14.冬夏青青
こちら側に持ち込むことができるのか。
実験的に行なったけど、スマホは無事だった。
そもそも、ここって電波とかあるのかな。そんな疑問は、画面を見た瞬間に吹き飛んでしまう。
まさかのWi-Fiキャッチ。えー、どういうことなの。
「――ともかく」
気持ちを切り替えて門を見た。背丈よりも遥かに高い門。
アンティーク調の家具や洋風のミニチュアセットにでも出て来そうなデザインだ。
ヒューノットがどう思っているのかはわからないけど、今のところ選択肢を投げかけられることもなかった。
ここは聞くところだろうと思っている間に、勝手に片側を押して門を開いてしまったから、むしろちょっと拍子抜けだ。
これだけ立派な門だというのに、施錠もされていない。
だからといって、別にここでひと悶着を起こしたかった訳でもないのだから、開いていること自体は助かる。
「いや、違うな」
勝手に入ってすみません、という気持ちが後から来た。
後から悔いるから後悔と書くのだろうけど、それにしても即座に出て来たぞ。めっちゃ後悔した。
せめて、誰かいないかと呼びかけるべきだったのではないか。めっちゃ不安。ものすごく不安。
規則正しく敷き詰められたレンガ道が、門から真っ直ぐに洋館へと向かっている。
道の両脇には花が植えられていて、雑草ひとつ生えていない。これが手入れの賜物だとしたら、担当の人は只者ではないような気がする。
花壇の向こう側には、整然と列を成した木が並んでいるが、そちらもきちんと同じシルエットに揃えられている。
マメなんだな。いや、でも、これくらいの洋館だったら、家の人ではなくて使用人がいるのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、ヒューノットは先へ先へと行ってしまう。
もう。あの人、単独行動でも大丈夫ではないかな。なんて、ちょっと思ってしまうけど。
時々歩みを緩めているのはわかるから、今のところは何も言わないでおこう。
いや、そんな地味すぎる優しさはいらないです。
と、言いたいけど。藪から蛇を出す趣味はない。ヒューノットは、間違いなく蛇。
両開きの大きな扉の前でヒューノットが足を止めた。少し遅れて、隣に辿り着く。
シャレた扉だが、日本の街には似合わないだろうなという感想が先に出る程度には語彙力がなかった。
「入るか、入らないか」
隣から声がして、思わず見上げてしまった。
ヒューノットは扉を見たままで、こちらを気にする様子もない。とはいえ、返事は求めている。
入るか入らないか。まあ、ここまで来て入らないというのもあれだけど。
「入れるの?」
問い掛けてみると、ヒューノットは明らかに面倒臭そうに眉を寄せた。
そういう顔をされると、何か間違えたかと思うんだけど、たぶんシンプルに面倒臭いのだろう。
だんだんわかってきた。
寡黙かどうかは、ちょっと。うん、だいぶ、違うなという気はするけれど。
「入ろうと思えば、何処からでも入れる」
「いや、きちんと正面から訪問して欲しいけどねっ」
なるべく穏便に済ませたい。
ヒューノットは、発想がいちいち物騒だ。どうして、ことを荒立てようとするのか。
「……入るんだな?」
「あ、うん。でも、正面からでお願いします」
眼光が鋭すぎる。ちらりと一瞥されただけで、ちょっと怖い。
目つきが悪いだけで、悪人ではないことは分かるんだけど。
いや、悪い人ではないというのも確信はないけど。主人公だろうから、という気分だ。
主人公だからって、必ず正義とは限らないわけだし、正義の味方だからって善人だとは限らないけども。
ちょっとドキドキしながら頷くと、進み出たヒューノットはノッカーリングに手を掛けて普通にノックした。
ああ、うん。まあ、正面からとは言ったけど。そういえば、ここには何の為に来たのだろう。
今更すぎる疑問が浮かぶけれど、口にする前に扉が開かれた。
立っていたのは、ちょっと変わった青年だった。
「こんにちは」
柔和そうな笑みに温厚そうな声。
まるでお手本みたいな、柔らかそうな薄金の髪。
灰色のような銀のような、変わった瞳の色は少しびっくりするけれど、好青年といった感じの見た目だ。
まあ、現実に好青年らしい人になんて、お目にかかったことはないんだけど。
「……」
「こっ、こんにちはっ」
ヒューノットがシカトを決め込んだものだから、慌てて返事をしてしまった。
わかってはいたけど、こういうのはこれから全て私が対応しないといけないのだろうか。
いけない、ん、だろうなあ。
こっちを見て、にっこりと笑みを浮かべた好青年(仮)は、ゆっくりと扉を大きく開いてくれた。
「お久し振りです、ヒューノットさん。そちらのお嬢さんは、お初にお目にかかります。ルーフと申します。こちらの館で、プッペお嬢様に仕えております」
「あ、えっと、弥生です」
「ヤヨイ、さん? はい、ありがとうございます。本日はお嬢様に御用でしょうか?」
さらさらと自己紹介してくれたから、スルーしそうになったけど、何気にヒューノットとは初対面ではないらしい。
こうなってくると、"何処からでも入れる"の意味がちょっと違うように聞こえる。
ちらりとヒューノットを見たけど、完全にシカトされた。
どうしたんだ、いきなりスイッチでも切れたのかよ。
「その、用ってほどではないんだけど……」
「用があって来た」
喋るのかよ。
私の言葉にやや被せ気味で返答された。用があるのかないのか、それすら聞いてないし、私には答えようもない。
私たちのチグハグっぷりにか。全く違う答えが出て来たことに対してか。
好青年くん――もとい、ルーフさんは少し困ったように笑ったけれど、そのあとで「では、こちらへどうぞ」と中に入れてくれた。
廊下は大人が三人くらいなら余裕で横に並べそうなほどに広く、やっぱりお手本のように赤い絨毯が敷かれている。
壁には絵画が飾られているけど、私はそっち方面にはひたすら疎い。
例えば、ゴッホとかピカソとか。
それくらいインパクトと特徴があれば、知ってはいるんだけど。でも、それは"わかる"とは言わない。
少し歩いたところで、大きな扉の前が開かれた。たぶん、応接間かな。
ソファとテーブルが置かれているけど、見ただけで高級そうだな、という感想が出た。
逆に言うと、その程度の感想しか出て来ない。私の感覚は、とっても庶民的だ。
いや、いち庶民だもの。何が悪い。
促されるがままにソファに座ってみた。
けども身体が浮きそうな感じというか変に沈み込まないというか、表面は低反発というか、むしろお尻に馴染むというか。
何だこれ。知らんぞ、こんなソファ。というのが、正直な感想だ。
「こちらで少々お待ちください」
そう言うと、ルーフさんは深々と頭を下げて部屋を出て行ってしまった。
突然の訪問なのに嫌な顔ひとつしない、いや、できないのか。
そういう仕事も大変だなと思う。私は確実に向いてない。
あとついでに、ヒューノットも絶対に無理だと思う。更についでに、シュリは割りとイケそうな気がする。イメージ的に。
室内は整然としている。
しすぎていて、モデルルームのように生活感がない。
壁には相変わらず、風景画などの絵画が掛けられている。
ソファもテーブルも真新しい感じがして、本当に普段は使っていないのだろうなという気がした。
いや、そんなことはないのかもしれないけど。少なくとも、とても綺麗に片付けられている。私には無理だ。
ヒューノットは相変わらずの様子で向かい側に腰掛けたまま、特に話しかけて来る様子もない。
気まずさを覚える暇もなくルーフさんが戻って来たけど、コーヒーを出してくれた後は、またどこかに行ってしまった。
ここに仕えているというのは、彼だけなのだろうか。他に人の気配はしない。
それにしても、プッペお嬢様だったか。
ファンシーというか、ちょっと間抜けな名前だなぁと思った。
いや、うん。可愛いとも思うけど。子どもが好みそうな、音の組み合わせだ。
「……ヒューノット」
長い沈黙の中、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲んでいたけど。
気になることがあって、こそっと小声でヒューノットを呼んでみた。
ブラックのままでコーヒーを味わっていた彼は、露骨なまでに面倒臭そうな様子で眉を寄せた挙句に視線を投げてくる。
おい、そんなに嫌がるなよ。
「あのさ。何をするために来たの?」
シュリは向かうべき場所があると言っただけで、何の為に行けとも何とも言わなかった。
それは、フェルトの街に行った時とあまり変わらないけど。
あの時はまだ、向こうがこちらを求めている感があった、と、思う。言い訳だし、後出しではあるけれど。
質問に対して、ヒューノットは黙ったまま壁の方へと視線を向けた。
それが何を示すのかがわからず、振り返って壁を見たけれど、やっぱり見たところでわからない。
もう一度ヒューノットを見たけど、既にこっちを見てすらいなかった。
お前ホントに何なの。
まあ、とにかく答えはくれないらしい。諦めて壁の方を調べることにした。
立ち上がって、ソファから離れる。それでも、ヒューノットは何も言わない。
壁に掛けられている絵は様々だ。
花の絵。建物の絵。森の絵。湖の絵。夕空の絵。時計の絵。
絵自体に統一感はあまりないから、たぶん描いた人が違うのだろう。
その中で、ひとつだけ人が描かれていることに気がついた。
小さな女の子と、それを抱いている女性。
女の子は甘えるように頭を寄せていて、女性は見つめ返している。
親子のような感じだ。この屋敷に住んでいる人だろうか。
家族として見るには、父親が足りないような気がするけど。
まあ、よその家庭の事情なんて、首を突っ込むだけ野暮だ。
「失礼致します」
絵を眺めていると、ルーフさんの声が聞こえた。
振り返ったと同時に、小さな何かがすぐ傍まで駆け寄って来る。何事かと見下ろせば――
「――はじめまして! プッペっていうの! ずっと、ずーっと待っていたんだよっ!」と元気な声が向けられた。
年の頃は、十歳にも満たない感じだ。幼稚園よりは上、小学校に上がったばかりか、それくらい。たぶん。
わかんないな。年頃なんて。五歳くらい、うーん。もうちょい上なのかな。
ふわふわとした金髪に、ぱっちりとした大きめの碧眼。
お手本のような色合いをした女の子。
手を差し出されたものだから、慌てて手を出すと、思い切り握られてぶんぶんと振られた。おお、勢いがすごい。
「初めまして。私はヤヨイ、で、あっち――ヒューノットは、知ってる?」
「知ってるよ! だんまりさんなの。お話してくれなくて、つまんないんだよっ」
ミートゥー。
君の気持ちは、とてもよくわかる。
プッペお嬢様の後ろでルーフさんが苦笑いしているけれど、特にフォローも入れて来ないということは事実なのだろう。
人の家に訪ねてまでだんまりを決め込むとか、一体どういうヤツなんだよ。
ちらりと視線を向けたが、やはり反応する様子もなかった。いや、もう、本当に何なんだ。
「ヤヨイッ、ねえ、ヤヨイ! 遊ぼっ、ね、いいでしょ?」
「遊ぶの?」
「うん、お人形がたくさんいるのっ! みんな遊んでくれないから、つまんない」
つまり、お人形遊びだろうか。
確かにメンズには馴染みがない遊びだろう。私だって、何年ぶりかという話だ。
ていうか、ヒューノットがあれで人形遊びが得意だったら絶対に引くし、私もさすがにこの年齢でがっつりやってますなんてことにはならない。
まあ、でも、断る理由も特にない。
「うん、じゃあ、どうしよう?」
「お部屋にたくさん待ってるの! だから、来てくれるっ?」
「うん、いいけど……」
いいけど、ヒューノットはどうするのだろう。
視線を向けると、行ってこいと言わんばかりに顎で扉を示された。腹立つ。あいつ、絶対に亭主関白だ。
ルーフさんを見ると、「是非とも、お願い致します」と頭を下げられた。
よし。メンズのことはメンズに任せよう。
ご機嫌なプッペお嬢様が、先導して廊下に出て案内してくれた。
後ろを振り返ると、頭を下げて見送っているルーフと、相変わらずのヒューノットが視界に入る。あいつ、本当に何なんだ。
「プッペはね、お人形とお友達なんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「お人形もね、プッペとたくさん遊んでくれるの」
「ルーフさんとは、遊ばないの?」
「時々遊ぶよっ! でも、おうちのことをしないといけないから、時々なの」
女の子は人形遊びをよくする。
というか、ままごと遊びの延長なのかもしれない。役割を演じることが好きなのか。
私は、どちらかというとゲームをしているような、そんなタイプだったから、人と対面してそういった遊びに興じた覚えはあまりない。
小さい頃は、きっとやっていたのだろうけど。記憶は薄かった。
廊下を歩いて進み、ほどなくして階段を登る。二階の廊下もなかなか広かった。
相変わらず赤い絨毯が敷き詰められている廊下を進んで奥へと向かう。この一番端の部屋が、プッペお嬢様の部屋らしい。
その扉を開いた瞬間、私は思わず声を発していた。
「――――うっわ」
見たことのある光景が広がっている。
ベッドに、ソファに、棚に、椅子の上に、テーブルの上に。
たくさんの、羊毛フェルトの人形が並んでいたからだ。
どうか、動き出さないでください。ちょっと、マジでビビった。




