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八月十五日-①

「おっ、来た来た」

「ほんまや。おーい、瀬戸! こっちこっち!」

 懐かしい声がするほうを見遣れば、そこには懐かしい顔が二つ並んでいた。おのずと緩む口角を自覚しながら、彼——瀬戸(せと)(かける)は、手招きされた窓際の席へと足を運ぶ。

「久しぶり。二人とも全然変わらへんな」

 四人掛けのテーブルに対座している二人のうち、一人の隣に腰を下ろす。その際、横から『お前もな!』と笑みを飛ばされると同時に、背中をばしんと叩かれた。当然痛みは広がったが、まったくといっていいほど悪い気はしない。むしろ胸のすく思いだ。

 八月十五日。盂蘭盆(うらぼん)も終わりに近づいたこの日、瀬戸は京都にいた。

 昨日、およそ四ヶ月ぶりに故郷の土を踏んだ。たった四ヶ月しか経っていないというのに、もう何年も故郷から離れていたような、そんな錯覚を覚えた。

 今回の帰省の主な目的は、自動車免許を取得すること。それから、こうして〝幹事〟同士、顔を合わせることだ。

「東京行って垢抜けて帰ってくるんか思たら、なーんも変わってへんとか……つまらんヤツやな」

 今しがた、瀬戸の背中を叩いた滝本がこう言えば、

「いやいや。こいつ、中学ン時にはすでに外見仕上がってたからな。嫌味なヤツやで」

 滝本の向かい側に座を占める清水がこう返した。

 二人は、瀬戸の中学時代の同級生。滝本はこの春から大阪の大学に進学し、清水は地元の市役所に就職している。

「……どういう意味やねん」

 唐突な弄りに、瀬戸は目を据わらせた。実に愉しそうな旧友二人に、毒など飛ばしてみる。

 が、言葉の端から漏れた溜息には、まぎれもなく、彼らに対する情が混じっていた。こんなくだらないやり取りでさえも、なんだか無性に心地好い。

 ここは、三人が通っていた中学校近くにある大衆食堂。四十年以上も続く、地元にとってなくてはならない憩いの場所だ。

 木造で平屋。およそ三十坪ほどの広さに、カウンターを含めた座席数は四十。お世辞にも洒落ているとは言えない容相だが、一言では形容しがたい独特のあたたかみがある。

 水やお茶、おしぼりはセルフサービスとなっており、瀬戸の分のそれらは清水が用意してくれた。時節柄、お茶は冷えたほうじ茶だった。

 現在時刻は午後一時半。外気に晒され火照った体に、凛とした冷たさが染み渡る。

 そこへ、頃合いを見計らったかのように、恰幅のいい中年女性がやってきた。両の手にはトレーが一つずつ。その上には、できあがったばかりの焼肉定食が乗っている。

「おまちどおさま!」

 快活な声で彼らをもてなす彼女は、この店の奥さんだ。テーブルに置かれた皿からは、湯気とともに香ばしい香りが立ちのぼっている。

「翔くん、久しぶりやね! 元気にしてた?」

「うん、おかげさんで。おばちゃんも、元気そうでよかったわ」

「あははっ、元気すぎて困ってんねん!」

「ええやん。元気が一番やで」

「いやいや! あたしやのうて、うちの旦那が困ってんねん!」

 見事な発声ですぱっと言い切ると、彼女はさらに明朗な笑顔を咲かせた。横目で厨房を覗けば、彼女の夫であり大将でもある中年男性が、眉を顰めて苦笑している。

 中学の頃、よく部活仲間と利用したこの店。夕飯までの繋ぎとして、しょっちゅうお手製のポテトコロッケを購入しては、小腹を満たしたりしたものである。

 滝本は野球部、清水はバスケ部だったため、サッカー部だった瀬戸と所属は異なれど、皆一様に、これを頬張りながら帰宅していた。

「また三人の顔が見られておばちゃん嬉しいわ! もう一膳すぐに持ってくるから、ちょっと待っててや!」

 そう言って厨房へ入っていくやいなや、奥さんはすぐさま一人前を用意して戻ってきた。しかも、何やら〝おまけ〟付きだ。

「えっ、俺ら定食以外頼んでへんけど……」

 ここへ最初に到着し、焼肉定食を三人前注文したのは清水だ。その清水が少々困惑気味に目をしばたかせた理由。それは、注文した記憶のないものが届けられたからであった。

「あははっ、これはおっちゃんからや! 若いからこれくらい軽く食べられるやろ!」

 白い小皿に、はみ出んばかりに鎮座したポテトコロッケ。中学生だった当時、まさに彼らが食べていた、あのコロッケだ。

 厨房にいる大将に向かい、三人は一斉に頭を下げた。『いただきます』と手を合わせ、箸を取る。とくに示し合わせたわけではないが、彼らが真っ先に箸を伸ばしたのは、コロッケだった。あの頃と何一つ変わらない味に、胸が詰まる。

 そんな彼らを優しく見届けた後、『ゆっくりしてってね!』と言い残すと、奥さんはその場をあとにした。

 冷房の音と、天井に吊るされたテレビの音が混ざり合う。ピーク時は過ぎているため、店内の客はまばらだった。時期が時期ということもあり、普段多いサラリーマンなども見受けられない。

「……で、どんくらい連絡つけられた?」

 食べることにようやく落ち着いてきたとき。

 滝本が、この日集まった目的を遂行するべく、本題を口にした。

 再来年の一月。成人式当日に、彼らはここ地元での同窓会を予定している。中学時代の同窓会ゆえ、卒業以来一度も会っていない者も少なくはなく、目下連絡を取り合うのに奮闘中だ。

「地元に残ってるやつらには、だいたい声かけられたと思う。けど、何人かは、やっぱ連絡先がわかれへんのや」

 滝本の問いに対し、三人の中で唯一地元に残っている清水がこう答えた。

 高校時代ならまだしも、スマホ所持率が高くはない中学時代の友人とのコンタクトは、やはり容易ではないらしい。

「想定はしてたけど……やっぱ全員に連絡とるんは難しいな。俺のほうも、高校が同じやったやつ中心に広げてはいってるけど、まだまだやねん。……瀬戸は?」

 清水からの回答を受け、次に滝本が回答を求めたのは瀬戸だった。

「……俺もお前と似たようなもんや。高校一緒やったやつには連絡ついたけど、他は全然……」

 ほうじ茶を一口含み、さらに一呼吸置いた後、瀬戸は状況を説明した。テーブルの上に置いたスマホのスリープ状態を、とりたててわけもなく解除する。

 ……嘘を吐いているという認識はあった。彼女(・・)のことが話題にのぼるだろうことも、もちろん予想していた。

「……たしか、今の時期やったな。旅館の火災事故」

 そしてついに、滝本の口から、それは語られた。

 必然的にのぼった話題。必然的に暗然とした空気。彼らだけではなく、地域の住民にとっても、あの事故はかなり衝撃的だった。

 言葉を、失するほどに。

「十六日や。……あの日は、親父が現場で消火活動してたからな。よう覚えてる」

 悲痛な面持ちであの日を振り返った清水。そんな彼に、瀬戸と滝本が静かに視線を送る。

 五年前の八月十六日。消防士である清水の父親は、事故現場に出動していた。何時間にも及んだ必死の消火活動も空しく、旅館はほぼ全焼。二人の尊い命が犠牲となった。

 帰宅した際に浮かべていた父親の険しい表情を、清水は今でも忘れられずにいる。

「……元気に、してるんかな」

 視線を下へとずらした滝本がぽつりと呟いた。あの事故が原因で、ともに卒業することができなかった彼女に想いを馳せる。

 けっして目立つタイプではなかったが、周囲に配慮のできる優しい子だった。頭も良く、とりわけ英語の成績は群を抜いていた。男女ともに、温厚な彼女を慕っていた同級生は少なくないだろう。

「できることなら、あいつにも出席してほしいけど……下手したら、無理強いすることになりかねんからな。もしかしたら、今住んでるとこの成人式に出るかもやし」

「せやな。……それに、連絡先がわかれへん以上、どうすることもできんもんな。残念やけど」

 東京に住む、父方の伯父の養女になったということは知っている。逆に、このほかの情報は何一つ知らない。彼女の父親は婿養子だったらしいので、名字も変わっているかもしれないが、詳細はまったくもって不明だ。

 元気にしていればいい。元気にさえしていれば、それでいい。——滝本と清水の会話においては、この結論に帰結した。

「……」

 二人が彼女のことについて話しているあいだ、瀬戸はいっさい口を挟まなかった。二人の会話に耳を傾けてはいたものの、一人思案に沈んでいたようだ。

 五日前、向こうで偶然彼女に出会ったことを、瀬戸はあえて話さなかった。同窓会の案内をしたことも、自分の連絡先を渡したことも。

 もしかすると彼女は、もう二度と、故郷(ここ)には戻ってきたくないと思っているかもしれない。その可能性があるかぎり、彼女と再会したことは、自分の胸の内にだけ留めておこうと考えた。

 他人の自分でさえ、あの火災事故には、言葉を失うほどの恐怖を覚えたのだ。大切な存在を一度に二人も亡くした彼女の恐怖は、自分の理解の範疇など超えている。

 彼女を過去に縛りつけたくはないし、故郷へ戻らなければならないという情動に駆り立てたくもない。もう、苦しんでほしくない。

 もし、自分が彼女に声をかけたことが、彼女を苦しませているのだとしたら、申し訳なく思うばかりだけれど。

 だが、たった一つ。彼女と再会したあのとき、瀬戸が〝救い〟だと感じたことがある。それは、彼女が〝一人ではなかった〟ということ。

 ()との関係がどの程度のものか知る由もないが、それでも、彼女が一人ではなかったというその事実に、なぜだかひどく安心したのである。

 とにかく待つしかない。自分には、待つことしかできない。

 彼女の出す、その答えを。

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