02.仮面の人
そのフリーゲームには、バッドエンドしかない――らしい。
ネットで騒がれていたそのゲームの攻略サイトを覗いてみた。
けど、"いくつかのバッドエンドが見つかっている"という情報しか手に入らない。
バッドエンドしか、ない。
それが気になった。
フリーゲームなんて、大抵はたかが知れていると思う。
ヒットして有名になったモノやカルト的な人気が出たモノも、あるにはあるけど。
何だろう。私自身は、そこまでゲームに熱を上げたことはない。
それはどちらかといえば、フリーゲーム自体よりも私に問題がある。
基本的には飽き性で、あまりゲームにどっぷりハマるというタイプではないからだ。
何事もほどほど。
勉強や部活も、中の中で十分。定期テストだって平均点前後にいれば、それで良かった。
何なら、先生にさえ目をつけられなかったら、それでいいかなって生き方だ。
人生、可もなく不可もなく。それでいい気がしてる。
大学は、さすがにお金の掛かり方が違うから、少しは考えて選んだけど。
その点、フリーゲームはお金もかからない。
クリアできなかったとしても、それはそれ。別に悔しくもないし、もったいないわけでもない。
お金を払ってゲットしたゲームでも、積みゲーの糧にしちゃうせいだけど。
今どれくらいあるんだろう、あとで数えてみようかな。いや、面倒だな。
とにかく――軽い気持ちだった。
少なくとも、本気でバッドエンド以外を見つけてやろうとか、攻略を進めてやろうとか。
ましてや、クリアしてやろうなんて気は、あまりなかった。
バッドエンドだったとしても、攻略サイトにないバージョンでも見つけたらラッキーかな?
くらいの、その程度の、軽い気持ちだ。
そう、すごく軽い気持ちで。
そのはず、だったのに。
まさか、ゲーム内に引きずり込まれるなんて、誰が想像するんだ。
目の前にいる仮面の人は見るからに怪しい。
絶対に普通の人ではない。とは、思う。
けれど、こちらに接する態度そのものは柔らかくて、声はまあまあ優しい感じ。
そんなことで絆されたり、ましてや信用したりは出来ない。
あと、名前の発音が難しい様子ではいるのに、言葉自体は流暢だ。
エセ日本語遣いの芸能人の方が下手なくらいに、言葉はすらすらと出ている。聞き取る分にも問題はない。
とはいえ。
そんなことを、今こうやって考えたところで仕方がない。
開き直って立ち上がると、屈んでいた仮面の人も立ち上がった。
並んで立てば、結構な高身長だとわかる。
すらりとしていて背まで高いとか、それはもうチートなのでは。
べったりと座り込んでいた尻を軽く叩いて土を払う。
そうしている間に、仮面の人はまた一歩後ろに下がって元の位置に立ち直した。
土を払った手に落としていた視線を持ち上げる。
すると、仮面の人の向こう側は、違う景色になっていた。
いや、景色ではない。そこにあったのは、黒だ。暗がりともまた違う。
のっぺりと塗りたくられたような漆黒。そこには何もないかのような、壁ともまた違う黒が広がっている。
無意識のうちに後ずさりかけたが、今度は転ばなかった。
仮面の人がゆっくりと緩やかに腕を広げる。
芝居がかった仕草だというのに、あまりにも自然な動きにも見えた。
矛盾たっぷりの感想だけど、それ以外に表現のしようもない。
まるで、どこかで見たことがあるような。
そんな気すらしてしまう。
「――ようこそ、傍観者。親愛なる傍観者よ。我々は、"君"を歓迎しよう。この世界で、君は"唯一の存在"だ。なんびとたりとも君を阻む事など出来ない、唯一無二の存在さ。――さあ、開かれたこの世界を始めてくれ。勿論、君の手で閉じてくれても構わない。我々はずっと待っているからね。終わりを迎えるまで、幾度でも閉じてくれて構わないとも。君は、何度でもやり直せる。我々は、繰り返すだけさ」
仮面の人は詰まることもなく、まるで決まり文句のように、すらすらと言葉を紡ぎ出した。
後ろからの強い風に飛ばされるかのように、仮面の人の背後に広がっていた黒色が薄れて消えていく。
それは、さらさらと砂が流される様子に似ている。
再び見えてきたのは、さっきまでと同じ光景――ではなく。
見渡す限り何もない草原だと思っていたのに、仮面の人の向こう側には街のようなものがあった。
高い塀に囲まれたその姿は、ゲームなどで見かけるものに似ている。
あれ?
「……プレイヤーって」
つまり?
「そう。君の事だよ、ヤヨイ。君が、その手でこの世界を目覚めさせた」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ」
「セーブがしたい時は、私に話し掛けてくれるといい。ロードの時も然りだよ」
「いきなりゲームっぽいこと言い出すのやめて!?」
私が大声を出すと、仮面の人は小さく頷いて黙ってくれた。
わかりにくいけど、口許が笑っている。
少なくとも、機嫌を損ねた訳ではなくて良かった。
現時点でこの人がいなくなったら、もう何のヒントもない。いや、信用している訳でもないけど。
さっきはちょっと落ち着いた気がしたものの、全然全くちっとも、そんなことはなかった。
ここがゲームの中だって?
そんな非現実的なことがあって堪るか。しかし、そうじゃないと説明がつかない気もする。
気もするけど、説明がついたところでメンタルが追いついて来ない。
片手で頭を覆いながら、目を閉じて集中してみる。
でも、五感で捉えるすべてが嘘というか夢というか、そんな気はしなかった。
自分の感覚だけでは正直不安だから、頬をつねってもみたけど目が覚めない。
そもそも、痛い。普通に、ただ痛い。
世界を始めてくれ。っていうのは、ゲームをスタートさせてくれってことで。
世界を閉じてくれ。っていうのは、ゲームを終わらせてくれってことなのかな。
そうなると、何となく意味がわかる。
いや、ちっとも理解はできないけど。わからないでもないという感じだ。
しかも、仮面の人が言った言葉を当て嵌めていけば、の話でしかない。
この人が嘘をついていたり、意味のない言葉を言っていたりしたら、もう前提が崩れてしまう。
「聞きたい事はないのかい、ヤヨイ」
考え込んでいたところに涼やかな声が入って来た。
相手がこうも落ち着いていると、こっちも少し冷静になれそうだ。
泣いて喚いたところで助けは来ない。たぶん。
そういう都合の良い展開こそ、非現実的だと思う。
渡る世間は何とやらだ。私だって見知らぬ他人を、ほいほい助けたりしない。
名指しされたら、ちょっと困るけど。さすがに名指しで助けを求められて、無視して立ち去れるほどの無神経さはない。たぶん。
私が沈黙していると、察してくれたらしい仮面の人がまた口を開いた。
「君が戸惑うのも無理はない。唐突に物語が始まれば、誰であっても困惑してしまうものだからね。しかし、我々には方法がないんだ。ヤヨイ。我々の不躾で不器用な招待を、どうか許して欲しい」
相変わらず、仮面の人は決まり文句のように言う。
決まり切ったセリフを言うだけのような、妙な安定感があった。
それこそ、「おはよう」とか「ただいま」みたいな、意識しなくても言えるような感じだ。あくまで私が感じたというだけで、仮面の人にとって実際にどうなのかなんてわからないけど。
聞きたいことはたくさんあるのに、いまいちどう聞けばいいのかがわからない。
まるで面接みたいだ。そういうテンプレも作ってくれたらいいのに。
まあ、授業中でも、わからないことがわかりません、レベルだったけど。
「あの」
「何かな?」
仮面を外して下さい。
とは、流石に言えない。
こうやって正面で向き合っていると、本当に威圧感がすごい。
見慣れていないというのと、コスプレ感がある。非現実さが混ざっているせいかもしれない。
そもそも相手の顔が見えていない状態で会話するなんて、通常というか日常ではまず有り得ない。
マスクをつけて接客するだけで、威圧感があるとか接しにくいとかクレームが入るご時世だ。サングラスあたりでギリギリセーフな気がするのに、仮面というのはレベルが高すぎる。
いや、サングラスでギリギリアウトかな。
少なくとも、私にはハードモードすぎた。
「……セーブって、出来るんですか?」
「勿論さ。チュートリアルが終わればね」
「えぇ……」
いきなりゲームっぽいことを言うのは、本当にやめて欲しい。
聞いたのは、私だけど。
夢なら覚めて欲しい。いっそ夢だと言われた方が納得できる。
頬をもう一度つねってみたけど、痛いだけで無駄だった。
痛い分だけ損をした気分だ。掌全体で頬を擦るように撫でながら、仮面の人を見る。
嘘をついているようには見えないけど、表情が見えないから嘘をつかれたところで判断できない。
まあ、いい。とにかく、迷っても仕方がない。
チュートリアルがあるというのなら、それを終わらせれば済む。
済む、だろう。たぶん。済んで欲しい。願望でしかない。
「じゃあ、ここはゲームの世界なんですか?」
何という間抜けな質問だろう。
だけど、そうでなければ、説明がつかない。いや、そうであったとしても合理的な説明はつかないけど。
"チュートリアル"や"セーブ"を担当しているということは、本当にサポートキャラなのだろう。ヘルプも兼ねているかもしれない。
「それには答える事が出来ないな」
しかし、シンプルだと思った問いには答えてくれなかった。
設定されていない質問には答えられないとか、そういうあれなのかな。
そう考えると一気にゲームっぽい気がして来た。いや、ゲームにしてはリアルだけども。
仮面の人が片手を持ち上げると、そこには白い石があった。
拾う動作はなかった。本当に何処からか唐突に現れたように見える。
白い石は掌に収まるサイズだけど、仮面の人の細指には少し重たそうだ。
仮面の人が笑った、ような気がする。
相変わらず口許しか見えないけど、たぶん笑った。と、同時に
「さあ、チュートリアルを始めよう」
無造作な仕草で石を投げられた。
声を上げる間もない。
慌てて両手で頭を覆ったが、特に掠めた様子もなく後ろに石が落ちた音だけ聞こえた。
「え、ちょっ」
意味がわからずに後ろを振り返り、再び前を向くと、また投げられた。
両腕で頭を覆ったまま、今度は反射的に屈み込んだ。
空気を切るような音をして耳元を掠めた、気がする。
「だめだよ。ほら、立って。今度はお腹を狙うからね」
「いきなり何なんですか!? チュートリアルは!?」
「これがチュートリアルだよ」
"チュートリアル"という言葉が、頭の中でゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうだ。
平然と言い放った仮面の人が、また石を投げてきた。
どうしても目を閉じてしまうが、やはり当たらない。
もしかして、投げる振りをして遊んでいるのだろうか。
ちょっとイライラして、顔を持ち上げたそのときだ。
すぐ近くに、白い石を持った仮面の人が立っていた。
そして、その石が額に――――
「……あれ?」
――当たらなかった。
当たらない。確かに手はすぐ近くにあるというのに、石は当たらなかった。
仮面の人の手から石が落とされる。
膝あたりに落ちたはずなのに、石は身体をすり抜けてしまった。
これでは、私がまるで幽霊のようだ。
両腕で頭を守ったままの間抜けな格好で固まる私の前で、仮面の人がまた屈み込む。
「――言っただろう、ヤヨイ。"この世界"で君は、何者にも制される事のない唯一無二の存在だ、とね。君は、何度でもやり直せる」
意味は、わからない。けど。まあ、確かにそうか。
プレイヤーにまで被害が及ぶなんて有り得ない、ということか。
そもそも、プレイヤーまで巻き込むなんて、どんなデスゲームだという話だけど。
気軽に攻略サイトへ書き込んでいる場合ではない。
だからといって、いきなり人に石を投げつけるとか、この人やっぱりどうかしてる。
腕を下ろして物言いたげにしていると、仮面の人はまた笑った。
「君を傷つけられる存在は、この世界にはいないんだ。しかし、――ほら、君は違う」
仮面の人は私の片手を取ると、その上に白い石を置いた。
ずしりと重みのあるそれは、確かに存在しているのだと主張している。
握り締めても硬くてザラザラした感触があって、石という以外に思いようがない。
私に石は当たらないというのは、本当なのか。
それとも、この人には私を傷つけることが出来ないという意味なのか。
あるいは、ここの全てが私に干渉できないという意味なのか。
どれもこれも、実際のところは謎だ。
石から視線を持ち上げると、仮面の人は小さく頷いた。
「――さあ、行こうか。私には、君に紹介しなければならない人がいる。彼はとても寡黙だから、最初は私が紹介する事になっていてね。彼自身に悪気はないんだ。だから、どうか気を悪くしないで欲しい」
私の手から石を取った仮面の人は、そのまま極々自然な調子で手を引いて立ち上がった。
あまりに自然な動きだったものだから、私も何となく従って立ち上がってしまう。
触れていた手は、立ち上がったと同時に離れた。
仮面の人が緩やかに手招きをして踵を返す。
行き先は、あの街のようだ。
街といっても、白い塀に囲まれていて、本当に街があるのかどうかは見えない。
ただ、いくつかの屋根が見えてはいるし、グラフィック的には街だろうな、という感じだ。
ゲームの知識なんて、あまりないけど。だから、たぶんとしか言いようがない。
前を行く仮面の人について歩く。
踏み締める地面の感覚も、足元を掠める雑草のくすぐったさも、疑いようがないほどリアルだ。
石は当たらなかったが、仮面の人の手は触れられた。
その感触だって、あまりにもリアルで、現実だとしか思えない。
真っ白いレンガが積み上げられた高い塀。
今まで見たことのない光景だ。
白い塀に、古そうな木製の扉がぽつんとある。
金属のカンヌキが、外側につけられていた。
これじゃ、街の人を閉じ込めているみたいで、何かちょっと、街というより監獄感が出て来た。
閉じ込めた、のだろうか。だったとしたら、何を、何のために、どうして、って感じだけど。
扉の前まで辿り着くと、仮面の人が急に振り返った。
ゆっくりと向き直ったかと思えば、胸元に手を当てて仰々しく一礼をして来る。
「――自己紹介が遅れたね。私は、シュリュッセル・フリューゲル。君の案内役で、サポート役さ。分からない事は私に聞くといい。知る限りは答えよう」
「え、なに? シ? シルッシェ?」
「シュリュッセル・フリューゲルさ。言いにくければ、好きに呼んでくれて構わないよ」
言えない。何なら噛みそうだ。お言葉に甘えて適当な愛称でも考えよう。
ていうか、私はこんな名前の人に発音が難しいとか言われたのか。
まあ、文化の違いだと思えば、何とかやっていけそうだけど。うん、そう思うことにしよう。
頷きを返すと、仮面の人も頷いた。
そして、再び扉に向き直るなり、ゆっくりと施錠を解いて開いていく。
見た目よりも重厚な音が響いて、何かが擦れる嫌な音がする。
木材同士が当たって削れる音の後、開いた扉から手が離れていく。
すると、レディファーストでもするように、仮面の人は身を引いて先を促してくれた。
閉じ込められやしないかとひやひやしたが、仕方がない。
大きく開かれた扉の向こう側を覗き込む。
広がっていたのは、白一色に染まった街だった。