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ファントムレイジ  作者: 高坂はしやん
深夜一時の奇奇怪怪
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深夜一時の奇奇怪怪⑥

 外で活動する部活の明朗な掛け声を聞きながら渡り廊下を渡りきると、旧校舎の立て付けの悪い戸を開く。


 旧校舎一階の廊下が薄暗いのは、西に傾いた陽の光が新校舎に遮られているのと、廊下の蛍光灯の殆どが交換を必要としているからだ。戸を閉めると、外の音がくぐもって遠くなる。人気のなさも手伝って、まだ陽がある時間帯だというのに、夜に似た気味の悪さを感じる。

 歩く度、上履きが廊下を叩く乾いた音が僅かな残響音を纏って反射する。その音だけが目立つ廊下の突き当たり、オカルト研究部の札を掲げた教室に辿り着く。札の上の小窓から、光を放つ室内の蛍光灯が見える。人が居る事を確信して戸をノックするけれど、返事はない。

 すぐさま戸を開ける。


「なんだ、ポルターガイストかと思ったのに、残念」


 戸を開いた私に向けられたのは、少なくとも歓迎としては受け取れない言葉だった。言葉の主は、室内の壁一面に建てられた本棚の一角で、分厚い本を読みながら直立していた。


「えっと……すみません。返事がなかったので。おっと」


 戸を閉めながら教室内に足を踏み入れる。その一歩目で、なにかに蹴っ躓いた。視線を下に向けると、教室内の床一面には本が散乱していた。


「ああ、すまん。片付けしてなくて」


 言って、男の人は読んでいる分厚い本を本棚に仕舞うと、床に散らばった本の隙間を軽快にステップして、教室の中央に置かれた木目の丸テーブルに直接腰かけた。


 異様な教室だった。


 壁一面は本棚で、床一面には本が散乱している。中央に空間が空いているかと思えば、木目の丸テーブルが一卓と、高級そうな椅子が二脚。テーブルの上には、コーヒーメーカーと大きな籠が置いてある。

 それと、普通の教室と同じ様に、掃除用具が入れてあるのであろうロッカーが一つ。


「用事は? 間違えてこんなとこに来る訳ねえし、入会希望?」


 男の人は言いながらテーブルの上に置かれたコーヒーメーカーからポットを外すと、籠から自分の物と来客用と思われるカップを取り出してコーヒーを注いだ。


「いえ……聞きたい事があるのと、読みたい本があったので」


「ああ、地域伝承や祭事なんかの本はここにしかねえからな。珍しいな、逆廻がそんな事に興味あったなんて」


 散乱した本の隙間を縫って丸テーブルまで来て、驚く。初対面である筈の男の人に名字を呼ばれた経験は、今が初めてだ。

 男の人は籠の中からスティックシュガーとシロップ、スプーンを取り出してカップに添えた。


「どうして私の名前を?」


「陸部の顧問が俺のクラスの担任なんだよ。すげえ運動神経いい一年が居るのに、部活に入ってくれないって嘆いている。ついでに一緒に居る子も誘ってるって話を散々聞いたからな。椅子、座っていいぜ」


 脳裏に、椎田先生の執拗な勧誘が浮かんだ。それに、改めて自分がついでだと言われると、凄く複雑な気分になる。それを掻き消す様に、出されたコーヒーをブラックのまま一口飲んで、言われるままにレザーの高級そうな椅子に座った。


 来客を想定してか、椅子には埃一つない。


真田さなだ


「え?」


「三年の真田(はるか)だ。オカルト研究部の部長をやっている」


「あ、こんにちは。えっと、知ってると思いますけど、一年の逆廻真凛です」


 マイペースな真田先輩に、少し委縮する。自分も比較的マイペースな方だとは思うけれど、能動的なマイペースは苦手だ。


「で、聞きたい話って? 授業のレポートかなんか?」


「あ、いえ……その」


 本来ならば、話の本題を切り出すのに余程の後ろめたさがなければどもる様な事はないけれど、オカルト研究部のその名前から、もっと奔放な、もっと突拍子もないような、趣味の延長線上での活動をしているものだと思い込んでいた。


 実際に教室を訪れてみれば、少なくとも教室内にある本を見渡す限り、その活動は民俗学や文化人類学といった、学問を主体とするものの様に思えた。だから、都市伝説などの話を切り出すのは場違いに思えてしまい、少し言葉にするのが憚られた。

 けれど、黙っていても仕方がない。


「深夜一時の化け物って知ってます?」


 私は控え目なトーンの声で言った。

 真田先輩は私に合わせた声で言う。


「深夜一時に、右手を水で濡らし、左手に木の枝を持って街を徘徊すると後ろから声をかけられる。振り向くな、と。振り向いてはいけない。振り向けば、右手を血で濡らし、左手に包丁を持った髪の長い女に殺されてしまうから。だっけか? はは、逆廻はこの手の噂が気になるタイプなのか」


「興味よりは……怖くて。私、怖がりなんですよ」


「いいねいいね、大歓迎だ」


 真田先輩は一転、声のトーンを上げると、コーヒーを飲み干し私の方へ歩み出す。


「都市伝説は面白い。合理性の欠片もあったもんじゃない。そう思わねえか? 意味が分からんだろ。どうして深夜一時に手を濡らしたり木の枝を持ってたりしなくちゃならねえ。しかも、なんでそれだけで殺されなきゃいけねえんだ。そんな状況、この世に存在する訳がねえよ。第一、化け物なんて名前を冠してる割に、振り向いたら包丁を持った髪の長い女。化け物じゃなかったのかよって感じ。なあ、逆廻、おかしいよな?」


「そうですね。怖いですけど、まったくもって、馬鹿らしいと思います」


 一見すると、長身に黒色の短髪、健康的な浅黒い肌の色から、スポーツマンといった印象を受けてもおかしくない真田先輩の外見であるから、やたら饒舌な事に少し驚いた。同時に、この様な部活に所属している意味も分かった気がした。


「そんな話だったら、クラスの奴等の方が知ってるだろうぜ。先輩の友達が実際に見ただの、何処のなにそれの事件の真相は深夜一時の化け物が原因だの。こんな旧校舎の外れ、オカルト研究部の部室にまで来て聞く話じゃねえよ」


 馬鹿にする風ではなく、心底楽しそうな顔で都市伝説の話をする真田先輩に、私は無邪気な印象を受けた。


「確かに……でも、怖くてお兄ちゃんに相談したら、都市伝説は地域伝承とかが関係してる場合があるぞって言うものだから」


 無邪気な印象を受けた直後だから。


「逆廻! いい兄さんを持ってるな!」


 私の言葉に反応した真田先輩の笑顔が、少し怖かった。


「なるほど、それで図書室に本を借りに行ったら、オカルト研究部の部室にあると言われて来た訳か。ちょっと待ってろ、今本を出してやる」


 真田は迷う仕草なく、床に無造作に置かれた本の山から一冊日焼けた本を手に取った。


「ここら辺の風俗について書いてある本だ」


 言って、真田先輩は古びた本をテーブルに置いた。


「冠婚葬祭のページ、読んでみて」


 栞を挟んでいる訳でも、折り目を付けている訳でもないのに、真田先輩は器用に本の冠婚葬祭のページを開いて渡してくれた。


「葬儀の習わしだ。納骨の後、家族は墓地または納骨堂から自宅まで振り向かずに帰宅する。そうする事で、自分の死を理解させて、成仏させる。明治くらいまでは頻繁に行われていたらしい」


 真田先輩の声に合わせて、本に目を走らせる。長ったらしい表現で書かれた文は、大凡真田先輩の言った通りの事を示していた。隣のページには、その習わしの様子を描いた絵が載っている。


「へえ、面白いですね。こんな風習があったなんて知りませんでしたよ」


「今じゃ完全に廃れた風習だからな。それに、危ないんだよ」


「危ない?」


「振り向かない事で死者に自分の死を理解させる。つまり、どういう事か分かるか? 《《こういうもの》》に興味を持つ逆廻なら察しつくだろ」


「えーっと……死者が……後ろからついてきている?」


「そうだ。流石だな逆廻。死者が自分の死を理解していないから、家族について来てしまう。そうすると、死を理解出来ずにこの世に留まっちまう。この場合の《《ついてくる》》ってのは、《《憑依》》の方の《《憑いてくる》》でも正しいのかもな。まあつまり、ついてくるから無視しなくちゃならない。だから、振り向いちゃいけないんだ」


 真田先輩の話は、私の知るこの世界の条件に合致する話であった。

 真田先輩の言葉を読み込むならば、遺族が故人の死を嘆いて、生きていて欲しいと願っていたのならば。そういう風習が根付いた中で、もしも振り向いたのならば。

 恐らく、世界の規律から見れば、それは顕現する可能性がある。在り得ない話では、なくなる。


 けれど、真田先輩がそういった領域の話を知る筈がない。

 ただ、不気味なのは、それ。私はもう一度確認しようとページに目を走らせてから、言った。


「真田先輩、そんな事どこにも書いてないですよ。創作ですか?」


 読み込んだページに、真田先輩が続けた文言はただの一文字も記載されていなかった。習わしの事こそ書いてあるけれど、その後の憑いて来てしまう云々の件は、何処にも記載がない。


 だから、不気味に感じていた。世界の規律に則した話を口にする真田先輩の事を。

 私が警戒して放った言葉を受け、真田は笑いながら言う。


「はは、そうなんだよ。これ、前にこの部活に居た顧問の受け売りなんだ。昔話の大好きなおっさん……爺さん? まあどっちでもいいや。でさ、すげえ色々知ってんだよ」


「前?」


「そう。昨年度末に、教師辞めちゃってさ。歳だったんだろうけど、それで連絡先も告げずにどっか行っちまって。本当薄情。まあ、ここ残してくれたからいいんだけどさ」


 お年寄りの戯言ならそれでいいけれど、随分と核心を突いた思想を持っているのだなと思った。


 はたまた、こちらの領域に踏み込んでいるのかどうか。


 どちらにせよ、この教室に椅子が二脚ある理由と、来客もなさそうなのにコーヒーカップが余分にあった理由が分かった。私は想像する事しか出来ないが、恐らく二人でこの場所に入り浸っていたんだろう。

 真田先輩のオカルトへと傾向具合とその口振りから、十分に常軌から逸脱している事が分かったから、ここで過ごした時間は短いものではないのは明らかだった。


「それで、今度はこっち」


 そう言って、真田先輩は小さな脚立を取り出すと、本棚の前に置いて、最上段にある本を一冊抜いた。真田先輩は身長が高いから、余裕で最上段に手は届きそうだったのに、慎重に脚立に乗って慎重に降りた。


「駅向こうの昔話」


 先程と同じ様に、真田先輩はページを開いて渡してくれた。


「飢饉に際して、生贄の心臓に刃物を突き立て、流れ出た血をかめに溜め、神に献上した。そこまで珍しい話じゃあない。次はこれ」


 私がなんとか記載されている文字を読み終わる頃合いを見て、真田先輩は大きくページを進める。


「江戸まで行われていた祭事だ。先程の生贄の儀式が伝わってか、豊作を願って行われていたもの。器に水を溜め、木の枝を振るう。器に溜めた水は血の代わりで、木の枝は刃物の代替」


 今度は真田先輩の文言に違いなく、言葉通りの解説が記載されていた。

 ここまでの説明で、真田先輩が先を言わずとも、理解した。


「両方の複合……深夜一時の化け物の話に繋がる部分がありますね」


 私の答えに、真田先輩は大袈裟に拍手してみせる。


「その通り。都市伝説ってのは、全くもって荒唐無稽である事が多いけれど、一から十まで出鱈目って訳じゃない。歴史資料を紐解けば、意外にそれは昔話の変異である事は珍しくない」


 真田先輩の言葉に、脳みそが痺れた。


 それならば、在り得る。真田先輩の言葉を借りるならば、昔話の変異。お兄ちゃんの言葉を借りるならば、面妖奇怪な伝承伝奇の副産物。

 そういった時代に、なにかしら形成された妖怪、怪異、異形。その類が、最近の噂を伴って変異する事は、多分に都市伝説がゼロから顕現する事より可能性が高い。

 今まで鳴りを潜めていたそれが、なにかの切っ掛けにこの世に具現した。または、活動を再開した。そういう情報があるのとないのとでは、初動の差が歴然だ。


「興味深い話、ありがとうございます。私はこれで」


 私にとっては、可能性があると分かっただけで十分だった。


 今回の事件、鎖子ちゃん達の領域である可能性がある。もしもなにかあった場合、私は誇らしく鎖子ちゃんに教えてあげよう。事の成り立ち、事件の犯人の可能性。


「なんだ、もう帰るのか。折角話が合いそうなのに」


「いえ、私、そういうの怖くて苦手ですし……今も、怖くて存在しないって確証が欲しかっただけですから」


 真田の残念そうな声に私は冷たく返して歩き出した。


「それにしても、ものの一月ひとつきでここまで流行するとは思わなかったなあ」


 戸に手をかけたところで、真田先輩が呟いた言葉に振り向いた。


「え? どういう事ですか?」


「ん? ああ、確か、最初の目撃情報がそれくらいだったかなあと思って」


「目撃情報?」


 香織ちゃんの見せてくれた画像を、思い出す。


「ああ、この話が爆発的に流行ったのは、目撃情報の多さだ。噂に信憑性を持たせる最も有効な情報は、目撃した、という事実に他ならねえ」


 心配は、杞憂にはならないかもしれない。そう思った。


「目撃情報が、あるんですね」


「ああ、幾つか。勿論、全て眉唾だけど」


 一か月前。しかし、事件が起きたのは、今月の頭からだ。

 少なくとも、一月ひとつきはなにも事件がなかった。それは、何故だろう。

 今考えてもしょうがない事に一瞬思考を巡らせて、私は戸を開いた。


「怖いですね。それでは、さようなら」


「じゃあな。また興味があったら此処に来なよ。部員募集中だ」


 真田先輩の勧誘に愛想笑いをして、私は歩き出した。 

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