21.過程――仮定
前を向いて後ろを向いて、そしてもう一度前を向く。
そうすれば、あっという間に景色が変わっている。この演出にも、そろそろ慣れて来た。いや、確かにびっくりはするんだけどね。
黄色い扉をくぐって、少し歩けば大きな洋館の姿と門が見えて来る。
あの時と同じように施錠もされていない門扉を開いて進み、特に何の障害もなく洋館へと辿り着いた。
扉を開きさえすれば、まあ、その先にはルーフさんがいるんだろう。いて、欲しい。切実に。
そうでなければ、報われない。誰がって、ヒューノットが、だ。
ちらりと隣を見るけれど、ヒューノットは相変わらずの態度で何の変化もない。
「入るか、入らないか」
隣から声がして、思わず見上げてしまった。
ヒューノットは扉を見たままで、私の事を気にしている様子なんて一切ない。
「……それ、聞く?」
初めて来た時にも聞かれたから、ついついそんな事を言ってしまった。
ヒューノットは前を向いたままで、面倒くさそうな態度で眉間に皺を寄せていく。
どうやら、彼にとって、とても面倒くさいことを聞いてしまったらしい。いや、まあ、そのまんまだ。
「あー、うん。えっと、入ろっか」
シュリの言葉からひとりで勘違いしていたけど、別に全く選択肢を提示して来ない訳ではないらしい。
それなら、あの勝手極まりない自由行動は一体何だったのかと聞きたいけど、怖いからやめておく。
進み出たヒューノットは、あの時と同じようにノッカーリングへと手を掛けて普通にノックした。
――開いた扉の向こう側には、誰も立っていなかった。
少しビクッとしてしまったけど、ヒューノットは特に何を言うでもなく、先に中へと入って行く。
お前、自由かよ。
「……」
まあ、うん。別にいいんだけどね。
ヒューノットの後ろを追いかけて歩いていく。
洋館の中はとても静かで、だからといって不気味という感じもしない。
もしかすると、プッペお嬢様はお昼寝中なのかもしれない。時間の流れがいまいち分からないけど。あれ。いや、あの時のルーフさんはユーベルだったかもしれないんだから、あれ自体が夢というかイレギュラーだったんだっけか。あれ。でも、プッペお嬢様は私が連れ回していたわけだし、偽者ではない筈だ。たぶん。何の確証もないけど。あれ。
「――――あの時は」
ぐるぐると考えていたところで、意識の中に声が入って来た。
他の誰でもない。ヒューノットの声だ。話し掛けられた事に驚いて、思わず勢いよく顔を上げてしまった。
ただ、前を歩いているヒューノットには気付かれていない。まあ、気付かれたとしても眉間に皺が寄るくらいの変化だろうけど。
「……すまなかった。軽率だったようだ」
しかも謝られた。
あの時っていうのは、きっと選択肢のあとでいなくなってしまった時の事だろう。
具体的なことを言ってくれない訳だけど、まあ、それでほぼ確定だと思う。
「……あー、ううん。いいよ、シュリが来てくれてたし……ヒューノットも、呼んだら来てくれたし」
そうだ。呼べば来てくれる。
でも、それはシュリに限定されていると勝手に思っていた。シュリ自身がそう言っていたからだ。呼べば、来ると。
ヒューノットからは何も言われていないし、そもそも彼とは大半の行動を共にしている。あの時のような状態なんて、殆どハプニングみたいなものだ。
私の言葉に対して歩みを緩めたヒューノットは、緩やかに息を吐いて肩を揺らした。
そうすれば、普通に歩いても追いついてしまう。隣に並んで見上げたヒューノットの表情は、やっぱり相変わらずだった。
「……でも、ヒューノットは、……」
ゆっくりと口を開く。
ついさっきまで普通に話せていたのに、いざ、それを聞こうとすると喉が狭くなっていくような感じがした。
「……どこに、行ってたの?」
隣に並んで歩いても、広い廊下では近くなりすぎない。
傍らにいても遠く感じるのは、ヒューノットの背が高いからだろうか。
何度も駆け回った廊下ではあるけど、何処にどの部屋があるのかなんて覚えていない。今、ヒューノットがどこを目指しているのかも、いまいち分からないままだ。
それでも、ヒューノットは歩みを止めはしない。
「――ルーフのところだ」
返って来た答えは特に驚きのあるものではなかった。
寧ろ、流れとしては妥当だろう。ただ、結果的にはルーフさんのところに辿り着くというのに、どうして先に走って行ってしまったのか、だけど。
ちらりと視線を向けて来たヒューノットは、また緩やかに息を吐き出した。
それはまるで、諦めているかのようだった。
「――殺す為に行った。お前達の異変に気が付いたのは、終わる前のことだ」
さらりと告げられてしまった真実に、ちょっと頭がくらりとした。
まあ、うん。何が終わる前なんですか、とかは聞かないけど。未遂で済んだという意味なら、色々セーフだ。
もしかして、私がプッペお嬢様を連れて行くと答えたから、だろうか。見せたくないとか、そういう気遣いというか、そんな感じだろうか。問い掛けても答えてくれそうにないけど、そう思っておく事にした。
何でもかんでも暴けば良いってものじゃない。
口は災いのもと。わざわざ後悔するのは好きじゃない。
「……俺も、お前には感謝している。――結果的には、だがな」
謝罪された上に感謝されたと驚いていたら、めっちや余計な一言がついて来た。
寡黙どころか、いちいち不要な一言あるというか。そういうのやめとこうぜ?という感じがする。
ひょっとしたら、こっちの方が素に近いのかもしれないけど、それならそれで、この人は結構な意地悪だと思う。
「――あ」
「あっ」
階段に差し掛かったところで、ちょうど降りて来る途中だったルーフさんを見つけた。
私が声を上げると、ルーフさんも驚いた様子で声を出した。そして、慌てて降りて来ると、私達の前に立ち直して深く頭を下げる。そこまでしなくてもいいです、と言いたい。
「折角お越しくださったのに、お迎えも出来ずに申し訳ありません」
「やっ、いやいやっ、いいんです、ホントにいいんです。押しかけちゃって、こっちこそすみません」
めっちゃ申し訳なさそうに肩を小さくしているものだから、何だか悪さを働いている気分だ。
隣の人は全然全くちっとも何もなく、めっちゃ平然としてますけどね。だからもう、お前ホントに何なの。
「あ、あーっ、プッペお嬢様のお昼寝ですっけ? でしたっけ?」
私の日本語が危うくなって来た。
でしたっけ。って、何だよ。お嬢様のシエスタタイムなんか聞いたこともない。
でも、どうやらドンピシャで当たりだったらしい。様子を見る為に部屋まで行ったとのことだ。
それなら、やっぱりあの時"寝かせに連れて行った"ルーフさんは、別人だったという認識で間違いないのだろうか。そっとヒューノットを見上げてみたけど、まあ、その時にいなかった人に分かる筈もない。
結局、真相は闇の中だ。シュリに聞けば分かるのかもしれないけど、たぶん、私が感じている事で正解なような気がする。確定されると怖さが増すから、寧ろ謎のままでいて欲しい。さすがの私だって、あんまりにもあんまりなことが続いたら、多少は学習する。
「……」
あれ。
顔を上げたルーフさんを見たとき、何だか違和感があった。
何だろう。すごく、大きな違和感だ。なのに、何だかよく分からない。
思わずまじまじとルーフさんを見つめてしまっていたら、めっちゃ申し訳なさそうにされてしまった。
いや、すみません。責めてないんです。
「あの……」
「やっ、いやいや、あー、すみません。何か、ルーフさん、イメチェンしたのかなぁって」
「え……?」
「いやっ、いやいや、いや、違うんです。何ていうか、ああ、もう、忘れて下さい」
帰りたい。
どうしてこうも、ぐだぐだになってしまうんだ。
完全に困惑気味のルーフさんを見ていられなくて、思いっきり顔を背けてヒューノットを見てしまった。
違う。別にヒューノットを見たからってどうしようもない。この人に助け舟とか期待してはいけない。
まあ、無事かどうかを確認しに来ただけだし、そろそろ帰ろうか。
「――ルーフ。話がある」
と、思ったのに。
ヒューノットが突然、ルーフさんを誘った。
私ばかり相手にしていたルーフさんは、突然のことにまたひとつ驚いた様子だ。
「こいつは置いておく」
しかも、置いていかれるらしい。
何だそれ。私はお邪魔虫ってか。
「でしたら、お待ちいただくご用意を……」
良かった。ルーフさんは構ってくれる。一応、だけど。
ヒューノットは何か言いたげだったが、それで良いらしく言葉を続けることはなかった。
いや、私が気を遣うわい。
「あーっ、えっと、その、私のことはお構いなく。あっ、洋館の中を散歩してもいいですか?」
我ながら室内で散歩って何だよという気もしたが、それ以外に暇を潰せる気がしなかった。
プッペお嬢様は寝ているらしいし、寝顔を覗きに行くにしても起こさない自信もない。
ルーフさんは少し困ったようだったけど、「もちろんです。お迎えに上がります」と頷いてくれた。
話が終わったら、呼びに来てくれる。という認識で正しいのだろうか。まあ、たぶん、そうだろう。
ひらひらと手を振り、早々にその場を後にした。ヒューノットがルーフさんに、どんな話をするのかは興味があったけど、いない方がいいらしいと分かった上でその場に長居するほど馬鹿ではない。というか、普通に怖い。誰がって、ヒューノットが。
主ではないとはいえ、主代理であるプッペお嬢様の保護者から許可は得たのだから堂々と館の中を歩き回れる。
この館は、ぬいぐるみ一色かといえば、そうでもない。最初に通された応接間然り、絵画もたくさん飾られている。プッペお嬢様の趣味ではないような気がするのは、羊毛フェルトの人形達と違って、何も説明されなかったからだ。かといって、さすがにルーフさんではないだろうから、消去法でプッペママあたりだろうか。
廊下にも、大小さまざまな絵画が並べられている。見たことがあるようなものは少ないけど、知っているものもないでもない。まあ、そういうのに詳しくない所為で説明とかはできないんだけど。誰に説明するんだって話でもあるけど。
「――――あ」
思い出した。
たくさんある絵画の中で、ひとつだけ見つけたものがあったんだ。
踵を返して応接間へと向かう。途中、当然ながら階段の前を通りかかったけど、ふたりの姿はなかった。
廊下を進んで、ひとつ扉を開く。間違えた。もうひとつ、扉を開く。ここだ。
中に入れば、ソファセットが置いてある。そして、壁にはやっぱり絵が掛けられていた。花の絵に何かの建物の絵、森の絵、湖の絵、そして夕空の絵に時計の絵。この部屋ひとつ取っても、やっぱり統一感はない。
ここにあった筈だとひとつずつ眺めていくけど、どうしてだか見つからない。いや、絶対にあった。ここに。あったはず。
ひとつだけ、人が描かれていた絵があった。小さな女の子と、それを抱いている女性。女の子は甘えるように頭を寄せていて、女性はそれを見つめ返している。親子のような、そんな感じの――
「――……ない」
たったひとつだけ、人物が描かれていた絵があったと思わしき場所は、何も掛けられていなかった。ただ、整然と並んでいる絵の列に、ぽっかりと穴が空いているかのような不自然な空間がある。だからといって、何かが掛けられていた痕跡が残っている訳じゃない。
もう一度見れば、プッペお嬢様のお母様がどんな人なのか、分かるかと思ったのに。
もしかして、と思っていたから、できれば何とかして否定材料が欲しかったのに。思わず、肩を落としてしまった。
でも、逆にあの絵だけなくなっているのなら、それは寧ろ証拠になりそうな気がしていた。
しまった、写真のひとつでも撮っておけば良かった。せっかくわざわざ持ち込んだのに、全然意味がない。
壁に触れてみるけど、日焼けの痕すらない。そこに何かがあったなんて、それこそ思い込みのような気がして来る。
諦めてテーブルの方へと向き直った。当たり前だけど、何も置かれてはいない。
室内は綺麗に整頓されていて、言ってみるとモデルルームみたいな、生活感ゼロってこういうことを言うんだな、という感じ。
目的を失った私は応接間を後にして、例の部屋へと向かった。
途中でもう一度、階段の前を通りかかる。見上げた先、大きく広い階段から覗ける範囲で二階部分を眺めるけど、廊下に誰かがいる様子はない。
「……」
あの時。
最初に、プッペお嬢様の選択肢を選んだ時。
どうして、ヒューノットは"置いて行く"のかどうかを確かめようとしたんだろう。
不意に思い出して、無意識のうちに足を止めた。
"何故、置いて来た"のか。私の答えは、待っててもらっている、というものだった。
ヒューノットがそれに対してどう思ったのか。私には、読み取れない。
何がよくて、何がだめだったのだろう。
考えても答えが出ず、結局は歩みを再開した。
シュリに聞けば分かるのかもしれない。でも、それは何となく違うような気もする。
階段を通り過ぎて、ずっと廊下を進んでいけば、大きな扉が見えてきた。
大人がふたり程度なら横に並んでも通れそうなほどに大きい両開きの扉だ。
今は、選択肢を掲げるヒューノットもいない。私は勝手知ったるという気分で、扉を開いた。
「――……」
扉を大きく開いた先には、当然ながらルーフさんの姿はない。
室内を満たす色とりどりの花達だけが私を迎えてくれる。
やっぱり部屋というよりも中庭のような印象だ。
青空が描かれた天井の中央には大きな天窓。その出窓から差し込む光が、天井のあちらこちらから吊り下げられているサンキャッチャーに触れて室内に淡い灯りを散らしている。きらきらと瞬く光を目で追いながら視線を下げていく。
あの時は気が付かなかったけど、部屋の中央あたりに何かが置かれていた。
ひときわ綺麗な花に囲まれたその区画。近付いていけば、白く塗られた木製の、箱のようなものが置かれていると気が付いた。
覗き込めば、蓋は硝子張りになっているとわかる。
「うっわ……」
更にその中を覗き込んだところで、思わず声を上げてしまった。
中には人形が寝かされている。いや、一瞬は本物かと思ってしまったくらいに精巧だ。ビスクドール、というのか。フランス人形というのか。そんな感じ。目を閉じて眠っているようなその姿は、プッペお嬢様によく似ている。
ふわふわとした金の髪。目は閉じていて色は分からない。薄く色付いた唇とほんのり桃色のほっぺ。
お腹あたりで組まされている手は関節の部分が球体になっていて、それを見れば人形だとすぐに分かる。
人形が飾られているというよりは、埋葬されているような感じに思えてしまう。
そーっと背を戻して、ゆっくりと息を吐く。
ここは確か、プッペお嬢様に贈られた庭だと、ルーフさんは言っていた。
その時は、まあ、そういうものなんだろうと思ったし、それより気になる言葉があったから気を取られたけど。この人形を見てしまうと、つまりどういうことなんだろうかと不安になって来る。
二度。三度。途切れがちに後ずさりして離れたあと、弾かれたように駆け出した。
真っ直ぐに廊下を駆け抜け、階段を駆け上る。二階の廊下も駆け抜けて、一番端にある扉の前で急ブレーキを掛けた。
息切れしてしまって、喉が渇いた。胸を押さえて、深呼吸。それから、一度だけノックをしてみる。返事は、ない。
そっと扉を開いていけば、真正面に大きな窓が見えた。あの時、開かれていたカーテンは今は閉じられている。そのカーテン越しに入り込んだ淡い光が、ほんのりと室内を照らし出していた。
「……」
窓から少し離れた位置に設置されたベッドの上では、プッペお嬢様がすやすやと寝息を立てていた。
すぐ傍まで近付いて、顔を覗き込んでみたけど、間違いなく生身だ。人間だ。人形じゃない。
深い溜息が漏れ出た。もう、いちいち怖いんだよ。この館。
ぐっすりと寝入っているプッペお嬢様を起こすのは、さすがの私でも忍びない。
確認だけをして、心の中で謝りながら廊下へと出た。
出来る限り静かに扉を閉じて、もう一度大きく息を吸って吐く。
お嬢様がいる、ということは。あの人形は何なんだ。お嬢様の代わりでもあるまいに。
花に囲まれて眠るあの人形は、何の為にあって、何の意味を持っているのか。
全く無意味に置かれているとは、到底思えなかった。
ルーフさんに聞いた方が早いだろうか。薮蛇になりそうで、それはそれで怖い。
寧ろ、こういう話こそシュリに聞いた方が波風が立たない気もする。
二階の廊下を歩きながら、壁面に飾られた絵を見ていく。
どれもこれも、やはり風景や建物の絵が多くて人の絵はない。
考え込みながら階段を下りたところで、壁に凭れ掛かったヒューノットの姿に気が付いた。
「うわっ」
「……何だ」
めっちゃ不機嫌そうにされた。
いや、今のは私もリアクションが最悪だなとは思ったけど。
「なんでもないっ」
即答できるあたりが私の強さだ。と、思う。
ヒューノットはめっちゃ怪訝そうにしているけど、まあ、うん。不機嫌そうなのと同じくいつも通りだし、怖いのも割りと今更だ。
「話は終わったの?」
「だから、ここにいるんだろ」
まあ、そうなんだろうけど。
他に言い方はなかったんだろうか。
ちょっとムッとしたけど、それを顔に出す勇気はない。
そっと顔を背けて、それからルーフさんを探す。てっきり一緒だと思ったけど、近くに姿はなさそうだ。
「……行くぞ」
「え、どこに?」
「ルーフのところだ。探しているんだろ」
バレてた。
いや、そもそもヒューノットの言葉が足りない所為なんだけどね。私が察し悪いみたいな態度はやめて欲しい。冤罪だ。
先に歩き出した背中を追って、数歩後ろを歩いていく。相変わらず背が高くて、肩幅もある。ルーフさんが割りと細身だから、並んだ時なんてヤンキーと善良な市民感がすごい。別にヒューノットがチンピラだとはまでは言わないけど。
「……お前、何かしたのか」
「な、何かって?」
心当たりはありすぎる。
問い返したけど、返事はなかった。
代わりに、例の部屋の前でヒューノットが歩みを止めてしまう。
扉は、開かれたまま。私が閉じて行かなかったからだ。
中を覗き込むと、ルーフさんが立っていた。
こちらに背を向けていて、表情も様子も全くわからない。
「……」
薮蛇の予感しかしなかった。




