23.明答――名答
ヒューノットが投げた選択肢を、私は選ぶことができなかった。
正直なところ、会いたくない。だってもう、何というか。あんなに精巧な人形を作っていて、そしてこの世界の人なのだと思ったら、もう絶対におかしい人だとしか考えられない。いや、そりゃ、ぬいぐるみに限れば、プッペお嬢様やルーフさんが変人だとは言わないけども。そういうことではなくて。
すいーっと視線を逸らしたら、ヒューノットから舌打ちが飛んできた。
え、ちょっと待って。舌打ちって。そこまでするか、普通。
さすがにちょっとイラッとして、もう一度視線を向けようとしたところでシュリが間に入って来た。元々の位置よりも、更にこっちへ近付いて来た感じだ。
「――ほら。急かないようにね、ヒューノット。急いては事を仕損じるというだろう? 石橋を叩いて渡れとは言わないけど、飛び越えた向こう側がもし崖だったとしたら意味がないじゃないか。熟す前の果実をもいでしまうのはあまりにも失礼だ。執筆中の原稿を盗み見るようなものだよ。人によっては失神ものさ」
何だか、大きな犬に"待て"をさせる飼い主に見えてきた。
もちろん、シュリが飼い主でヒューノットが大型犬だ。飼い犬というか、もう狂犬にしか思えないけど。
いや、何にしても、シュリの例えはよくわからない。制止しているんだな、ということだけは伝わる。ていうか、むしろ、それ以外はこれといって何も伝わって来ない。まあ、いつものことなんだけどさ。
いや、今回はちょっとわかる気がする。確かに石橋を頑張って叩いて、それでも信用できずに飛び越えた先が崖だったら無意味だ。いや、あれ。だったら、そもそも橋なんてかかってないな。わからん。
「あー、その、んー……その、さ。人形の人って、さ。やっぱり、会わないとだめな感じ?」
根拠なんてものはない。
ただ何となく、ものすごく苦手な感じがする。
別に会ってもいないし、見てもいないけど。ルーフさんから聞いた話からして、そもそも印象が悪い。
シュリは考える様子すらなく、「会いたくないのなら、会わなくても構わないよ」と答えた。
「ええ……」
それはそれで、ちょっとどうなの。って、思ってしまう程度には優柔不断だ。やれと言われたら出来るけど、どっちでもいいよって言われたら、できればやりたくない。やりたくないけど、しなかったら後で不利になるんじゃないかとか、そういう疑心暗鬼にもなってしまう。
「えっと、……人形の人って、どういう感じ?」
我ながら頭の悪そうな質問の仕方だ。
ヒューノットが鼻で笑ったような気がするけど、視界に入れていないから分からない。呆れて鼻を鳴らしただけかもしれない。まあ、うん。どっちにしてもムカつく。
「さて、……先の話によれば、贈り手と作り手が同一かどうかは明確ではないね。だから、贈り手が誰なのかは答える事ができない。しかし、人形の作り手は知っているとも。レーツェルとツェーレという姉弟さ。より正確に言うのなら、人形を作っているのは姉のレーツェルの方だけどね。しかし、姉弟はふたりでひとつ。彼らは互いに離れ合う事が出来ないのさ。重なり合う事も出来ないがね。それは仕方がない事さ。姉弟であったとしても、それぞれは別の命だ。別々の命で生まれ落ちた以上、ずれが生じる事は防ぎようがない」
「ふたりで、ひとつ?」
「そうさ。彼らはふたりでひとつ。互いに相手がいなければ、成立しない。彼らは互いに互いを必要としていて、補い合ってもいる。互いの不足を埋め合っていて、それでいて過剰を削ぎ落とし合っているのさ。同じ星のもとに生まれ落ちたというのに、始まりから違う位置に立っていてね。重なっているようでいて、実は隣り合っている。同一のようで正反対。傍らにいるようで前にいて、そして後ろにいる。そういう事だよ」
やっばい。
全然、全く、ちっとも、わからない。
私が眉を寄せると、シュリはまた小さく笑った。
「分かりやすく言えば、彼らは双子だよ」
初めからそう言え。
どのあたりで、それを察すれば良かったのか。ちっとも分からなかった。
もしかして、同じ星のもとに、というところだろうか。そんな謎解きみたいなことをしながら、シュリの言葉をずっと聴いてなんていられない。慣れて来たといえば、まあ、最初よりは慣れて来たけども。
「姉のレーツェルは祈りを捧げる者さ。星の為に祈り、人々の為に星へと祈る。偽りを許さず、真実を見つめる瞳は深海の色。弟のツェーレは星の雫を受け止める者さ。流れ落ちた星を受け取り、そして空へと返していく。祈りを背負った星は重くなってしまうからね。星の子を空に返す役割は、彼だけに可能な大切で重要なことでね――まあ、それも今は昔。ユーベル・フェアレーターが星を落とし始める前の話さ。星を奪われた世界が壊れ始めてしまったように、あの姉弟も歯車が狂ってしまった」
「……どういうこと?」
「ルーフからは、他に何も聞かなかったかい?」
「えーっと……」
いきなりの問い返しにびっくりしてしまった。
何だ。何だっけか。ルーフさんは何を言っていたっけか。
「ミイラになって生きていられる?」
あ、違う違う。
「あー、んー、あ。身代わりにもなるし、器にもなるっていう話だったような気がする」
ちょっと頼りない。
いや、もうちょっとどころではない。聞いたばかりの話だというのに、既に記憶があやふやすぎる。ポンコツか。
「えー、ちょっと待って。……何かね、プッペお嬢様が主になって、人形は身代わりにもなれるとか、そんな感じだったような……」
きちんと聞いていたつもりだったのに、ルーフさんから聞いた話が曖昧だ。
でも、それで正解な気がする。ヒューノットも一緒に聞いていたのに、フォローなしだ。何だよもう。
「それなら話が早いとも。レーツェルは、この世界に"統率者"を生み出そうとしている。それは星を落とす大罪人を裁く為でもあり、自分達の世界を元に戻す為でもあり、祈りを捧げて繋ぎ止めていた全てを守る為でもあってね。狂わせたのはユーベル・フェアレーターだが、もはや彼女はその事にすら無関係なほどに遠くなってしまっている。失われた影を得る為に、彼女は影の元となるモノを作り出そうとしているのさ。光を失った星空の暗がりに紛れ込ませて、本来であれば引き離すべきではない器と心を分かれさせて影を食らわせようとしている。……君はきっと、彼女のことを知れば知るほど嫌悪するに違いない。さっきも言った通り、会いたくないのなら会わなくても良いんだ。レーツェルは理想の統率者を求め続けている。我々は、その行為を咎める事は出来ても断じる事が出来なかった。あの姉弟を祈りの丘に閉じ込めたのは、この世界の判断だ」
シュリの話を聞きながら、首を傾げてしまった。
今までのシュリなら、事実としての言葉を並べるだけだったように思う。そりゃ、変な装飾が多いけど。変な例えも多いし、わかりにくいけど。そうではなくて。
説明の途中で私の感情について触れることなんて、今までなかったような気がする。それも、"嫌悪するに違いない"だなんて、断定的だ。
私がどんな選択をしても受け入れているような物言いが多かったのに、どういうことなんだろう。
思わず、ヒューノットを見た。
だってルーフさんも、レーツェルという人の話をする時に彼を見ていたからだ。そしてヒューノット自身、まるで話を聞きたがらないかのように、いきなり選択肢を差し出してきた。
そこまでわかっていて話を聞こうとしている私も、割と性格が悪いのかもしれないけど。
「……」
ヒューノットは相変わらず沈黙していて、言葉を口にする必要性を感じていないかのようだ。
確かに寡黙だとは言われたけど、シュリがいない場所での彼は今とはまた違う印象がある。いや、ルーフさんのときも似たような感じだったかな。寡黙だという印象とは、また違う感じ。
「ねえ、その、……祈りの丘っていうのは、どこにあるの」
閉じ込めたなんて言い方をされたら、ちょっとスルーできない。
何となく嫌な予感はしているけど、それでも閉じ込められなければならないほどに危ない人達なんだろうか。人達、というか。シュリの口振りからすれば、お姉さんの方がおかしいというか。何というか。
「祈りの丘は、星と祈りの為に存在していた場所の事さ。尤も、星々が空から引き剥がされてしまった今となっては、祈りの丘もその役割を過去に置き去りにしてしまったのだけどね。現在は底冷えの純白に彩られていて、ただ手を伸ばすだけでは届きようがない。そうだな、具体的な場所についてはヒューノットがよく知っているよ」
「えぇ……」
そんな。いきなりのシンプルすぎる丸投げは困る。
そーっと、ヒューノットに視線を向けてみた。
目が合うどころか、そもそもこちらに顔を向けてもいない。おまえー。
「無理に、ふたりと会う必要はないんだよ」
うだうだと躊躇っていたら、シュリが声を掛けてきた。
仮面のせいで表情は見えない。声はいつも通り、とても落ち着いている。
それなのに、何だか普段とは違うような気がした。何が違うのかは、聞かれても答えられない。何となく、だ。
「これは、そもそもルートにない話でね。君が新たな道を開いたものだから、零れるように溢れて来たのさ。本来であれば、知らないまま進むものだ。今まで触れた者がいない。そう、いないんだ。だから、私とヒューノットでさえも、その向こう側に何があるのか知らないのさ」
仮面の向こうにある表情は見えない。
ひょっとしたら、そこには顔なんてないのかもしれない。
シュリが勧めてこない理由は、何となく納得がいった。シュリは、案内人だ。その案内人ですら知らないという言葉が本当なのなら、案内することができない道を進めと言えるはずもない。まあ、シュリが案内人であることを前提にすれば、という話ではあるけど。
「ヤヨイ。答えというものは、常に簡単なことさ。何も難しく考える必要はない。勿論、進むべき道筋に困難が転がっている事は往々にしてよくある話ではあるけどね。それでも紐解いてしまえばシンプルなものだよ。派手に着飾る美女も脱がせば、ただの乙女さ。冷たく固めた無機質な甲冑達も、剥いでしまえば美丈夫かもしれない。外側に惑わされてはいけないよ。内側には、異なるものが隠れている事が多いのだからね。さて、――私達は、君にユーベル・フェアレーターを止めて欲しいのさ。もちろん、ヒューノットと一緒にね」
相変わらずの調子で言葉を紡いでいたシュリが、ゆっくりとヒューノットを振り返った。
ヒューノットは相変わらずで、特にこれといって表情や態度に変化はない。
少しだけ不機嫌そうな、いつも通りの様子だ。不機嫌そうな様子がいつも通りっていうのも、何かもう、どうなのって感じだけど。この人はそういう人なのだと思うしかない。
「それはわかるけど、……どうすればいいのやらって感じだよ」
本当にそう。正直、わからないことの方がずっと多い。
それはシュリの説明がわかりやすくないというのも、もちろんあるけど。それ以前に、こんがらがっている。何がどうなっているのか。聞きたいことが多すぎて、うまくまとめられない。
「迷った時は正攻法さ、ヤヨイ。私は今から、私がよく知る場所へ君達を案内しよう。しかし。既に扉は開かれている。この世界は、君が来た時よりもずっと大きく広がり始めていてね。私の知らない向こう側を、君が切り開く可能性だってある。私もヒューノットも君をサポートするさ。ただ、君には選択する自由があり、そして選択しないという自由だって勿論ある。すべては、君次第だという事さ」
シュリがゆっくりと腕を伸ばした。
その指先が、私を飛び越えた先を示す。肩越しに顔を向けて目で追えば、数歩先に薄らと光る扉が見えた。色は、青白い。もう一度、シュリに顔を向けると、その隣にはヒューノットが立っていた。
「ヤヨイ。あの館に、たくさんの絵が飾られていたのは見たかな?」
「うん、見たよ」
というか。あんなにガチャガチャ飾ってあって、目に入っていない方がおかしい。
肯定を返すと、シュリは小さく頷いた。
「絵画は素晴らしい表現方法だよ。一瞬を永遠に閉じ込める事が出来る。しかし、描かれた一瞬は決して刹那のものではないのだよ。あらゆる時間を取り込んでおきながら、それを一瞬の光景として眠らせるのさ。我々のひと瞬きと同じではない。微々たる変化がひと筆に宿っているなんて、ロマンがあるじゃないか。筆が重ねられた分だけの時間を積み重ねた上に永遠として一瞬が成り立つなんて、なかなか素敵な事だと思うんだけどね。彼はあまり肯定してくれないんだ」
彼、と言われてヒューノットを見た。
この人以外に候補がいないんだから、どうしようもない。
まあ、この場合は私もヒューノットと同じ立場だと思う。絵画の良さはいまいちわからないし、というか、単純に詳しくない。綺麗だなーとかは思うけど、技法がどうのとかそういう面は全くの素人で、シュリのように深く読み込んだり見入ったりもしたことがない。そこに、ロマンを感じたことだってない。
つまり、芸術とも美術とも無縁だ。
ヒューノットは肩を竦めてから、ツカツカと歩み寄って――いや、違う。完全に横を通り過ぎて扉へと向かっていく。もう全然、私にどうするのかなんて聞く気がない。選択肢から解放され切っちゃってんだろ、あいつ。
ヒューノットを見送っていると、シュリが私の隣に立った。
「彫刻にも言える事ではあるけど、未来も過去も閉じ込めておけるというのは永遠の贅沢だね。解き放つ瞬間を見られない事だけは残念だけどね。刹那と永遠は表裏一体、同一なようで異質なのさ。ひと瞬きの光景を永遠に残す為に有限の時間を削る事が唯一の方法というのも、なかなか洒落ているように思うんだけどね」
歩き出したシュリにつられて、私も扉へと向かう。
とりあえず、シュリがすごく絵画好きらしいというのはわかって来た。何だか、意外な一面を見せられた気分だ。
扉の前で立ち止まっていたヒューノットの隣でシュリが止まると、やっぱり私も足を止めてしまった。くそ、つられた。完全に誘われた。
「――ヤヨイ。物事は存外にシンプルだ。見てくれに騙されてはいけないよ。その奥にはきっと、無意味ではない価値が眠っている。一見して無駄なように思えるものも、見る角度を間違えているだけなのさ」
囁くように声が落ちた。
扉に向けていた視線を向けると、シュリは小さく頷いて扉に手を伸ばしていく。その手が軽く押せば、扉がゆっくりと開いた。音もなく、あちら側の光景が晒される。
「いってらっしゃい、ヤヨイ。――ヒューノット、彼女を頼んだよ」
シュリの声が一気に背後へと遠のいたのは、ヒューノットが私の背中を押したせいだった。
バランスを崩しかけながら、扉を超えて内側へと入り込む。
足元に広がっていたのは、真っ赤な絨毯。床の感触が分からないほど分厚いというのか、立派というのか。とにかく、私には無縁なくらいすごい絨毯だ、ということしかわからない。
後ろを振り返っても、もう扉はなかった。代わりに横を通り過ぎて行くヒューノットが見えた。
だから、お前。さっきから何してんだよ。
会うか会わないかの選択肢を無視したこととか、根に持ってるんじゃなかろうな!
とか思ったけど、言わない。保身は大切。
シュリの目的は不明だ。でも、まあ、いつものことでもある。
まるでお城のような大きくて広い廊下を歩くヒューノットを、後ろから追いかけた。




