スジャータ
ウソ歴史
実在する個人、団体等とは一切関係ありません。
「お嬢様、ここにも見すぼらしいのが一人。こっちは倒れてます」
俺は騒がしい声に目を覚ます。一体ここはどこだ。
「お嬢様なんて恥ずかしい。私はもう人の妻ですよ」
「つい、いつもの癖で。失礼しました、新婚のお嬢様」
俺はうつ伏せのまま、状況把握に努める。女が二人、無警戒に近づいてきた。
「全く……それに見すぼらしいなんて失礼です。確かにその通りですが、はしたないですよ」
後ろを歩くご新造さんが楽し気に声を弾ませつつ女中をたしなめた。転じて戸惑いの声。
「でも、どうしましょう。持ってきた粥は一皿だけ」
「そんなのは簡単、こうするんですよ」
ご新造の懸念もなんのその、女中は俺の唯一の持ち物である天秤の皿を吊り紐から抜き取るや、手刀で持参の粥の半分を乗せる。計るまでもなくキッチリ二等分だ。
”頼むから使ってくれ。この見すぼらしい男の天秤に正しい活躍の場を与えてやってくれ”
俺は心の中で弱音を吐いた。意識は混濁し始め、屈辱の記憶が蘇る。
ホワイトライダーが言った。
「天秤が武器ってしょぼくねえか?」
彼は王冠と弓を持つ。
確かに天秤は武器としても、今日日ラノベのギミックとしても扱いづらい。
レッドライダーが低い声で賛同した。
「俺も薄々思ってたぜ。それに空腹など籠城戦で事足りる」
彼は剣を持ち、戦争を司る。
俺は反論する。
「飢饉な。規模が違う」
「餓死には変わりねえ。それに戦争の刺激で発展する文明はいずれ飢饉をも克服するだろう」
俺の反発が面白くなかったのか喧嘩っ早いレッドライダーが俺を貶める。お前は人間の敵なのか、味方なのか。
俺はすがるように小男を連れた第四の男を見やる。彼は言った。
「俺はほら、名前の響きが良いだろ? ペイルライダー、ペイルライダー……」
ぶつぶつと自分の名前を連呼し始めた。
そう、俺はブラックライダー、飢饉を司る者。黒馬にまたがり手には天秤を握る。
ハッと目を覚ます。俺のアイデンティティー、その名の由来たる肝心の黒馬はいずこ?
俺が周囲を見回すと一人の修行者と目が合った。
その男は大樹の前で座禅を組み、手には粥の皿。貰いが減ったにも関わらず仏の笑みを浮かべている。
こちらの覚醒に気付いた女中が俺に皿を手渡そうとした刹那、大樹の影と見紛えた黒馬がにゅっと顔を寄せ、皿の粥をぺろり平げた。
「……女よ、粥に見合う望みを言え」
俺は一目で主と分かるご新造に問いただす。頼まずとも身内が食したのだ、施しを受けたには違いない。天秤を持つ者として等価交換は譲れない矜持だ。
しかし彼女はただ微笑むばかり。
気付けば黒馬が件の修行者に寄り添っている。
狙いは粥なのか、チラチラと男の皿に目配せしては断念を繰り返す。その様はまるで食欲と羞恥に悶える渇喰の恋人。
「やあ、カンタカまた会えたね」
目線だけでは我慢ならず往来し始めた馬の喉を男は撫でながらそう言い放った。
待て待てその馬は、我が馬ではないのか?
記名こそ無いが姿形は見間違えようもない。
質問が喉元に達した。しかし俺がついぞ見たこともない――同じ釜の飯仲を超えて恋仲に思える――程の馬の懐き具合に、異を唱え人馬再会に水を差すのは野暮に思えてきた。
”カンタカ”とは何か? 空腹を愛し空腹に愛された俺には分かる。
釈迦の愛馬。釈迦と同時に生まれ、釈迦が修行するために離れ離れになると絶食による自死を選ぶ。
罪深き馬よ、もしもお前が俺の持ち馬だったのなら俺は、自ら飢餓を望み死を厭わぬ勇気ある馬をそんな事とはつゆ知らず主人面で従えていたとでも言うのか。空腹以外の取り柄も無しに、滑稽にも程がある。
はたして馬がこの邂逅を望んだのか……いや、それだけではない。
兄弟にさげすまれ、失意のどん底に叩き落された俺もまた、古今東西この世の飢餓の苦痛をその一身に背負わんが如く修行する目の前の男、つまりは釈迦に時空を超えて引き寄せられたのだ。
自説の信憑性に満足していると、にわかに草原が騒がしくなる。
そこらの兎が巣穴から驚いた様子で顔を出す。
馬が女二人を追い立てるように避難した。
「欲望を否定する奴はいねがー?」
釈迦を背後の大樹もろとも踏み潰さん勢いで巨象が近づいてきた。
声の主は象に乗った男、同じ文言を大音声で繰り返し叫んでいる。
象は俺と目が合うと足をすくませ動けなくなる。
「おい、何をしている」
男の叱責。
「俺は隣のあの男が怖い。近寄りたくない」
象がしゃべった。
「この役立たずが!」
男が象から跳ね降りた。
結跏趺坐。動かぬ釈迦に男が勝負を挑む。
「俺が勝敗を見定めよう。この天秤に誓って」
状況を察し、象を威圧したことで威厳を取り戻せた俺は気を良くして審判を買ってでる。皿に微量の粥が残ったままの天秤は傾いていた。
「勝手にしろ」
男が叫ぶや釈迦に三人の美女をけしかける。
釈迦が慈しむように粥を食す。
剣呑な男と釈迦との間の明らかな温度差、粥の恩。
様々な思惑が交差する中、俺には審判として介入することで場を穏便に収める意図など――天秤なれど――サラサラない。俺に有るのは純粋な審判欲、単に比べるのが好きなだけだ。
釈迦が食事の手を休めて語り出した。
「巨象、ギリメカラ。彼の眷属は先の先の未来、戦争の影響で飢えに苦しむことになるのです。それが本能的に分かるのでしょうね」
なるほど、さすがの俺も巨象の眷属の未来の腹具合までは管轄外。飢饉の申し子と言えど心当たりが無くて当然だ。
それにしても覚者候補とはなんと便利な存在か。釈迦は美女にまとわりつかれながらも唐突な怯えの原因を解説してくれた。
その間も色仕掛けは続き、美女が懸命に誘惑するものの釈迦は眉一つ動かさない。
東洋のエミネムさん。その博識な脳髄には美女などてんでお話にならない程のエロ知識が蔵されているとでも言うのか。
俺は感心すると同時にその解説にこそ引っかかった。あの巨象を怯ませられたのは結局は戦争ありきなのか、飢饉とはやはり四天王最弱……。
第一波を諦めた男はまるで手品のように次々と武器を呼び出しては釈迦に投げつけ、ガードを削る。
それぞれの武器に幻では真似できぬ程の存在感と殺気が漲っている。落ちた武器が大地に残る。
実体……気力でかなう相手ではない事など、戦っている本人こそが百も承知なのだろう。
ではこれは物質転位なのか? 俺はその推測にそこはかと無い違和感を覚えた。
巨象は前座、美女の加勢は余興だとしても、裸一貫の相手に召喚などという外部ツールの利用はいただけない。毒霧もあらかじめ仕込んでこそ趣きがある。
知ってかしらでか言われずとも男はその情緒じみた不文律を守っているようだ。
例えどんなに憎くとも、男はケチ付けようのない完全決着を望んでいるのだろう。
つまりは俺の見立てが確かならば、この男はこの場その身で実体を生み出しているのだ。
「ほう」
俺の口から感嘆の声が漏れた。天秤しか持たぬ俺にはなんともうらやましい御業。
なればこれら数多の武器の源泉は何か? それは生命や財産ではなく業だ。
この男は常人ならばパンクしかねぬ程の業に浴しながら、それに見合った息苦しさに悶え苦しむ様子などおくびにも出さない。
きっと男はゆっくりと無理せず長い時間をかけて、業の解消に励むつもりなのだろう。
されど欲しいに任せて武器を乱発しておいて清算は後回し。はたしてそんな虫のいい話が等価でまかり通るのだろうか?
俺は試合見届けの役目を抜きにしても、その帳尻に大いに関心が湧いた。
第二波開始から2分経過、男に動揺が見え始めた。
それは有効打のないまま無益に消費した業の課金ガチャ的後悔の念ではなく、防戦一方ながら今だ涼しい顔を崩さない釈迦への苛立ちであろう。
無視にも似た屈辱が男をヒートアップさせる。その形相たるや眼光は不倶戴天と呪い殺さんばかり、額の青筋はち切れんばかりだ。
釈迦がぽつぽつと呟く。
「tool……道具、手段、手先、……そして――」
それはまるで俺の先だっての思考を読んだかのセリフ。その最中、うなだれ――戦意喪失か?――見やるは組んだ足の叉。そこにあるのは空の皿。
「 」
唇が動いた。釈迦は男にだけ呼び掛けたのか? 声はか細く、馴染みない単語のせいもあり俺は聞き逃した格好だ。
対する男は毒気を抜かれ、この手に武器をと求めた物は気付けば色鮮やかな花鎖。
「勝負ありだな」
俺は宣言する。公平な判定、男は潔く負けを認め身を引いた。
辺りが静寂を迎える。
敗北が人を育てる事は多々あれど、釈迦に挑んだあの男はこの一戦を経てある種異様な成長を遂げた。
末は最終戦争か、35億の旗頭。
男の顔からは不倶戴天の敵と相対するといった険が消え、その堂々たる風格は今や人魔を分かつ首魁のそれである。
しかし一皮むけたのは何も男に限ったことではない。些事恐縮なれど俺の武器への執着が消えた。
◇◇◇
かつて黒馬を従えし第三の男は、仏教と共に日本に流れ着く。
平成の世、それは飽食の時代。
フードロス、溢れんばかりのオリーブオイル……人類は飢饉を克服したのだろうか。
「こんなに食えるか」
傲慢な客が店主を苛立たせる。お残しは人と食材、共に不幸。
そしてサイレントキラー、第三の男が力を振るうまでもない。
ブラックライダー、飢饉を司る男。はたして彼は最弱なのか。
”小麦は1コイニクスで1デナリオン。3コイニクスなら1デナリオンの10ヶ月払い”
第三の男は今、黒馬の代わりに借金トリを従え、手には両替商を端緒とする銀行業を意味する天秤を持っている。リボ払い契約で地上の人間をじわじわと絶望に至らしめる役目を担っているとされる。
(完)
勝敗モチーフ:バキvs猪狩