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傍観者 < プレイヤー >  作者: YoShiKa
■いつつめ 新規■

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27.咎の停滞






 媚びを売る女は嫌われるとか、天然を装う女は鬱陶しいとか、そういう類の話を聞くけれど。

 個人的には、どちらかというと、そういう人の方が楽だ。狙いが明確で回避しやすい。そもそも、そういう人は男の人が狙いだから、同性は眼中にないことが多い。そうでない場合は、大抵があれだ。私かわいいでしょ、というタイプ。まあ、偏見なんだけど。


 つまり、何が言いたいかと言うと、そういうタイプは別に苦手ではない。

 どちらかといえば、本心を見せない相手とか、思ってもいないことを口にする人とか、裏から手を回す人だとか、そんな感じの人の方が付き合えない。

 レーツェルさんは明らかに敵意を向けて来ているというわけではないけれど、少なくとも、私を見据えるその瞳は笑ってなんていない。

 浮かべている柔らかそうな表情に反して瞳の方はどこか、何というか、まるで不愉快さを訴えてくるようだ。

 笑っているのに、笑っていない。

 表情と目がチグハグで、隠せていない本心が肺を刺し貫いて来る感じがする。


「……う」


 こういう人は苦手だ。

 一体、私があなたに何をしたというんだ。

 顔を顰めなかった自信がない。

 ヒューノットに視線を向けようとしたタイミングで、先に動かれた。

 一歩を踏み出したのは、女の人――もといレーツェルさん。距離を詰められると、動けなくなる。

 蛇に睨まれた蛙って、こういう気分なのかもしれない。

 って。あれ。え、レーツェルさん? あのレーツェルさん?


「……あの、ツェーレくんは……」


 レーツェルといえば、確かツェーレくんのお姉ちゃんのはずだ。

 まさか、同じ名前の人物が同じ場所にはいないだろう。たぶん。

 ツェーレくんが呼びに行ったのは噴水の向こう、つまり奥。

 彼女が来たのは私達の背後。つまり、入り口側だ。

 ツェーレくんは、入れ違ったということなのだろうか。

 そもそも、ふたりは双子ではなかったのか。

 まさか、シュリの情報が間違っているわけではないだろう。一体、何が起こっているのか。

 考えようとしたけれど、眼前の違和感が消えないせいで気が散ってしまう。


「さあ、どこかしら」

「あなたを、呼びに行ったはずなんですけど……」


 祈りを捧げる人だと聞いていたから、穏やかな人かと勝手に思っていたけど。

 というか、ツェーレくんが懐っこいから、流れで似たような女の子を想像していたけど。

 そういえば、この人が例の人形を作った人だった。

 嫌な予感は何となく的中だ。第一印象がすべてではないけど、悪いにもほどがある。

 何となく苦手だと思っていたのは確かだし、先入観があったのかもしれないけど。

 それにしたって、もう既に会話が苦痛だ。


「申し訳ありませんが、どうか探して来てくださらない? 私、彼と少しお話がありますの。いいかしら?」


 いいですいいです。置いていきます。


「あ、うん、じゃあ、ヒューノット、またね」


 我ながら、いそいそと手を振ってしまった。

 この場を離れたがっていることを全く隠せていないけど、隠す必要があるかと聞かれたら、まあ、たぶん、ない、と思う。

 彼女は露骨な態度だし。私の方だけオブラートに包んでも意味がない。

 身体の向きを変えながらヒューノットを見ると、視線は向けられずに頷きだけを返された。

 了承、ということでいいのだろう。きっと。

 止めないのだから危険はない、とまでは判断することはできないけど。

 一応とばかりに会釈だけはしておいて、ふたりから離れた。

 完全に逃げだとわかっている上で、追い払われたという自覚もある。でも、耐えられない。

 噴水を迂回して、奥を目指す。花壇の間を抜けて少し歩けば、入ってきた時と同じように扉のない出入り口があった。そして、向こうには廊下が広がっている。

 ここは左右対称に出来上がっているらしい。

 これも、あのお姉ちゃんが作ったらしいけど、いやいや、今の私は混乱している。

 だって、シュリの情報と齟齬が出てきた。こんなこと、今までなかったのに。


「……」


 どうしよう。シュリを呼ぶべきだろうか。

 ちらりと背後を振り返ってみる。ふたりの姿は、木が遮って見えない。

 まあ、そもそも石像があって、こちら側からは見えないのだけど。あのふたりは、何を話すのだろう。

 いやいや、それよりも、まずはツェーレくんだ。

 廊下に出てはみたものの、真っ直ぐに続いているだけで他に部屋などはなさそうだ。

 ひとまず、絨毯を踏み締めて歩いていく。他に行く先もわからないのだから進むしかない。

 うわ。これじゃ、ヒューノットと同じだ。わからないのに行くしかないとか、判断するものじゃないな。


「……ん?」


 少し歩いていくと、廊下が急に向きを変えた。

 突き当たりから、左右にそれぞれ廊下が伸びている。

 右か、左か。単純な選択って、選びにくいんだよね。

 真ん中に立って迷っていると、何か音が聞こえて来た。

 最初は頭上。ええ、天井かよ。見上げてはみたけれど、別に何ともない。

 音は数秒程度で途切れた。

 右から左に行った、ような、気がする。けど、そんなのはあてにならない。

 どうしたものかと迷いはしたけど、まあ、いざとなったらシュリを呼べばいいかと思って左に行くことにした。

 角を曲がると、奥の方に扉が見えた。意外と近くて、ちょっと安心だ。延々と迷路だったら、どうしようかと思った。

 人形だか何だかが、壁に飾られているわけでもなくてシンプルな廊下だ。

 シンプルというか、普通はこうなんだけど。

 扉の前で足を止めた。耳を澄ませてみるけど、特に音はしない。

 迷ったけど、ひとまず扉をノックしてみた。返事はない。

 あんまり人の領域にズカズカ入りたいわけではないけど、行き先もないからドアノブに手を掛けてみる。


「……」


 扉は、施錠がされていなかった。これが無用心なのか、普通のことなのか。判断がつかない。

 あっさりと開いたことに少しの安堵と困惑を覚えながら、ゆっくりと扉を開いていく。

 扉からはあまり想像できなかったほど、室内は広い。書庫になっている。いや、書庫というのか、図書館というのか。そのあたり、少し戸惑う。部屋自体は、まるでホールのようだ。ちょっと小さな体育館とでもいうべきか。

 その壁一面が、天井まで書架に埋められている。これはあれだ。横スライドの長いハシゴがあるやつだ、とか思った。

 見渡す限り本。まるで本の森だ。分厚い本がぎっしりと棚に詰まっている。ここって、もしかして、壁は何かで埋めないといけない決まりとかあるのだろうか。

 広い部屋の床も本棚が並んでいて、奥に向かうためには書架の間を縫って歩かなければならないほどだ。

 もしも地震で倒れてきたら、室内にいる人すべて死ぬのではないかと思うレベルの過密さに圧倒される。


「……ツェーレくーん?」


 呼んでみた。やっぱり返事はない。

 ここには、いないのだろうか。引き返そうかとも思ったけど、ひとまず行けるところまで行くことにしよう。

 床には、やっぱり絨毯が敷き詰められている。防音対策ばっちりか。本でも落としたら、階下の人がキレるのかよ。

 本のタイトルを読んでみようかと思ったけど、当然のように知らない言語だった。

 日本語でもなければ、英語でもない。全くもって、知らない文字が並んでいる。

 かと思えば、中には知っている言葉もちらほらと混ざっていた。何だろうか。一体、何なのか。この本たちは何を示しているのだろう。こんなに本ばかりで空間を埋めている景色は、今まで見たことがない。

 書架の間をすり抜けて奥まで辿り着くと、そこには少し開けたスペースがあった。

 壁はもちろん、当然のように書架で隠されているが、そのちょっとしたスペースにはテーブルと椅子が置かれている。

 対面式。四人掛け。四角いテーブル。いきなり学校の図書館を彷彿とさせてきた。

 まあ、ここのテーブルはアンティークっぽい感じではあるけど。

 椅子はきちんとテーブルの下に押し込められていて、人がいた痕跡もない。途中で席を立ったという雰囲気ではなかった。

 ただ、椅子とは逆に、四角いテーブルの上には、一冊だけ本が取り残されている。

 深紅のハードカバー。辞書かと思ってしまうくらいには分厚い。こんなの読んでいられない。絶対に飽きる自信がある。ゲームや漫画ですら、積み上げて放置してしまう人間だ。一冊を読み切るまで気分が継続しないだろう。まあ、そもそも買わないとは思うけど。

 周囲を見回しても人の気配はなく、そもそも私以外に音を放つものがない。


「ツェーレくーん? お邪魔してまーす」


 一応、言っておいた。

 不審者ではないです。

 しかし、返事はなかった。屍かな。

 特にこれといった目的もなく、本当にただ、何となく、テーブル上の本を手に取ったときだった。


「――ヤヨイ?」


 どこからか声が聞こえてきた。

 もう一度、見回してみるけど、書架しか見えない。

 そもそも床に設置された本棚ですら、私の背丈を軽く越えるほどの高さだ。ヒューノットくらいか。

 だから、ちょっとくらい人が隠れていたところで、死角になってしまうには違いない。

 本をテーブル上に戻して、近くにある書架の後ろを覗き込んでみる。まあ、いないよね。


「ツェーレくん? ツェーレくんいるのー? ヤヨイだよー」


 迎えに来たよーとまでは言わなかった。

 不審者極まる。

 まあ、人の家――と呼んでいいのか。領域で、こうぶらぶらしている時点で若干不審者ではある気がしてきたけど。

 けど、家主――なのか。あれは。とにかく、レーツェルさんが言うから探しに来たわけだし、私は悪くない。よし、元気出た。

 もうひとつ、隣の書架裏を覗き込んでみる。


「ヤヨイ!」


 声が近くなって、慌てて振り返ると、そこにはツェーレくんが立っていた。

 立っては、いるんだけど。


「……え、ツェーレくん?」


 何か、背が伸びている。

 というか、成長しているというか。何だ。何だそれは。

 成長期にもほどがある。


「ヤヨイっ、久しぶりだねーっ」


 人懐っこい笑みを浮かべているのは、そのままだ。うん。かわいい。

 ただ、五歳かそこいらだった筈なのに、今はどう見ても十歳くらいだ。あれー。

 人違いか。でも、ツェーレくんだ。あれー。

 いや、待って。久しぶり?


「ええ、そんなに久しぶりかなぁ……?」


 そこまで離れていたとは思ってないけど。

 せいぜい、三十分くらいだろうか。もう少し掛かっていたかもしれない。けど、探していた時間を含めても一時間もないと思う。


「うん、久しぶりだよ。だって、前に会ったの、ぼくがうんと小さかった頃だもん」


 のんびりとした調子で笑うツェーレくんに、ちょっと混乱してきた。

 どういうことだ。

 何を言っているのか、わからない。

 目の前で無邪気に笑う男の子は、ツェーレくんのはずだ。はずでは、あるけど。ふわふわとした金の髪も、ぱっちりの赤い瞳も、顔立ちも、まあ、声だって、そう、ツェーレくんだ。なのに。

 これじゃ、まるで私が浦島太郎じゃないか。いや、逆か。太郎は年を取るほうか。いや、正しいのか。太郎が陸に上がったら、何百年も経ってたとかだったような気がする。って、いや、だから、そうではなくて。

 片手で右のこめかみを押さえた。落ち着け私。落ち着け。変なことが起こるのが、ここでは普通だ。

 慣れてはいけないけど、受け入れろ私。頑張れ私。できるできる。


「……」


 もしかして、この部屋に仕掛けがあるのだろうか。

 この部屋に入ったら、時間が進むとかそういう話なのだろうか。

 それとも、私が飛ばされちゃったのだろうか。こう、タイムトラベル的な。

 いや、もう、わけわかんない。そういうSF要素は私には早すぎる。きっと一生、旬は来ないと思う。

 タイムパラドックスとかパラレルワールドとか、ちょっとよくわかんないです。


「ヤヨイ?」


 不審がられた。

 そりゃそうだ。

 ツェーレくんからすれば、《《久しぶりに》》会った私がこんなに狼狽していたらおかしいだろう。

 でも、狼狽くらいさせて欲しい。本当は暴れたい。大人だから暴れないだけです。ヒューノットがいたら殴りたい。八つ当たりです。


「あー、えっとね、……お、お姉ちゃんが呼んでたよ」


 正確には、呼んでないけど。

 それどころか、むしろ、私は追い払われたけど。

 でも、探して来てって言われたし、合流していいはずだ。

 嘘では、ない。よし。


「え、あねうえが? どうかしたのかな……どこにいるの?」

「あー……噴水、の、ところかな……」


 他に呼び方が見つからない。

 あの場所は何と言えばいいのだろう。

 とにかく、ツェーレくんには伝わったようで、こくんと頷いてくれた。

 あー、うん。かわいい。


「あれ、ヒューノットは? 今日は来てないの?」

「え、あっ、ううん。ヒューノットもいっしょだよ」

「やっぱりっ! なかよしなんだねー」


 のんびりと笑う様子が、どうにもかわいい。

 差し出された手を握ると、ツェーレくんはエスコートするように歩き出した。

 おお、こんなのヒューノットにはされたことがない。せいぜい背中を押されるくらいだ。まあ、エスコートなんかされたら逃げるけども。そもそも、そんな紳士な動きはヒューノットに似合わないけど。

 似合うとしたら、ルーフさんかシュリだろうか。

 書架の間を通り抜けて書庫を後にすると、そのまま廊下に出た。やっぱり、特に変わり映えなど全くない。

 しかし、仲良しといえば。

 ツェーレくんは、お姉ちゃんと私が仲良くできると思っていたようだけど、かなり無理そうだ。

 それなら、まだヒューノットの方が、いや、嘘です。仲良しという感じではない。誰がって、あっちが。


「……」


 ツェーレくんは成長していて、私に久しぶりだと言った。

 あの中庭部屋から書庫部屋に行く間に、何かが起きたのだろうか。

 何かが起きたとしても、それが私の問題なのか、ツェーレくんの問題なのか。不明だ。


「ね、ヤヨイはあねうえのお人形は見た?」

「え? 人形?」


 何だろうか。それ。

 一瞬、壁一面を覆っていた人型を思い浮かべたが、馬鹿な、あれが人形なものか。

 プッペお嬢様の部屋には、確かフェルトの人形がたくさん並べられていたけど。石像を見る限り、そんな可愛らしいものだとは思えない。もしかして、ここにも、人形の部屋があるのだろうか。さっきの分かれ道を右に行ったら、その部屋だったとか。有り得そう。あんまり見たくない。


「ううん、見てないよ」


 私は、正直者である。


「あねうえのお人形、すごいんだよ。見せてもらったらいいよっ」


 まあ、うん。そうなるよね。丁重にお断りしたい。

 口の端がひくりと震えて強張った。

 今の私はどんな顔をしているのだろう。


「う、うん、そうだね……ツェーレくんは、お姉ちゃんが大好きなんだねー」


 我ながら、話題の切り替えが絶望的に下手だ。

 これじゃヒューノットと変わらない。いや、私に失礼だよ。シュリには及ばないにしても、ヒューノットよりは口が立つよ。


「だいすきだよ」


 前を向いていた顔が笑う。

 ゆっくりと私を見上げるその瞳は、とても真っ直ぐだ。

 本当に大好きなのだろう。しみじみとそう思わせてくる瞳だ。

 姉と弟で、こうも違うものなのだろうかと思ってしまって、ちょっと反省する。

 いくら双子といっても、ふたりはそれぞれ違う人間だ。重ねては失礼だろう。


「そっかあ」


 頷きを返しながら、繋いだ手に視線を落とす。

 そして、ふと気が付いた。

 あの時、シュリは、この子たちについて何と説明していたか。

 確か、分かりやすく言えば、双子だ――と、そう言っていなかったか。それなら最初からそう言えばいいのに、と思ったけど、もしかして、本当に"分かりやすく"言っただけなのかもしれない。

 さっき来たばかりの廊下を戻りながら、ツェーレくんの頭を眺める。

 シュリは何と言っていたか。ワケがわからない説明の中で、引っ掛かったのは何だったか。

 考えながら、開かれたままの入り口をくぐる。

 中庭の方だって、これといって変わった様子は見られない。

 花はそのままだし、木も葉が落ちたわけでもなければ、色が変わってもいない。木々の隙間から見える石像もそのままだ。

 そりゃ、そこまで細かくチェックはしなかったし、石像だって年単位で変わらないものだろうけど。

 あとはヒューノットたちがいるのかどうか、だ。

 もしも、私の方がタイムトラブルだかタイムトリップだかしていたら、あのふたりがいるはずがない。と思う。

 もう、一気に色々と起こり過ぎて、私の頭では追いつかない。というか、誰なら追いつくの。この展開。

 無意識のうちに、ツェーレくんの手を強く握ったときだ。


「――……やめにしないか」


 ヒューノットの声が聞こえてきて、思わず足を止める。

 ツェーレくんは不思議そうに見上げてきたが、一緒に止まってくれた。

 え。なになに、どういうこと。別れ話ですか。

 噴水の向こう側にいるだろうふたりは、大きな白い石像の陰になっていて、こちらからは様子が全く見えない。

 そうでなくとも、木々が邪魔をしている。何だよ、この立ち位置。


「まあ。そのような事を仰るだなんて、あなたらしくありませんわ。説得でもなさるおつもり?」


 本当にそうだ。全然ヒューノットらしくない。

 シュリならまだしも、ヒューノットはネゴシエイターなんて全く出来そうにもない。何でも物理で解決しそうだ。拳で語るタイプといえば聞こえはいいかもしれないが、どちらかというと野蛮なタイプだと思う。殴られたことはないけど。

 しかし、メインはそこではなかった。

 ツェーレくんの手を握り直しながら、そっと耳を傾ける。

 ここが静かな場所で幸いしたというべきか。噴水の小さな音だけでは、ふたりの会話を隠すことはできない。

 立ち聞きというか。こういうのは、本当はよくないんだろうけど。


「……やめるつもりはないという事か」

「ええ、やめませんわ。私は、私のやるべき事を、義務を果たすだけでしてよ。あなた方に咎められる謂れもありませんわ。御仁にも、そのようにお伝えくださいまし」


 あれ。思っていたような別れ話ではなさそうだ。

 いや、別にガチで別れ話だとは思っていないけど。まあ、良かった。痴情の縺れとかだったら、どうしようかとはちょっと思った。まあ、そうだったら少しは面白そうな気がしないでもなかったけど。

 少なくとも、そういうことに首を突っ込んでもろくなことがない。それだけは断言できる。

 ヒューノットがうまく解決できるとも思わないし、かといって私がうまく取り成せるとも思えないし、そもそも修羅場は子どもに見せたくない。そんな昼ドラ展開、誰も望んでない。しかも、主役はヒューノットだし。


「間違っている」


 ヒューノットの声が冷たく響いた。

 それは責めているようでもあり、突き放すようにも聞こえて、そして怒っているようにも悲しんでいるようにも聞こえる。不思議な感覚だ。


「間違っているですって?」


 レーシェルさんは、まるで笑うように声を弾ませた。

 楽しさや嬉しさが含まれていないことは、遠くから声を聞いているだけでもよく伝わる。

 それでも、彼女は笑みを浮かべているのだろう。


「可笑しなことを仰いますのね」


 声が届く。

 噴水から出る水音よりも、ずっとクリアに響き渡る。

 嘲るような、そんな声だ。


「あなたが、いいえ。あなた方が、私たちを断罪なさるおつもりかしら? 何を以って? 何の為に? あなた方が正しさを説くだなんて、ひどくおこがましいですわ。私たちの役割を、今一度、漸う考えてくださらない? "間違い続けている"あなた方に、そのような事を言われたくもありませんわ。――ねえ、ツェーレ」


 ツェーレくんが呼ばれて、肩を跳ね上げたのは私だった。

 うわ、気まずい。バレてる。最悪だ。逃げたい。帰りたい。しまった、出口はあっちじゃん。万事休す。

 そう思っている間に、するりと小さな手が抜けた。

 呼ばれたから、だろうか。花壇に挟まれた道を行くツェーレくんの姿は、ほどなくして木に遮られて見えなくなった。

 数秒ほど遅れて、私も後を追う。

 白いレンガを積み上げた花壇の脇を抜け、花壇の傍らに立ち並んだ木を迂回する。


「――……」


 たった数秒だ。

 息をひとつ飲む間。瞬きひとつの間。ひと呼吸。

 あの小さな手が触れていたのは、数秒前の出来事。だというのに。


「星を失った空は、星に侵された大地と同等。祈りも望みも、等しく無価値でしょう? この世界には、統率者が必要ですわ」


 ヒューノットの隣に立った私は、レーツェルさんにしなだれかかられたツェーレくんから目を逸らせなくなった。

 柔らかそうな金の髪。特徴的な赤い瞳。シンプルな白いシャツ。身長は、ヒューノットと同じか、少し低い程度。ちょっと目を離した隙に、十代の、後半くらいになっている。いや、わからない。少なくとも、もうツェーレくんは少年ではないように見えた。レーツェルさんと同じくらい、か。

 何が起きたのか、全く理解できない。あの小さなツェーレくんは、そこにはいなかった。可愛い男の子だったのに、半端ないイケメンになっている。待って待って、どうなっているの。


「自分たちの見つめるものだけが正しいだなんて、思わないで頂きたいものですわ。それは、あまりにも傲慢な考え方ではなくて? 咎の訴えは見逃して差し上げますけれど、仲良くしてくださらないのでしたら、こちらにも相応の考えというものがありますわ。ねえ? ツェーレ」

「はい、あねうえ」


 声も低くなっている。

 いや、まあ、それは当然か。

 ヒューノットは私を見ない。

 ただ、睨みつけるようにして、レーツェルさんを見据えている。

 正直に言うと、横から見るだけでもめっちゃ怖い。

 そして、レーツェルさんも全然負けていないのだから、こっちはこっちで怖い。

 ヒューノットは黙ったままで、もう何も言わない。ここで寡黙発動すんな。

 ふたりが何の会話をしていたのか。それは、いまいちわからない。統率者って何だ。間違い続けているって、どういう意味だ。

 でも、レーツェルさんがヒューノットに対して好意的ではないことだけはよく伝わった。


「――ヤヨイ」


 ツェーレくんが甘い声で呼んできた。

 私は思わず背を正す。どえらい美形に育ったものだ。もう全く近づける気がしない。さっきまで手を握っていたのに。


「ヤヨイも、――僕らが間違っていると思いますか」

「……え、えっ……えっ?」


 間違っているも何も。

 彼らが何をしようとしているのか、あるいは、してしまったのか。私はそれを知らない。

 レーツェルさんからの視線は相変わらず冷たくて鋭くて、笑っているのに笑ってはいない。

 彼女が私に肯定しか求めていないことは明白だ。

 けれど、何故だろう。ツェーレくんは違うように見える。


「――……ヤヨイ」


 甘い声が耳に触れる。

 やめてほしい。くすぐったい。

 ごくりと喉を鳴る。やめてくれ。妙に緊張してしまう。イケメンこわい。

 レーツェルさんから離れたツェーレくんが、私に手を伸ばしてきた。身体が強張っている私は、それに応じることもできなければ、拒絶することもできない。

 指の長い大きな手が、私の手を取った。


「僕らを知れば、きっとわかります」


 説得されているのか、これは。

 私は困惑して、頷くことさえもできない。

 包むように手を握られて、手首から先へと一気に熱が走って手指まで死んだ。手汗が半端ではない。自分で自分が気持ち悪い。

 固まっている私を見つめていたツェーレくんは、困ったように眉を下げた。目を伏せる様子すらも物憂げで綺麗だ。まるで作り物のように、まるで絵画から抜け出たかのように、整いすぎていて困惑する。

 ゆっくりと顔を近づけられて、緊張が増す。口から心臓が飛び出しかねない。

 ヒューノットもレーツェルさんも、何も言ってくれない。誰か止めてくれ。噴水の音さえも届かなくなってきた。

 するりと首筋に顔を寄せたツェーレくんは、耳元に唇を寄せてきた。淡い吐息が掛かって、もうだめだ。振り払いたい。逃げ出したい。ぐっと目を閉じる。眉間に皺が寄るのは、もうどうしようもなかった。恥ずかしいなんてものではない。


「――……聞いて、ヤヨイ」


 聞いてます。聞いてますから、やめて。

 彼の両手が、私の手を包むように捕まえていて離してくれない。



「目を開かないで。聞いて」




「僕らを知れば、きっと分かる」




「だから」







「逃げて」









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