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傍観者 < プレイヤー >  作者: YoShiKa
■いつつめ 新規■

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27/77

25.落下地点











 周囲を覆い尽くして私の身体さえも包み込むような、大量の声が降り注いだ。

 いくつも重なった声が紡ぎ続ける言葉たちは、まるで文字として流れていくような感覚でもあった。

 使い古された言い方だけど、本当に一瞬の出来事だった。

 それでいて、すごく長い時間だったようにも感じられる。

 つまりは、何が起きたのかわからなかった。


「――――……、……あ、ありがと……」


 無意識のうちに息を詰めていたらしい。

 ゆっくりと呼吸を再開させた。深呼吸をしても、まだ心臓がうるさいままだ。

 ヒューノットが引き戻してくれなければ、一体どうなっていたのか。

 いや、どうにもならなかったかもしれないけど、何だったのだろう。

 何だか、妙に怖かった。怖かったというか、あとから怖くなったというか。

 恐ろしさの元から引き離してくれただけでも、十分に守られたような気がする。

 ふたり揃って視線を向けた先で口を開いている扉の奥は、不気味なほどに暗い。

 遠くで微かに風の唸る音がしている。一応、黒い壁があるというわけではなさそうだ。

 だからといって、その事実が慰めになるはずもなく、そして安堵感に繋がるはずもない。

 逆に、不安要素が増したようで気が気ではない。

 ちらりとヒューノットを見れば、肩に触れていた両手がゆっくりと下ろされた。


「……行くのか、行かないのか」


 久し振りに選択肢を並べられたような気がした。

 会うか会わないかは聞かれたけど、あれはどちらかというと選択肢という感じではなかったし。何か嫌そうだったし。

 彼の声は相変わらず素っ気無いけれど、意味の分からない声の海から引き戻してくれたのは確かだ。

 案外、見捨てる気はないのかもしれない。いや、元々そこまで薄情だとは流石に思っていなかったけど。

 今回は私が沈黙を返しても、選択を急かされることはない。

 それは、ここから先がヒューノット自身も知らない未来だから、なのか。それとも、単純に時間的な余裕があるから、なのか。

 風の唸り声が聞こえるばかりで、僅かな光さえも注がない暗闇に飛び込む勇気はなかった。

 ただ、そこから先に行かなければならないのだろう。

 それはわかる。何となくではあるけれど。


「……?」


 真っ暗闇だと思っていた扉の内側で、一瞬だけ何かが瞬いたような気がした。

 錯覚か見間違えかと目を細めてみるけれど、この位置からではよくわからない。

 扉に近付いてみると、ヒューノットが「おい」と声を掛けてきた。待って待って。ちょっと待って。

 まだ選択はしないまま、扉の縁に指を引っ掛けて、ほんの少しだけ身を乗り出しながら中を覗き込んでみる。


「これって……」


 扉を隔てて広がっていたのは、暗闇ではない。星空だ。

 星の数自体は少なくて、とても満天の空だなんて言えはしない。よくよく見れば、空は澄んだ夜色をしている。黒よりも深い青に近い色合いだ。

 都会の明るい夜空でもなければ、プラネタリウムのような都合の良い星空でもない。かといって、写真のような素晴らしい星が飾る空というわけでもない。こんな空は、見たことがなかった。

 背後からヒューノットが近付いて来る。肩越しに振り返ると、ちょうど私の首の後ろあたりに手を伸ばしているところだった。

 って、何する気だ。


「行くのか」

「待って待って、まだ迷ってるんだけど……」

「まだか」

「も、もうちょい……」


 ヒューノットは、相変わらずヒューノットだった。

 心の準備くらいさせて欲しい。もしかして、後ろから突き落とそうとしたのだろうか。何だこいつ、油断も隙もない。

 さっき言ってしまった「ありがとう」を返して欲しい。

 思わず、扉の枠にしがみついてしまった。


「……これって空かな?」

「見れば分かる」


 そうですね。

 って、いや、だから、そうではなくて。


「ええと……ヒューノットは、あっちがどこなのかは知ってるの?」

「知るはずがない」


 ヒューノットの答えは素早く、そしてシンプルなものだ。

 その青い瞳が扉を見る。正確には、その向こうへと視線を投げた。

 釣られて、私も向こう側を見るけれど、建物があるわけでも地面が見えるわけでもない。

 まるで空の一角に扉を開いてしまったかのように、点々と星が瞬く光景が広がっている。


「だが、わかる」


 視線を私に戻したヒューノットは、特に変化のない仏頂面だ。

 知らない。それでもわかる。何だそれは。なぞなぞか。ヒューノットまで、シュリみたいなことを言わないで欲しい。

 一体、何を言っているのか。

 問おうとした瞬間、ヒューノットは軽い足取りで扉を跨いだ。

 そして、そのまま落ち――


「――えっ!?」


 落ちなかった。

 何もなさそうな空間に、当然のように存在している。黒い外套を揺らめかせて、そこに立っていた。

 一体、何がどうなっているのか。

 理解が追いつかない私のことなど構う様子もないヒューノットの腕を、慌てて掴んだ。


「待って待って待って、どうなってるのそれ。どういうことっ!」


 お願いだから説明して欲しい。

 面倒臭そうに振り返ったヒューノットは、笑うかのように微かに鼻を鳴らした。

 いや、お前、今、私のことを鼻で笑ったろ。


「どこなのか――それは知るはずがない。俺も見たことがない」


 いきなり簡潔に説明されてしまった。

 それはそれで、私の方が困惑だ。


「だが、わかると言った――こちらは"続き"だ。なら、進むべきだろ」


 ヒューノットはそれだけ言い切ると、再び前を向いた。

 私が腕を掴んでいるからか。辛うじて立ち止まっているという印象だ。

 つまり、さっきの問い掛けは、私がどうするのかというだけの話だったというわけか。

 彼にどうさせるのか、ではなくて、私が彼の行動に対してどうするのか。

 ついてくるのか来ないのか。それだけの話だったのかもしれない。

 なるほど。ちょっと納得した。

 確かにシュリは、ヒューノットが選択肢から解放された、いや、されつつある、とか言っていた。

 もっと言えば、私が解放しようとしているみたいな言い方だったけど。流石に語弊があるとしか言いようがない。


「――おい。行くのか、行かないのか」

「行く行くっ、行きますっ! 行くから、ちょっと待ってよっ」

「待てなのか行くのか、どっちなんだ」


 自分の答えが決まっているのなら、来るか来ないかって聞けよ。わかりにくいんだよ。

 ヒューノットの腕を支えにしながら、同じように扉を跨いでみた。

 嘘だ。同じように跨げる筈がない。だって、状況的には飛び降り自殺みたいなものだよ。

 そーっと脚を伸ばして、探り探りに窺ってみる。何も見えないけれど、床のようなものがあることが感触でわかった。

 私は基本的に忘れっぽいし、うっかりすることも結構あるけど、いらない時にいらないことを思い出すことはよくある。



 ――君が落ちそうになったのは、引き裂かれた世界の一部だ。もしも落ちてしまったら、もう戻る事が出来ないかもしれない。私の手から離れてしまった後では、もう私の力は及ばないのだからね。だから、――気をつけて。君はもう、選択肢の向こう側に立ちつつあるのだから。



 落ちてしまったら。引き裂かれた世界の一部に落ちてしまったら。

 シュリに助けてもらえなくなる。つまり、きっとやり直しができないという意味だ。

 このタイミングで思い出す話ではなかった。

 脳みそはつくづく不便だ。

 そりゃ、ここがシュリの言っていた世界の割れ目だということが確定したわけではないし、その時はユーベルが引き裂いたわけだし、今はそうではないし。と、言い訳ならどんどん作ることができる。

 ヒューノットが思いっきり舌打ちをしたタイミングで腹を括ることにした。

 ていうか、舌打ちするなよ。


「よしっ!」


 残していた片足も扉をまたがせて、ヒューノットの後ろに立ってみる。

 もちろん、掴んだ腕はそのままだ。確かに足裏には何か、硬い感触がある。床とは言えない。だって見えないから。


「気が済んだか?」

「遊んでたわけじゃないよ!?」

「満足したなら行くぞ」


 聞いちゃいねえ。

 まだ怖くて腕を離せない私のことなんて、全くもってこれっぽっちも気にした様子もない。

 歩き出したヒューノットは、まるで階段を降りるようにして少しずつ頭の位置を下げていく。

 ちょっとずつ低くなっていく中、腕を離せないまま中腰になったあたりで、渋々ながら動きを真似してついていくことにした。

 腕は離してやらない。落ちる時は道連れだ。死なば諸共。

 足音もなく降りる先に広がるのは、やはり疎らな星がちらつく空だ。これを空と呼んで正しいのかはわからないけど。

 ヒューノットには何か見えているのだろうか。その足取りには迷いがない。


「あのさ、えっと、……どこに行くの?」

「知らん」


 おっと、目的なしだった。馬鹿なのか?

 迷いがないのは、馬鹿だからなのか? 何かこれ、グラオさん達の時も思ったな。ヒューノットは馬鹿だ。

 馬鹿というか、何だろう。迷いがない。見たことがない、知るはずもないと言いながら、進むべきだと言い切るくらいだ。

 そこには躊躇とか迷いとか戸惑いとか、そういったものがないように思える。

 まあ、それを無鉄砲な馬鹿だと言い切ることもできそうではあるけれど。


「ねえ、ヒューノット――」


 どこを踏めばいいのかもわからないまま、恐る恐るヒューノットが踏んだと思わしき部分に足を置いて進む。

 足跡が残るわけではないから、そのうち踏み外しそうで怖い。

 そう思いながら話しかけた時だった。



 ――ようこそ、傍観者プレイヤー



 耳に馴染んだ声が聞こえて来て、慌てて後ろを振り返った。

 しかし、そこには何もない。そもそも、誰かがいる様子もなかった。

 不可解さだけが残るけれど、仕方がない。

 前を向くと、既にヒューノットはいなかった。

 いやいや、違う。もう随分と下に降りているだけだ。ちょっとくらい待ってくれてもいいのに。


「ヒューノット!」

「何だ」

「今、シュリの声が聞こえたんだけど!」


 距離が開いた所為で、どこを踏めばいいのかわからない。

 というか、こんな何もない場所を、どうして階段のように降りているのか。

 足先で確認してはみるけれど、そもそも自分が今いる場所でさえも浮いているような状態だ。

 まあ、足裏には硬い感触があるんだけど。これが何なのか。全然、わからない。


「俺は知らん」


 知らんじゃなくて。

 止まってくれよと思いながら、頑張って何段か降りたところでまた聞こえた。

 今度は声というか、言葉なのかどうかも不明だ。

 もう一度振り返ってみるものの、何もない。

 前を見ると、ヒューノットが私を振り返っていた。


「どんな声だ」

「え、だから、その、シュリの声」

「何を言っていた?」

「なに、何って、うーん……ようこそ、って」


 そうだ。

 あれは、最初に聞いた台詞だ。

 いや、最初にしか聞けない台詞という方が正しいのかもしれない。

 その後からは、おかえりと言われるから。

 ヒューノットは顔を顰めた。そして向き直ると、私のところまで再び登ってくる。

 それから、無遠慮に手首を握ってきた。わあ、強引。やばい。全然きゅんとしない。


「――それは本当にあいつの声か?」

「たぶん……?」


 改めて、そう言われると自信はなかった。

 ただ、あの台詞はシュリのものだし、シュリだろうなという感じがしたとしか言えない。

 曖昧な返事に眉を寄せたヒューノットは、私の腕をぐいっと引っ張って見えない空中を降り始めた。

 さっきから思っているけど、この人には階段というか何かが見えているのだろうか。迷いがないにも程がある。


「――あ」


 視界の端でちかちかと瞬いた星に視線を転じたときだった。

 溢れるように声が落ちて来る。

 それはまるで、さっき声の海に晒された時のような感じにも近い。

 ただ、違うのは。


「……ヒューノット」

「何だ」

「シュリの声がする」


 すべてがすべて、シュリの声だということだ。

 よくよく耳を澄まさなければ、何を言っているのかは聞き取れない。

 ヒューノットに連れられて降りていく中、それでも声は背中を追いかけて来る。

 何を言っているのか。

 一体、何が言いたいのか。

 でもそれは、私に話しかけているというよりも、どこか遠くの会話が漏れ聞こえているような感じだ。

 肩越しに振り返ったヒューノットが、眉間の皺を深くしている。怖いよ、その顔。


「……本当にあいつの声か」

「たぶん……」


 再び曖昧な頷きと共に言葉を返したときだ。

 ちょうど通り過ぎた空の壁が揺らいだ。そちらに視線を向ければ、シュリの姿が見えて、ビクッと肩が震えて腕が強張る。薄らと浮かび上がったその形は、やっぱり知っている姿だ。

 私の動きに気が付いたヒューノットも視線を向けている。

 そうすれば、やっと彼にも伝わったらしい。だが、降りていく動きは止まらない。


「ヒューノット……」

「何だ」

「あれって」

「……あいつだ。幻影だろ」


 幻影。

 さっきの画廊のように、今までのリプレイなのだろうか。

 オープニングやエンディングを、あとから確認できるように。

 イベント内容を繰り返しているとでもいうのだろうか。



 ――やあ、傍観者プレイヤー



 まるで幻のように、薄く透き通った姿のシュリが言う。

 話しているだろう相手の姿は見えていない。けれど、その顔はこちらを向きはしない。



 ――どうやら、君の選択は間違っていたようだ。



 幻影のシュリは、口許に笑みを浮かべて言う。

 まるで事も無げに、小さな悪戯を見つけたかのように、さほど重要ではないことのように、だ。

 《《間違っていた》》。

 シュリはそう言い切った。

 本当に、そんな言葉を口にするのだろうか。

 選択肢はすべて、傍観者に委ねられていると言っていたのに。

 私が――傍観者が、選択肢から選んだことには正解も不正解もないと言っていた、はずだ。

 あんなにも否定するように言い切るシュリを、私は知らない。



 ――なに、大した事ではないさ。気に病む事でもない。喪失は創造の原点さ。誤りを正すには、正しい選択を繰り返すしかない。創造とは、そういうものだ。さあ、行ってくれ、傍観者。君は、まだ見ていないものを見るといい。それが正しいかどうかは、君の選択次第だがね。



 肩を竦めたシュリは、やがて腕を軽く広げた。

 芝居がかった様子で誰かを送り出している。誰か、誰か――傍観者。そうだ、私ではない傍観者プレイヤーだ。


「――あ……」


 幻影のシュリは誰かを見送った後、片手を仮面に当てた。

 外すのかと思ったが、そうではない。そのまま俯いて、深い溜息をついている。

 そんなシュリの姿は見たことがなかった。

 顔を前に向けると、ヒューノットも宙に浮かぶ幻影を眺めている。

 片手で顔を覆って俯いているシュリは、泣いているようにも見えた。

 誰かはわからない。何度目なのかもわからない。ただ、その傍観者の誰かに対して、シュリは諦めてしまったのかもしれない。

 私には、そう感じられた。


「――ヤヨイ」


 シュリの幻影がきらきらと星のように散っていく中、ヒューノットに呼ばれた。

 何だ珍しい。何事か。そう思いながら前を見るものの、視線は合わない。

 彼は、霧散して消えていくシュリを眺めていた。


「あいつを責めるなよ」

「……え?」

「何があっても、あいつを責めてくれるな」


 完全にその姿を失った幻影は、薄い光として僅かばかり空間に残っている。

 それも、やがて少しずつ薄れて消えなくなっていく。

 ヒューノットからの意外な言葉に、私は目を丸くした。

 そういうことを言い出したという事実にも驚いたけれど、その言葉には聞き覚えがあった。

 シュリも、同じように言っていたからだ。ヒューノットを責めないで欲しいと。


 ――君は、どうか彼を責めないで欲しい。どうか、責めずにいてくれ。


 エラーを見過ごす訳にはいかないと、寂しそうに笑ったシュリの声が脳裏によみがえる。

 シュリはヒューノットを制止しなければならない。

 だから、なのか。どうなのかは、わからない。ただ、責めないで欲しいと、確かに言っていた。

 どうして、似たようなことをヒューノットも言うのだろう。


「何があっても……?」


 思わず問い返すと、ヒューノットは前を向いたままで頷いた。

 何が、あっても。何があるというのだろうか。

 少し不安になり始めたところで、ヒューノットが足を止める。

 当然、私も釣られて足を止めた。

 どうかしたのかと問う前に、ぱっと手首が解放された。かと思えば、急に腰を抱き寄せられた。

 セクハラだ。


「行くぞ」

「――ちょ、ま、あぁあああッ」


 行くぞとか軽々しく言われた直後には、ヒューノットに連れられる形で一気に飛び降りた。

 元々足元に何も見えていないのだから、飛び降りたというのも正しいのかどうかわからない。死なば諸共とは思ったけど、こうもストレートにやられるとかそんな覚悟はなかった。

 情けない声を上げてしまった私は、自分の手で口を塞ぐ程度で精一杯だ。舌を噛みそう。

 真下から吹き付けてくる風が、髪や服を激しく揺らして来る。落下の感覚には慣れられそうにもない。

 ものの数秒で、急にトンネルから抜けたかのように星空の空間が途切れた。

 腰を抱く腕に力が入る。ヒューノットとがっつり密着状態だけど、そんなことを気にしている場合ではない。

 慌てて横から抱きついてみるけど、真っ白の空間はどこまで続いているのかわからない。

 こいつこれで何も考えてなかったら、本当に一回くらい殴りたい。

 頭上に視線を上げると、遠くにぽっかりと開いた穴が見えた。あれが、たぶん、さっきまでいた空だったのだろう。

 轟々と鳴り響く風の音で耳が痛い。こんなに煩い風は聞いたことがない。目を開いていられなくなってきて、ぎゅうっと強く目を閉じる。もうこうなったら、目を開いていようが何していようが一緒だ。見えていたところで動けないんだから。せいぜいヒューノットの腕が離れないように祈るしかない。祈るしかない、けど、これ着地とかどうするんだろうか。

 そんなことを考えていた時だった。ぐるりと身体が回転する。そう表現していいのか。少なくとも、体勢が変わった。

 ヒューノットに抱えられているようだ、と。頭の中に残っている意外と冷静な部分で認識する。したところで、どうしようもない。

 横抱きにされたまま、ガンッと激しい衝撃に揺さぶられた。あわててヒューノットに顔を寄せる。どこだこれ。胸板かな。

 細かくも激しい振動が更に続き、滑り降りているのだろうと推測できた。


「――――へっ?」


 二度目の着地。斜面が終わったらしいと気が付いた瞬間に放り出され、私は地面に転がった。地味に痛い。

 何度かごろんごろんと大きく転がったあと、勢いが弱まって止まった。頭がぐるぐると回る。目を開いても世界が回っていた。

 お姫様ではないにしても、こんな扱いはあんまりだ。

 うつ伏せのまま暫く黙っていたけど、痛みが落ち着いてきたら腹が立ってきた。

 ガバッと顔を上げて両腕で上半身を持ち上げると、ヒューノットは片足でブレーキを掛けたらしい体勢のままでこっちを見ていた。


「なんで投げるかなっ!?」

「着地が終わったからだ」

「はぁあっ!?」


 そりゃずっと抱えていて欲しいわけではなかったけど、それにしてもあんまりだ。

 ちょっとムカムカしながら、膝を付いて立ち上がる。雪のせいで服が大変な状態になっていた。髪に触れると、お察しの有様だ。最悪。ただ幸いに、というべきか。不思議と、というべきか。ケガはしていない。擦り剥いていたら、痛そうだと思ったけど。

 服と髪についた雪を払いながら、周囲を見回してみた。

 転がった時は最初にシュリと会った草原かと思ったけど、そうではなさそうだ。

 見渡す限りは一面が雪。森だか林だかに囲まれている。見上げると、普通の空が広がっていた。


「……どこだろ……」


 まあ、私の知らない場所には違いないけど。

 とにかく、ヒューノットに聞くのはやめた。無駄すぎる。

 当てもなく歩くには、森とか危険すぎる気がするんだけど。

 どうしたものかと周囲を見回して、最終的にヒューノットを見てしまった。

 手を払っていたヒューノットは、視線に気が付いて顔を向けてきた。あれ、珍しい。

 ただ、微妙に視線がずれている。

 何を見ているのかと思って、その視線を追いかけてみると、森の近くに誰かがいる。

 よくよく目を凝らしてみると、子どものような姿だ。

 小走りに駆けていっては、何かを拾っている。

 再びヒューノットを見ると、すごい顔をしていた。微笑ましく子どもを見る目ではない。怖すぎる。


「あの子に話しかけてもいい?」

「……」

「あのー」

「……勝手にしろ」


 そりゃまあ、勝手にはしますけども。

 苛々を絵に描いたような顔で腕組みをして立っているヒューノットの威圧感が半端ではない。

 背は高いしガタイはいいし目つきは悪いし、で、とにかく怖すぎる。

 そーっと背を向けて、子どものいる方へと歩き出した。

 近付いていくと、金髪の、何だか身なりの良い男の子だ。

 何かを拾って、空に掲げるように手を出している。そして、それの繰り返し。

 いったい何だろうかと思いながら近付いていく途中で、ふと気が付いた。

 きらきらとした銀色の光。距離を詰めれば詰めるほど、見覚えがある。


 あれは星だ。


 あの時、ゲルブさんが飲み込んだような。

 まるで、ルーフさんの瞳のような。


「――ツェーレ」


 はっと振り返ると、ヒューノットもついて来ていた。

 彼に呼ばれた男の子は、不思議そうな顔をしながら動きを止めている。

 数秒ほど私達を見つめたあとで、「ヒューノット!」と声を上げて駆け寄って来た。

 にこにこと嬉しそうな笑みをヒューノットに向けていて、こっちこそ不思議な気分になる。

 そしてそのまま、彼の脚に飛びついた。年齢は、たぶんプッペお嬢様と同じくらい。それか少し下か。それくらいに見える。けれど、こんなにも懐いているなんて、かなりの驚きだ。

 おい、君。そいつ、さっき私を何の容赦もなくぶん投げたんだぞ。


「ヒューノット、また来てくれたの?」

「ああ」

「その人は、だれ? ねえ、あなたはだれ? ぼくはツェーレだよっ」


 しかも、こっちにもめっちゃ懐っこい。

 確か、何だっけか。双子の弟だったか。それなら、お姉ちゃんも近くにいるのだろうか。


「私は、弥生っていうんだよ」

「やおい?」

「ヤーヨーイ」

「やよいっ!」


 名前が言えたくらいで、そんな嬉しそうにされたら照れてしまう。純粋さが目に眩しい。

 ヒューノットから離れたツェーレくんは、ぺこっと頭を下げてきた。





「ようこそっ、祈りの丘へ。すぐにごあんないしますっ」





 来てしまったらしい。

 一瞬にして後悔してしまった。


 ちらりとヒューノットを見ると、何ともいえない表情を浮かべている。

 もしかして、目的地不明のままで突っ走っていたのだろうか。


 歩き出したツェーレくんを追いかけながら、ふと思う。






 会いたくなさそうだったのは、誰だったのか。

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