13.有耶無耶
りぃん――と。
鈴のような音がして、何だろうかと思って目を開いた。
すぐ目の前にぶら下がっていたのは、鎖に引っ掛けられた銀製の鳥篭だ。中には、斜め下から矢が貫通した心臓が入っている。
全て銀色。鳥篭のサイズは掌に収まる程度で、鳥篭の割りにはスズメすら入れそうにない。
「……うっわ」
悪趣味――という言葉は、辛うじて飲み込んだ。
矢が刺さった心臓。それが閉じ込められた鳥篭を模したネックレスを下げている人物が、私の顔を覗き込んでいる。
視線を移動させていけば、その顔には猫を模した仮面。顔立ちどころか目元の表情すべてを隠した上で、強烈なインパクトを与えてくる。
こんなもの、見間違えるはずもない。
「やあ、おかえり。ヤヨイ」
「……ただいまって、答えるのが正しいのかな、これ」
「さあ。私には分からない。君がそのように感じるのなら、それが正解なのさ。私はただ、君が此処へ再び戻るまでを待っているだけだからね。しかし我々は我々なりに、君の再来をいつも歓迎しているのだよ、ヤヨイ。それとも、ようこそと迎え入れた方が良かったかい?」
ヒューノットは口数が少なすぎるけど、シュリは饒舌すぎる。
ベッドに寝転がっていた筈の私は、草原に転がっていた。起き上がると、傍らに屈み込んでいたシュリは身を引いてくれる。
その斜め後ろあたりにヒューノットが立っていた。腕組をしたまま黙って、じっとこちらを眺めている。
やっぱり、その位置が正式な立ち位置なのだろうか。シュリがずっと、この草原にいるように。
プレイヤーがいない間、ふたりはここで何をしているのだろう。まさか談笑とか。いやいや、そんな、想像したくない。主にヒューノット。
「今回はとても早かったね。何か気になる事でも出来たのかい? 私に答えられる質問であれば、すべて答えてあげよう。そうではない場合も勿論あるけどね。その場合は、この世界で君が見つけるしかないんだよ。私は私の知りえる事の全てを真新しい大地に注ぎ込む事はできないから。乾いた大地に大量の水は寧ろ毒だよ。泥濘の上を滑る趣味がないのなら、私としては決してお勧めしないね」
やっぱり、何を言っているのかわからない。わざとか。
でも、今回は早かったと言われた。ということは、前に一ヶ月ちょっと放置した件について、シュリは認識しているということだろう。たぶん。
だめだ。
考えたところで、やっぱりわからない。
「ええと、そう。ちょっと、聞きたい事があって」
「いいよ。何でも聞くといい。私が答えられる質問であれば、すべて答えてあげよう」
「うーん、じゃあ、……単刀直入に言うけど、ここってゲームなの?」
何だか、変な聞き方になってしまった。
ヒューノットは眉間の皺を深くしたけど、シュリの方は特に変化がない。当然だ。口許しか見えていない。
「ここが君にとっての現実かどうかを問われているのだとすれば、その答えは常に一定さ」
「……ええと、つまり?」
「君の知る現実とは異なる場所だという事だけは、明確だという意味だよ」
「……じゃあ、別の意味だと?」
「我々にとって現実かと問われているのだとすれば、この世界の住人達はここ以外の世界を持たないのだから現実であるという答え以外には正答がないね」
「……うーん、つまり?」
「君の認識している現実とは異なるという点は確かな事実ではあるが、この世界においては他の現実を持ち得ないという意味さ」
やっぱりよくわからないけど、言い方を変えてくれるというのは嬉しい。
何とか、この話し方についていくことが出来れば、そのうち慣れて理解できそうな気がする。
「君は君の現実において、繰り返す事は出来てもやり直す事は出来ない筈だよ。君にとってこの世界が夢だとしても、この世界の住人にとっての現実はこの世界以外に存在し得ない。愛おしい光の子達が空を飾り続ける限り、この世界を満たす希望が枯れ果てる事はないが、君のように別の居場所へと戻る事を、そしてそのような場所を求める事を、この世界の者達は決して許されていないんだ。悪戯に沈めた光の子が海の底で嘆く事を聞き続けるのは、あまりにも胸が痛い。しかし、一度そうなってしまえば、それに抗うだけの方法がないという事さ。嘘も偽りもない。この世界の者達にとって、この世界は現実そのものであり、夢でもある。だが、全てが本物だ。決して偽者が紛れ込む訳ではない。だからこそ、その中で君という選択の指針を歓迎するという事を選び抜いたのさ。わかるかい?」
いや、全然。
とは言わなかったけど、大体そういう感じの顔をしていたのだろう。
シュリはゆっくりと肩を竦めてから、ヒューノットを振り返った。
まさか、説明を引き継ぐのかと思ったけど、当然のように沈黙が返って来た。何ら期待を裏切らないヒューノットの姿勢には、いっそお礼を言いたい気分だ。
顔を戻してきたシュリは、口許だけで薄く微笑んだ。
「では、そうだね。……ああ、分かりやすく列車に例えてみよう」
それはわかりやすいのか。
と即座に言いかけたが、何とか喉の奥に押し留めた。
ヒューノットがますます怪訝そうになっているけれど、シュリは気にした様子もない。
気付いていないとは、とても思えないけど、やっぱり彼のことは全く意識に入れていないかのように見える。
「この世界はとある列車に押し込められて、終着点が見えないまま走り続けている。いわば暴走列車さ。ブレーキも壊れ、舵取りひとつ出来ない。無論、速度を変える事などままならない。列車に押し込められた者達に出来る事といえば、狂うように入れ替わって消えていく外の景色を眺める事と分岐点を知る事くらいさ。しかし、あまりの速さに自分達は列車を降りる事が出来ない。列車の中では何でも出来る。だが、それでも、やはり列車自体に干渉は出来ない。だから、外の人間にお願いをするのさ。どうか、線路のポイントを切り替えて欲しいと。外の人間は、線路の向こう側を知る事も出来るが、場合によっては間違えてしまう事もあるだろう。間違いとなった線路の行き先を、列車の者達は知らない。間違いになるかどうかは、選ばなければ分からないからね。外の人間は、ポイントに駆け寄る事も出来るが、そのまま素知らぬ振りをする事も出来る。悲鳴を上げながら砕け散る列車の破片を浴びる事もなく、背を向けて逃れるだけの自由があるのさ。何せ、列車には乗っていないのだからね」
全然わかんない。
いや、ちょっとくらいは理解することが出来た気がする。でも、何か、そんな気がするだけかもしれない。
ストレートに受け取ればいいのか、必死に曲解すればいいのかもわからなかった。
外の人間は、つまりプレイヤー。列車の中に閉じ込められた人たちがヒューノットやシュリという意味なら、まあ、うん。
確かに、まだわかりやすいかもしれない。
あれ。でも、ゲームかどうかは答えてくれないな。
そういう類の質問には答えられないのか、シュリに答える気がないのか。微妙なところだ。
「うーん。じゃあ、もうひとつ」
「どうぞ」
「シュリは男なの? 女なの? 簡潔にお願いします」
これなら二択だ。いや、もっと複雑かもしれないけど、取り敢えずイエスかノーでシンプルに答えられるだろう。
男か女か、二択にしたんだもん!
「見たままさ」
第三の答えが出た。
何それ、どういうことなの。確かに今までを思えば、とても簡潔に答えてはくれているんだけど。
むしろ、今までの饒舌さは何処にやったのかと思うくらいだ。
いや、でも、これ以上つつくと薮蛇かもしれない。というか、そもそもこの質問ってすごく失礼な気がして来た。謝りたくはないけど。
「……じゃあ、私がここでやめたら、みんなはどうなるの?」
「再び始まるまでを待つだけさ」
これがゲームだと仮定するなら、次のプレイヤーが出て来るまで待つという意味だろう。
バッドエンドについても聞きたかったけど、それを包めるだけのオブラートが用意できる気がしない。
上手い言い回しが出来るのは、頭の良い人だけだと思う。
私がそのまま考え込んでいると、シュリはゆっくりと両腕を広げた。
「誰も君に強いる事はないさ。君はあらゆる選択の権利を得ている。それを、我々は確かに許可したのだからね。誰も君を責めはしない。君は君の思う通り、感じるがままに選択してしまえば良いのさ」
簡単に言ってくれるけど、ちょっと難しい。
これが本当にゲームの画面だったら、やらなかったと思う。気にはなるだろうけど。
シュリの傍らにいるヒューノットは相変わらず黙ったままで、話しかけても応えてくれるかどうかわからない程度の態度だ。
腕組みしてるし、ずっとこっちを眺めているし、ヒューノットは何ポジションなんだよ。
「ヒューノットって、主人公なの?」
「確かに場合によっては、そのように表現する方法もあるね。或いは、そうする事が可能だとも言える。彼はこの世界の代表さ。君の手となり足となり、時には剣となり盾ともなる存在だからね。君を守る為の鎧にも成り得て、君の望みを叶える為の手段にも成り得る。そして同時に、君は彼にとって定めそのものだ。君に選択肢を委ねる存在であり、君に運命を託している存在でもあるという事さ。逆も然り。君は彼を守る事も救う事も出来るが、勿論見捨てる事だって可能だよ。君を制する存在など、この世界にはいないのだからね。君は、君の思うがままに進めば良い」
聞いたことのある台詞が並べ立てられた。
全てが全て同じではないと思うけど、大体こんな感じのことを最初に言われた。
何だか懐かしい気にさえなってしまうのは、実際に経過した時間がそうさせているのだろうけど。
でも、懐かしさを覚えるほど、感慨深いってわけでもないというか。
シュリは口許を僅かに緩めて「本当に。見捨てる事だって出来た筈だよ」と囁くように言った。
選択をやり直した時について言っているのだろう。その言葉は、少し重い。
そもそも見捨てるという言葉が、既に自由な選択肢というものの意味をなくしてる気がする。
シュリは選択を私に委ねる。確かに何を選んでも、シュリは文句を言わないだろうし、ヒューノットも黙って受け入れるだろう。
だからこそ、その責任は重過ぎる。ただ、逃げ出すのならチュートリアルの直後にするべきだったのだという気持ちもある。
関わってしまった理由を、誰かが納得できるように説明できる気がしない。
チュートリアルの時はシュリのことが、そしてあの時はヒューノットのことが、どうしても気になってしまったのだから。
そこで、ふと思い出した。あのとき、シュリは何と言っていたか、だ。
深く受け止めなかったけど、今なら理由があった台詞だったと思える。
『我々の不躾で不器用な招待を、どうか許して欲しい』
シュリは確かに、そう言っていた。
「……ねえ」
「何かな」
「……私って、何の為に呼ばれたの?」
そう問い掛けると、シュリは珍しく即答しなかった。
答えを口にするでもなく、かといって答えられないといった様子でもない。しかし、返されたのは沈黙だ。
数秒ほどしてから、シュリはゆっくりとヒューノットに視線ごと顔を向けた。
答えを求めるように見えたけれど、ヒューノットは僅かに目を細くしただけで、特に何も言わない。シュリは軽く肩を竦めてから、私に視線を向け直した。
「――ヤヨイ。それは、いずれ明確になる事さ。"百聞は一見に如かず"だからね。それに真実というものは、進むうちに断片が集まっていく。そういうものだよ。君には、この世界の行く末を定めてもらいたいのさ。しかし、それは単なる終焉ではない。終わりを経てこそ繋がる始まりへと導いて欲しいんだ。列車が谷底に落ちないように、どうかレールを繋いで欲しい――彼らの為に」
ラーメンを知らなかった割に都合の良い言葉は知っていて、シュリは本当にずるい。
彼らと示されたのが誰なのか。そのあたりは、少し気になるけど。それよりも。
「さあ、ヤヨイ。世界を始めるのなら、向かうべき場所がある。閉じるのなら、いつでも私を呼ぶと良い」
シュリの違和感に聞きたいことがあったのに、あっさりと扉が開かれた。
いつから、そこにあったのか。なんて、気にするだけ無駄なんだろう。
この草原の――というか、この場所自体、全てに繋がっているらしいから。
黄色に染められた観音開きの扉が大きく開かれて、まるで私を飲み込むように通り過ぎていく。
扉から動いてくぐらされるなんて、本当に強引だ。後ろを振り返ると、当然のようにヒューノットがいた。
前を向くと、遠くに洋館が佇んでいるのが見える。
「――行くぞ」
私が沈黙していると、ヒューノットがやっと声を出した。
脇を通り過ぎて先に歩いて行ってしまう。何というか。私が付いてくるという確信でもあるのだろうか。
このまま回り右をしてやろうかと思ったけど、シュリならともかく、ヒューノットに叱られたら本気で怖い気しかしない。
「……はーい」
いや、訂正。シュリだって、怒ったらめっちゃ怖そうだ。
表情が分からない分だけ、謎の怖さが絶対あると思う。ヒューノットの方はまだストレートな怖さだ。
だからって、それがマシだなんて思わないけど。
ともかく。
ヒューノットを追いかけて、洋館へと向かう。
暫く歩いていけば、背の高い柵に囲まれているのだと分かってきた。
近付けば近付くほど、よくわかる。
色とりどりの花に囲まれた白亜の洋館は、校舎じゃないのかよと思うくらい大きかった。




