12.にちじょうからのひやく
――どちらかといえば、その逆だ。そう、情熱がない。
昼過ぎに目を覚まして、ものすごく後悔した。
連休が残り少ない。本当に何をしているんだろう。
ご飯が食べたいなと思って炊飯器を覗き込んだけど、ああ、うん、炊いてなかった。
食パンもない。ええー、ここ数日の自分、信じられないんだけど。
「仕方ないか……」
自分に言い聞かせるように、わざわざ声に出してみた。
ひとまず顔を洗って、髪くらい梳かして、服を着替えて、玄関へと向かう途中でサイフだけは手に持った。
これだけの流れで既に面倒臭い。だめだ、このままヒッキーとして生活するなんて出来ないのだから、きちんとしないと流石にやばい。
徒歩で行こうかとも思ったけど、何となくだるい気がして自転車に乗ることにした。
ブレーキがキィキィとうるさくて、そろそろヤバいんだろうなって三ヶ月くらいずっと思ってる。油くらい差さないとな。
いつもの道を通って、一番近いスーパーへと向かう。
隙間に捻じ込まないと止められないくらい混雑している駐輪場は、今日もやっぱり満杯に近い。
自転車から忘れず鍵を抜いてスーパーに入ると、軽く震えが走る程度によく冷えた空気が出迎えてくれた。
自炊する気なんてさらさらないから、野菜コーナーは完全スルーだ。そもそも、どれが安いのかとかすらわからない。
袋ラーメンに追加したら美味しいから、もやしだけは買っておく。こいつは、いつだって安い。ありがとう。
あとは豆苗も時々安いけど、今日は100円を超えてたからやめた。
ちょっと迷って豆腐をカゴに入れたけど、ネギは切るのが面倒だから無視だ。
本当は欲しいんだけど、まあ、なくても冷奴はおいしいです。切ったネギが入っているパックは、もうなくなっているようだ。うん、諦めよう。
鮮魚コーナーでは、安めの刺身を狙う。焼き魚は無理。掃除が無理。フライパンで焼くとかもっと無理。そんなスキルは備わっていない。
惣菜コーナーでサラダを物色したけど、いまいちピンと来なかった。
冷食コーナーでジューシーが謳い文句のからあげとチャーハンを、ついでにカップアイスも放り込んでから、愛しのラーメンコーナーへと向かう。
おお、いつもよりちょっと安い。袋ラーメンとカップラーメンを買い物カゴに確保して、飲み物の冷蔵棚を覗き込む。
そして、紙パックの牛乳とペットボトルのお茶をゲット。自転車で来ていなかったら、こんなものまで買っていない。
さっさとお会計を済ませて外に出る。いつもの流れだ。特にこれといって、何ということもない。
前カゴに袋を放り込み、自転車を引っ張り出す。この作業だけでもひと苦労だ。家から近いから、まあ、許す。
上り坂に差し掛かったあたりで、飲み物重いなぁとちょっと後悔した。こういう時だけ、車が欲しい。ペーパードライバーだけどな。
家に帰ってキッチンで仕分けをして、冷蔵庫に詰め込む。
相変わらず、チルドには何を入れたらいいのか。いまいち、わからない。
野菜室は当然のように空っぽ。冷凍室はからあげとチャーハンでいっぱいになった。その隙間にアイスを捻じ込む。
あまり詰め込みすぎると、冷凍効率だとかそういうのが下がるらしいけど、知ったことじゃない。
気にしていたら、買い物なんてできなさそうだ。中身のなくなった買い物袋を丸めていたところで、ふと気が付いた。
「……しまった、プリン忘れた」
買いたい気分だったのに。
こういう買い忘れは、ちょっと腹が立つ。
必要なものを忘れる時は、まあ、欲しいものだとは限らないからいいんだけど。
食べたい気分だったのに忘れた時は、自分にムカッとしてしまう。
留守番させてしまったスマホを手にしてみるけど、友人たちからのメッセージが数件あるだけで、何も問題はなさそうだった。
「……」
問題なんて、そりゃないんだけど。あるはずも、ないんだけど。
色々と釈然とせずに、くしゃりと前髪を掻き乱した。
あれが普通のゲームではないことくらいは、わかっている。
VRが流行りつつあるとはいえ、あんなリアリティがあって堪るかという気分だ。
関わってはいけないものに関わっている感じはある。
バッドエンドしかないゲーム。そうは聞いていたけど、シュリの動きを思うと何だか少し違うような気がする。
私は、正義感とか義務感とか、そういうものに駆られて行動するほど、熱血漢ではない。どちらかといえば、その逆だ。そう、情熱がない。
ただ、放り出すことは得意なのに、どこかで引き摺り続けているという指摘もあながち的外れなものではなかった。
こんなにずっと気にしてしまうというのも、今まではそうそうない。
いや、無意識のうちではあったのかもしれないけど、そんなの自覚しているうちに入るはずがない。
「でもなぁ」
刺身をワサビ醤油で食べながら、じっと考え込んでみる。
同じような体験をした人が全くいない、とは考えられない。私にはそこまで強い選民意識はないのだ。
かといって、闇雲に探すのは無理だろう。私がおかしい人扱いされてしまう。
そもそも自分だったら、探されたところで名乗りを上げたりしない。ネット上でもそうだし、リアルだったらもっとそうだ。万事休す。
でも、例えばあの"白い石"について書き込んでくれた人あたりは、たぶん知っていて言っているはず。だと、思う。
当てずっぽうだとしたら、あまりにもピンポイントだ。
私が正解を知っているから、あのキーワードが目に付いただけ、と言われたら確かにそうだけど。
本当はあっちが現実で、こっちが夢なんじゃないかという気もして来たけど、そこはもう、あれだ。
今までの自分を信じよう。そんなことを言い出したら、世界は七秒前に生まれただとか何だとか、そういう説にまで肯定を明け渡してしまう気がする。
分岐点でセーブがあるとして――それも便宜上ではあるんだろうけど――、それなら選択肢を間違える度に、シュリが正しい方向へと導いてくれるのではないか。
そう考えてみたけれど、だとすれば私が選ぶという意味がない気がする。
選ばせる必要性が、あちら側にあるはずだ。
そもそも、二回目は選択肢以上のことをしたし、ヒューノットも選択された行動以外のことが出来ない訳ではなさそうだったし。
それも、私が言い出したからやらざるを得なかったと言われたら、まあ、私に選択肢を委ねているという前提が正しいのなら、確かにそうだろうと納得できる。
結局、結論なんか出なかった。
カップアイスを食べながら、またスマホを弄って検索をかけてみたけど、収穫はこれといって特にない。
相変わらず、バッドエンドだけのクソゲー扱いだった。私が見たはずのプレイ動画も、見つけられない。削除されたかなー。
醤油の小皿と箸、そしてスプーンをささっと適当に洗い、刺身とアイスそれぞれの容器を捨てて部屋へと戻る。
室内は相変わらず、何の変哲もない。
シュリを呼ぶまではここで普通に生活をしていたのだから、やはりあちら側から強引に手を出してくることはできないのだろう。
あるいは、その為の準備とか、そういうものかもしれないけど。
「……ううん」
聞くしかないのだろうか。
でも、聞いたところでシュリの説明は、やっぱりどうにもわかりにくい。
噛み砕いて説明してくれる気もしない。かといって、ヒューノットにそういうところは期待しにくい。
というか、ヒューノットには色々と期待しにくい。
そこまでする必要もないし義理もないし、そこまでしなければならない理由もないけど、それでも気になるのだから仕方がない。
この気持ちまで仕向けられているのだとしたら、私は最初から白旗を上げる以外に選択肢が残されていなかった。
ここに来る必要はないんだろうけど、スタート地点だから、ついパソコンの前に立ってしまう。
シュリの名前を呼ぶというか、シュリ自体を呼べばいいというのか。そんな感じだろうか。
名前は正確でなくても良かったのだから、つまり呼ぶという明確な意思が必要というか。
何というか。つまり、そういう流れだろうか。石だけに。
「……」
ああ、うん。今のは失敗した。自分でイラッとした。ちょっと、ひと呼吸を置こう。おかしくなってる。
ひとまず椅子に腰掛けて、もう一度検索を掛けてみることにした。
パソコンはトラウマになりそうだから、スマホを活用だ。ダメモトで、匿名掲示板にも書き込んでみる。
何か色々ジャンルがあるから、もうマルチポストみたいになるけど。仕方がない。この際、どうにも仕方がない。
動きの早い場所だと、どんどん話が進んでいって流されるし、ちょっと緩いところだとツッコミが入ってくる。
うるせえ、草を生やしてんじゃねえ。古いぞ。過疎っているところだと、そもそも見ている人がいるのかどうかも怪しい。
できれば、何か知っている人がちらっとでも絡んでくれると嬉しいんだけど、やっぱりなかなかそういうのはない。
「あー」
前の書き込みは、いわば奇跡だったのだろうか。
それとも、やっぱり私の思い込みで、全く関係のない書き込みをそうだと決め付けてしまったのかもしれない。
意味もなく声を上げて、椅子の背にぐっと体重を掛けて凭れ掛かる。
もう、こうなったらやけっぱちだ。
ヒューノットやシュリの名前を入れて、こういうゲーム知りませんかという方向性で質問してみることにした。
ああ、うん。まあ、クソゲーですよねって返って来るのは想定済みだ。
でも、求めているのはそういう書き込みではない。流れが早すぎて話題があっという間に別のものになってしまう。
こういうところが厄介なんだ。刹那主義かお前ら。いや、全力ですらないのだから、刹那主義に失礼か。ううん。
しばらくの間、色んな掲示板や質問コーナーを彷徨ってみたけど、ろくな反応は得られなかった。
世間的には、私の方がおかしいことをしているというのは、重々承知なんだけど。
まあ、それにしてもガッカリだ。ネットなんて、この程度か。とか、適当な感想を抱きながら、スマホをベッドに放り投げた。
私は通知が来ないと、SNSすらチェックしない類の人間だ。自分の書き込みに対する明確な形ですらない返しを、いちいち確認するという作業が既に苦痛だった。
バッドエンドが約束されている。
すべてのプレイヤーが、バッドエンドを経験している。
バッドエンドの数は増えていて、ハッピーエンドがないクソゲー。
ベッドに放り投げたスマホを見て、ふと思った。
あちら側にモノを持ち込むことが出来るのだろうか――既にあちらとこちらで考えているあたり、順応性のすごさを自分で発見したけど――例えば、服は変わっていなかった。靴は勝手に履かされていたけど。そこは助かるから別にいいとして。
例えば、スマホとか。あの場所になさそうな類のものを握ったままで、シュリを呼べば行けるのだろうか。
「……あーっ!」
考えたところで意味なんてない。
私の中に答えがないことを、私だけで考えていたところで無意味すぎる。
定期試験も解けなくなったら、即座に諦める私を見くびってもらっては困る。
大きな声を上げてから、椅子を揺らしてベッドの上にダイブした。
その勢いで跳ね上がってしまった枕が床に落ちたけど、今は放置しておこう。
やけっぱちついでだ。
スマホを握り締めてベッドに寝転がったまま、ぎゅっと目を閉じて
「シュリーッ!!!」
大声で叫んでみた。




