45.星色の思惑
彩りに満ちた光が街全体をごちゃごちゃと飾り立てる中、鉄塔の周辺は妙に暗く静まり返っている。
遠くから電車の走行音やクラクションだとかの雑多な音が響いてはいるものの、街の喧騒自体はここまで届かない。
ビルの点々とした明かりや看板、店の照明よりも道路が一番明るく見えているのは、車のライトと街灯のおかげだろう。
「……と、言うか。ここはどこなの」
さっきは、もっと高い位置にいると思えたけど、錯覚だったのだろうか。
鉄塔自体は確かに背が高いけど、あたかも上空にいるように錯覚するほどの高さはない。
ヒューノットに、これでもかと強くしがみついたままで問いかける。
傍から見たら、ちょっと滑稽かもしれない。でも、落ちたくないし落とされたくもない。
「裂け目の先だ」
「や、だから、その、それがどこなのかって話なんだけど……」
「"こちら側"の街について、俺に知識はない」
迷子じゃねえかよ!
と言いたかったけど、ぐっと堪えた。私は大人だ。そして、今まさに大人の階段をぐんっと上った。
鉄塔の支柱に背を預けたヒューノットは、ただじっと街並みを眺めている。
本当に、何か狙いがあるのなら、先に教えて欲しい。
もしかして、本当に行き当たりばったりで動いているのだろうか。
だったら、たぶん、ヒューノットには、シュリみたいな司令塔が必要だと思う。
ああ、いや、そもそもプレイヤーがその役割を担っていたのだったか。もうワケがわからない。
「星が噴き出た割れ目に入って、どうしてこんなところに出るの……」
正解が見つからなくて、心底から途方に暮れる。
せめて、シュリと合流したいところだ。三人寄れば何とやら。
解決の糸口自体は見つからないにしても、少しは正解に近づけるかもしれない。
「歪による亀裂がランダムに発生しているとは思っていない」
独り言じみた嘆きに返事が来た。
「……わかりやすく言って」
ちょっと意外に思いつつも、注文をつける。
だって、考えるだけの余裕が残っていない。
というか、どうせ考えたところでわからない。
「境界の揺らぎを辿れば、あの女に結びつく可能性が高いと考えた」
「どうして?」
「あの女が裂け目を作り、土塊共を撒き散らし、星を溢れさせていると仮定できるからだ」
本当に意外だけど、ヒューノットはサクサクと答えてくれた。
その青い瞳は、何かを探している様子で夜の街をに視線を走らせている。
視線を追いかけたところで、その先がわかるはずもない。
諦めて、別方面から繋ぐことにした。
「あのさ……シュリは、レーツェルさんがあっちの世界を捨てて、こっちの世界を手に入れようとしているって言ってたんだけど」
話しかけると、一瞥程度の視線だけが向けられた。
ヒューノットの意識は、大半が周囲へと向いているようだ。
それが探索のためなのか、警戒のためなのかは。それはわからない。
ただ、シカトされているわけではない今がチャンスだ。
――置き去りの終着点を放棄するのなら、新たな未来の創造地点を強引にでも引き寄せる方が確かに生産的だ。
――生み出す者の選択としては、矛盾がない。
シュリはそんな風に言っていたけど、それにしても、大概無茶な話だ。
世界を乗り換えるなんて、発想自体が大胆すぎる。
実際にこちら側に来てしまった以上は、全くもって無理だと断言できないのが、怖いところではあるけど。
「ツェーレくんは星の後継者で、レーツェルさんが生み出す者、なんだよね?」
「……そうだ」
「生み出す者って、どういう意味? こう、女の人だから、とか?」
人形や彫刻も、創作物という意味では確かに生み出している。
もっと、言えば、女は産み、そして育むものだ。母なる海とはよく聞くけど、そんな感じだろうか。
ヒューノットは視線も向けないまま、緩やかに首を振った。
「性別による役割ではない。作り出す力を持つ者に、その資格があるだけだ」
女だからといって、母親になるというわけではない。から、だろうか。
思わず、眉間に皺が寄る。
そのタイミングで視線が向けられて、ちょっと気まずい。
しかし、ヒューノットは咎めるわけでもなければ気分を害した様子もない。
というか、そもそも表情がそこまで劇的に変化するわけでもないけど。
「たとえば、プッペやルーフも生み出す者だ」
ルーフさんが出て来た。
つまり性別は全く関係がないということか。
そして、プッペお嬢様も入るのなら、年齢も関係がない。
ますますわからないぞ。
「レーツェルさんは、人形とかを作ってたからわかるんだけど……」
「思い出せ」
「えぇ……」
そんなノーヒントあるか。
あの洋館の光景を思い出してみる。
散々走り回ったから、色んなものを見たけど、何かあっただろうか。
リビング。絵画。ぬいぐるみ。お人形。花。ピーチティー。クッキー。
「……あれ?」
ぬいぐるみだったか。
プッペお嬢様が寂しくないように、ルーフさんが作ったのだと聞いた。
そして、あの花に満ちた中庭。
あそこには、プッペお嬢様の人形が眠っていた。
それらをすべて世話しているのは、ルーフさんだ。
プッペお嬢様も含めて、あの洋館のすべて。
「……ねえ、あの洋館と教会って似てない?」
正確には、教会ではないのかもしれないけど。
何だっけ。祈りの丘だったか。
洋館で眠る人形はレーツェルさんが贈ったものだから、カウントしないにしても、共通点が多いように思える。
年の差があるふたり。女と男――は、関係ないとしても偶然だとしても一緒だ。
そして、室内にある庭。庭を満たす花。花に囲まれて眠る棺。
いや、ひとつずつ挙げていくと、そこまでじゃないか。じゃあ、何だろう。ただのデジャブだろうか。
そもそも、ルーフさんとレーツェルさんが似ているとは、全然思えない。
レーツェルさんは、自分の目的の為にツェーレくんを犠牲にできるけど。
ルーフさんは、プッペお嬢様にそんなことできそうにない。
だって、ルーフさんは選択肢の次第によっては、自ら命を絶ってしまうような人だ。
見たわけではないけど。シュリから聞いた話によれば、だ。
そんな人に、レーツェルさんと同じことができるとは到底思えない。やっぱり、似ているようで似ていないのだろうか。
そもそも、そんな思い始めれば、ヒューノットとシュリだって似ている。
ふたりとも、誰もいない静かな場所で誰かを待ち続けていた。シュリは平原で、ヒューノットは地下室で。
言い出したら、キリがないのかもしれない。
「そう思うか?」
ヒューノットから返ってきたのは、肯定でも否定でもなかった。
どう答えれば正解なのか。
わからなくて、つい沈黙してしまう。
まあ、こんなの、私が勝手に似てるなーと思った、というだけの話だ。
とりたてて重要なことじゃない。
私はごまかすように、軽く首を振った。
「ちょっとね。何となくだから、それはいいんだけどさ……世界を捨てる、なんて、できると思う?」
バッドエンドが約束されている世界を捨てて、新しい運命を手に入れる。
そんな感じだろうか。
改めて問いかけると、ヒューノットは口許を歪めて溜息をついた。
「……さあな、わからん。だが、あの女はやろうとしている」
確かに愚問だった。
できるかどうかは、現時点では誰にもわからない。
今までに、やった人はいない。
でも、レーツェルさんはやり遂げようとしている。それだけは確かなことだ。
「生み出す者の選択って、シュリは言ってたけど……」
「お前と同様だ」
「私?」
「ああ。……正確には、選択肢を増やそうとしている」
選択肢。
別にレーツェルさんほど大きなことをしようとは思っていなかったけど。
そして、私自身には選択肢を増やしたなんて自覚はなかったけど。というか、今もないけど。
なんだっけか。ああ、そうだ。
選択肢を放棄した――と、ユーベルに言われたんだ。
私は選択をやり直したと思っていたのに、ユーベルはそう言った。あの時の違和感は、今でも覚えている。
――とてもとても素敵な事なのよ。
微笑んだユーベルの顔は、いまいち思い出せない。
緊張していた所為だろうか。
ユーベルが口にしたお礼の意味も、いまだにわからない。
反して、レーツェルさんは、傍観者の"選択"にうんざりしているようだった。
どう転んでも、良い結果が生まれなかった所為だろう。
それで、シュリを責めていた。すべての責任がシュリにあるかのように、すべての元凶はあなたなのだ、と。
シュリ自身も、あの罵倒を受け止めていた。
あのとき、反論したのはヒューノットだ。
「……」
シュリは、諦めないと言っていた。僅かでも存続の可能性がある限り、唯一の未来を手に入れると。
本当のところ、レーツェルさんとシュリの目的自体は同じなのかもしれない。
レーツェルさんのやり口が、ちょっと、いや、かなり過激ではあるけど。
「――お前」
急に話しかけられて、少しだけ驚いた。
思考から引き戻された意識をヒューノットに向けると、青い瞳が私を見た。
少しばかり釣り目がちな、いや、少しどころではなく鋭い目つきだ。射抜かれる感覚に背が震える。
何も隠していないというのに、まるで秘密を暴かれるような気がした。
「――亀裂の中で何を見た?」
不意打ちの問い掛けだった。急に話題が変えられて、ちょっと焦る。
しかも、何をって。そう言われても、説明のしようがない。
「……わかんない、けど、えっとー……何か、すごい色の空があって」
本当に説明のしようがなかった。
まだらに染まったマーブル模様の空。
朝でも昼でもあったのに、まるで夜がない。
空の果ては白く染まっていて、向こう側に続いているというよりは、そこで途切れている印象だった。
「シュリと、ヒューノットの声が聞こえて……」
だんだんと自信がなくなってきた。
あれは、本当に、ふたりの声だったのだろうか。
「……えっと、髪の長い人が平原にいて、たぶんヒューノットもそこにいたよ」
我ながら、あんまりな説明になってしまった。
しかし、そう説明するよりほかにない。
「そいつの顔は見たのか?」
「ヒューノットの顔は見てないけど……」
「違う。もうひとりだ」
「あ、うん。そっちは見たよ。噴水の石像そっくりだった」
こくんと軽い頷きを返すと、ヒューノットは考え込むような様子で視線を外した。
まあ、人間の記憶なんて曖昧なもので、少しの共通点で同一だと思い込むことだって全くないわけじゃない。
実際に見比べてみたら全然似てないなんてことも珍しくはないから、本当にそっくりかは自信もないけど。
「お前が見たのは、過去のリプレイかもしれん」
ヒューノットの言葉に、ちょっとだけ驚いた。
「境界は単なる扉ではない。鍵には、過去へ引き戻す力がある。有り得ない話ではない」
淡々とした説明が、すっと頭に入って来る。
それは、確かに無茶苦茶な憶測ではないだろう。
シュリは、セーブした過去のタイミングまで引き戻せるのだから、時間を戻しているとも言える。
鍵が持っている役割だというのなら、割れ目によって場所も時間も乱されるのは、なんとなく理解できる範囲だ。
何よりも、シュリは確かに、あの平原がすべての場所に繋がると言っていた。
わざわざ平原で待機しているのは、それなりの理由があるはずだ。たぶん。
あれ。
「……じゃあ、あの髪の長い人ってシュリなの? え、めっちゃ容姿端麗じゃない?」
待って待って。すんごい綺麗な人でしたけど。
確かに体型とかはめっちゃ似てたけど。
でも、仮面はしてなかったし、あの悪趣味なアクセサリーもつけてなかったし。
「――知るか。お前がどのタイミングを覗き見たのか分からん」
「覗いてないよ! 人聞きが悪いな……っ!」
本当に人聞きが悪い。
私は、どちらかと言うまでもなく受身で、何なら見せ付けられた側だ。
そんな、わざわざ覗きに行ったみたいな言い方はされたくない。
「ていうか、黒髪だよ! 黒髪! もうシュリ確定じゃん」
ルーフさんもプッペお嬢様も、何ならレーツェルさんやツェーレくんも、それこそゲルブさんやグラオさんですら、金髪だ。
いや、まあ、フェルト兄弟は黄色だけど、金髪カウントでいいだろう。
金髪率が異様に高い中で、黒髪はすごく目立つ。
「……」
黙った。
というか、無視か。
どっちにしても、なんてわかりやすいんだ。ちょっとびっくりした。
「……ヒューノットとシュリって、そういう関係だったり?」
ついでに勘繰ってみたけど、睨まれただけだった。
触らぬ神に祟りなし。ヒューノットは諦めて、機会があればシュリに聞いてみよう。
まあ、どっちにしても、誤魔化されるかもしれないけど。
のんきなことを考えていると、遠くから何かの破裂音が届いた。
何というか。あまりに耳慣れない音だ。
風船のような、薄いものが割れたような音ではない。
「えっ、な、なに――」
音の響いたと思われる方向を見ても、どこで何が起きたのかはわからない。
全身に緊張感が走り、無意識のうちに四肢が強張る。
直後、真上で光が炸裂した。
まるで暗闇の中で急に大きなライトを向けられたかのような感じだ。
一瞬、鉄塔を包み込むように光の帯が落ちたあと、今度は真下から轟々と唸る風が吹き荒れる。
私に触れるヒューノットの腕に力が入った。
ぞわりと全身の毛が逆立つ感覚。遅れて、頭上から光の粒が降り注いだ。それはまるで光る雨だ。細かい粒が眩く光る頭上から遠い地面へと落ちていく。
間近に落ちて来た光を見れば、まるでラメのようだ。
眩しさに目を細めながら周囲を見回す。細かな粒で出来上がった光のベール。その向こう側は、暗がりだ。
光に包まれているのは、私たちがいる鉄塔だけ。
落ちていく光に音はない。熱もなければ煙も出てはこなかった。もちろん、鉄骨に当たっても音は生まれない。
光のベールは次第に濃くなり、まるで滝の内側にでもいるかのようだ。周囲の光景が、光に阻まれて見えなくなる。
あまりの眩しさに目を開いているだけでも辛くなって来た。
その時だ。光のベールが途切れ始めた。まるで、流れを塞き止められた滝だ。
「――ッ!」
リング状の光が鉄塔を包んで落ちていき、視界に暗さが戻り始めたと思った。その刹那。花火が弾けたような一瞬の明るさのもと、真上から何かが落ちて来た。
足元を蹴ったヒューノットが大きく飛び上がり、落下して来た何かを蹴り飛ばす。
その勢いのまま、ヒューノットの身体は私ともども、ぐるりと後ろへ宙返り。
ぐるんと空と地面が入れ替わる。そして、一瞬にして戻ったと思った頃には、ヒューノットは再び鉄塔に着地していた。
正直、死ぬかと思った。密着しているとはいえ、ヒューノットの動きについていけるはずもない。
さっきよりも高い位置から見下ろすと、私たちがいたあたりの骨組みに誰かが掴まっている様子が見えた。
「――……人?」
人の形をしている。
だが、ヒトガタではなさそうだ。
黒い外套を羽織っていて、顔はおろか体格も把握はできない。
その人物は両手で鉄骨に掴まり、前後に身体を大きく揺らしたかと思えば、まるで鉄棒でもしているかのように勢いよく飛び上がり、そのまま身体を反転させて鉄骨の上に立った。
あまりにも軽い身のこなしは、まるでサーカスの人のようだ。
荒々しい風が真横から通り抜けていく。
こちらを見上げている人のフードが風によって剥がされると、その中から長い髪が宙に広がった。
頭上で弾けた光に照らされたのは、濃い紫の髪。外套をはためかせながら駆け出したその人物は、支柱を蹴って舞い上がり、鉄骨を踏んで更に飛んで近付いて来る。
「ヒューノット――ッ」
濃紫の髪。
青い瞳。
空に舞い散った光の中で浮かび上がった輪郭は、ヒューノットとそっくりだった。




