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傍観者 < プレイヤー >  作者: YoShiKa
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41/77

――2.沈黙者














「――お前は幸せか?」



 ヒューノットは、眼前の人物に問いかけた。

 緩やかに流れていく風に髪を揺らしたその人物は、数秒ばかり不思議そうに目を瞬かせたあとで微笑んだ。





「君のおかげでね」

















 来訪者を待ち続けるヒューノットは、沈黙を選択した上で静寂と共に過ごした。

 椅子に腰掛けたまま、傍らのランプが揺らめかせる室内の光景を眺めている。室内には変化などない。背の高いランプが照らし出すのは、何も置かれていない木製の床。そして、彼の傍らにある小さなテーブルだけだった。明かりの範疇にない部分には、ただ高い壁が静かに立っているに過ぎない。

 重たげな白い雪に覆われた街は静けさに包まれている。来訪者は未だなく、待ち人を告げる音は遠い。

 此処を訪れる人物は限られていた。ひとりは、幾人かの傍観者。彼らは二度と顔を見せない者も多い。名前を覚えるよりも先に別れが訪れる事もあった。ヒューノットはそんな彼らについて、忘却の手段を持ち得てはいなかった。そのように望んだ訳ではない。ただ、役割として喪失しているだけに過ぎない。そして、傍観者を連れた案内人。幾人の傍観者を連れてきても、案内人が述べる口上は大きな変化を見せはしなかった。歌うように、朗読するかのように、その唇は言葉を紡ぐ。


 そんな案内人は、時折は誰も連れないままにヒューノットのもとを訪ねる事がある。何をするでもなく立ち去る事もあれば、他愛のない話をして帰る事もあり、傍らに佇むだけの時間を作る事もあった。


 ――君は幸せかい。


 かつて問いを投げて来た声を思い出しながら、ヒューノットはフードの影で目を伏せた。陳腐で安っぽい問い掛けだ。無意味で無価値でくだらない。そのように吐き捨てた事もあった。この部屋に転がっているものは沈黙だけだ。看守のいない監獄にも等しい。沈黙の中で傍観者を待ち続けるヒューノットは、何を思うでもなかった。

 掲げた決め事の中から選択する傍観者達には責任というものがない。傷付く事もなければ失う事もなかった。彼らには日常がある。再び顔を見る者の方が稀だ。二度、三度。大体の場合において、四度目はない。戸惑う者もいれば、苛立つ者もいた。それらのすべてを、ヒューノットは知っている。

 選択の間違いはないと案内人は言う。しかし、ヒューノットはそのようには思えなかった。

 傍観者達は手を出す事もない。ただ見つめているだけの彼らが示した手指の先に従うよりほかに、選択肢というものがヒューノットにはなかった。選択肢を掲げる役割ごと、彼は選択に縛られている。

 傍観者が諦めた瞬間を、彼は幾度も見てきた。その度にこの部屋へと戻り、平原に佇む案内人を思うのだ。


 外は雪。白くて淡く、冷たく重い雪が街に沈黙を強いている。来訪者がない限り、扉が開かれる事すらない。流れるべき時間を失った街は、永遠の中で声を奪われたままになっている。高い天井を見上げたヒューノットは、冷たい空気で肺を満たしたあと、体温が僅かに溶け込んだ息を吐き出した。

 街と共に沈黙を選んだ事への後悔などない。目深に被ったフードの中から投げ出した視線は、表面に薄く無数の傷が走った床を見つめている。今度はどうなるのかと思う事すらなくなった。ヒューノットは期待する事を諦めたのだ。

 幾度、弟の名を叫ぶ兄の前でその弟を手に掛けた事か。幾度、異形と化した友の肉を裂いた事か。幾度、事切れた幼子を抱いた友が嘆く様子を見た事か。返して欲しいと嘆く声も、どうしてなのかと責める声も、耳の奥に残っている。いつの頃からか。ヒューノットは、自分が掲げる選択肢の中に正解がない事を知るようになった。

 我慢しなければならない。この世界では必要な事だと納得するべきだ。そうしなければ、更に失う事になってしまう――言い聞かせるようにして繰り返した言葉もそろそろ擦り切れ始めていた。もしもの時は、繰り返し続ける事を、選択肢の事を、放り出してしまうだろう。そうして案内人を責め立ててしまう可能性を、ヒューノットは何よりも危惧していた。

 案内人がどのような思いでこの世界に鍵を掛けたのか。それを知っているからこそ、ヒューノットは自分の中にある感情を認めたくなかった。吐き出した息が白く染まる。――直に傍観者が来るだろう。天を仰いだ彼のもと、案内人に抱えられた傍観者が降り立った。














◇  ◇  ◇














「――……返せ」


 暗闇の中から引っ手繰るようにして、乱暴にその身体を抱き寄せた。絡み付いていた暗闇が衣のように肌をなぞって引かれていく。遠くで金属の音がしたが、ヒューノットは頓着しなかった。払い除けた暗闇が掌を焼こうとも、その僅かな痛みに反応さえも示さない。そのまま、漆黒の布から引き剥がすようにして細い身体を闇色のベールから解放した。ヒューノットの腕に抱えられたシュリュッセルの身体は冷たく、まるで糸の切れた人形のように弛緩していて微かに漏れ出る呼吸は薄い。平時はその首から下がっている筈のモノも失われていた。


『"返せ"ですって? 傲慢な言い方をなさいますのね。あなたも、私からあの子を奪っておきながら――あなたも番人を詰ったのではありませんこと? ええ、仕方ありませんわ。だって、あまりにも酷い仕打ちをされましたもの。憤怒は当然でしてよ。心があれば、分かる事ですわ。ねえ、番人こそが報いを受けるべきではありませんこと? この世界は、番人のものではありませんわ。そうでしょう? 番人の傍らでナイトの真似事をしていても、番人はあなたの気持ちひとつ汲み取ってはくれないのでしょう? あなたがどれほど助けたいと願っても、友人ひとりさえもあの番人は冷酷に見捨てるように唆してしまうのでしょう? あなたの心を殺して、恐ろしい魔性ですわ。この世界を悪夢に突き落としたあの魔性こそを、罰するべき時が来ましたのよ。紛いものの救済などと戯言に唆されて、――――……挙句の果て。私達を引き裂いて、私とあの子を引き離して、……番人の犬として侍りたいのでしたら、それでも構いませんわ。あなたも同罪でしてよ、ヒューノット』


 責める声が暗闇の中から延々と響く中、ヒューノットは一点を睨みつけるように見据えた。

 声の主は姿を見せる事さえもなく、蠢く暗闇の中から出て来る気配もない。ヒューノットは危惧していた通り、自分の中に燻り続けていた火種が燃え上がる事を避けられなかった。ともすれば、重要であろう一手として残された傍観者を失う可能性のある重大なエラーさえ引き起こした。

 あまつさえ、ヒューノットは案内人を――シュリュッセルを責め立ててしまった。世界の定めから逸脱して、傍観者の制止さえも振り切った。理性を失った友が、大切な幼子を手に掛ける瞬間を見たくないが為に、そうなってしまう前に断ち切りたかった為だ。ヒューノットは歯噛みした。星に侵されたあの青年の命をこの手で奪うか、幼子の死によって正気を取り戻した彼が自ら命を絶つまで見守るか。幾度も繰り返した結末に、あの時とうとう耐え切れなくなった。友の肉が裂ける感触も、肌を濡らす飛沫の温度も覚えている。亡骸を弔う事すら出来はしない。死がひとつかふたつか。いずれにしても死に果てる友の運命に、どうして抗う事が出来ないのかとシュリュッセルに声を荒げた事を、ヒューノットは後悔していた。

 永遠にも等しい沈黙にも耐えられたというのに、そしてその選択を後悔しなかったというのに――報いを受けるべきは、誰か。それは、ヒューノットにとっては、何よりも明確だった。


「――違う」


 ヒューノットは否定を口にした。

 深い青を宿した双眸が鋭く一点を射抜くように視線を投げている。そこにいる相手を、彼は知っていた。反響して聞き取りづらい声の主を、彼はよく知っている。顔を見るまでもなかった。声の主は沈黙を返す。

 抱えたシュリュッセルの身体を離すまいとするように、ヒューノットは腕に力を込めた。


「違う」


 緩やかに首を振ったヒューノットは、横抱きにしたシュリュッセルの膝裏を左太腿に乗せ直した。その片脚を曲げたまま、右足で空中を踏み締める。そして、何もない虚空を軽く蹴り上げた。暗闇の中では、上も下もない。なければ、決めればいい。それだけの事だった。ぐるりと自身の上下を転じて暗闇に視線を巡らせる。

 右手でシュリュッセルの後頭部を抱え、自分の身体に寄せ直したヒューノットは遠くで響き渡る悲鳴に耳を貸そうとすらしない。


「殺したのは、――お前だ」


 暗く低い声で言葉を放ったヒューノットは、左腕を高く掲げて勢いよく振り下ろした。一瞬ばかりの沈黙によって全ての音が途切れる。直後、地割れじみた音が周囲を覆い尽くし、ワンテンポ遅れて暗闇が引き裂かれた。鋭い爪痕にも似た裂け目が出来た漆黒の向こう側に広がる景色に目を走らせ、ヒューノットは何もない空間を蹴って降下する。耳を劈くような悲鳴が木霊した。女の悲鳴に彼が眉を寄せたのは、罪悪感からではなかった。

 正統なる星の後継者。弟が大人になる前に理想の統治者として作り変えたかった姉の望みは、弟自身が拒絶した事によって潰えた。その結果、彼女は夥しい量の統治者の"成れの果て"を作り上げ、命のない人形として従えている。ヒューノットは、土色の木偶が何体揃ったところで興味などなかった。哀れな失敗作達が、代用品として命を持つ事などない。

 あなた達の所為で――泣き叫ぶ声が聞こえる中、爪痕の脇に着地したヒューノットは暗闇を見上げた。仰ぎ見たところで人の姿など浮かびはしない。


「――……いいや、違う。お前の責任だ。お前が決めて、お前がやった。生きようとした事を認めなかったのは、お前だ」


 誰の姿もない場所へ、ヒューノットは言葉を投げた。

 違う違う違う違うと半狂乱の声が響き渡る。否定と拒絶が織り交ざり、叫ぶ声はひどく荒々しく反響する。





『――あ な た 達が 連れ て さ え 来 な け れ ば 』


『――傍 観 者 さえ、い な け れば』


『――あなたが、あの時、手 を 離 さ なければ 』


『――せめて、あの 子 だ け でも』


『―― 失い た くな か っ た のに 』


『――あな た は、取 り 戻して く れ な かった』



『――どうして、どうして、どうし て 連 れ て 行 っ てし ま うの   』


『――あの子さえ い れ ば、 そ  れ で 良 か っ た のに 』




『――あなたが、私にあのような事さえ言わなければ』





 降り注ぐ声が重なっていく。

 嘆きながら責め続けるその声を受け止めたヒューノットは口の端を引き絞った。そして、短い息を吐く。






「……だが、お前が選んだ」








 たった一言だけを残したヒューノットは、シュリュッセルを抱えたまま暗闇の裂け目へと飛び込んだ。景色が開けた瞬間、全身を包んでいた声の塊から解放される。すすり泣く女に背を向ける事への罪悪感は、もうヒューノットの中には残ってはいなかった。

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