11.きゅうさいしょち
――シュリの素顔というのは少し気になる。
「――おめでとう、ヤヨイ。君の選択肢は、正しかったというわけだ。それが証明されたようで何よりだよ」
元の草原へと戻った私たちを出迎えたのは、やっぱりシュリだった。
相変わらずの仮面をつけた姿のままで、軽く両腕を広げて歓迎しているような調子でポーズを取っている。
その胸に飛び込む勇気は、私には全くない。そして、ヒューノットにはそんなノリが存在しない。
結果として、シュリは空回りになってしまったけれど、慣れているようだった。
「正しかったというか、何というか、だけどね……」
「いいや、正しかったのさ。彼が無事である事が何よりの証拠だ。違うかい?」
そう言われて、何となくヒューノットを見た。
彼は、もう既にこちらに興味などないらしく、シュリの隣に立っている。
よく知らないけど、あそこが定位置というか。ポジションとして正しいのだろうか。
チュートリアル後にロードした時も、そこにいた気がする。
「あー、あのさ、シュリ」
「セーブなら、もう完了しているよ。君は無事に彼らを救って、ここに戻って来たのだからね」
あ、声を掛けなくてもいいんだ。
というか、そんなオートセーブ式だなんて知らなかった。
イベント戦闘後とかイベントムービー後とか、そういう扱いなのかもしれない。
そんな大それたものではなかったような気がするけど、まあ、有り得ないことでもないかと思っておくことにした。
名前を呼んだだけなのに、察しが良い。まあ、助かるんだけど。
「さあ、世界を閉じるかい? たくさん動いて疲れただろうから、ゆっくりと休んで戻っておいで」
「ロードすること前提なんだ……」
「勿論さ。君はきっと、前に進みたくなる。彼が終わってしまった時に、もう一度始めたがっていた時と同じさ。物事を中途半端に放り出す事を、君は心のどこかで嫌がっている筈だよ。手放す事の出来ない憂鬱は、解決させたい気持ちの表れさ。実のところ、解けない謎なら捨ててしまった方が早いのだからね。それでも傍らに佇む事をよしとしているのは、いつか紐解く日を待っているという事だろう?」
相変わらず、何を言っているのかはわかりにくい。
ただ、積みゲーがたっぷりあることがバレているような気がした。
何もかも中途半端だ。私は飽き性だから。なのに、終わらせないといけない気になっている。それは、確かにある。
どうしてなのか、理由なんてわからない。たぶん、気分の問題だ。
シュリは口許に笑みを浮かべると、胸に手を当てて深い一礼をした。
「――――ゆっくりお休み、傍観者」
シュリの言葉が終わったあと、ひと瞬きの間に景色が変わっていた。
目の前にあるのは、パソコンデスクとパソコンのモニター。
後ろを振り返れば、カーテンを引いたままにしてある窓と何の変哲もない壁。
戻って来たのだと思うには、あまり時間が経っていないように見えた。
手元に視線を落としても、あの白い石はない。回収されたのだろうか。
確かに現段階では、石があってもなくても、あまり変わらない気がする。
汚れた靴は履いてなくて、素足だ。
土ぼこりで汚れていた服は綺麗になっていて、砂っぽかった全身も元に戻っている。気がする。
疲れただろうとシュリは言っていたけれど、感覚としては全然疲れていなかった。
草原にいた時点では、確かにだいぶ疲労感があったんだけど。
こちらに戻って来た、というかゲームが終わったらか。
疲労感はなくなっている。
「…………」
思うところは色々あったけど、ひとまずシャワーを浴びることにした。
感覚的には汗をかいたし、汚れているような気がするし。どっちにしても、外出の予定はないけど。
考えても結論が出ないのなら、考えるだけ無駄だ。
習うより慣れろ、朱に交わっては赤くなれと言うし、ようするにそういうことなんだ。
先人はいいことを言うなぁ、と適当に考えながら、ざっとシャワーを浴びた。
髪を洗う間も身体を洗う間も、何となく気になって扉を見るけど、別にすりガラス越しに人が立っているとか、そういうホラーなことはなかった。
浴室から出ると、外は夕方ではなくて夜になっていた。丸一日経ったわけじゃなかろうなと思って、スマホを覗き込んでみたけど、日付は変わっていない。
同じ時間にゲームをして、終わっても同じ時間に戻って来ている。本当にわからない。
わからないというのなら、最初から色々とわからないんだけど。
髪を乾かしてお茶を飲んで、お湯を沸かしている間にカップラーメンを用意する。沸騰したお湯を注いで三分を数える間に、デスクの前に戻って来た。当然、ラーメンも連れて来た。
「ううぅん……」
シュリの名前を呼べば、例えそれが正しく呼べていなかったとしてもロードになる。らしい。
つまり、呼ぶというか考えていれば繋がるという感じなのだろうか。
沈黙したままのモニターを眺めていたところで、確かにどうしようもない。
椅子に腰掛けてスマホで検索してみた。
攻略サイトは確かにある。バッドエンドの紹介コーナーを覗きに行けば、色んなパターンがあるようだった。
その中にあった"フェルト街"の文字に、びくっとしてしまう。同じゲームをやっている訳だから、同じ場所に辿り着いたとしても不思議ではない。
戦わない選択肢の果て、ヒューノットがあんなことになって、つまりあれがバッドエンドなのだろう。確かにヒューノットが主人公だとすれば、あれがバッドエンドで間違いない。思い出したくもなかった。
「……あれ?」
待てよ。だとしたら、他の人の時には、シュリが声を掛けていないのか?
そんな、対応が分かれるようなパターンがあるのだろうか。
さすがにバッドエンドの中身を読むだけの度胸はなくて、すぐにメニューを開いて次のコーナーに移った。
"主な登場人物"の欄には、ヒューノット、そしてシュリュッセルという名前が載っている。ただ、それ以外の名前はなかった。グラオさんやゲルブさんは、モブ扱いなのかもしれない。
確かに、ボス戦という感じでもなかった。
選択肢を選ぶだけなのだから、攻略も何もあったものではない。戦闘画面になられても、真剣に困ってしまうけれど。
それにしても、シュリの名前って音だけ聞いても難しかったけど、文字にしても面倒臭い感じだ。
これが正解なのかどうかも、ちょっと自信がない。ヒューノットの紹介は、『主人公。男。特に喋らない』としか書かれてなくて、ちょっと笑ってしまった。いやいや、割と喋るし口も悪いよ。と言いたい。
そして、シュリの紹介には『案内人。スタート画面の人。一部プレイヤーの情報によると、仮面を外せる隠しイベントがあるらしい』と書かれている。
雑。情報が雑。所詮はクソゲーだから情報提供者が少ないのか、面倒臭いのか。
わざと隠しているのか。ただ、この情報が正しいなら、シュリの素顔というのは少し気になる。
「いや、いやいや」
そうは言っても、そんな隠しイベントは薮蛇になる可能性もある気がした。
溜息をついて、画面を上から下まで適当に眺めてみる。
しかし、バッドエンドを経験したあと、救済処置のようなことが起きたという話は見られない。
おかしいな。他のプレイヤーが選択したとき、シュリは何をしていたんだろう。
いつの間にか真剣に読み込んでいたけれど、目が疲れてきて諦めた。
カップラーメンを見ると、とっくに出来上がっていて汁っ気がなくなりつつある。うわ、最悪。
慌てて箸を突き入れて食べてみたけれど、まあ、うん、ギリギリ許容範囲かな、という感じ。
デスクの上にカップラーメンを置いて、片手で食べながら片手でスマホを弄る。
行儀が悪いけれど、誰も見ていないのだからいいだろという気持ちと、皆も家ではこんなものだろという気がした。まあ、うん。言い訳だ。
それからしばらく、攻略サイト内や掲示板を覗いてみたけれど、シュリの動きはさっぱりわからなかった。それとも、大抵の人はバッドエンドで諦めてしまったのだろうか。
いやいや、中にはガチ勢みたいな、絶対にクリアしてやるみたいな、そんな人だっているはずだ。そう思って、色々と検索を掛けてみた。
それでも、やっぱり特にこれといって、それらしい話は出て来ない。
こうなったら、シュリ本人に聞いた方が早い。
自分で書き込みする戦法は、結構メンタルに来るというのが前に判明したし。匿名掲示板じゃなかったら、あの白い石について書き込んでくれた人を追いかけるんだけど。
まあ、うん。無理。ネットの海は、私には広すぎた。
しっかりとスープまで飲み干して食べ終わったカップラーメンの容器をゴミ箱に落としてから、何ともなしにパソコンを立ち上げてみる。
漂うラーメンの香りは、あとで換気するとして。モニターを眺めていると、まさかのブルースクリーン。
「…………」
嘘だろおい、と言いたい気分のまま、電源ボタンを押して強制的に落としてやった。いや。いやいや。そんな馬鹿な。
でも、確実におかしくなっていたっぽい。最悪だ。
ひとまず立ち上がって、箸を片手にキッチンへと向かう。適当に洗って拭いて、箸立てに放り込んだ。
一人分しかないのに、どうして箸立てなんか買ったんだっけ。
ああ、たぶん、ノリだったと思う。たぶん。
何か、色々と萎えた。
お腹も満たされたし、シャワーも浴びたことだし、もう寝よう。そうしよう。
水を飲んでベッドに向かったけれど、何となく気になってパソコンを見た。
見たところで、私にはそういう技術はないし、バックアップとかそんな頻繁に取ってない。
諦めてベッドに寝転がると、一気に疲労感が押し寄せた。
握ったままのスマホを見る元気さえなくて、あっという間に夢の中へと引きずり込まれていく。
デスク上に白い石が転がっているように見えたのは、気にしないことにした。




