15.轗軻不遇
扉を開いた真正面には、大きな両開きの窓が見えた。
私の部屋とは違って、きちんと開かれたカーテンが両脇にまとめられている。
窓は、外の光を取り込むには十分な大きさだ。ガラス越しに差し込む光が、室内を柔らかく照らし出している。
窓から少し離れた位置にベッドが横向きに設置されていて、まあ、扉を開いてすぐに足や後頭部を向けられているよりは良い配置だとは思う。
壁面には棚が置かれていて、ベッドと扉の間には丸いテーブルとソファがある。
部屋は、子どもひとりには十分すぎるほど広い。友達を何人か呼んでも、しっかり遊べるスペースがある。
まあ、うん。
スペースは、あるんだけど。
「……えぇ……」
棚にもソファにも、ずらりとフェルト生地の人形たちが鎮座している。
辛うじてベッドには端に置かれている程度だけど、テーブルの上も半分くらいは支配されていた。
さすがに、これだけの量が揃うと圧がすごい。
動き出しませんように、とか本気で思ってしまうのは、動き回るフェルト人形を見たことがあるせいだ。そう、そのせい。私は悪くない。
「――かわいいでしょー!」
プッペお嬢様は、ものすごく無邪気にそう言ってきた。
そうかな。私の反応は見てなかったのかな。とは思ったけど、ここで首を振るほど大人げなくはない。
「……んー、うん。可愛いね、すごいねー」
我ながら異様な棒読みになってしまったけど、まあ、うん。私のせいではないよね。
こんな小さな子を傷つけるほどに大人げを失ってはいないけど、上手に対処できるほど成熟してもいなかった。
助けて欲しい。この際、ヒューノットでもいいから、誰か別の人を連れてくるべきだった。
たすけて。これでお人形遊びとか、ちょっと無理。だって、リアルに動いたヤツ見たことあるもん。知ってるもん。
「あっちはね、ママが作ってくれたの! こっちは、プッペが作ったんだよー」
あ、作ったっていう感覚はあるんだ。セーフ。いや、何がセーフかわかんないけど。
プッペお嬢様が示すまま、視線をあちらこちらへと転じる。
ママ作と言われたフェルト人形達は目もしっかりとついていて、服もひとりひとり違う。
頭身は大体統一されていて、全体的な雰囲気としては可愛らしい感じでまとまっている。
お嬢様作の方は、――うん。個性を感じる。これ以上の語彙力は、私にはない。ないったらない。
「それでね、あれはルーフが作ってくれたの! さびしくないよーにって!」
嬉しそうにベッドに駆け寄ったプッペお嬢様は、枕元に置かれた二対の人形を撫でた。
そちらは、ぬいぐるみだ。ネコとクマ。っぽい。ルーフさんは、手先も器用らしい。
まあ、確かにひとりでここを切り盛りしていて、尚且つまだ小さなプッペお嬢様の世話までしているのなら、器用にもなるだろうなという気もする。
元々器用だったのか、必要があってやっているうちに出来るようになったのか。そのあたりは、知らないけれど。
ぬいぐるみの目はボタンで出来ていて、近くで見ても縫い目が綺麗に整っている。
まるで既製品のようだ、というと誤解を招きそうだけど、買ってきた疑惑ではなくて、ルーフさんはマジですごい人なのかもしれない説が有力になって来たというだけのこと。
部屋中に置かれたフェルト生地や羊毛フェルトの人形に、ベッド上のぬいぐるみ。
作り手が違う所為で統一感には欠けるけれど、とにかくすごい迫力だ。
外からの光で明るく照らし出された室内で、まるでプッペお嬢様を守るように、ぐるりと取り込んでいるようにも見える。
どうして、守る必要があるのかはわからない。だから、それはただの、すごく適当な私の感想に過ぎない。
「――あ」
プッペお嬢様がくるくると、あちらこちらを歩き回る様子を眺めていたら見つけてしまった。
ずんぐりむっくり体型。灰色の髪に同じ色の目。ネクタイのシャツ。――グラオさんだ。反対側の棚を見ると、ちょうど対になりそうな位置に似た人形を見つけた。ずんぐりむっくり体型で、同じネクタイにシャツ。黄色の髪と、瞳。――まちがいなく、ゲルブさんだ。
もちろん、あんなに大きなサイズではなくて、大人しく棚に収まる程度ではあるけれど。間違いようがない。
「その子? その子とあの子はね、とってもえらい人なんだよ! それでね、きょうだいなんだって!」
私の反応に気がついたプッペお嬢様は、嬉しそうな様子で説明を始めた。
「こっちはおにーちゃん、こっちはおとーとくん。とっても仲良しなの、仲良しで、いっつもいっしょにいるんだよっ」
プッペお嬢様の小さな手が示すそれぞれは、確かに兄と弟それぞれを示していた。灰色の髪はお兄さん、黄色の髪が弟さん。こうなってくると、偶然だと思う方がどうかしている感じだ。
「それって、誰かに聞いたの?」
「ママが言ってたんだよ!」
「そっかぁ……その子たちが、どこかにいるとか、そういうのは聞いたことある?」
「んーん、そういう子たちなんだよって。ママが言うの。だから、遊ぶ時は、ちゃんとふたりとも呼ぶんだよっ」
ごっこ遊びの一環、ということだろうか。
兄弟で、とにかくえらい人。それでも、プッペお嬢様は王様とかそういうことは言わないから、まあ、違う意味の偉い人なんだろう。
他の人形達を見ていると、あの街で見掛けた形がちらほらと目に入る。異様な感じだ。明確に区別がつくわけではないけど、それでもグラオさんとゲルブさんを見つけただけでも、十分といえば十分すぎる。
「みんなで遊ぶの?」
「そーだよ! みんなで遊ぶの! だって、そしたら、さびしくないからっ」
笑みを浮かべるプッペお嬢様は、特に何も考えていない様子だ。
けれど、私がこの子の気持ちを察することが出来るかどうかなんて全く自信がない。
こんなに大きくて広い家に、ルーフさんとふたりだけ。
ママはどこか知らない場所にいて、人形が遊び相手。私の感覚では寂しいのではないかと思う。
寂しくないように人形を傍に置いたママの気持ちも、全くわからないでもないけれど。
「……」
この圧倒される程の人形の量が、むしろプッペお嬢様の寂しい気持ちを表現している気がした。
何人いても、きっと足りないのかもしれない。何人いたって、たぶん。
ママの代わりには、ならない。
「ねえ、プッペちゃん」
ぐるりと室内を見回したあと、ベッドに腰を下ろしたプッペお嬢様を見た。
「――何をずっと待っていたの? ヒューノットのこと?」
違うだろうな、とは思いつつも問い掛けてみた。
確か、ずっと待っていたと言っていた。それが何を示すのか、私にはまだわからない。
ヒューノットが反応しなかったあたりから、別に本筋に関わるような話ではないのだろうけど。
プッペお嬢様は、ベッドの上をてしてしと叩いて私を呼んできた。
呼ばれたからには無視なんて出来ない。隣に腰を下ろすと、プッペお嬢様は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「待ってたの、ずっと」
「うん」
「ママがね、なかなか帰れないの」
「うん」
「ルーフはね、ママはお仕事が忙しいっていうんだよ」
「どんなお仕事?」
「お星さまのきらきらが、ママのお仕事なんだって」
何じゃそりゃ。全くわからん。
それが比喩表現なのか、ガチで言っているのかも不明だ。
思わず首を傾げると、プッペお嬢様は「お星様なんだよっ?」と念を押してきた。
いや、まあ、うん。スターはわかるんだけど、あれ、スター?
「キラキラなお洋服とか着てるの?」
舞台女優とか、そういう感じなのだろうか。
「ううん、真っ白のお洋服だよっ」
違うのか。
真っ白。真っ白。白装束。白無垢、は、違うな。何だろう。
少し考えてみたけど、ぱっと思い浮かばない。白衣の天使とか、そんな感じだろうか。
「お仕事ね、おしまいにしたいの」
考え込みそうになったところで、隣から小さな声が届いた。
プッペお嬢様は、足をぶらぶらと揺らしている。
どれくらい離れているのかわからないけれど、子どもからすれば親が遠くにいるだけで時間なんて関係なく寂しいに決まっている。
傍に誰かがいるとかいないとか、あんまり関係ない。少なくとも、私は関係なかった。
どんな大人が傍にいたって、やっぱり親が良かった。と、記憶している。
いや、どうだっけ。そこまで寂しくなかった気がするのは、私が子どもではなくなったせいかもしれない。記憶なんて、適当で曖昧だ。
「うん、どうやっておしまいにするの?」
「ヒューノットがね、人を連れてくるって言ったの!」
「うん?」
「その人がね、ママを連れて帰ってくれるって!」
「ううん??」
あれ。何その話。初耳ですけど。
どういう話になっているのか、ちっとも読めないんですけど。
というか、普通に雲行きが怪しくなっている予感しかしないんですけど。
「だから、プッペね! ヒューノットが連れてきたら、絶対におねがいしよーって思ってたの!」
そんなキラキラとした目で見ないで欲しい。
私には、そんな力などない。
嫌だもう、ヒューノットの野郎、何を適当なことを言っているんだ。いい加減にしろ。
私には何も言わなかったじゃないか。もしかして、忘れている訳じゃあるめえな。
ドアに視線を向けると、横から袖を引っ張られた。
「ヤヨイは、ママと会ったの?」
「ううん、たぶん、会ってないと思うなぁ」
「ないの?」
「……確認なんだけど、ママってさ、シから名前が始まったりしないよね?」
まさか、という気持ちでいっぱいだ。
だって、現時点の登場人物で、そのママとやらに当て嵌まりそうな人がいない。
ヒューノットはそもそも男だし、違う。グラオさんとゲルブさんも、確実に違う。
そもそもとして、"ママ"ではない。ルーフさんは、もちろん違う。ここまで来て、登場人物はすべて男性で確定だ。
残るシュリは、私から見れば性別不明だし、もしかしたらもしかする。
「ううん、ユーってつくよ!」
違った。あれ、シュリの名前ってユとか入ってたっけ。
いや、そもそも、シュリの服は真っ白から程遠かった。むしろ、黒尽くめに近い。
あ、いや、もしかしてシュリのユとか入っちゃうのかな。え、そこカウントされるのかな。いや、されないな。真っ白じゃないもん。よし、されない。
「あー、じゃあ、やっぱり会ったことないかなぁ」
「そうなの?」
「うん、ごめんね」
期待だけさせてしまって、ものすごい罪悪感だ。
ヒューノットが悪いんだけど。あいつもう、本当に何なんだ。
「じゃあ、じゃあっ!」
ひょいっと、プッペお嬢様がベッドから跳ねた。
そのままの勢いで床に立って、私の前に来る。向かい合って眺めていると、やっぱり小さな女の子だ。
「ママと会ったらね、つたえてっ!」
健気かよ。
「うん、いいよ。なんて言えばいいの?」
「帰って来てって、プッペ、いい子で待ってるからって!」
「うん」
「それとね、ルーフも待ってるよって!」
「うん」
責められてもおかしくないような気がしていたのに、プッペお嬢様は伝言を頼んで来ただけだった。
もう、待って欲しい。私の胸は罪悪感でいっぱいだよ。何だよ、この出処不明の罪悪感は。どうして私なんだ。ヒューノットめ。
「わかった。プッペちゃんのママに会ったら、はやく帰るように言っておくね」
「うん! ありがとっ! 約束だよっ」
「約束するよ、きちんと伝えるね」
すっと差し出された小指に私の指を当てると、本当に小さな手なんだなぁと思う。
こんなにお留守番を頑張っているのに、ママは一体どこで何をしているんだ。
あ、仕事だっけか。子どもより大切な仕事ってなんだよ。これで男のところに入り浸っていたら、本気で殴ってやる。
「ゆびきりげんまんだよっ」
「うん」
「嘘ついたら、おっきな人がおうちをこわしちゃうからねっ!」
「うん?」
何それハード。
針千本のハードさとは、また違ったハードっぷりだ。というか、もう、皆殺し路線な気がする。
やばい。話を変えよう。
「プッペちゃんは、ずっとルーフさんと暮らしているの?」
「そーだよ!」
「ルーフさんは好き?」
「ママの次に好き!」
まあ、うん。そうだろうなぁ。
ここで、パパは?なんて聞くほど、私は野暮ではない。
そもそも、育児の上で父親不在なんてよくある話だ。いや、それは日本だけの話だっけか。
イクメンとかもてはやすこと自体が、父親は育児をしない状態が普通ですって言っているようなものだと思う。
ああいう流行は好きじゃなかった。って、そうじゃなく。
「ルーフはね、優しくってがんばり屋さんなの」
「だろうねぇ」
イメージとしては、ぴったりだ。
そして、ヒューノットとは対極すぎる。優しさなんて持ち合わせているのかどうかすら、甚だ疑問だ。
そこまで極悪非道な悪人だとは思わないけど。
いまいち、優しくはない気がしている。
「それとね、お星さまなんだよっ」
「おほしさま?」
「うんっ、おめめがきらきらしてて、キレイだからっ」
目は、どうだっけか。
思い出そうとしたけど、いまいちぱっと浮かばなかった。
まあ、さっき会ったばかりの人だし、そういうのは仕方がない。ないけど、何だろう。我ながら、何かおかしい気はする。
繋いだままだった小指を解くと、プッペお嬢様はさっきとは反対側の隣に腰掛けた。
「ルーフはね、お星さまがいるんだよっ! すごくキレイなの、プッペは好きっ」
とにかく、プッペお嬢様はルーフさんの目がお気に入りらしい。
にこにこと話す様子は愛らしくて、もう早くお母さん帰って来てあげてという気持ちになる。
「お星さまのきらきらが入ってるの、見た?」
「うーん」
どうだろう。
ルーフさんの第一印象は、好青年。温厚そうで柔和そうで、お手本のような柔らかそうな薄金の髪が最初に目に入った。
あ、そうだそう。灰色っぽい、でも、ちょっと銀にも見える。そんな目をしていたんだった。
どうして、うっかり忘れそうになったんだろう。あんなに特徴的だったのに。
「そうだね。綺麗な目だったね」
「ねーっ! ヤヨイもプッペと同じだねーっ」
嬉しそうにしてもらえて何よりだ。
いや、嘘をついて同意した訳ではないけど。プッペお嬢様が嬉しそうにしていると、何だかちょっとホッとする。
それはきっと、自分が抱える罪悪感を少しでも緩和したいが為に許されたような気がしているだけ。身勝手な安心感に過ぎないのだろうけど。
まあ、でも、ほら。そもそも、悪いのはヒューノットだからね。ヒューノットが悪いから。
「お星さまのきらきらが入ったの、すごくきれいなのに、ルーフはちがうんだよっ」
「そうなの?」
「うんっ! ルーフね、きらきらなのまぶしいって言うのー」
どういう意味だろう。
色素が薄くて、とか、そういう話なんだろうか。あいにくと、私にはわからない話のような気がして来た。
私が首を傾げると、プッペお嬢様も首を傾げた。
何だよもう、可愛いな。
「光っていうか、太陽とかが眩しいってこと?」
「わかんない! でも、きらきらなのは大変だよって言うの」
「うーん。わかんないねぇ」
「わかんないねーっ!」
つまり、どういう意味なんだ。
そこはルーフさんに聞かないと、わからないままだろう。
「……うん?」
あれ。でも、何か。何、だろう。
そういう表現というか、似たようなことを聞いたような気がする。
「ねえ、プッペちゃん。ルーフさんって――――」
問い掛けようとした瞬間のことだった。
廊下を走る音が近付いて来たかと思えば、ノックも何もなしに乱暴な勢いで扉が開かれる。
見れば、立っていたのはヒューノット。ひとりだけだ。
「――連れて行くか、置いて行くか」
ヒューノットが、いきなり言い放った。
「は?」
対応できなかった私が出した声は、何だか妙に情けなくその場に落ちた。
突然の出来事に、頭の回転が追いつかない。
「――連れて行くか、置いて行くか。選べ」
言葉を繰り返したヒューノットは、ぽかんとしているプッペお嬢様を顎で示した。




