があまり仕事をしない。

 こちらの人々は日本からすると喜怒哀楽がはっきりしていることを好むと思う。周りに異文化・異言語を使う人々がいるので、意思疎通に有効な手段だからだ。貴族の駆け引きならばともかくも、家族や友人、恋人には表情やボディーランゲージが欠かせない。正直元日本人としては劇をやってるような気分になってきて少し恥ずかしい。

 かつ、この国の人々は割とせっかちな部類だとおもう。うちの家族だけではなくて、どの方と話しても私が1の事に返事を出す前にもう次の話や下手すれば次の次の話に飛んでいて、ついていけないのだ。3歳までの私は確かにそのせっかちを押しのけてさらにせっかちな暴走幼女だっただけに、穴に埋まりたい気持ちと、どうしてこうなった感がぬぐえない。

 結果、「こちらが話しかけても何も返さない」「無表情」「面白味もない」ならまだいいほうで、「信用できない」「バカにしている」「お高く留まってる」「高慢浪費女」と評価が下落していく。最後、それ妄想じゃない?という私に対する周りの評価が形成されていった。


 そんな私は4歳から11歳までの間に淑女教育から主要3か国語(特に食糧関係の用語には自信があります!)自国と近隣3か国法規、政治、領土問題、歴史、経済、流通、経営、紋章学、果てには音楽、美術、服飾、装飾、宝石学、彫金学などありとあらゆる分野を叩き込まれ正直大学受験よりずっと勉強した。

 12歳の時に剣の師匠である我が国の騎士団長ラステッド=メルベク伯爵のご子息第一子リュケイオン=メルベク様と婚約した。イケメン金髪碧眼の王子様より王子様らしい。ついでに傑物であるという。と、私ですら噂を聞いたことのある人物である。正直、違和感がいまだかつてないほどの仕事をした。侯爵家の鼻つまみ者の私といくら格下であるとは言えイケメン王子然とした将来騎士の重要ポストを約束されたキャラと婚約・・・?確かに前の私より、今の私(ディルキャローナ)は美人だと思うし、スタイルもおっぱい大きいし腰はくびれているし、全然いいとは思うけどそれだけだよね・・・・?騎士の嫁ならまだ社交は少ないと思うけど、現在の私って多分コミュ障に相当するよ?それとも、ラノベ的な悪役令嬢フラグなのか?当て馬なのか?

 だが、初顔合わせであいさつが終わり、私の父が席を外した途端「こんな悪人顔の不気味な女とは婚約したくない」とお相手のメルベク様に早速言わしめるほど、私ディルキャローナの地に落ちた評判はストップ安にまで突入していたらしい。生ぬるい視線を送る私の前でラステッド師匠が息子である婚約者メルベク様にヒールホールドなる技をキメて、婚約者殿は白目をむいていた。・・・・婚約破棄されればいいけど、うちの家侯爵家だからなぁあ・・・メルベク様の家は伯爵家だから婚約の打診断れないよな・・・メルベク様にはホントすまんかったって思う。これはもう出奔するしか相手に申し訳ないコースなのだろうか。

 そして15まで勉強・剣と魔法の鍛錬、食事まれに社交という変わらぬサイクルの生活をしてきた。剣と魔法が使える嫁ってよく考えたら騎士くらいしか許されないか。いや、騎士の家じゃなくても許されないような。まぁいっか。いざとなったら私も騎士(公務員)にでもなるかな。


 15になって気づいたが、どうやら王立学院というところに貴族の婦女子は3~5年間入らなければならないらしい。結婚したら退学などもよくあるし、スキップなどもあるので通学期間は一定しない。なんかラノベみたいな設定だなぁと思いながらも、その話を聞いたのが入寮前日だったので、それどころではなかった。

 家族の誰も私が学院そのものを知らないと思ってなかったのだろう。週一晩餐の時に父に「ディルキャローナは明日から学院だが準備は終わったか?」と聞かれ、素で「学院とはなんですか?」と返して母が珍しくスプーンを取り落とし、ローランドにいたっては目玉が落ちそうになってた。15になって使用人からも不気味だと距離を置かれていたので必要最低限の事しか声をかけられないし、乳母のミーシャが居ればこんなことにはならなかったんだろうけど彼女は私が10歳の時に腰痛で暇乞いしてしまった。父母は育児放棄の気がなくても豹変した私をどう扱っていいのか分からないようで、まともな話をお互いしたことがない。その結果、今更本などには載っていない常識的な事が欠けている令嬢になってしまった。情報面で軽くネグレクト気味だな?とは思ってたんだが、致命的な伝達不足があったようだ。大慌てで使用人が招集されて準備が行われ、何故か制服は寮の部屋の方に既に送られていた。解せぬ。

 出発する前に父から「貴族社会に自分から関わろうとしないからだ」とお小言をもらった。誕生日会の準備やお茶会など行ってれば誰でも知ってる知識だったらしい。どうやら、自分のコミュ力のなさが悪かったようである。

 ともあれ、なんとか私は学園に入寮した。



 そして、季節が廻り、私が学園の第3学年17歳になる始業式の前の休みの時。そろそろ、春が来るという陽気の頃だった。

 といっても、この国は日本程四季がはっきりしていない。過ごしやすい分、桜や紅葉、雪や夏の日差しを思い出して寂しく感じるが。それでも、この国では春が近づき、今まで荒れ地の様に見えた地面に沢山の芝の様な草が生えてきた頃、春を感じる日差しを浴びながら、春休みで実家に帰ってきていた私は書斎でひとり本を読んでいた。もちろんここ2年間は学園でボッチであったことを記録しておこう。大事なことだからもう一度言おう。安定のボッチである。

 すると静かな邸内が突如騒がしくなった。

 階下で聞こえる使用人達の走り回る音、数人の叫び声・・・事故でもあったのかしら。急いで上着をはおり、走らないように注意しながら玄関へ向かう。


「・・・は、まだか!」

「・・・の連絡が!・・・・急いで向かわせています!」

「・・・の支度・・・急いで!」

「誰か・・・・、安全を・・・!」


 状況はかなりひっ迫してるらしい。玄関ホールにたどり着くと、お父様と4人の学生服を着た男性、あと制服を着た女性が一人。そして、玄関ホールではありえない使用人に抱えられ力なく横たわっている方が一人、金髪の男性で・・・あれはまさか、ローランド?

 2階から落ちないように震えそうな手を叱咤する気持ちで手すりにつかまって階段を降りようとしたとき、とんでもない言葉が聞こえてきた。



 「これは、もう助からないかもしれない。」


 「「旦那様!」」「侯爵殿!!」



 目の前が真っ白になった。

 ドク、ドクと心臓の音が聞こえ、周囲の喧騒が遠くなる。



  『――――ちゃん、今警察からお兄ちゃん達が事故にあったって――――』


  『お兄さんたち全員亡くなったって―――――』

 

  『―――あの子一人になっちゃって、可哀想―――』




 気づけば階段にへたり込んでいた。貧血を起こしかけたのだ。危ない、手すりにつかまってなければ落ちていた。ひどく、寒い。耳の後ろが、なにかグワングワンとしていて視界がゆがみ、どこが上で下だかもよくわからない。ただ、いつもと変わらない、お父様のしっかりとした声が聞こえてきた。


 「これは、ラブサスの呪い毒であろう。おう吐・発疹・脈拍の低下に呼吸器不全。そして何より全身を縛る黒い蔦。呪いを媒介にして毒を流し込む特徴がよく表れている。通常は同じ毒から解毒剤を複製し同時に魔術も解除しなければいけない、複雑な術だ。だが、つい先日医療院の保管庫から毒と解毒剤の盗難が発覚し、これから毒の収集を行うところであった。急いで向かわせても、ラブサスの黒い蔦の自生地であるグロウベンダ山脈はここから片道1週間はかかる。探索にも数日かかるだろう。この様子だとローランドは持って3日。・・・到底間に合わない。」


 務めて冷静に在ろうとするお父様の声の中に少し震えが混じっていることに気づき、今更ながら現実感を伴ってきた。ローランドが、死ぬ?あの可愛い金髪の、太陽の陽だまりの様な笑顔の、あの子が?あの子だけは幸せになるべきなのに?


「・・・お嬢様!!!」


 階段の途中でへたり込んで手すりに縋り付いているコアラ令嬢状態の私に驚いたのだろう、後ろからきた使用人の悲鳴でホールにいた方たちが初めて私に気づき振り返る。その中に婚約者のメルビグ様が居ることに今更気づいた。


「・・・ディルキャローナ」

 お父様の悲痛な声に胸を掻きむしられる想いがする。

 ローランドが死んだらば、お母様も大変悲しむだろう。そして、この家はすべてが死んだようになってしまうだろう。かつての前世の、あの日のあの家の様に。


 お父様とお母様に、あの苦しみを与えるの?


 そんなの、絶対に嫌だ。許容できない。


 気づけば涙がこぼれていた。同時にどこかに失われていた血が急速に戻るのを感じる。指先にまでしっかり血が戻る。

 ・・・絶対に、絶対にローランドを助ける!必ず、まだ間に合う!まだ私にもできることがある!あの時は違うんだから、しっかりして、私!

 急速に頭が回転をし始めるのを知覚する。さっきお父様はなんておっしゃってた?ラブサスの呪い毒?それならば・・・しなければいけない事と段取りを急速に組み立てながら、私は書斎に向かって走り出した。


 「お嬢様!?」

 「ディルキャローナ!」

 「ディルキャローナさん!どうしてこんなことを・・・!?」

 「逃げるのか!?」


 後ろで皆さんが何かを叫んでる様だったが、一刻を争うので、広い廊下を全力疾走した為すぐに聞こえなくなった。すれ違う使用人、使用人みんな目が落ちそうなくらい驚愕の表情を浮かべている。こんな時に、『今の私』になって初めてこの廊下を走ったことに気づき、泣きながらフフッと笑みがもれた。なんだかすごくおかしかった。

 まず、ラブサスの呪い毒を確認しなくては。

 あの草はたしか、蔓科の黒い植物で、土の気が溢れる山岳地帯で生息するものだけど、ごくまれに水の聖別を受けたダンジョン奥深くに近年発見例があったはず・・・。ここから最も近い、水の聖別があるダンジョン・・・時間的にギリギリで間に合うのではないかしら?



 王都から片道徒歩で7時間のところを馬に休みを与えず45分全力疾走させ、実家の馬を乗りつぶす勢いでシュルームダンジョンに到着した。ギルド管轄のダンジョンなのでギルドにシュルームダンジョン攻略申請書を叩きつけ、普段使ったこともない権力で時短の為にごり押しをし、シュルームダンジョンの詳細な情報を金の力で買い上げ、ありったけの魔力回復薬とHP回復薬をもってきたのだ。明日は魔力回復薬とHP回復薬は町で売ってないかもしれない。冒険者のみなさんごめんなさい。そして・・・


「ごめんね」


 そう一言あやまって、実家から乗ってきた白目をむいて今にも泡を吹きそうな馬は、そのまま入口に置いてきた。長年可愛がってた私の葦毛の馬だったけど、いつか家を出るかもしれないので名前をつけなかった。最後になるかもしれないのに、可哀想なことをしてしまったが私は弟を選んだ。世話をしてあげる余裕もなかったので、つながず置いてきたので、うまく魔物に見つからずに安全地帯と水を自分で見つけて休めれば、生きてくれるかもしれない。

 どちらにしても、帰りのことは自分を含め全く考えていない。お父様の部屋に転移スポットを設定したので、採取してダンジョンから脱出できれば、あらかじめ組んでおいた魔法ロールで現物を転送するだけ。

 私はここで死ぬかもしれない。死にたいわけでもないけれど、生きたいわけでもないし、何より自分の算段を残すことに変な抵抗感を感じたのだ。きっとこれで上手くいかなかったら、自分は生きていても一生後悔するから。だから、先は何も考えないで、今に全力を尽くす。間違ってると思うけれども、前世持ちの傷持ちの私にはこれがきっと最善だから。


 「さて、攻略してやりましょう。シュルームダンジョン」


 女の細腕でも扱えるとして選んで鍛えてきたレイピアと、革の装備、低容量マジックバックの中身、送るための魔法スクロール、その他食糧や薬、光源などをもう一度確認する。一人で生きていくことを考えて磨いた剣技と魔法がこんなところで役に立つとは思わなかった。過信しているわけではないが、シュルームダンジョンはレベル的には多分私の格下だと思う。ただ、それは『複数人PT』だった場合。前衛・アタッカー・罠職・ヒーラーの4人は最低でもほしいところであるが、今回はアタッカー兼ヒーラーの私ひとりだけ。完全に消耗戦の構えだ。タイムアタックの現在、極力戦闘回数を減らし、最下層までたどり着くには罠職のほうが向いているんだろうけれど、ないものをねだっても仕方ない。


 踏み込んだ薄暗いダンジョンの中は、思った以上に暗く、予備の明かりや迷った時の余剰食糧がないことが頭をよぎり、今更ながら変な笑いが出る。どこまで自分が可愛いのかと。あんなにローランドを助けると決心しても、まだ洞窟の入り口で簡単に心が折れるほど私は脆い―――。

 そして―――


 バシュッ


 斜め後ろから襲ってきた飛行する何かの蝙蝠?の魔物を、ふりむきざま袈裟切りにしながら、思った以上に魔物が多いと思った。

 ギルドの情報ではこのダンジョンは現在15階構成。地下1階から2階に進むまでには初級冒険者の4人PTで1時間程度の広さ。エンカウント率は5匹程度と聞いていたが、すでに5分足らずで3匹は殺している。

「災害、もしくはパンデミック?」

 ダンジョンは時々暴走をし、あらん限りの力をもって魔物を吐き出すことがあるという。そのため、定期的に騎士が見回り、魔物を狩るのだ。万が一災害の予兆だとしたら・・・?困った。弟を助けなければいけないのに、そもそも王都が魔物災害の危機かもしれないなんて。駆除を優先して弟を助けられないのは論外だし、弟だけ助けてもこのまま駆除せずモンスターがダンジョンから溢れたら王都の多くの人が亡くなるかもしれない。場合によっては戦場に出る可能性が高いお父様も・・・。

 先を急ぎつつ、出した結論は「なるべく早く最下層にたどり着き、お父様にこの情報を伝える」しかなかった。お父様もここのダンジョンの存在には気づいているだろう。おそらく非正規ルート可能性の一つとして、すでにうちのものを向かわせている可能性は高い。ならば、情報を渡すだけでいいのだ。帰りに誰か信頼する者に会えれば、僥倖といったところか。


 潜る事しばし、モンスターが途切れたところを見計らい、簡易休憩をとることにした。水分や薬、携帯固形食事をとりつつラブサス草を包むための袋に、墨でお父様宛にダンジョンの現状と調査依頼の要請をしたため魔法で固着させておく。帰りに字を書ける状況かわからないし。10分ほどの休憩をはさんだのち、先に進むことにする。現在地下7階。すでに不安定な地面の長時間戦闘で足首の疲労感がやばい。準備に時間を使ったので、ダンジョンにつくまでに4時間弱、現在夜中であるがダンジョンに入って6時間ほど。やはり戦闘に多く時間をとられている。たぶん興奮状態なので眠気を感じないが、このまま疲労が蓄積すると事故が起こりそうな気がする。最下層の聖別された空間には魔物が出ないので、3時間ほど休憩して帰り・・・なんとかなるかなぁ?と思いながら右からきた鳥型の魔物の首を下から跳ねた勢いで、取って返し左側の猪型の魔物の目にレイピアを深々と突き刺す。こと切れた魔物たちを見ながら、こういう時は鍛錬をつんだ腕とかではなくて下半身に疲れが出てくるんだなぁ、ってまだ考えられるくらいの余裕はあるのが救いだった。


 8階層から急にダンジョンの難易度が上がった気がする。上層よりも広い階層面積、魔物の強さも上がったし、感知の力も優れているのかこちらに寄ってくる魔物の数がさらに増える。ただ一ついい事といえば、魔物の数が多すぎて勝手にダンジョン罠にかかり、道が安全になったことだ。毒、天井罠、床罠、壁罠、物理系はすべて引っかかってくれるので、あとは相手の攻撃を受けずに屠るだけ。魔物の返り血を浴びることも避けられなくなってきた私だが、なんとか気力をかき集め、魔物にただ剣を当てる作業に入る。回復魔法を使わなければいけないので、最終的にたどり着いた結論は魔法剣を使い、一撃必殺で相手にダメージを受けずに最速で倒す。ただこれだけ。素材はぎの時間はもちろんないので、通り道は死屍累々だ。本当は放置はアンデットや魔物を増やすからやっちゃいけないんだけど、今は仕方ない。ただ、帰りが心配だ・・・。



 最下層15階についたことは正直覚えていない。爽やかな水の音と木の葉の擦れる音、そして柔らかな土の感触で目が覚めたことに気づいた。否。自分が気絶していたことに気付いた。14層のミノタウルスに極似しているボス的存在をギルドで買った情報を元に角を切り飛ばして辛うじて倒したことは覚えているのだが、そのまま転がり落ちるように15層にたどり着いたんだろう。ボス戦で張ったシールドが辛うじてもったから生きてるのだろう。危なかった。これはいけないと、動き出そうとしたが指先が辛うじて動くくらいで体があまり動かない。ものすごく重いし、頭がガンガンする。緩慢な動作でやっとのことHP回復薬と魔力回復薬を摂取し、あおむけになって5分程度で漸く緩慢にだが起き上がれるようになってきた。


 「私はどれだけ気絶してたの・・・・?」


 こんな時間がない時に、いくら時間を浪費してしまったんだろうかと血の気が引く思いがしたが、明かり玉の残量から精々3時間程度ではないかなと気づいてホッっとする。

 少し余裕が出て15層に目をむけた。ダンジョンなのに不思議に柔らかい日差し?ダンジョン差し?に包まれており、どこからか小鳥の声が聞こえるのにびっくりした。そして風も吹いているらしい。爽やかな葉がすれる音。どうなっているのだろう?まるで巨大な温室の中にいるような雰囲気だった。


 「ここ、ずっといたいなぁ・・・」


 柔らかく、包んでくれる静かな楽園。さぞ居心地がいいだろう。小屋を建てて毎日静かに暮らすのは。

 何より清浄な空気が体に染み渡る。大変癒されるのだ。心なし魔力の回復も早い気がする。


 「いけない・・・ラブサスの蔓探さなきゃ」

 ここのどこかにラブサス草があるかもしれないのだ。少し歩いていくと、地面だけではなく打ち捨てられたタイルの様な床がところどころ混じっているのに気づく。ここに住んでいた人が居たのだろうか?ギルドの情報には「15層は森ダンジョンであり水に聖別されているため魔物の存在は今日まで確認されず。貴重な薬草が自生している場合もある。」程度しか書かれていなかった。6年ほど前にラブサスの蔓も目撃されていたらしいけれども、その時は冒険者が採取しつくしてしまったらしいので、現在はラブサス草があるのかがわからない。

 ラブサス草は大地の毒と魔力を一身に吸い上げ、他の植物との生存競争に勝てない一方岩壁などの他の生物が生えられない場所で生きる弱いけれど別の意味で強い蔦だ。その毒は強力な毒になる一方で、含有魔力が高く、錬金術などでは貴重な材料となる。与える指向性によって大きく化けるのだ。決して呪い蔦の呪法なんかだけで使っちゃいけないすごい草なのだ。毒性を弱め、麻痺薬程度に変質させてあげ、魔力を回復方向にしてあげれば治療が難しい内臓疾患系にも有効な薬になる可能性もあるのに・・・呪い蔦なんていう最悪な外法使うクソ野郎に怒りを覚えつつ、ダンジョンの壁を丁寧に、でも急いでさがしていく。


 ほぅ・・・と思わず息が漏れる。

 15層最奥近く、ダンジョンの10メートル程の土壁に果たして蔦はあった。黒くて一見不気味な蔦が、天からの贈り物の様に感じて視界がにじむ。含有魔力の高さもあってこの草で間違いないと思うけれど、もしかしたら似た別のものの可能性もありうる。丁寧に数葉採取させてもらい、近くの別の株からも数枚ずつそれぞれいただくあと、枝葉の蔓を何本か。なるべく少ない枚数で、でもローランドを救うのに困らないギリギリの枚数。それらに、丁寧に保存の魔術をかけ、簡易で疑似的に時を止める。丁寧に魔法スクロールに封印し、あとはこれを地上に出てお父様に送るだけとなった。

 帰りの工程を思うと、この満身創痍感を思うと身がすくむ思いなのだけれども、ここで回復を待っていたらローランドが死ぬかもしれない。それに、行きに魔物を駆逐したので数が少ない今のほうが切り抜けられるかもしれない。弱る心を叱咤しながら、14層に向かった。





 まずい、失敗した。


 15層で体が動かないことが既に異変の前兆だったのだ。ミノタウルスっぽいボスの体液に毒が含まれていたのかもしれない。何かの毒に侵されてると気づいたのは死線を潜り抜けた11層だった。行きで大量に屠った猪型魔物の死体を食いに来た犬系魔物10匹程度に同時に襲われたのだ。余裕がなく、ありったけの魔力をばらまいて気づいたのだ。魔力の巡りのおかしさと、異常な発熱が疲労からだけではないということに。

 残りわずかとなった魔力回復薬をとり、なんとか10層まで戻ってきたけれども、すでに目が霞み、自分の荒い息が耳につく。HP回復薬はすでに尽きている。遠くで獣型モンスターの声が聞こえる。次襲われたら、助からないかもしれない。食べられるのはいいにしても、ここまでもってきたラブラス草が魔物にダメにされるのだけは我慢がならない。お父様を信じて、ここはモンスターが入り込まない、しかし必ず誰かが通るであろう9層のボス部屋まではと目標を切り替えて重い体を引きずる。

 魔物に見つかりませんように、と必死で神に祈りながら壁で体を支えながら前に進む。視界が白くにじむ。悔しい。魔物の声がする。悔しい。体がバランスを崩し、前に倒れた。

 すぐに起き上がらなければと、力を入れる。自然界では自分で立てない者は必ず捕食される定めなのだ。けれど、毒が回ったこの体はひどく寒く、痙攣し、力が上く入らず、視界もダンジョンにいるはずなのにひどく白かった。魔物の声も近くに聞こえた気がするのに、ざぁざぁと音が聞こえたような聞こえていないような。



 私はもうすぐ魔物に食われるのだろうか?



「・・・いやだ」


 もう一度、顔をあげて腕で前に進もうとするが上手くいかない。それでも力を籠める。力は上手くはいらないくせに、涙だけは勝手にあとからあとからこぼれてくる。このまま私がここで食われたら、誰が荷物を届けるのか。


「・・・悔しい」


 私はまた家族を失くすのだろうか?


「ローランド」


 私のだいじな家族なの。


「ろーらんど」


 もう誰も失くしたくないの。


「間に合わない、やだ」

 

 涙がこぼれる。ないてる暇なんてないのに。

 ただ、ひたすらにこわい。


 「誰か。おねがい」


 かみさま、おねがいします。


 「ろーらんどを、たすけて」


 私のこのいのちと引き換えなら、たすけてくださいますか?


 「いのち、あげるから」


 だからだれか、おねがいします。


 「ろーらんどを・・・」


 ふと、体が軽くなった。

 まぶしい白い世界に、金色の光がきめく。

 さらさらとしているその金色は髪なのだろうか。

 まぶしくて、近くに人がいるということしかわからない。

 とうとう、おむかえが来たのだろうか。

 小さいローランドを思い出し、また涙がこぼれる。

 きんいろの、かわいい、あのこ。えがお。

 これが本当にさいごの希望だった。

 

  てんしさま、おねがいです。

  わたしをさしあげますので、ろーらんどをたすけてください。

  おねがいします。たったひとりの、おとうとなの。


 そんな様なことを一生懸命言おうとしたけれど、ちゃんと言葉にできていたかもわからない。

 でも、天使様はわかってくれたようだった。

 かすかにうなずいてくれたようにおもう。そして声をかけてくれた。



 「あとは俺が何とかしておくから。もう、休め。」



 その低いこえを聴いて、とても安らいだ。


 ――――― ああ、―――――


 久しぶりに、心から笑えたと思う。


 「うれし―――」


 ありがとうございます、という前に私の意識はは深い安らぎの暖かい闇へと落ちていった。







※※


 新学期7日前にその事件は起こった。


 俺、生徒会副会長であるリュケイオン=メルベクと、会長第二王子カトラシュニオン殿下、書記侯爵令息ローランドと、会計伯爵令息マスクル、書記伯爵令嬢カティリア嬢、その他生徒会メンバー五人は、来る入学式の準備のために学園の生徒会室に昼から集まっていた。護衛はもちろん居るのだが、そこになぜか殿下が許可なさったラヴィーシャ男爵令嬢までいるのが納得いかない。


 多少非効率ではあったが、割合平和的に決めるべきことが決まっていく。しかし、突然それは起こった。ローランドが急に胸を押さえ苦しみだし倒れたのだ。

 それに伴い、ローランドの皮膚に黒い靄の蔦の様なものを確認。

 「ラブサスの呪い毒」の事が脳裏によぎって酷く動揺した。先日騎士団である父から秘密裏に聞いていたのだ。「何者かが医療院に夜中に押し入りラブサス草のみを盗んでいった。あれが悪用されれば大惨事になる」と。騎士団は急ぎ、予備のラブサス草を採取すべく白の団の間で準備が進められており、本日昼過ぎに生息地である出発したはずであった。ラブサスの呪い毒なら呪いの程度にもよるがどんなに長くても5日しかもたない。ローランドを助けなければ、という決意とともに違和感も覚える。

 盗まれたラブサスの葉や蔦は総量でこの王都の半分を呪殺できる程度だという。もちろん、威力が薄まっており毒対策に余念がない貴族などは死なないものが多いだろうが、それがローランド一人に向けられる?裏で売りさばくのも難しい商品であるし、魔力の損失があれば格段威力が落ちるので保管や実行者もかなり限られてくる。高威力な反面、特定しやすくある意味短期決戦の革命や戦争用向きであり暗殺向きではない。暗殺する場合は極秘裏に入念に足がつかない準備が必要なものなのだ。今回、特に他国の動きや国内での不穏な国家転覆的な動きもなかったので、騎士団も入念な準備をして本日の出発になったのだ。そんな毒が何故ローランドに向けられる?


「ローランド!どうしたのだ!?」


うちの王子(あほが必死にローランドをゆすりはじめたが、ローランドは大変苦しそうである。


 「殿下、おやめください。ローランドを殺す気ですか。」


 ベリッとローランドから、うちのアホ(王子)を引きはがし、ローランドを抱え上げ、ソファーに横たえる。既に意識がないようだ。呼吸も非常に乱れている。これは一刻を争うだろう。


 「マスクル、急いで保険医を呼んで来い。アディ―、お前は王城へ行き父上に報告しあとの指示は父上に仰げ。ああ、ローランドはこのままディーラネスト侯爵家に連れてゆく。あそこがきっと一番いい。それも伝えろ。ロフは馬車の準備、ローランドを寝かせて連れて行くから2台分だ。休みだから東玄関につけろ。あそこが一番早い!カティリアは事後承諾になるが学園長に『有事の際の緊急避難条例3-2』を適用して東玄関から正門を抜ける許可をもらってこい」


 殿下暗殺も危惧して今まで騎士団や側仕えの間では緊急避難マニュアルを作成していたのが役に立った。指示を出したメンバーや護衛達も慌てているがスムーズに行動していく。


 殿下はローランドの側に跪き、おろおろ心配をしている。関係者ではないのに何故か生徒会室にいたラヴィーシャ嬢が、そんな殿下に寄り添いながらあらぬ事をつぶやいた。


 「これは・・・『ラブサスの呪い毒』・・・?ディルキャローナ様、なんて酷い事を・・・」


 と言って顔を手で覆い座り込んでしまう。一見泣き崩れたようにも見える。

だがしかし、おい、待て今何て言った?他の護衛ですら知らない毒を言い当てたのか?この令嬢は?しかも人の婚約者だと断定しやがったな?おい。

 俺ですら、事件後に学園でも資料がなくて王城まで行ってやっと資料を見つけたくらいの珍しい毒なんだぞ!?


 「なんと、これはディルキャローナ嬢の仕業か!?あの毒婦め!ついに実の弟にまで毒牙を向けたのか!」

 あほの子だが、正義感だけは人一倍強い殿下が激高する。


「ええ、きっとそうですわ!こんな黒い蔦が出る呪いなんて、他にあまりないですもの!」

 そんなに呪いと毒に詳しいのか、ラヴィーシャ嬢よ。成績が下の下のわりに呪いと毒だけに詳しいとか、誰かの操り人形だと言っているようなものだが、殿下(アホ)に集まるのは同類(アホ)だから気づいてもいないのだろう。

 あほ(殿下)も当然気づいてないけど。


 「私・・・見てしまったんです。この前の帰り道、たまたまディルキャローナ様を町でお見掛けして、どこに行くのかと興味本位で後をつけてしまったんです。ディルキャローナ様は救護局に向かわれました。一体だれがお怪我をなさったのかしらと、観察してたらば1時間ほどでこそこそと裏口から逃げるようにディルキャローナ様がでていらしたのです!その後、ラブサスが盗まれたと聞いてあの時のディルキャローナ様がなさったことだと気づいたのです!」


 と、涙ながらに殿下に訴える。すごいな、ラヴィーシャ嬢、騎士団極秘情報をベラベラと喋ってる。かつ、侯爵令嬢であるディルキャローナが一人で街をフラフラ歩いて、かつ彼女を尾行して広い医療院で的確に裏口までどうやって見張ったの?とか色々もう、本当なんかいろいろ。


 「さすがだな!ラヴィーシャ嬢!私でもラブサスが盗まれたという情報は聞いたことがなかった!女性はうわさ話に敏感だというが流石である!しかし、医療院救護局は特別なパスがないと入れないのだが、よくディルキャローナをつけられたな?」


 と、うちの子がほめたたえる。たとえアホでも天然に的確に相手の弱点を突いてくるこの姿勢は殿下の特技である。アホだからこそ油断していた者の動揺は計り知れない。

 殿下の言葉にあからさまに動揺するラヴィーシャ嬢であるが、殿下は全く疑ってないのかニコニコしている。これは何の茶番なんだ・・・


 「そ・・・それはですね・・・」


 苦し紛れの弁明をラヴィーシャ嬢が始めるのを前に、生徒会室のドアが勢いよく開かれた。

「リュオン様、馬車の準備が整いました!すぐにいけます!侯爵家への先触れも鳥を使って緊急で出してあります!」

 側仕えのロフが駆け込んできた。ここは比較的馬車置き場が近いし学園が休みだからスムーズにいったのだろう。

 

 「すぐに行く。ロフは先に馬車に行ってろ」

 あほの子は無視して右手からローランドの腕を首に回してを抱え上げる。

 「手を貸そう」

 すぐに殿下が反対側から、ローランド手を首に回してを支えあげる。一人でも運べるが二人のほうが効率がいい。アホの子だがこういうところで当然の様に心を尽くす殿下は、実は騎士団では人気がある。あほだけど。命は預けられないけど。

 1台目の馬車にはローランドを乗せ、俺と殿下が乗った瞬間出発させた。ここで、ラヴィーシャ嬢に殿下と一緒に乗りたいなどゴネられる暇はない。2台目があるので来たい奴だけがくればいいと思う俺なりの配慮だ。




 ディーラネスト侯爵家に着くと、すぐに侯爵殿が出迎えてくださった。玄関ホールで侯爵家の使用人の者にローランドを預けるが、ローランドはいまだ意識がないままだ。時折黒い蔓がずるりと蠢くとローランドも苦しそうにうめき声をあげるのが痛々しい。それを悲痛な顔でディーラネスト侯爵殿は見ている。医療院からの人員派遣と魔術師の派遣準備が進められているのだろう、使用人たちの動きが慌ただしい。2台目の馬車で呼んでもないラヴィーシャ嬢と生徒会第6位のレルネン子爵令息、第9位のレガール子爵令息がともに駆け込んでくる。この二人は殿下の側近候補だから来るのが当たり前でもあるが、ラヴィーシャ嬢が気になっているためにより一緒に来たかったのだろうな・・・。


 じっと、ローランドを見つめていたディーラネスト侯爵がぽつりとつぶやく。


 「これは、もう助からないかもしれない。」


 「「旦那様!」」「侯爵殿!!」


 確かにその可能性もあるが、伏魔殿と言われる王城で数々の猛者を手玉に取ってきた侯爵にしては珍しく弱気な発言だ。


 「これは、ラブサスの呪い毒であろう。おう吐・発疹・脈拍の低下に呼吸器不全。そして何より全身を縛る黒い蔦。呪いを媒介にして毒を流し込む特徴がよく表れている。通常は同じ毒から解毒剤を複製し同時に魔術も解除しなければいけない、複雑な術だ。だが、つい先日医療院の保管庫から毒と解毒剤の盗難が発覚し、これから毒の収集を行うところであった。急いで向かわせても、ラブサスの黒い蔦の自生地であるグロウベンダ山脈はここから片道1週間はかかる。探索にも数日かかるだろう。この様子だとローランドは持って3日。・・・到底間に合わない。」


 沈痛な表情にそう語る。確かに、正規の方法ではかなり厳しいだろう。どうする?風魔法を極限につんで、グロウベンダ山脈まで飛ぶか?それとも確率が低くても別の候補地に何人に人をやるか?打てそうな手は今すぐすべて打つべきだろうに。


「・・・お嬢様!!!」


 その時、侯爵家の立派な玄関ホールの上から動揺した使用人の声がした。

 階段の上に今にも倒れこみそうなディルキャローナが辛うじて手すりに縋っているのが見えた。

 その様子はいつもの曖昧で表情に乏しい人形のような様子とは程遠い。驚愕に真っ青に倒れこみそうな様はまるで、普通の令嬢と何ら変わりない。いや、青ざめても、なお妖精の様に美しい。


 「・・・ディルキャローナ」

 侯爵殿が何かに堪える様に沈痛な色を滲ませて、彼女の名を呼ぶ。その声を聞いたディルキャローナは何かを悟ったように涙を零し、突然後ろに駆け出した。初めて涙を零すところを見たがまた美し・・・いや、今はそれどころじゃない。


 「お嬢様!?」

 「ディルキャローナ!」

 「ディルキャローナさん!どうしてこんなことを・・・!?」

 「逃げるのか!?」


 口々に好き勝手にいう。特に、ラヴィーシャ嬢のセリフには侯爵殿は目を細めて険を向けたが、本人は気づいていないのか。鈍いというのもある意味うらやましいものだ。俺なら侯爵からの攻撃方法を30通りは考え付き、対策を100通りは考えてもまだ安心して眠れない。


 「お部屋の準備が整いました。こちらです。」


 侯爵殿が何か言うよりも前に、メイドが駆け込んできた。元々のローランドの部屋ではなく医師や魔術師が待機しやすい客間へと運ばれていく。殿下やラヴィーシャ嬢、そしてレルネンやレガールが後に続いて入室していく。


「リュケイオン殿」


 侯爵が私だけを呼び止めた。


 「先ほどはあの様に申し上げたが、これからできるだけ可能性がある手は打とうと思う。キャローナの婚約者ということもあるが可能な限りお力添えいただけたらと思う。この通りだ」


 この方が、若輩者などに頭を下げられるとは・・・と驚き一瞬固まってしまった。

 「・・・、当たり前ではないですか!頭をお上げください侯爵閣下。爵位の低い若輩者などにそんな簡単に頭を下げられてはなりません。私はローランドとは良き友人だと思っております。ディルキャローナ嬢の事がなくても可能な限り尽力させていただきたいと思っております。」


 フッと侯爵殿が笑ったように思う。この方が笑うのも初めて見た。今日は初めて尽くしだな。などとくだらないことを考える。


 「我が娘はよい婿殿を持った」


 「まだ婚姻を結んでおりませんので。それまでには国一番の旦那だと言わせるため、ディルキャローナ嬢には今回の件でよいところを見せて惚れさせなければなりませんね」


 と、俺が冗談を飛ばしたら侯爵殿もかすかに笑う。少し肩の力が抜けたようで何よりだ。

 そこに馬車を片付けたロフが戻ってくる。父上に伝令を飛ばす内容、マスクルに生徒会の内容を任せる内容の伝令を飛ばすことなどを確認していく。


 「侯爵殿、ここから医療院や『蔦』に関しての情報規制などはお任せしてよろしいですね?」

 と念のため確認をとる。所詮は学生身分の高官の息子というしがないポジションである。今回の件で株は上がったのかもしれないが、ただそれだけ。学園内で迅速に動く為のつなぎとしての役目も終わったので司令本部(王城)に権限を戻すことになる。後自分にできることがあれば、純粋な騎士団の戦力としてどこかに向かうことになるだろう。王子付きだが、肝心の王子が行ってこいって絶対言うからほぼこれは確定。殿下も行くっていうけど。これも確定。縄を探さねば。


 「既にそのあたりは終わっている。我が息子が狙われた真意がいまだにわからぬが、やる事は変わりがない。ただ、思ったよりも事態が急だったので、非常用に考えられた手段がいくつも投入されるだろう。メルベク殿にはおそらくここから最も近くて難易度が低い中級騎士試験の会場であるシュルームダンジョンに先行してもらうことになるだろう。水の聖別があり、過去『蔦』が発見された事例もあるダンジョンだ。中級騎士試験の会場でもあるので、これを試験代わりに申請させてもらうつもりだ。」


 つまり、試験という体裁をとることで敵対勢力に感づかれる可能性を減らして先行して様子を探ってきて、見返りは試験の合格ってところですね。たかが学生の身分にしてはいいチョイスだろう。


 「賜りました。すぐに準備に入ります。そして、閣下、一つお耳に入れたい事が・・・」


 他の使用人に聞かれないように閣下の側に行き、そっと耳打ちをする。


 (ラヴィーシャ嬢が、初見で『蔦』の呪いを言い当てました。あと、数日前にディルキャローナ嬢が医療院救護局から出てくるところを見たとの証言をうちのあ・・・殿下にしております。)


 侯爵が鋭い目を更に細める。

 「それは・・・」


 万が一にも敵意はないと笑顔を侯爵に向ける。殿下を見限られて嫡廃コースになったら出世の道も絶たれてしまうじゃないか!今でもアホの子だから怪しいというのに!

 「うちの主人は純粋なので、アレですが、わたくしはこの情報が精査され然るべき犯人が捕まることを切に願っております。」

 殿下がアホの子だというのは上の方では周知の事実であるので、第二王子としての枠組みからはみ出さなければ問題がない。あとは利用価値があるかになってくる。ある程度”よいこと”をする必然性と、”愚かなことをしない”ことが大事なのだ。ここでラヴィーシャ嬢の話を真に受け変な行動をとったら見限られる可能性もある。


 「ラヴィーシャ嬢とは、先ほど殿下にまとわりついていた娘か」

 「はい」

 「また随分と小者に引っかかったものだな」

 「初物が済んでいない学生の身では、女人の色香は猛毒ではないかと」

 ハッ、と侯爵閣下が吹き出される。思ったよりもツボに入ったようだ。

 「どんな賢帝でも、女人に狂わされるものもいる。あれらはいつも金よりもわれらを振り回して止まぬものだ。」

 あ~殿下をどこの娼館に今度連れて行きますかね~?いい加減、女性に夢を持ちすぎるのやめてもらわないといけないしな。

 「今度おススメの娼館を紹介してください」

っと軽口をたたいたら

 「ディルキャローナに許可を取らんと許さんぞ」と割と真顔で返された。

 ちょっと本気で侯爵殿の顔が怖い。

 「もちろん、殿下用ですよ。」

 と答えたが・・・最近は行ってないけど、しばらく自重しようと思う・・・・。




 うちの父上は武力方面ではめっぽう優秀で震えがくるほどであるが、侯爵閣下は分かっていたが本当に文官方面に有能だった。殿下のおもりも閣下にお任せし、とにかく体力を回復させろと侯爵家のゲストルームに寝かせられ、4時間の仮眠をとっている間にすべての準備が終わっていた。

 臨時のPTメンバーは同じ騎士団に所属予定のレルネンとレガール。ダンジョンみたいな危険地帯(面白そうな所)に俺が行くといったら殿下も絶対来たいというので、言う前に既に睡眠薬が陛下の許可のもとに盛られていた。怖い。縄の出番などはなかった。

 意外だったのがラヴィーシャ嬢も何故か同行するといったことだ。騎士でも魔導士でもない娘が何の役に立つというのか。何度説明しても聞かないので、キレた侯爵閣下が丁寧な言葉で煙にまいて、事実上の容疑者としてさっさと拘束して王城送りにしてしまった。怖い。目が覚めた殿下にも「ラヴィーシャ嬢は王城で保護してます。」といって向こうに追いやるんだろう。怖い。


 侯爵家で馬車をかり、侯爵家の使用人がダンジョンまで連れて行ってくれるらしい。その間寝ていていいとは至れり尽くせりである。


 出立の前、見送りに来てくださった侯爵が言いづらそうに打ち明けてきた「ディルキャローナが消えた」と。

 不覚にも動揺してしまった。ディルキャローナ嬢が?なぜ?

 「なぜ・・・?今なのですか?」

 ローランドを見てあれだけ動揺してた彼女のことだ。今まで義務的な話しかしたことがなかったが、これを機会に囲い込んで甘やかすだけ甘やかして慰めてあげたいのに、今はそれができない。探すことすらできない、なぜ今なのか?それとも、ディルキャローナは今回の事件に何か関係がある?いや、あれだけ動揺していたところを見ると、ローランドを呪ったとはとても思えない。

 「わからないが・・・アレは世間で思われているのと少し違う。」

 声を潜めて侯爵が言う。


 「少し違う?」


 曖昧な表現だ。ディルキャローナ嬢の評判は控えめに言ってもあまりよくない。俺も昔その噂に手を貸してしまう様な失態を犯したが、本人もあまり噂にこだわってないように思える。魔女や、姦婦などと表現する者もいるが、彼女の藍色の絹のような髪と、明るいエメラルドの様な瞳の美しさ、そして婦女にはあまりない静謐な雰囲気が多くのものを惑わせるからにも思える。噂の様な人物であれば、すぐさま婚約破棄に入ろうと思っていたのにそういった気配や証拠はここ5年で1度もなく、あくまで全て悪い噂と憶測だけが彼女にいつまでも薄くまとわりつくのだ。

 聡い者はとっくに彼女が噂の様な人物ではないと気づいているが、だからといって侯爵家の体面を慮って陰でこっそり小さく言われ続ける悪口に対し、本人が全く興味がなさそうで諫めもしないその姿勢は混乱を促しているように思える。

 つまり、貴族としては意味が分からない姿勢であり、私を含めてどんな人物か分かりかねてる状態といっていい。無視するには大きく、また擦り寄るには小さすぎる人物でもあるのだ。


 「アレは、小さい頃はわがまま放題であった。よく活動し、やりたいと思ったことは何でもやった。何でもほしがった。それがローランドが生まれた途端ピタリと収まり、まるで息をひそめる様に、存在を消すように生き始めた。」

 活発なディルキャローナ嬢・・・?まるで想像できないが、昨日の逃げぶりは見事であった。あのような感じであるのだろうか・・・?


 「上手くは言えぬが、元は活動的な娘なのだろう。それが逆に色々我慢に我慢を重ねすぎているのだ。はじめは構わないことで拗ねているのかと思ったのだが、その様な様子もなくこの10年何もほしがらない。この10年であの娘が望んだことは、たった二つ。剣の師匠を付けることと魔法の師匠を付けること、それだけだ。」


 貴族の子女が、魔法はともかく剣を学びたいと望んだことは驚きだが、何も欲しがらないとは静かな雰囲気そのまま奥ゆかしい娘なのだろうか?


 「剣を習う代わりに誕生日会を開かぬと脅したらあっさり了承しおった。まるで、この先自分の力一人で生きていくつもりのようで、不安で仕方ない。」


 貴族の誕生日会などは社交の場だ。デピュタント前で夜会にも出れない子供の誕生日会が開かれぬということは、家に金銭がなくひっ迫している場合や、親の保護や愛情がないと宣伝するに等しい。確かに自分もディルキャローナの誕生日会には出たことがなかったが・・・まさか一度も開かれてないとは思わなかった・・・。これは他の貴族には侮られるだろう。いや、貴族として生きていく気がないのかもしれないと思い当たり、侯爵殿が恐れていることが分かった。出奔するつもりなのだろうか、ディルキャローナ嬢は。どんな気持ちでそれを望んだんだろうか彼女は。


 「だから、慌てて貴公を婚約者に据えたのだ。そなたの父君には心を多少開いていたのでな」


 男とは大概、子供の頃は女性よりも馬鹿であると思うが、私もディルキャローナ嬢と婚約した当初は今より相当バカであった。俺を見ても愛想も関心もなさそうなディルキャローナ嬢を初めてみて、気に入られてないと思い、頭に血が上って先に貶したこと覚えている。女の子に好かれる自信があったのに、ディルキャローナ嬢の興味のない様子が大変にショックだったのだ。だが、少し成長して社交の場も増えてきたからよくわかる。俺は確かに女性方に好かれ褒められる事も多いが、伴侶がある方や身持ちがしっかりとした方々の声は唯の評価やお世辞である。妄信的に褒めてくれるのは年頃の「恋に恋をしている」若い娘や頭に花が咲いてる身の程と立場を理解してない御婦人方である。俺自身を見てるのではなく、ロマンスというシチュエーションに恋をしてるのだろう。自意識過剰だった5年前の自分を殴ってやりたい。

 そんな自意識過剰男でも世間での評判は良かったし、家格的にも合う。侯爵閣下は少しでも彼女の貴族社会としての重しに俺との婚約がなればよいと思ったのだろうか。

 ていうか、ディルキャローナの剣の師匠って父上なのか?すごすぎるっていうか勇気がありすぎる。あの父上が剣で手を抜くとはとても思えないが、全然想像ができない。


 「そろそろ出発します!」


 御者が声をかけてきた。時間的に切迫してるのだろう。


 慌てて侯爵殿がもう一つだけ、と声をかけてくる。

「ディルキャローナはおそらくシュルームダンジョンにいる。なるべく保護してやってくれ」


 頼む、と侯爵が頭を再び下げてきた。

 侯爵の声を出立せよと勘違いしたのだろうか、御者が「出発します!」と無常にも馬を出立させた。頭を下げたままの侯爵殿が遠ざかるのを見送りながら、開いた口がふさがらなかった。

 か弱い貴族の令嬢が中級試験用のダンジョンにいるって?

 いくら剣と魔法の修行しているからって、実践などほとんど積んでいないだろう。一体なんの悪い冗談なんだ?固まった心に配慮することなく、馬車は比較的速めの速度でゴトゴトと進んでいく。



 馬車は2時間かけてシュルームダンジョンにつき、同行の別の騎士や使用人にキャンプの設置を命じた。ここをベースにして、シュルームダンジョンの攻略をする。その間に待機している使用人たちが困らないように、侯爵家との伝達がスムーズにいくように基地を設置していく。準備が整い次第、騎士候補生3人と、おつきの騎士1人でダンジョンに入る。騎士候補生ですら4人態勢で入るのに、本当にこんなところにディルキャローナ嬢はいるのだろうか?


「リュオン様!」

ついてきたロフが慌てたようにやってくる。

見慣れない葦毛の、少し腹がグレーの水玉模様になっている綺麗な白馬だ。それと、侯爵家からよこしてくださった使用人を連れている。

「こちらの侯爵家の方が、この馬が付近の泉におり、ディルキャローナお嬢様の馬でらっしゃると仰るのです」


目の前が少し暗くなる。やはりここにきているのは間違いないのか、ディルキャローナ嬢。


「わかった、なるべくディルキャローナ嬢の捕獲に全力を当たる。」

 動揺したあまり、うっかり捕獲と失言してしまったが、侯爵家の使用人は気づいた様子もなく涙を浮かべて独白する。

 

「ディルキャローナ様は・・・いつもおひとりで、ご自身の馬をとても大切にされてらっしゃるのに名前も付けず・・・以前聞いてみたことがあるんです。「そんなに、大事にされてらっしゃるのにどうしてこの子に名前をつけないのですか?」と―――そしたら、お嬢様は「別れがつらくなるから」と悲しそうに笑って、こいつに髪の毛を食われても笑って、顔をなでて・・・」


使用人が涙ぐむ。意外と使用人にも馬にも好かれていたのか。ディルキャローナ嬢。

お嬢様をよろしくお願いします、とその使用人は深々と丁寧に俺に頭を下げた。

ロフが何故か複雑な顔をしていた。



 安全マージンを取って慎重に進み、8階層までたどり着いた。進軍ももちろんだが、ここにいる者を生還させる事も大きな目標であることは分かっている。指揮官という役目がお目付け役がいたとしても、責任が大変重いということに今更ながら吐き気を覚える。父上も、侯爵殿もよくやるものだ―――。

 ここまで、魔物の数はそう多くはない。慎重にすすみ、罠もあらず、順調に5時間程度で8層まで降りてこれた。

 女というかラヴィーシャ嬢に弱い生徒会メンバーであるレルネンとレガールであるが、さすが騎士候補生ということあって戦闘は安定している。重量型のレルネンに対し、2学年のレガールは軽量型であるが、その分小回りを生かす戦法になっている。また、斥候の役割も担ってくれるので頼もしい。学生の中でもかなり上位の腕前と言っていいだろう。女に弱い事だけが問題であるが・・・女ってホント怖いな。自分が部下を持ったらまずサクランボ狩りから始めようかと冗談で自らの心を和ませていると、お目付け役の騎士―――イントロン殿が近づいてきた。


 「丁度このあたりで行程の半分になります。次の8階層のボスの間のところで食事と仮眠をとりましょう。」

 休息が必要なことなどわかっていたことだが、この中にディルキャローナ嬢が居ると思うと気が急ぐ。あと、一歩進めば、彼女の姿を見つけられるのではないか、あるいは休憩している間に彼女が物言わぬ躯になっているのではないか、様々な悪い可能性があとからあとから浮かぶ。

 そんな余裕のない俺を見透かしたようにイントロン殿が笑う。「あなたはともかくも、イルネン殿とレガール殿はそろそろ休まないと、この先けがをなさいますでしょう。そうすると、結局進軍スピードが下がってしまうのでより効率が悪いですよ。ここは耐えることが正解です」と笑う。イントロン殿の家は確か侯爵家の寄子だったと思ったが、侯爵殿の指示なのだろうか。自分の娘のことも心配であろうに、正しい道をあえて憎まれ役を買って教えてくださる姿勢には頭が下がる思いである。


 「わかった、次のボスを攻略後、食事と仮眠の休憩を3時間とろう」

 「4時間です」

 「・・・・わかった」

 「戦闘に参加できない私が見張りますので、しっかり3人とも寝てくださいね」

 「・・・寝れるだろうか?」

 「寝てくださいね?」

 「・・・わかった」

 イントロン殿怖い。




 思っていたより疲れていたのであろう。

 イントロン殿に休憩から起こされ4時間があっという間に過ぎた。頭はさえている気がするのだが、いかんせん、体の疲労感が半端ない。タフそうなレルネンはともかく、レガールの顔色は少し悪い気がする。

 「こちらを・・・」

 とイントロン殿が我々三人に薬を配り、飲んでみろと促してくる。

 飲んでみると、独特の苦みと甘みがズキズキと血管にくるが、それも20秒ほど経つと胃の周りが熱く熱を持ち、血管を巡って活力が戻ってくるように感じる。

 「これは、軍用ポーションか。初めてのんだが意外と疲れが取れるものだな。」

 レルネンが驚いたように評価する。

 「軍用ポーションは何種類かございますが、これは主に疲労回復を主眼においたものですね。お3人とも鍛錬をよく積んで強くてらっしゃる。実践不足は否めないものの学生の身としては上等な方ですね。ですが、どうしても慣れない環境では実力があっても神経と体内の疲労をためてしまいます。団に正式に入ったら集団行動になります。なるべく全員の怪我を未然に防ぐ配慮も求められますね。」

 と教えてくださる。

 確かに学生の身では自分の事だけを考えて鍛錬を積めばよかった。これからは集団としての目もはぐくまないといけないと教えてくださってるのだろう。そして、集団行動の大切さもだ。

 「さぁ、半分まできました。先はまだ長いですよ?」

 茶目っ気たっぷりにイントロン殿がのたまう。慇懃なのに嫌味もなく本当に頼もしいお目付け役殿である。騎士団とはイントロン殿みたいな猛者がたくさんいるのだろうか。不安になりつつも指示を出す。


 「休憩を終了し、先に行軍を開始する。荷物をまとめ、火の始末をしよう。」



 俺たちが9階層にたどり着いて、すぐに異変を感じとった。

 ――――――何かがおかしい。

 ベテラン騎士であるイントロン殿がすぐ察知をする。

 「メルベク様、あちらで戦闘音がします。おそらく…」

 最後まで聞かずに駆け出した。


 「行くぞ!」


 最後まで聞かず駆け出す。地図は頭に完全に入っているが、間違わない様に念入りに脳内シュミレーションをしながら、近くにいる魔物だけを駆逐し進む。

 「うわ!?」

 「待ってくださいよ!」

 事情のよく分かっていない、レルネンとレガールが慌ててついてくるが、侯爵家から要請されてきたであろうイントロン殿は落ち着いたものである。

 俺は今までディルキャローナを特段大事にしてこなかった。

 今更合わせる顔がないような気がするのだが、彼女が死んでしまったら、と思うと我慢がならず気が急いだ。

 どうか、命だけでも無事でいてくれています様に。


 たどり着いた長い通路。遠くに見える藍色の、弟ローランドとはほどお遠い色合いの髪をもったディルキャローナだろう。だが、その独特の藍色は壁にすり寄り、ついには倒れてしまった。心臓が凍り付きそうな思いをしながらも、襲ってきた魔物を倒していく。一匹、二匹、三匹、四匹・・・


 「うわ、誰だあれ。」

 「こんなところに人が!?・・・あの藍色はまさか『魔女』?どうしてこんなところに・・・!」

 レルネンとレガールが口々に騒ぐが、狼型モンスターを無駄なく屠っていく。


 近くにいる魔物を排し、ディルキャローナに急いで近づくが、ディルキャローナは懸命に起き上がろうとするものの私を無視して――――いや、これは気が付いていないのか?視点が定まっていない。瞳孔が開いている。まさか毒?


 「ディルキャローナ」

 声をかける。特に何も反応がない。耳もやられているのか。意識が混濁している?

 だが、前を向いて懸命に体を起こし、前に進もうとしている様に涙が出そうになる。

 貴族の子女は普通屋敷の奥で大切に守られるべきものだ。

 それが、剣をふるい、人々の心ない中傷に耐え、それでもただ一身に弟のローランドを救おうとしているのか。何の見返りも求めずに。

 この姿を見て、どうして彼女を魔女と罵れようか・・・

 近くにいる俺に気づきもしないディルキャローナはただ、ひたすらに何かをうわごとの様につぶやいている。


 「いやだ」「悔しい」「家族をなくすの?」「ローランド」「だいじな家族なの」「ろーらんど」「誰も失くしたくない」「間に合わない」


 そんなことをポツリ、ポツリ、と涙と一緒に言葉をこぼしている。

 側にいる俺にしか届かない小さな小さな声に胸を突かれる。


 たまらず、俺は彼女をすくい上げる様に抱き上げた。

 装備があるので、重いかと思ったか、革の装備はひどく軽く、余計にディルキャローナの存在感がないように感じ不安になって少し強めに抱きしめてしまった。が、ディルキャローナは相変わらず宙を見つめており気づいていない様だった。


 レルネンとレーガルは困惑しているようだった。たとえ魔女と呼ばれる女であったとしても今弱って死にかけている。死に際に涙を流している姿は、とても魔女などとの噂とは程遠い命がけの清冽な気品にあふれている。


「メルベク様、これを。」

 イントロン殿が声をかけてくる。どうやら通路の先まで軽く斥候してきてくれたらしい。本当に現役騎士殿は気が利く。

 ディルキャローナを横抱きに抱きしめたまま、彼女が来たであろう奥の通路の方に茶色い袋が1つ落ちていた。

 「これは・・・?人工的な荷物の様な?これは彼女が?」

 「ディルキャローナ様は、一人でこのダンジョンに入られ、この階層までこられて倒れられたのかと思いましたが、とんでもなかったですね。これは、侯爵宛の手紙と、転送陣の魔法スクロール。既に外に出れば送るだけの状態になっております。おそらく中にはラブサス草が入っているのかと。」

 

 熱いものがこみ上げる。誰しもが事態に慄いている間に、彼女はたった一人で小さな可能性に縋り、ダンジョンの底までたどり着いた。わずかな可能性をつかみ取り、そして誰にも告げることなく消えようとしていたのか…。なんて無謀で、寂しく、なんて尊い。

 今まで、火のないところに煙は立たぬという思いや、どうせ女だから基本は周りの女と大して変わらないだろうという様な思いから、多少はディルキャローナ嬢の真実も含まれているのだろうと思っていた。また、貴族子女ならば、自分で噂を否定できないでどうするという苦い気持ちも少しはあった。

 だが、そうじゃないのだ。そんな些細なことは関係がない。ディルキャローナは全力でローランドを愛している。命を懸けたのだ。ただ家族を愛している。どんなに不器用だったとしても、それはなんて暖かい事なんだろうか、と恥ずかしい気持ちや、温かい気持ちで胸が締め付けられる。


 「え?どういうこと?」

 「ラブラス草って最下層にはえてるんだよね?まさか」


 状況を認識できないのか、したくないのか戸惑ったレルネンと、レガールの声でハッとする。彼女のローランドを救いたいというこの気持ちは決して無駄にしてはいけないものだ。


 「メルベク様」


 気遣うようにイントロン殿が再び声をかけて下さる。

 「だい・・・丈夫だ。」


 大丈夫、自分はまだ何もしていない。これからだ。まだやれる。守りたい彼女がいる。まだ守り切れていない。これからだ。


 「レガール。これを」

 イントロン殿が指示した茶色い小袋を指す。


 「はい!」

 「急ぎ、これをもって、先行して地上におもむき転送陣を発動せよ。また、伝令の陣を侯爵家につなげ、9階層でディルキャローナを保護したことと荷物を送ったことを伝えよ。届いた荷物を確認してもらい、万が一不備があれば疾く戻れ。」

 「でもリュオンのおそばを離れるのは!試験もあるし!」

 「これは命令である。」

 「・・・はい。」

 気持ちはわかるが、そんな小さいことに拘る場合じゃないということが分からないんだろうな。仕方ない。

 「レガール。あなたの忠誠はうれしい。だが、これでローランドの命が助かる可能性が高い。モンスターを屠った後とは言え、再配置の可能性は高く危険も伴う。身軽でモンスターを避けて通れる可能性が高い君が最適の任務だと判断した。いってくれるか?」

 ダメ押しをする。

 「それとも、次の試験では受かる自信がないか?」

 ニヤリと笑って見せる。


 「・・・・!!!俺、いってきます!」

 何かに感極まったように、急いで荷物を持ち上げ今来た道を全力で引き返していくレガール。やっぱりあいつ、足早いな・・・途中でスタミナ切れしてつぶれなければいいが・・・


 あっという間に見えなくなったレガールに唖然としながら、もう一人の脳筋ことレルネンが私に指示を仰ぐ様にこちらを向く。

 「レルネンにも悪いが、試験は中止だ。それ以上の宝が手に入ったからな。護送任務が優先される」

とニヤリと笑ってやる。

まだ若いレルネンには彼女の尊さが分からないだろう。あんな小娘に惑わされるようでは、それまでなのだ。

 「いくら侯爵家の子女とはいえ、そんな魔女が大事ですかね?」

 案の定不服そうに言う。

 侯爵子飼いのイントロン殿の前でそのセリフが吐けるだけ、お子様と言っているようなものだが、彼女の温もりが心を寛大にさせる。

 「本当に魔女かわからんぞ?真に魔女ならば、死の淵でひたすらローランドの助命だけをこうかね?」

 「まさか。。。」

 レルネンがぎょっとしたようにディルキャローナを見る。

 混濁した意識のディルキャローナが俺の方を見たようだった、いや髪?

 髪を目で追いながら、小さい声でつぶやく。瞳からぽろぽろ流れる涙が美しいと場違いなことを又思う。


 「てんしさま、おねがいです。

  わたしをさしあげますので、どうか、ろーらんどだけはたすけてください。

  おねがいします。たったひとりの、おとうとなの。」


 小さい声だったが、なぜかよく聞こえた。レルネンにも届いただろう。

 顔を俯け、震えている。


 ディルキャローナは俺を見て不安そうにしている。俺を天使と勘違いしている?

認識されていない不満な気持ちと、助力を請われた嬉しい気持ちが混ざりながらも、ディルキャローナを見てしっかりとうなずいてやった。


「あとは俺が何とかしておくから。もう、休め。」


 ああ・・・・とディルキャローナ嬢が長い吐息を、心底安堵したように吐く。


 「うれし―――」花の様に笑顔を浮かべ、すぅ・・・・と一息深い呼吸を吐いて深い眠りについたようだった。

 ――――――だめだ、あの笑顔は駄目だ。

 犯罪だ。

 なんであの笑顔を日頃浮かべない、いや浮かべたらだめだ。

 そんなアホらしい考えがぐるぐる回る。


 「メルベク様」

 頼もしい人生の先達、イントロン殿がこちらを見透かしたように言葉を促してくださる。

 もはや一生イントロン殿に頭が上がる気がしないが・・・!


 「作戦は暫定的に中止。一度地上に帰還する」



※※



 体が熱い。

 でも寒い。


 何だかふわふわする。


 ゆらゆら世界が揺れている、でもなんだか気持ちいい。


 ほっぺから人の温もりがつたわる。


 誰かにおんぶされてるみたいな。


 こっちの世界のお父様もお母様も貴族だから、おんぶなんてしてもらったことはない。


 ばぁやは抱きしめてはくれるけど、こしが悪いからおんぶはできない。


 だからきっと、これは前世のお父さん?


 ああ、私しんだのかな?


 たぶん一度死んでも、誰もむかえに来てくれなかったけど、今度こそむかえに来てくれたのかな?


 わたし今度はがんばったでしょ?


 もう休んでもほめてくれる?


 おとうさん・・・





――――寒い


 でも、なんだか幸せな気持ちだった。

 いい夢を見ていた気がするのに、とにかく寒い。


 あと喉がひりつく。


 ここは・・・?と考えて、いままで私の外に散ってた記憶や気持ちが一気に体に引き戻された様だった。

 それと同時に大きく襲ってくる、痛み、倦怠感、これは悪寒?視界もなんだか違う気がするけれど、よくわからない。

 でも、ローランドは?ローランドはどうなったの?あれからどれくらい時間がたった?

 よく視界は上手く見えないが、寒いけれどベッドで寝かせられている感触がする。


 「う・・・・」


 「お嬢様!?」


 誰かの・・・この声は聞き覚えがある。お母様付きのメイドの年配の方だろう。私も時々面倒を見てもらった覚えがある。ここは家か。どうやって戻ってきたんだろう?


 「大丈夫ですか?魔物の毒の影響で熱が出ているのでかなり寒いですよね。熱が下がるまでは我慢してください。どこか不自由なところはございませんか?」


 優しく小さく低い声で私をいたわり、額に濡れたタオルを載せてくれる。少し冷たい手が髪をなでてくれ安心する。

 そう、この人はいつも私にやさしい。私付きでもないのに、ミーシャの次に時々私を気にかけてくれたのはこの方なのだ。


 「今回はかなり無茶をしましたね?まさか14年分まとめてお転婆を発揮されるとは思いませんでした。」

 苦笑いの気配を感じる。


「みず・・・」


「かしこまりました。お辛いでしょうが、少し上半身を持ち上げますね。遠慮せずに私に体をあずけてください。」

 そういうと、彼女は私を思った以上の力で抱きかかえながら、コップですら上手く持てない私の為に上手に水を飲ませ、ベットに再び寝かしつけてくれた。


 「まだ、休息が必要ですよ。今はゆっくり休んでくださいね。」


 「ろーらんど・・・」

 彼はどうなったのか聞くのがこわかったが、やはりちゃんと聞きたかった。

 私が助かったのならば、彼も助かった可能性は高いけれど。

 もし、あの魔法スクロールの包に気づいてくれてなかったら?

 もし、私が道中で荷物を落としていたら・・・?

 悪寒と悪い可能性に震える私の髪を彼女は優しくなでてくれ、そんな私の心を見透かすかのように、肯定してくれる。


 「御安心なさいませ。間に合いました。お嬢様の採取なされた葉が若様をお救いあそばしたのです」


 安堵感が、急速に意識を奪い贖えなくなった、まだ、ありがとうとも、よかったとも告げられずに。


 「おやすみなさいませ、お嬢様」

 彼女がわらった気配がした。




 次に私が目を覚ましたのは3日後だった。


 お医者様が来ようがお父様が見舞いに来ようがお母様が枕元で号泣しようが、熱が下がっても爆睡でちっとも目を覚まさなかったらしい。


 あと、普段ニキビとかできたことないのに顔に発疹が幾つもでき、痛痒かった。なんでも、体の弱ってる老人や遭難者などしかかからない病らしい。栄養つけて、体力が戻れば治りますって言われ、かゆみ止めだけお医者様がくれた。何か負けた気がする・・・。

 水とパン粥をとり、お不浄に行ったところで力尽きて意識を再び失い運ばれたらしい。

 自宅で遭難とは迷惑な話である。恥ずかしい・・・


 次は1日後に目を覚まし、大分体が楽になってるのを感じてベットから起き上がろうとして顔から倒れてまた彼女に怒られた。彼女、お母様付きメイドのはずなのに、ずっと私についていて大丈夫なのだろうか・・・。なんだか申し訳ない。


 暇だからと本を所望したが、数ページで力尽きまた寝てしまう。


 偶にお父様、お母様が見舞いにいらっしゃるが特に話すこともなく、すぐ帰ってしまわれる。と思ったらまた来られたりする。不思議だ。でも気にかけてくださる気持ちが嬉しくてニヨニヨしてしまう。後から、ローランドも私のお見舞いに来たがった様だが、本人の体がまだ弱っているのでお父様に私のお見舞いを禁止されたことと、学園の入学式の準備で一週間程度で完治する前に慌てて学園に戻った事を聞かされた。ローランドが私のお見舞い?!再びニヨニヨしてしまう。話す内容とか困るけど!


 そんな日々をくりかえし、謎の発疹も消え、ベッドでご飯を食べてもトイレに行っても遭難せず、本を読んでも気を失わない程度に回復するまでにトータルで3週間ほどかかった。驚きである。


 ・・・思ったより重症だったのか私。

 と、独り言をつぶやいたら笑顔で彼女に訂正された。


 「お嬢様の場合は『重体』です。運ばれた当初は生死の境をさまよっておられました。お医者様には「若いから助かる可能性はあると思うが、万が一を覚悟しておきなさい」とまで言われましたよ。ローランド様の方が正直容態は軽かったですよ。」


 笑顔が怖い。


 そうか、死にかけてたのか。三途の川を見た覚えはないが、前のおとーさんに会ったような気がするからやはりあの世に片足をつっこんでたんだろうな。この世界に三途の川があるか知らないけど。


 「こういう時に、なんていうかご存知ですか?」

 ニコニコと彼女が迫ってくる。慇懃な物腰なのにコチラが下だと思わせる圧迫感のプロの技がすごい。


 「迷惑かけて、ごめんなさ・・・」

 思わず謝ると、がばっと彼女が私に抱き着いてきた。


 何事!?


 「違うのです・・・」

 声が、体が震えてるのがわかる。

 「貴方様の姿が見えなくなって心配いたしました、旦那様も狼狽し、奥様も倒れられました。」

 え?お父様が狼狽!?お母様が倒れ・・・?なんで?大丈夫?

 「旦那様も奥様も貴族としては完璧に近い方ですが、親子としては不器用なのです。そして、」

 彼女の声が掠れて続く。

 ――わたくしも、大変心配いたしました。こんな無茶はもう二度と御免こうむります―――と。

 いくら鈍い私でも、震え、泣きながら私を抱きしめてくれる彼女が、心からわたしを心配してくれているのはわかった。

 記憶を取り戻してから、迷惑をかけることにおびえ、家族を失くすことにおびえ、人におびえ、幸せになることに怯え、すべてを遠ざけていた私は、頑なにばぁや以外の使用人との距離を縮めようとはしてこなかった。

でも、私は彼女にこんなに愛してもらっていたのか。


 ここまでの気持ちを向けてもらっていたら、もはや目を背けることなどできなかった。

 「・・・ええ、ありがとうクラリス。心配かけてごめんなさい」

 優しくクラリスが髪をなでてくれたように、私もクラリスを抱きしめ、安心するようにとクラリスをなでた。

 クラリスの小さい嗚咽は、しばらく途切れなかったが、私はとても暖かい気持ちに満たされていた。



 それから数日が経ち、私の体ももう大丈夫だろうということでクラリスはお母様付きの仕事に戻っていった。

 お見舞いにいらっしゃったお母様に「クラリスを貸してくださって、ありがとうございました」と言ったら「いいのよ。」と力なく微笑まれた。お母様が私に笑顔を向けてくださったのも久しぶりである。でも少し疲れてるのかしら?ここに悪い娘がいるから・・・・!

 フグッ!


 と思っている間に面会申請を執事が持ってきた。

 どうやらこの3週間は面会謝絶状態だったらしい。ベットの上なら漸く会える状態になったということで、メルベク様がお見舞いにいらっしゃってくださったとの事。というか、メルベク様以外にも生徒会のメンバーが3人いらっしゃるらしい。やだ何それ、面倒くささてんこ盛り・・・などと思いつつも、逆に面倒くさいことは先に済ましてしまうのに限る。執事に承る事と、着替えのメイドを呼んでもらい準備できるまで客間で待っていただくように伝えてもらった。


 退出する前に執事が思い出したかのように爆弾を落としていった。

 「そういえば、お嬢様。お嬢様を連れて帰ってきてくださったのはご婚約者のメルベク様をはじめ生徒会のメンバーであるレルネン=パセールス子爵令息と、レガール=アグゥリエーツ子爵令息、騎士のイントロン=リディースカ卿と聞き及んでおります。本日、パセールス様とグゥリエーツ様もいらっしゃっていますのでお礼を忘れずにお願いいたしますね?」


 絶句した私をしり目にさっさと執事は退出していった。


 なにそれ!!!どんな恥辱プレイ!?

 聞いてないよ!!!




 ローランドが無事に床上げしたことにすっかり満足した私は、体調が悪いこともあって誰が自分を助けてくれたかなんて疑問をすっかり忘れてたのだ。大方、自分の予想通りお父様が可能性の一つとして派遣した騎士が助けてくださったのだろうと、そろそろお礼状とお礼の品を考えようかな~位の軽い気持ちだったのに!

 なんで!貴族が!あんな!ダンジョンに!いるの!?

 ・・・わたしもだけどね!!!!


 などとグルグル混乱している間に、簡単な着替えは済んだ。部屋着に厚手のケープを羽織り、髪はサイドの三つ編みで緩く垂らしてもらっている。この世界でのザ・病人お嬢様スタイルである。何かあれば「具合が悪いのー」で逃げ切ろう作戦の前哨戦だ。


 トントントンとドアがノックされ、執事が「お嬢様、お客様をお連れいたしました」と声をかけてくる。「どうぞ」と声をかけると、「失礼する」と見慣れたキラキラしいメルベク様と、後に続いて赤毛の殿下と生徒会その2とその3・・・。思わず顔が引きつる。


 「まさか・・・殿下自ら御身を運んでくださるとは思いませんでしたわ・・・(意訳:ちゃんと言えよ全力で断ったのに。)」

 思わず苦笑してそう零すと、

 「私が気を使わせてはいけないと、メルベクに頼んだのだ!そして執事には側仕えと言って通してもらったのだ!」

 と自慢げに返されました。

 いや、それ自慢するところじゃないから。後、もっと気を遣うから。

 ギギギギと思わず殿下の側近候補筆頭であるメルベク様を見ると、「ごめんね、止めたんだけど、この人言うこと聞かなくて」

 とにこやかに返された。メルベク様でもどうにもならないのですね・・・。というか、この人呼びでいいんですね・・・?

 思わず現実逃避をしていると、近づいてきたメルベク様が跪いており、いつの間にか左手を握られていた。いや、近い近い、いつもこんな距離感じゃないよね?どうしたの???

 思わず固まってしまった私と目を合わせて、フッとメルベク様が笑う。


 「思ったより元気そうでよかった、ディルキャローナ嬢。ダンジョンであなたに会った時は大変儚く、あなたを失くしてしまうかと思ったから・・・」

 と、そっと目を伏せられる。

 うわぁーメルベク様まつげ長い~。

 そしてダンジョンで、私どんな痴態をさらしたの?パンツとか見えてなかった?大丈夫?「ローランド萌え~」とか言ってなかった?大丈夫?ねぇ?

 聞きたいけれど聞けない心の葛藤にグルグルしていると、クスリと笑われた。

 「真っ赤になって、か~わいい」

 メルベク様は私の左手にチュッとキスをされた。


 私は卒倒した。



 卒倒した私をみて驚き、止める間もなく大騒ぎした殿下の声をきいて執事やらメイドやらなにやら大量に集まってきてしまい「すわ、医者を」となる頃に、幸い私は目を覚ました。時間にして10分程度だったらしい。


 噂の毒婦が「婚約者に手の甲にキスされて気絶」という不名誉な情報がノータイムで一気に邸内に広まってしまい、私が羞恥心に悶える中、なんだ人騒がせなとばかり使用人たちはさっさと仕事に戻っていった。というか、お嬢様が回復するまでどうぞと生徒会メンバーにもお茶とお菓子も運ばれてきた。解せぬ。早く帰ってくれないか?私の精神の安静の為にも!早く!

 ここまで空気だった生徒会その2とその3も、空気を読まぬ殿下の人柄とお菓子のおいしさに舌鼓をうっていた。


「それにしても、ディルキャローナ嬢は噂以上に初心なのだな!」

とにこやかな殿下。

「お恥ずかしい限りです。。。」

 噂以上の初心ってなんだよ!私は「ウブで男慣れした魔女」とかいう噂でも流れてるのかよ。どう考えても二律背反してるじゃねーか。既に学園ではチョローナとかあだ名ができているかもしれない。

 心で毒づきながらも、いまだ赤くなって悶えてる私に、そっとメルベク様が紅茶を渡してくださる。

 「どうぞ、温かいものをとると心が安らぎますよ」

 意外と優しいんだな、メルベク様ありがとう。5年前とはまるで別人だな!

 「・・・ありがとうございます」と紅茶を受け取る。


 ひとしきり、殿下を中心に雑談に興じ、会話のテンポがやはり速いのでついてはいけないが、会話上手の殿下とメルベク様がたまに会話を振ってくださり、ぽつりぽつりと私も会話に加わり、半刻ほど経ちふと会話が途切れたので、生徒会メンバーに改めて向き合った。


 「そういえば」


 「メルベク様と、パセールス様、アグゥリエーツ様には今回多大な迷惑をおかけしたと聞き及んでおります。ローランドの命を救えたのもひとえに皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます。」


ベットの上であるが深々と頭を下げる。


「この恩義は私、生涯忘れません」


 と言い募ると、困ったようにメルベク様が笑う。

 「私も、レルネン、レガールも同じ生徒会メンバーでローランドの友であるし、騎士を目指しているからには困っているものを助けるのが務めであるので、そこまで恩義を感じていただかなくてもいいのだよ。」

 それに・・・と言葉を続ける


 「やはりあなたは、自分の命は勘定に入れてないのだな。」


 そうメルベク様に指摘されてドキっとした。

 「わたくし・・・」

 言葉が続かない。そりゃあそうだよね。普通自分を助けてくれたことが先に出るよね・・・。

 「なんだ!()()()()()()嬢は助かってうれしくないのか!?」

 空気を読まない殿下が追い打ちをかける。


 ていうか名前。


 「殿下、婚約者の俺でさえまだ愛称呼びしてないのに、あんた殺されたいんですか?」

 にっこり笑顔で毒を吐くメルベク様。

 ア―――・・・お二人はそういう関係ですか。そうですか。薄い本がはかどりそうですね。


 「な、なんだ!いいではないか!キャロキャロ()ーナ嬢は名前が長すぎて覚えられないのだ!」

 「そんなふざけた名前は流石にいやですわ・・・キャロ()ーナで結構ですわ・・・」

 思わず許可してしまった。頭おかしくなるからせめて「キャローナ」にしてほしいとも思ったが、前世の知識で油っぽい名前になるなと思って思いとどまる。それに殿下のこの様子だと学園の遠くから「キャロキャロリーナ嬢!」と声をかけられ、社会的に抹殺される可能性が非常に高い。


 「ともかく~!キャロリーナ嬢は助かってうれしいだろう?」

 殿下が話を強引に戻してくる。ここまでの態度であほの子っぽいなーとは思っていたが、妙に鋭いのだ。

 大変油断ならない。

 「もちろんうれしいですとも」

 外面の笑みをにっこり張り付ける。

 「その顔は嘘くさくていやだな」と殿下。動物ですかあなた。

 「いえ、本当にうれしいですよ・・・。ただ・・・」

 「ただ、なんだというのだ?」

 どうして殿下はそんなに私のことが気になるのでしょう?

 でも、しょせん私は民草の一人。ただの興味で私の意見を聞いたとしてもすぐに忘れて殿下のお心を煩わすこともないでしょう。

 ほう、とため息を一つついて、殿下に向き合う。メルベク様にも私を知ってもらうのにちょうどいい。


 「わたくしは、死にたいと思ったことはございませんが、生きていたいと思ったこともないのです。」


 薄く笑う。

 「わたくしは人として壊れてるのでしょう。きっとそんな不気味さを感じ取って、人は私を魔女などと呼ぶのです。」


 いや、逆だろうか。どうしようもなく、死を望んでいる時もあるし、だが、もらった命を捨てきれずにいる。大事な家族にもらったものだから。


 「それは・・・・」

 と殿下が言いよどむ。純粋そうな殿下じゃわからない気持ちだよね。

 困らすつもりはなかったんだ。ごめんよー。

 と、思っていると、執事がやってきてそろそろ面会時間の終了時間だと告げる。

 時間制だったのか面会時間。そりゃあまだ床上げも済んでないから当然といえば当然なのか。


 「ほら、殿下お暇しますよ。」

 と、明るくメルベク様が殿下をうながす。いい奴だな、メルベク様。こんなドン引きするような内容を聞いて、助けてやったのに「生きてても死んでてもよかった」みたいなことを言わたのに気を使ってくれて。後ろのその2,3はドン引きしてるようだけれども。


 最後退室される間際、メルベク様が私の側に寄ってくる。

 「私は・・・いや、俺はこれからキャロって呼ぶから。」

 覚悟しておいて?と耳元で囁かれた。離れ際に頬と髪を軽く指先で撫でられる。


 メルベク様が退室したドアの音と共に、私は再び卒倒した。

 今度は誰にも気づかれなかったと記録しておく。



※※



 ――――ゴトゴト―――

  学園に向かう帰りの馬車の中。


 「殿下、お見舞いはいかがでしたか?」

 と声をかける。

 さっきからこのアホの子殿下は、難産の牛の様にうーんうーんとうなっていて、いい加減鬱陶しい。


 「キャロキャロは」


 もはや『リーナ』も忘れたのかこの野郎。


 「だれか大事な人でも亡くしたのか?」


 「さあ?聞いたことはないですが乳母が殺されたりとか親しいメイドが殺されたりとか我々の世界ではよくある事ですからね。」

 よくある事だが、彼女はきっととても傷ついたのだろう。優しく不器用な人である。

 それにしたって、傷が深すぎる気がするのだが他にも何かあるのだろうか?


 「わだぐじわ、キャロキャロリーナ様がおがわいぞうでず~~~」


 なぜか、一緒にいたレルネンが号泣しだした。なぜだ。

 レガールは完全にドン引きしている。

 「・・・お可哀想かとも思いますが、貴族の子女には向いていないと思いますね。噂も違うなら否定するのも、火消しをするの務めですので。このままでは侯爵家や婚約者であるリュオン殿に迷惑がかかるのでは?」

 と、もっともなことを述べる。


 彼女はきっとそれをよしとしないだろう。だから

 「そうか、出奔する気なのか」

 鋭いですね、殿下。


 「わだぐじわ、キャロキャロリーナ様がおがわいぞうでず~~~」

 さっきと同じセリフじゃねぇか。あと、キャロキャロリーナって呼ぶな。


 レルネンが自分のハンカチを出しおいおい泣きはじめる。出したハンカチにピンクのかわいらしい刺繍が入っているのを見ないふりしてそっと目を背ける。この筋肉だるまの刺繍事情などあまり詳しく聞きたくない。


 見たくないものは無視し、本題に話を振る。

 「殿下、キャロは、ラヴィーシャ嬢と比べてどうでしたか?」

 レルネンとレガールに緊張が走ったのが分かる。

 現状、ラヴィーシャ嬢はキャロを攻撃している。キャロが学園を休んでいるこの3週間も頻度は減ったがディルキャローナにいやがらせを受けていると方々に言いふらしているのだ。いないものをどう嫌がらせをするのか疑問ではあるが、体調が悪いと分かっていないのだろうか。


 「キャロと・・・!!!!・・・キャロキャロとラヴィーシャ嬢どちらを信じるかといえば、キャロキャロだな!」


 殿下までキャロと言いかけたので殺気で黙らせる。俺だけの愛称なんだからキャロだけは呼ばせませんよ。

 「だって、キャロキャロリーナ、ローランド以外興味なさそうだし。そもそも、婚約者のリュオンですら今まで興味がなさそうだったのに、ラヴィーシャ嬢が誰かもわかってなさそうだし。」

 うんうんと頷く殿下。


 「それに、当のリュオンがラヴィーシャ嬢に興味が全くないのに、なんでキャロキャロがラヴィーシャ嬢に嫉妬しなきゃならないんだ?」


 ホントこの方、無駄に鋭いんですよね~。

 俺、基本的に婦女子に優しくはしているけど、女好きじゃないしねー。

 実の母が割とやらかしたので、俺は女を基本信用していない。体は柔らかくて好きだけれど、ただそれだけ。女の子と遊ぶなんて面倒く極力したくなくて、キャロともここまで最低限の付き合いしかしてこなかったことが悔やまれる。

 だから、今回の事は本当に衝撃的だった。家族のために命を懸ける貴族の女が身近にいるとは思わなかったのだ。キャロの行動は無謀でアホだし大層な悪手だったと思うけれど、その献身は疑いようもない。キャロは多少変だけど、初心で本当にかわいらしい。腕の中に囲い込んで、笑顔にしてあげたいなんて俺が女に対して思うなんて――――。

 思わずにやけてしまいそうなので気を引き締める。

 「あとは殿下は頭さえよければ殿下はいい国王になったかもしれないですのに。」

 「ほめても何も出ないぞ。」

 ほんと、鋭いですよね。これでも尊敬してるって野生の勘で察しないでくれませんかね?


 「・・・ということは、なんだ、ラヴィーシャ嬢は悪人だったのか!ガハハハハ。それならば懲らしめなければならないな!」

 殿下もラヴィーシャ嬢気に入ってるような雰囲気だったけど、この感じだと好きとかじゃなく『珍獣枠』だったのだろうな。世間ずれした可哀想な面白平民を保護するみたいな。


 「ラヴィーシャ嬢の勘違いという可能性も・・・」とレガールが口を挟む。今での様にラヴィーシャの言い分が一方的に正しいとは思ってないのだろうけれど、信じたものを信じたい気持ちが騙されたということを認められないのだろう。


 「ははは!ないな!あんなに頻繁にキャロキャロの動向をうかがってるのはラヴィーシャ嬢の方ではないか!」

 「虐げられる不安から相手を観察するのも不思議ではないのでは?」

 「私は財務大臣をそんなに見ないぞ!」と殿下。

 あの人第一王子派で、かつ性格も悪いですからね。うちの子に嫌味を言えば第一王子派での株が上がると思ってる節がありますよね。うちの殿下と第一王子は仲いいけど。

 「そうだな・・・例えばレガールは、レルネンに毎日「ピンクの刺繍のハンカチを持ってこないものは精神がたるんでいる!」って言われ続けたら、復讐する気もないのに逐一レルネンの動向を把握しようとするのか?どこで飯を食っているとか、どこに出かけるのかとストーキングする程?」

 と俺が言うと、レガールはそっと、いまだ泣いているレルネンから目を背けた・・・

 ピンクの刺繍は男性に地味にダメージを与える様である。



※※



 2日後の夕刻、再びメルベク様が私を訪ねていらっしゃった。

 コナクテモイイデスヨー

 とは言えないため、丁重におもてなしをしようとするが、止められる。


「貴方をいたわりに来てるので、遠慮は不要です。どうぞそのままで」


 女慣れしてるであろうメルベク様はそういうと、使用人に椅子とサイドテーブルを持ってくることを指示し、出てきた紅茶を二人でゆっくり飲みながらお話することになった。


 給仕のメイドが紅茶を入れ、・・・薫り高く、かすかに甘いこの香りは冬に摘んだ茶なのだろうか安心する―――部屋のドアを開けて退出すると。部屋がしぃんとなった。

 ちょっと恥ずかしい。

 でもなんで、今更私に興味を持ったんだろうこの人?

 剣装備して魔物の返り血でドロドロだった女をダンジョンから連れて帰るだけで100年の恋も冷めると思うんだけど、ドMなのかな?


 「違う」


 即座に否定された。ていうか、声に出してなかったと思うんだけど、声に出てました?

 「不思議そうな顔をした後に、ゴミムシを見るような眼をされたので何となく予想はできるな。」

 頭の良い方だ・・・それに

 「メルベク様は・・・そちらが素ですの?」

 急にオラつくとびっくりするんだけど、金髪碧眼の王子キャラだと思ってたら俺様キャラだったのですか・・・薄い本が(ry

 「ああ、すまない。騎士団にいると野郎ばかり相手にしていて必然的に言葉が悪くなる。」

 「そういうものなのですか・・・」

 知らなかったよ、おかあさん。いや、今世はお母様だけど。

 「不快だったら改めるが・・・いや、やっぱり改めたくないな。」

 どっちですか。別に構わないけれど。

 「外行きの、女性が喜びそうな言葉遣いももちろんできるが」


 そっと私の手を取り、ゆっくり手の甲にキスをする。

 一瞬で毛穴という毛穴が()()()と開いたのが分かる。


 またやった!この人遠慮なくまたやった!

 ・・・・固まったけど!!!今度は気絶しなかったのでほめてください!!!!


「あなたには、・・いや、キャロには嘘偽りを見せたくない」


 私は多分真っ赤になっているだろう。メルベク様なんでこんなにいい男キャラになってるの?

 最近まで私に全く興味がなかったよね!?

 いやがらせとか悪口とか初見以外まったくなかったけど、かばったりとかもなかったし!

 ホント必要最小限の手紙やプレゼントのやり取りとか、夜会のパートナーだけだったし!


 赤くなってグルグルと脳内ハムスター状態になってた私だったが、次の言葉で血の気が引いた。



 「だから、キャロの真実を教えてくれないか?」




 「なに・・・を・・・」


 何を言ってるのだろうこの人は。

 私は見たままじゃないか。社交性もなく、親にも持て余され、実の弟にも嫌われ、使用人にも迷惑かけ通しの、ダメ人間ディルキャローナとは私の事。


 「どうしても、あなたが理解できないんだ。何を抱えているのだろう。いつも辛そうにしている。」


 「そんなこと・・・」


 「言葉を変えよう。何に怯えている?」


 「・・・怯えてなんか」

 目の前がチカチカしてきた。これ、病欠になっちゃだめだろうか。


 「『てんしさま、おねがいです。わたしをさしあげますので、どうか、ろーらんどだけはたすけてください。おねがいします。たったひとりの、おとうとなの。』キャロはダンジョンでそう言った。」


 カッと頭に血が上る。

 「聴いていたのね!酷いわ!!!」


 「ちがう、キャロが俺を天使と勘違いしてお願いしてきたんじゃないか。」

 わすれた?と優しく外見天使のメルベク様が微笑む。俺様口調とのギャップが激しすぎる。

 メルベク様のさらさらとした金髪が今更ながらに目に入る。

 「あの時・・・あの時のことは殆ど覚えていないのです。でも、何か金色の光を見た気がします。きっとメルベク様の御髪の色だったのでしょう。失礼いたしました・・・」

 「キャロ、キャロ違う。俺はそんな優等生的な答えで煙に巻いてほしいわけじゃない。」

 ドクドクと心臓が嫌な音を立て、血の気が引く。

 冷たくなった私の指先を励ますかのように、メルベク様がご自身の手で包み込んでくださる。

 温かいことに涙がこぼれそうになる。顔をあげていられない。


 あの時、酷く冷たくなった私をずっと支えて温めてくれたのはあなたなの?

 怖くて聞けない。


 「あのとき、キャロは、家族をまた失くしたくないとひどく怯えてた。でも、侯爵に聞いても周りで誰もなくなったはずはない、っていう。」


 手が震える。でも、メルベク様の手が暖かい。


 「キャロは、何を失くした?何に怯えている?」


 泣くつもりもなかったのに、勝手に涙がこぼれてしまう。

 弱さなんて見せたくないのに。

 ローランドが生まれてから泣いたことなんて一度もなかったのに、ローランドが倒れてから私は泣いてばかりだ。


 「・・・おかしな子だって思われるわ・・・」


 「そうかもな。でも、聞いてみないとわからない。」

 「否定しないのね。ずるいわ。」あまりの正直さに涙と笑いが漏れてしまった。

 「でも、正直だろ。」

 子どもの熱を測るように、コツンとメルベク様が私に額をつけてくる。

 鼻が高くて、少しぶつかってしまう。恥ずかしいし可笑しい。

 涙がこぼれ、下を向きがちな私を励ますように、これ以上下を向けさせないとでもいうよに、額で支えてくれる。


 もういいんじゃないか、って思った。


 これだけ励ましてもらったんだから。

 例え、前世の話をしてメルベク様に嘘つき呼ばわりされたり、嫌われても、引かれても、たくさんの大事なものをもらったら、生きていけるんじゃないかな?



 「覚えてるか?あの時俺はこう言ったんだ。」



 「『俺が何とかする、もう休め』って。だから、ほれ、残りの荷物(重荷)も全部よこせ。」

 と華やかに笑う。



 不意に気づいた。


――――私は彼ほど強くない。


 何をやっていたのだろう。全然大人になんてなってなかった。

 17歳で止まった前世のままずっと精神年齢もあの日の17歳できてしまったのだと。でも、同じ年になったのだから、そろそろ私もあの日から動き出さないといけないのだ。

 涙で滲んだ眼で、メルベク様の瞳をじっと見つめる。

 近くでみたメルベク様の眼は複雑な色彩をしながら、それでいて奇麗な碧眼だった。


 「きれい」


 「キャロはかわいい」

 すぐにメルベク様が言い返す。

 

 そんなところで張り合わなくていいのに変に意地っ張りでと、また笑いが漏れる。


 「いいわ。特別に教えて差し上げます。後悔したって知らないんだから。」

 顔を上げ、ツンと顎をそらし、あえて居丈高にいう。

 「望むところだ」とメルベク様が言う。



 「私には、生まれる前の記憶があるの。」



 きょとんとしているメルベク様。

 そりゃあそうだよね・・・誰か知り合いが亡くなったとか、そういう話だと思ってたんだろうけどさ。


「生まれる前の私は、ここじゃない国の、今の私と同じ17歳の少女だったの。」


 「まいったな・・・」

 予想もしない答えに、戸惑った様に口を押えるメルベク様。

 ここまで話したんだから、賽は投げられてるんだ。最後まで話さしていただきますからね?

 メルベク様が受け止められようが、受け止められまいがきっと彼の経験にはなるはずなのだ。ここまで 私を思って言葉を紡いでくれた彼に、私が唯一できることとといえば、恐れず信頼をし、言葉を紡ぐことだけ。


 「・・・それで、どうしてあんなに家族を失くすのを恐れてた?まて・・・生まれる前が17歳?」

 まさかとメルベク様がこちらを見る。頭のいい方だから最悪なパターンまで考えたのだろう。


「その国は日本と言って、ここよりも生活水準が高くてね、貴族はいなくて子供はみんな20歳くらいまで勉強するのよ。それでね、私は良い学校に入る試験の為に17歳の時に一人で家で勉強してたの。」


 黙って続きを待つメルベク様。


「それでね・・・それで、ある夏の日・・・あっちは夏の暑さが厳しいから学校の休みが長いの。その休みに父さんと母さんと弟が車―――馬車に乗ってね、母さんの実家に旅行に行くことになったの。夏は死者を悼む日があるから・・・。私は塾―――家庭教師がくるから、行かないってことになったけど、私だけ旅行に置いてけぼりになる事に拗ねて。出発前にお父さんを困らせてね、出発を20分くらい遅らせちゃったの。」


 「それから私はいつも通り勉強して、すべての授業が終わって、夕方、お父さんの妹から電・・・連絡があったの。家族みんなが馬車の事故で亡くなったって。―――その後は全然よく覚えてないの・・・ショックがひどすぎて、気づいたらお葬式とか終わってた。本当に、所々しか覚えてなくて、遺体の損傷が激しすぎて、誰の顔も見れなかった事とか、誰かに可哀想だって言われたとか、お父さんの馬車に突っ込んだ人が酒に酔って逃げたとか、そんな事を断片的にしか覚えてないの。その夏以降の記憶がないから、自殺はしてないと思うけれど、ぼーっとしてたからきっと何か事故にあって私も死んじゃったんだと思う。」


 一呼吸おいてメルベク様の目を見る。綺麗な瞳は戸惑いの色で少し揺れている。


 「こんなこと、全然信じられないよね。可笑しいよね。自分にもちょっと信じられないもの」

 ちょっと困ったように笑ってしまう。


 「きみは・・・」

 一瞬戸惑ったようなメルベク様は、だがしかしきっぱりと言葉を紡ぐ。

 「君は結局、何を一番恐れてるんだ?」


 「何を?」

 予想していなかった問いに、困惑する。

 さっき、メルベク様が「家族をまた失くしたくない」って私が言ってたって、言ったじゃないか。


 「違う、なんで家族をまた失くしたくないって思ったんだ。」

 なんで?・・・誰だって家族は失くしたくないよね?

 混乱し動揺してしまう。


 「家族を失くしたくなかった気持ちは前世の君だろう?今のキャロは何を思ったんだ?」

 

 頭をガツンと殴られた気がした。

 思い出す、ローランドが生まれるあの日。私が前の私を思い出してしまったあの日――――。


 「私は―――」

 言ってごらんと、メルベク様は私の髪を優しく撫でる。

 気づいたら震えていた。

 「私は。。。。前の私をローランドが生まれる日に思い出して―――――」


 「日本では医療がとても発達してて―――でも、こっちの世界はそうじゃないって気づいたの。」

 言葉にしようとして、今更自分気持ちにようやく気付いた。


 「日本で医療が発達する前はお産で死ぬ女性がとても多かったって知ってたの。それに貴族の女性は儚いことがステータスになるし、運動量も少ないから平民よりもお産で死ぬことが多いって気づいちゃったの。」


 声が震えてくる。

 「それで?」

 メルベク様が私にやさしく促す。

 「それで・・・私が わがまま言ってローランドやお母様がまた死んじゃったらどうしようって。。。」

 せっかく止まってた涙がまた溢れてしまう。メルベク様はホント私を泣かせ上手だ。


 「また家族と離れ離れになっちゃったら―――」

 とても、とても怖かったのだ。


 「また、置いて行かれちゃったら―――」

 がんじがらめになって動けなくなるくらい。

 メルベク様が私を抱きしめてくれ、髪をなでてくださる。


不意に鮮明に『あの日』の情景が目の前に広がる。


  驚いて辺りを見回すと、

  懐かしい、あの日の我が家。

  セミの音。

  お父さんの赤いちょっと派手な4人乗りの車。

  そこに、玄関から出てくるお父さんにまとわりついてる私と、弟とお母さん。


  『も――――みんなずるいよ~~!!!!ううう・・・・私だけこんなコンクリートジャングルでセミと同衾で勉強なんてひどすぎる・・・一緒に地獄に落ちればいいのに・・・』

  『ハハハ、セミは長野の方がきっと多いぞ~煩いだろうなぁ~』

  『馬鹿姉ぇ、そんなアホだと全く受かる気がしない。さっさと諦めたら?』

  『馬鹿な事ばっかり言ってないでしっかり勉強なさい~。自分で決めた事でしょ?

   お母さんは高卒だっていいと思うのよ。看護師とか素敵じゃない!』

  『やだよ~!大学生あこがれるもん!それに、お母さん仕送り期待してるだけでしょ!』

  『ばれたか。』

  『俺は!娘に仕送りを強請るほど落ちぶれてはないぞ!!!』

  『はいはい、冗談に決まってるでしょ?尻の青いヒヨコからむしりとるわけないでしょ?

   無駄遣いしないように上納金として巻き上げるだけよ。いい加減父親なんだから察してよね。』

  『母さん怖い・・・』

  『と~~~に~~~かく~~~~お土産!信玄餅!これだけは譲れない!!!

  絶対買ってきてよね!』

  『そして肥えると』

  『ムキ~~~~!馬鹿にしてぇ~~~~~!2年後覚えてらっしゃい!あんたの受験の時はヒィヒィ言わせてやるんだから!』

  『あ、おれエスカレーターでそのまま大学いくから』

  『馬鹿ぁああああああ!!!』

  『ははは、うちの子はあほ可愛いなぁ。』

  『バカやってないでもう行きましょう。あんたも暑いからさっさと玄関閉めてクーラーつけなさ   い。熱中症で死ぬわよ』


  

 ・・・何だろうこれは、こんな鮮明な、リアルな幻覚?・・・魔法?

 「・・・なんだこれは?」

 メルベク様も呆然としているので見えているのか。

 私がとうとう頭がおかしくなったわけではないのか。



  『わかったよ~~~、お土産ホントよろしくね~気を付けてね~』

  

  『へ~い』と、気のない返事の弟。

  ・・・でも、お土産とか買ってくれるのはいつも弟だって知ってる。お父さん忘れっぽいもの。

  前に弟と喧嘩して3日口を利かなかった時にお父さんがこっそり教えてくれた。


  『行ってきます~』明るいお母さん。

   いつも、強くて、誰かがくじけそうな時、家族を支えてくれた。

   お母さんだけでも生きてたら私、絶対死んでないと思う。


  『戸締り気を付けるんだぞ』優しいお父さん。

  うっかりなところもあるけど、家族大好きなお父さん。

  何言ってるの、お父さん達の方が危なかったじゃない。


  『行ってらっしゃい~~~~』

  車がすぐ角を曲がるまで見送り部屋に戻る私、そして車と一緒に消えてゆく幻。

  なんでこんな幻が、今更現れたのか。


  幻が完全に消える直前、不意に言葉が降ってきた。

―――――『どうか、環季(たまき)だけでも幸せに・・・』――――


  散らばっていた、パズルのピースが逆回りで戻るように、葬式前の叔母さんの話を思い出す。

 『車は右側面から青信号で側面衝突されたらしいの。兄さんと翔君は即死だったって。でもね、助手席にいた義姉さんは車と壁に挟まれたけど、辛うじて息はあったって。救助してくれた方が言うには、ずっと、兄さんと翔君の名前を呼んでて、あと、環季が心配だって―――自分が死にかけてるのに、人の事ばっかりでホント義姉さんは・・・』


「お父さんとお母さんと、翔が私を恨んでるなんて本気で思ってなかった。

 ただ、酷く、どうしようもなく寂しくて。


 わたしもあの日、一緒に車に乗れたらって思って――――」


「私も、何で一緒に逝けなかっただろうって、ずっと思って―――」


 私がばかなことを考えることを母はお見通しだったのだろう。そして、私の弱さも。

 今際の際まで心配させてしまった申し訳なさと、何よりも深い愛情にどうしようもなく癒されれていくのを感じた。


「お母さん―――みんな、ごめんなさい。。。」

 私は運よく生き残ったのに、きっと上手く生きられなくて無駄にしてしまった。


 ずっと家族が大好きだった。私はお父さんとお母さんの子供で幸せだった。

 

 翔も生意気だけどホントいい子だった。彼女が出来たら、邪魔してやろうと思ってたのに!


――――『環季、幸せになってね』


 また微かに、聞こえた気がした。お母さんの声なのかお父さんなのか、翔なのかわからないけど。


 「上手く幸せになれなくて、ごめんなさい―――」


 それから、ワァワァと子供の様に泣いてしまい、その間ずっとメルベク様が優しく頭をなでてくださってた気がする。

 いつの間にか意識がいつの間にか落ちていた。


メルベク様はホント私の意識を刈り取る事も上手なのだ―――




※※


 失礼します、と侯爵家の執務室に入出する。

 「リュケイオン殿、どうであったか?」

 侯爵と奥方が、こちらを心配そうに見つめてくる。


 「ディルキャローナ嬢の問題が分かりました。とても、すぐに信じられる様な内容ではありませんが・・・」 

 何をどこまで言ったらいいのだろうか?

 そして、どう表現すればキャロの気持ちが伝わる?

 頭を悩ませながらも、キャロとの関係が長年上手く行ってないにしろ、ずっと心配してきた侯爵閣下と奥方の愛情を信頼しできる限り話すようにする。侯爵夫妻も俺を信用してキャロを託してくださったのだから。


 「簡単に言うと、キャロは前世持ちです。信じられませんが―――」

 まさか―――と侯爵がつぶやく。

 「あなた、前世持ちって?」と奥方が侯爵に問う。極稀な事なのであまり知られていないが、逆に言えばどの国のどの時代にも一人はいるようなことなのだ。

 「―――キャロとして生まれる前に、別の人間として生きた記憶があるということだ―――」

 まぁ・・・と奥方が声を出す。だが、いまいちよくわからないのだろう。


 「いつの時代にも何人かは居た記録が残っていますが、だからと言ってそう多いものではありません。近年ですと、そうですね、3代前の侯爵殿の奥方が前世持ちで料理人だったという記録がございますね。」

 「勤勉だな」侯爵がほめてくださる。

 まぁ、普通の学生とかそこまで記録を読んでないだろうからな。

 「痛み入ります」評価は丁重に受け取っておく。

 評価が低いとキャロを娶れなくなったら大変だからな!


 「キャロは前世でニホンという国に生まれたそうです。二ホンという国は近隣諸国の記録にも見た覚えがないので、秘匿もしくは恐ろしく遠い国なのでしょう。」

 恐ろしく遠いなんてものじゃない。あの幻が二ホンであるならば、もう別世界と言って過言ではない。どこの国に馬が引かない鉄の馬車があるというのだ!

 「大変豊かな国でありましたが、両親とその弟を17の時に馬車の事故で同時に失い、そのショックで自身もおそらく事故か何かで亡くなった可能性が高いそうです。」


 ハァ―――――

 と、侯爵が長い溜息をつく。「それでか・・・。」

 奥方は「・・・なんてこと」と目を潤ませている。

 

 「キャロはその記憶をローランドが生まれる日に思い出したそうです。」

 侯爵夫妻に緊張が走る。

 「3歳にして急に記憶が流れ込んだことと、出産に伴うリスクを正確に把握したそうです。前世の様に再び家族を失くしてしまうのではないかと不安に陥り、自分からは何も望むことが出来ない様になってしまったようです。」

 「キャロちゃん・・・」奥方が侯爵に縋り付いて泣き崩れる。

 「我々は、キャロに拒絶されていたわけではなかったのだな・・・」

 ただ、極端に不器用になり、極端に喪失に怯えるようになっただけで、確かに家族を愛しているのだ。

 ローランドだけじゃなく、キャロはきっと夫妻の危機にも簡単にその命をかけてしまうのだろう。


 「今回のローランドの騒動がいい例ですね。不器用な癖に家族を守りたいという気持ちが人一倍強いせいで、自分を簡単にないがしろにして、あのような暴挙に出たのでしょう。」


 あの、キャロの前世の幻と思われる家族も大変幸せそうであったが、侯爵夫妻も貴族にしては大変愛情深い。侯爵夫妻もキャロをどう扱っていいかわからなかっただけで、理解したこれからは少しずつ歩み入っていけるのではないだろうか。家族が好きなキャロには何よりうれしい事だろう。


 「多分、もうキャロは大丈夫じゃないかなって思います。表情が明るくなりましたし。」

 泣き崩れていた奥方が顔をあげる。侯爵の目にも涙が・・・珍しい。


 「ちゃんと幸せにならなきゃって言ってました。漸く今の侯爵令嬢としての自分に向き合えるようになるのではないかと思います。」


 「ありがとう、リュケイオン様。あなたには感謝してもしきれないわ。」奥方が微笑みを浮かべる。ホント妖精の様にはかなげで、お美しい。さすがキャロのご母堂である。

 「当たり前ですよ、僕はキャロに惚れてしまったんですから、これから嫌ってくらい構い倒して暴走する間もなく幸せにする気なんですよ?」

 俺の冗談にクスクス奥方が笑う。まぁ本気だけど。


 憮然とした表情で侯爵がのたまう。

 「婚約者といえど、結婚にはまだ早いからな!まずは婚姻式からだからな!」

 どこの男親も、娘は大体目に入れても痛くないようだ―――――





※※



~後日談~



2ケ月ぶりに学園に復帰した私に、目ざとい殿下が笑顔で駆け寄ってきてくださり、


()()()()()()()()~!!!元気になったか~~~~~!!!よかったな~~~!!」


 と衆目観衆のもと大声で叫ばれた。ついでに、ぶんぶんと手もふってくださった。

 あまりのギャラリーの多さにめまいを起こした私が地面とキスをする前に、颯爽と駆けつけ私を支えたメルベク様は、そのまま私をお姫様抱っこしてこう宣言したという。

 「我が婚約者殿は大変恥ずかしがり屋で、殿下の妄言に気を失ってしまったようだ。それでは、彼女を介抱したいので失礼する」

 と観衆に笑顔でのたまい、お姫様抱っこでそのまま保健室に連れていかれた。


 その日一日保健室で過ごした私は、不登校ならぬ保健室から出ることすら嫌がり、迎えにいらしたメルベク様にキスをすると脅されてまた失神。気づいたら寮の自室でメイドに介抱されていた。


 登校二日目にして、私のあだ名は「キャロキャロリーナ」「失神令嬢」「ブラコン」「小姑」「おかん」「キャロキャロ」―――まって、キャロキャロってなに?!―――から「夜空の女神」「月の申し子」「慈愛の聖女」など、どこの諜報部員が垂れ流したんだ?という眉唾なものまで流れたようだ。

 あれから殿下は事あるごとに私にからんできて、殿下が毎度私を怒らしたり、ローランドをいじめた殿下に私がブチ切れるなどの修羅場があったが、お互いケロッと忘れて次の日には普通に話しているのをで大らかな奴だなって思われたっぽい?以前の様に娼婦だの魔女だのとは言われることはなくなったようだ。

 だがしかし、剣をふるっていることもばれたので「野蛮」とか「動物」とか言われるようにはなったけれども、年下の子から何故か顔を赤らめて「お姉さま」とも呼ばれる割合が高い。解せぬ。

 あと、何故かローランドがシスコンと化した。「お姉さまは僕が守ります!」と宣言された。解せぬ。でも、超嬉しい。可愛い。でもローランドのお嫁さんがいなくなったらどうしようかと心配だ。あと、なぜかメルベク様と仲良くなって毎日剣の打ち合いとかしてる・・・。婚約者と弟が同時にいなくなったみたいで・・・・さ、寂しくなんかないんだからね!

 さらに嬉しかったのが、何故か少ないが女性のお友達もできたこと。まだほんの数人だけど、メルベク様が「私に合いそうだ」と紹介してくだしてくださった。本当に感謝している。一番仲良くなったレヴェイユ嬢は私と話すたびに「はぁ~~~///キャロキャロはかわいいですわ~~~」と言って頭をなでたりするのはやめてほしい。お菓子は好きなので有難く頂戴している。あと、おっぱいを揉んでくるのもできればやめてほしい。あと、キャロキャロ言うな!・・・あれ?友達かなぁ?


 そのメルベク様といえば、自身の卒業直前に気づけば私は物理的に気絶させられ、意識のない間に婚姻式が終わっており、

「婚姻式までしておいて、逃げて僕に恥をかかせないよね?キャロ。」と黒く微笑まれたのが決め手となって、私の卒業と同時にメルベク様に入籍させられました。出奔する可能性とかまるで考えられないくらい潰されました。



めでたしめでたし?








お読みいただきありがとうございました。


追記情報)

4/18 文章を一部校正しました

4/19 感想にご指摘いただいた点を、一部校正いたしました

4/19 あらすじ・前書きに加筆いたしました

4/29 誤字修正しました

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[良い点] ショック 一瞬で読み終わってしまった…。 キャロキャロのデレを、もっと読みたかったです~♪
[良い点] ストーリーの起承転結がきちんとある キャラクタにブレがなく、一貫している わざとらしくない程度にわかりやすい展開、家族愛 短編らしい文章量 [気になる点] 誤字脱字が多い 主要キャラの扱い…
[気になる点] ヒロインポジがお城で拘束から キャロが寝込んでる間に学校に普通に復帰してるのが気になる。 誤字報告 産後の日達→産後の肥立ち お通や晩餐が形成される→お通夜 今の時分が娘がいて→自…
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