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傍観者 < プレイヤー >  作者: YoShiKa
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42/77

――3.沈黙者












◆ ◆ ◆














 降り注ぐ星達が砕け散っていく中で、世界は終わりを迎え始めていた。


 全ての発端は、大地に落ちた星の子が空に帰る手段を失ってしまったこと。

 地上の子の始まりは、そもそも空から舞い降りた星の子。星が母たる空を恋しがるように、地上の子もまた母である星を恋しがっただけの話だった。その筈だったのだ。

 平原に立っていた濃紫の髪をした青年は、散り散りになった星を拾い上げるも既に手遅れであったと悟った。掌で掬い上げた星の子は光を失って砂になるばかり。指の隙間からさらさらと落ちて風に流されていく星屑は、美しくも呆気ない。星の子が全て落ちてしまえば、空が死んでしまう。もし空が死んでしまえば、この世界の全てが崩壊してしまうだろう。見上げた先に広がる空は斜陽に染まり、青を覗かせ、夜に染まって斑模様になっていた。

 平原の端で燃え盛る洋館が見えた。反対側では、青く揺らめく街も見えている。

 青年は息を飲んだ。まさか。まさか。気ばかりが急く中で、白い腕が伸びた。青年の手首を捉えたその手の主は、黒い髪を揺らしながら首を振る。しかし、青年はその手を振り払って駆け出した。

 ああ、どうか。どうか。祈るような気持ちを抱えて草原を駆け抜けた青年は、背の高い門扉を押し開いて煉瓦の道をひたすらに走った。そして、轟々と音を立てて燃え盛る洋館に向かって怒鳴り声を上げた。熱された空気が喉を焼く。それでも繰り返した。名前を呼ぶ。返事を乞う。声を求めて、幾度も名前を口にした。肺が痛みを感じるほどに何度も熱を吸いながら、青年は肌の焦げる感覚さえ感じても引かずに友人を呼んだ。しかし、何の声も返されはしない。崩れ落ちていく洋館は、既に灰と瓦礫の山になりつつある。燃え尽き始めた洋館から顔を背けた青年は、洋館に背を向けて再び駆け出した。背後で大きく崩落する音がする。しかし、青年は振り返ろうとはしなかった。

 走って走って、駆け抜けて、煤だらけになった青年は街を目指した。あれは自分の街だ。間違いない。平原を走れば走るほど、自分の街が不気味な沈黙に落とされている事を知る。青年は焦燥の中、近付いて来た塀に舌打ちをして木製の扉を押し開けた。


 扉の向こうは白一色に染まっていた。


 家々も道も何もかも、色彩というものが失われている。まるで、奪い取られたかのようだ。先ほどとは打って変わって、痛い程の冷たい空気が臓腑を冷やす。呼吸を繰り返す度に喉と胸が軋む気さえした。行き交う人々の姿はなく、街の中は静まり返っている。呆気に取られた数秒後、駆け出した青年は家々の扉を開いて回った。乱暴に抉じ開け、押し開き、叩いて、強引に開いて、それでも人の姿は見当たらない。それどころか、人であったものさえも見つけられなかった。家畜達でさえ、街の中には存在していない。生まれ育った筈の街が、まるで見知らぬ土地になっている。枯れ果てた大地の上に雪化粧だけが取り残されていた。

 青年は肩を激しく上下させて荒れた呼吸を繰り返しながら街の中を駆け回り、やがて家々の間を通り抜けて街を越えて森へと飛び込んだ。頼りなく続く細い道を通り、急斜面を一気に駆け上がり、土を踏み散らして走る。やがて見えてきた建物が、凍っている訳でもなければ炎を抱えている訳でもないと知れば、青年の胸には僅かな安堵と期待が生まれた。なだらかな丘をくだり、真っ直ぐに建物へと向かう。青年は道半ばで建物の周囲に星の雫が降り注いでいる事に気が付いた。晴れ渡った空の中、それはまるで光を受けてきらめく雪の粉のようでもあり、雨粒が光を反射しているようにも見えた。

 一見すれば教会を連想させる建物に飛び込んだ青年は、高い天井から星の煌きが降り注ぐ光景に息を飲んだ。そして、その直後にはホールの中央あたりに座り込んだ人物を発見した。

 金色の長い髪を床に垂らしているその人物もまた、青年にとって友人と呼べる存在だった。その友人が、片手で顔を覆いながら笑い声を上げている。座り込んだ膝の上に乗せた何かを抱える腕は、妙に赤黒く汚れていた。抱えているのは丸太のようなものだ。ぼろぼろになった古い布切れに包まれたそれが何なのか。問う事はおろか、青年はそれ以上の距離を詰める事が出来ない。哄笑じみた声がホール内に響き渡る。きらきらと降り注ぐ星の雫と狂ったように笑う友人の姿。




 ――遅かった。




 青年は腹の底が冷える感覚に襲われ、まるで足裏が縫い止められてしまったかのように、その場から動く事が出来ない。四肢が鉛のように重たく感じられた。僅かばかりの安堵と期待など、既に萎れてしまっている。青年は、友人の名前を呼ぶ事すら出来なくなった。何と言えば良いのかさえも分からない。言葉どころか、声が出るかどうかすらも怪しかった。


 空が怒り狂っている。一刻も早く星を返さなければならない。しかし、その星を返す為の手段は既に失われていた。それも、とうの昔の出来事だ。今更、取り戻す事など出来はしない。


 建物を飛び出した青年は、気が付けば丘の端にある白い墓石を眺めていた。白い墓石は、たったひとつ。片手で足りる程度の年月しか生きられなかった名前が記されている。そこに刻まれた文字を数秒ほど見つめたのち、震える脚を叱咤して再び駆け出した。














◆ ◇ ◆














 積み上げられた煉瓦の塀に囲まれた白い街は、沈黙を強いられたままになっている。

 凍った噴水の縁に腰を下ろした青年は、かつては活気に包まれていた広場を眺めるともなしに視界へと入れていた。空は燃えるような深紅と底冷えの群青に彩られた中に点々と混沌の色が覗く状態になっている。吐き出す息は白い。あれほど熱かった身体はとうに冷え切っていた。

 項垂れた濃紫の髪に雪が舞い落ちる中で青年はひどい疲労感に苛まれていた。幾ら駆け回ったところで意味などなかったという現実が、青年の疲労感を強めていた。空によって地上が食い散らかされた痕跡が見つかるばかりで、良い発見など微塵もない。静寂が耳に痛かった。喧騒のない街の光景が息苦しさを呼ぶ。友人の一人は恐らく炎に覆い尽されてしまった事だろう。そして、もう一人の友人は壊れてしまっている。空は残った星を落とし続け、崩落の一途だ。止める為の有効な手立てなど、思いつく筈もない。青年は諦めていた。このまま白に沈んでしまえば、煩わしさから解放される事だろう。寧ろ、皆と同時に消え失せられなかった事実が悲劇だった。青年は、考えるともなしにそのように思い始めていた。

 こうしている間にも空が崩れ落ちて、その影響を受ける場所が出るはずだ。しかし、青年は立ち上がる気にもなれはしなかった。今更どうしろというのだろう。漏れ出たのは、溜息だった。

 せめて、あのよく微笑む友人が傍らにいたのなら、きっと知恵を貸してくれた事だろう。

 もしくは、あの器用な友人が正気でいたのなら、何らかの術を編み出してくれたかもしれない。あるいは――。


「――――……!」


 青年は弾かれたように立ち上がった。

 思わず振り払った白い手。その光景が脳裏を過ぎる。降り積もった雪を踏み締めて、青年は再び走り出した。平原に取り残した友人は、どうなったのだろうか。大丈夫だろうと楽観視する気持ちと大丈夫でいて欲しいという願いが鼓動を早めて来る。古びた木製の扉を乱暴に開いた青年は草原を駆け抜けた。斑に色を変える空のもと、吹き荒れる風が背後へと流れていく。

 遠くで雷鳴が轟く音がする。青年は友人の名前を、怒鳴るような勢いで放った。獣が空に咆哮を捧げるかの如く繰り返す。暫く駆けて見えてきたのは、長い黒衣を纏う姿だった。風に揺れるその髪は、他の友人達とは全く違う落ち着いた色合いを抱えている。漆黒の髪を揺らして振り返った友人が、少し驚いた表情を浮かべるまでを眺めてから青年は足を止めた。

 戻って来ないと思っていたのだろう。

 時には雷を響かせ、時には斜陽を溶かし落とし、時には風を荒らして、時には雪を散らして、時には夜を覗かせて、時には雨を叩き付け、時には朝焼けの形相を呈して、様々な色合いを見せる空の方々を眺めていた黒髪の友人は困ったように眉を下げた。

 終焉を、崩落を、崩壊を、終幕を、見届けるつもりだったのだろう。たったひとりで――青年は、友人のすぐ傍まで駆け寄った。そして、先ほどとは逆にその右手首を捉える。


「――何を」


 何を、するつもりなのか。

 問い掛ける為の声が震えた。言葉が成り立たない。問いが成立しない。

 黒髪の友人は薄く微笑んで目を伏せた。空は崩壊の一途を辿り、秩序さえも失った姿を晒している。夜も昼もなく、不気味さだけが残る現象を抱えては放っていた。遠くで雷鳴が轟く。荒々しい風が一時的に和らいだ。

 青年の大きな手に細い手指が触れる。離すように促した左手に、青年は抗う事が出来なかった。ぐっと入った力が次第に抜けていく。引き留めた友人を、一度は振り払ったのだ。その罪悪感が青年の胸を埋めた。


「いいかい」



「よく聞いて」



「私は、」





「これから――――」














◇ ◆ ◇














 ヒューノットは、ひどく後悔した事があった。永遠にも等しい沈黙にも耐え、沈黙の選択を後悔しなかったというのに、だ。街を弔う沈黙を選んだ事への後悔ではない。嘆く空が世界を食い千切る中で平原に立っていた姿が思い浮かぶ。儚い光を纏った星の残滓を抱いた友人の手を離してしまった事を、今でも時々は後悔してしまう。安寧とはかけ離れた混沌に荒れた空のもと、微笑んだ友人の頬を、目元を、冷たい仮面が包み込む事を遮る選択が出来なかった。そのような後悔は、友人の決断を貶めるものであるように思えて自らの中に押し込めておく事しか出来ない。だが、後悔の色は決して消えはしなかった。

 腕の中で意識を失っているシュリュッセルを眺めていた青い瞳が持ち上がる。


「ツェーレを見失った」


 感情が溶け落ちにくい自分の声に、ヒューノットは今ほど安堵した事はなかった。

 相変わらず淡々とした調子で喉奥から声が出る。"今回の"傍観者は、予想外に隠された事実を拾い上げる時があった。それは好都合でもあり、そうではない場合もある。傍観者が選択肢を複雑にする度、ルートを外れていく事への危惧と共に期待を抱いている自分もいた。ヒューノット自身、それを自覚している。

 その結果として、今までの傍観者が躓いたポイントから大きく外れ、今までは辿り着く事すらなかった分岐点にも入り込みつつあった。

 淡い期待と微かな安堵。それが深い悔恨と苛立ちを生む事もある。


「レーツェルさんも、いなくなっちゃったよ」


 傍観者からの報告に対してヒューノットは頷きだけを返した。聞かずとも知っている話だ。あの女は、あちらにいる。それを示す為に見上げた先の天井には、既に亀裂などなくなっていた。あちら側から塞いだ訳ではない筈だ。ならば、やはりまだ境界は完全に失われている訳ではないのだろう。ヒューノットはそのように結論づけた。


「シュリは? 大丈夫なの?」


 不安そうな顔をしている傍観者の様子を見つめたヒューノットは、緩やかに首を横へと振る。意識がない以外に外傷はない。だが、それがつまり無事であるという結論には結び付けられない。このホール内に様々な場所からモノやヒトが落ちている事からも、状況の悪化を察する事は容易かった。

 シュリュッセルは境界の守り人だ。レーツェルが言い放ったように、呼び名をどう変化させたところで本質には変わりがない。翼を抱いた鍵の番人。星を引き留める為の門番。災厄を飲み込んだ世界の案内人――シュリュッセルが抱える役割を言い表す適切な表現がないだけの話だった。境界の緩みがこの建物内だけに留まっていたのなら、レーツェルによる侵略行為として考えられた筈だ。しかし、こうして他の者達まで巻き込まれたというのであれば、決してその程度の規模には留まっていない。

 ヒューノットは喉元まで込み上げた溜息を飲み込んだ。


 今度こそは守り切らなければならない。今度こそは、決して諦めてはならない。

 停滞を抱え込んだままループに貶められていた世界が、再び動き始めている。もう失敗する事は許されないだろう。


 ヒューノットは、もうひとりの友人が傍らに寄ってくる様子を見つめて目を細くする。





 もう二度と、失う訳にはいかなかった。

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