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ファントムレイジ  作者: 高坂はしやん
深夜一時の奇奇怪怪
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深夜一時の奇奇怪怪⑤

 真凛が居ないのは好都合だった。


 在り得ない、と言い切った手前、こっそりと都市伝説を調べているのがばれるのは情けがない。


 だから、深夜に街を徘徊するのは、深刻な寝不足を招いた。最近は眠たくて仕方がない。


 ゴールデンウィーク中は、少し見回っただけだけれど、二件目が起きてからはそうも言っていられない。


 不安がる真凛を見ているのは、嫌だった。


 夕暮れの街に飛び出し、市内を歩き回る。


 過去の三件の殺人事件。共通点は、深夜、又は未明の犯行。そして、遺体が発見された場所は、全て駅向こう。つまり、今歩いている日月駅から北側である。

 立て続けに三件も事が起きれば、警戒は深まる。駅前にはマスコミのカメラが多数。そして、街中に警官の数が多い。



 それならば、当然犯人は場所を変える。



 もしそれが、人間ならば、ではあるが。



 私の見解では、都市伝説は在り得ない。


 歴史を顧みればそれらは存在していたのであろうけれど、進化を遂げた人類は、事象を科学に変えていった。そういうモノの住処を奪ってしまった。

 だから、現代日本では都市伝説の顕現は在り得ない。誰も彼もが、絵空事だと知っているのだから。


 深夜一時の化け物は、恐らく地域に根付いた幽霊、怪奇現象だ。地域伝承の成れの果てか、神様の変貌か。詳細は《《遭って》》みなければ分からないが、もし万が一それが実在するならば、そういう類だと推測している。



 《《調べた結果》》、そう推察した。

 


 もしも私の予想を超えた、現役の神様や、なにかのきっかけに再臨した人外だというのなら、とても私の手には負えない。けれど、事件の規模をみればそこまで大それたモノじゃあない。


 十分に、私で対処出来る。


 兄貴はもう家を出た。父さんはいつだって家に居ない。


 だから、あの家では私が年長者。私がお姉ちゃんだ。



 私が、皆を守るんだ。



 連日の事件から、すれ違う人は少ない。直感を頼りに、吸い寄せられる方へ、吸い寄せられる方へと進む。


 そうして、空模様が橙から藍に色を変えた頃、広い運動場を見つけた。剥げた芝が広がるグラウンドを、緑色のネットが囲んでいる。サッカーコートが二つ、脇にあるサッカーゴールは、ポストの白い塗装が剥げていた。

 その敷地内に入って、見渡す。隅に、水飲み場。そして、コートを囲むネットと柱に沿って、植林された木々が点々としている。


 持って来たスマートフォンの時刻表示に視線を落とす。


 午後六時四十八分。


 瞬きを一つすると、一つ進んで、四十九分になった。


 落ちている木の枝を拾い上げ、水飲み場へと歩く。

 芝生を踏む音が、確かに聞こえる。夜の音に気を張り続ける。

 乱れぬ呼吸、乱れぬ鼓動。

 別段特別な事ではない。よくある事。経験して来た事。


 なんら変わりはない。


 蛇口のハンドルを捻ると、甲高い音が耳を刺す。そうして噴き出した水は、濃藍の夜空に奔ってすぐさまへたる。落下してコンクリートに叩き付けられる水音がはっきりと聞こえる。

 視界良好、聴覚良好。東城高校の制服に、履き慣れたランニングシューズ。

 一度だけ深呼吸をして、左手を濡らした。

 右手には、木の枝。








「逆だよ」








 刹那の内に、心臓が跳ねた。今までの平常心は嵐の予兆だったかの様に、鼓動が加速して、血が巡るのを知覚する。


 確かに、間違っている。噂のそれと、逆であった。


 本来の噂話では、右手を濡らし、左手に木の枝。この間、真似たところを子供に指摘されたのに。先日、真凛がしているのを見たのに。私は馬鹿か。



 いや、それよりも、《《やっぱりそうだ》》。《《やはりそうだ》》。



 時刻は、都市伝説と一致しない。時計は、まだその怪奇の時間を示さない。

 


 それなのに、それを指摘する、声。



 背後からの、声。



 女の、声。



 都市伝説は在り得ない。けれど、それにとっかかりを得たナニカだったのならば。


 この地域に伝わる伝承が、噂に捻じ曲げられ具現化したのならば。


 神様の残滓が、人々の好奇心と恐怖に呼応したのなら。


 それは都市伝説として伝染する噂を仮宿に、姿を現すかもしれない。


 振り返る。右足を引いて、体を捻る。その勢いを利用して、背後に向けて右手に持った木の枝を放った。


 牽制。万が一、万が一それが人でなかったのなら。声をかけたその大本が、人でなかったのなら。


 これが一合目。


 放った枝は、両断されて声の主には届かなかった。真っ二つになった枝が地面に落ちる。



「やっと遭えたな」



 振り向いた私の目の前に居たのは、影。


 背丈は私より小さい、真凛程。それを覆う様に地面に伸びる黒い髪は、顔までを覆っていて表情が見えない。かけられた声から、女である事は分かるのだけれど、声とその長い髪以外に女であろう要素は見当たらなかった。


 そこまでならば、まだ現実。現世の光景に違いない。

 けれど、それを私の、私達の領域にまで引き込むのは、その体。

 それは人であるのだろうけれど、全容が視認出来ない。長い髪の向こう、隠れる顔のその下。体が見えない。

 黒く靄がかった様な、黒煙を纏っている様な、異様な姿。

 強く瞼を閉じてから目を凝らしてみても、その黒は立ち消える事がない。それは、この世非ざるモノのなによりの証明だった。


 そして、その影を私の目的足らしめるなによりは、影から伸びる手。その、両の手。

 運動場の外灯が確かに照らす。右手より滴り落ちる鮮血と、左手に握られた刃物……包丁であろうか。

 それは、くだらないと一蹴した都市伝説の主人公に相違なく。


 《《居た》》。《《在り得た》》。


 私の想像よりも、遥かに都市伝説に近い。


 瞬時に身構え、噂話の幻影に相対した。


「げひっ」


 迅速な臨戦態勢を煙に巻く様に、それは漏れた様な笑い声を上げて、一足飛びで運動場を囲う七、八メートルのネットを越えた。


 相対の戦闘から追走へ。焦るな。問題ない。慌てる事なく思考を切り替えてそれを追った。《《流石に同様に飛び越えるのは無理なので》》、全速力で運動場を飛び出し、駆けるその影を追った。

 脚に自信はあった。それだけの気持ちは持ち合わせているし、それだけの成果も上げているし、それだけの努力もしている。



 そしてなにより、《《私の血統は》》、《《それ特化だ》》。



 夕暮れの住宅街、コンクリートを蹴り飛ばして急く。徐々に、徐々に、人非ざるそちらの領域へ。

 追う、追う。只管に追う。

 前を行く影を見失わない様に腕を振り、距離を詰めようと地を蹴る。そうやって単純な奔走に従事して思考に余裕が出て来たところで、引っかかった。



 アレは、会話をした。



 過去に遭遇したああいう系統を思い出す。堕ちて擦り減った神の残滓や、人外怪奇の最終形は、大凡対話の望める状態ではなかった。それがそうあろうとする事しか出来ない、最大行動原理だけに忠実な、ただの現象と化す。


 だから、引っかかった。


 あれは、私の行動に、口を開いた。

 確かに間違っていた。噂のそれと、両の手が逆だった。それを、あれは指摘した。

 噂を理解して、目の前の事を理解して、自分の吐く言葉を理解して、存在している。


 正体未定の亡霊は、少なくとも私の考え得る最悪の状態ではないらしい。対話が出来るというのは、対奇奇怪怪としては幾許か余裕が生まれる。

 経験からの判断。


 遁走はどれ程続いただろうか。只管の逃走は現在の場所を混濁させた。

 呼吸が荒くなった頃、それは足を止めた。合わせて足を止めて、周囲を見渡す。

 黄昏の微風に靡く林がさざめく。足元は石畳。それの背後には、社。

 初めて見る、神社だった。直前に長い石階段を昇った記憶があるから、何処かの小山の中だろう。人気は当然の如くなく、そこだけ現世から切り抜かれた様な違和感。


 その感覚のなによりの根源は、目の前の、影。


「げげ」


 垂れた髪の毛の向こうから聞こえる声は、笑い声なのか。揺れる木々の清涼な音と相反して下卑たそれは、嫌にはっきりと耳に届いた。

 距離五メートル。佇むのは、深夜一時の化け物と呼ばれる噂話の権化なのか。

 そしてなにより、一連の事件の犯人なのか。

 視線を逸らさず思考を回すが、意外にも先制は正体不明の怪異だった。


「お前、何者なんだ?」


 対話が可能である、確定的な一言だった。それは、私に対して、尋ねた。現状にそぐった質問。それは、怪異が決められた事をルーティンする現象ではなく、自律して行動する何者かである事を証明していた。


「それはこっちの質問。お前こそ、なに? 深夜一時の化け物って奴なのか?」


 先制は意外だったが、想定外の出来事ではない。冷静に言葉を返す。

 私の言葉を受けて、それは髪の毛を掻き上げた。空から差す月光ではっきりと見える表情は、大凡の私の想定とは違っていた。


 私と年端の変わらない様な、女。下卑た笑い声を上げていたとは思えない落ち着いた表情。肌の血色は良く、まるで人外のそれとは思えない、人間染みたものだった。


「へえ、知っているんだ。知っていて、追いかけて来たんだ。追いかけて来た……来れた? うん、本当何者なの? 私みたいなモノ? 私を誘い出して……お前も、そういう……?」


 自分が流行りの噂だと肯定して、化け物は首を傾げる。私の一連の行動が疑問らしかった。

 その表情も、その行為もやたら人間染みていて、不気味だった。人外なる存在の人間らしさという矛盾は、只管に不気味だった。


「お前……お前が、殺したのか?」


 それでも、対話が可能ならば出来るだけ引き出そうと投げかけた。引き出せれば、傾向と対策を練り易い。今はまだ、深夜一時の化け物がどういった怪奇なのか、判断がついていない。

 噂の儀式にそぐわなくとも現れ、かけられた第一声も違う。風説と違うのならば、真実を形成しなければならない。

 これがどう在るものなのか、慎重に。


「お前が殺した? 私? 私が殺した? 殺した……ああ、ああ、ああ。あれ、か。あれ。三人」


 私の言葉を反芻する様呟いて、化け物は、言った。





「もしも私が殺してたら、なに?」





 それは人間味のない、冷たい口調だった。





 ぞっと背筋が張り詰めて、再度臨戦態勢に入った。対話の時間をかなぐり捨て、目の前の怪奇に注視する。


「なにって……止めるよ、お前を」


 それは、私の利害には関係ない事だ。けれど、成さねばならない。


 父さんも、兄貴も、そういう仕事だ。人に仇成す奇奇怪怪の征伐。あの家に住む事になってから、私も同様にそうなった。


 私や桜の様な人間が、もう二度とこの世に生まれない様にと、願った。

 だからそれは当然の返答だった。だから、多分に怪物の反応も当然だった。


「ああ、あれだ。お前はあれだ。正義の味方だ。ああ、そうなんだね。そういう事。だから呼び出して、追いかけて来て……げひ」


 がくんと力が抜けた様に頭を垂れると、怪物の振り乱した髪の毛がその表情を覆った。黒く靄がかった体に、振り乱した黒い長髪。伸びる白い腕に滴る赤と凶刃。





「いいか化け物。私やお前の様な逸れてしまったモノは、《《それ同士で殺し合わなきゃいけない》》。《《私等の様なモノは》》、《《私等の様なモノと殺し合うべきなんだ》》」





「げげげ」





 私の言葉を理解したのかどうか、この日何度目かの下卑た笑い声を漏らして、化け物が突進して来る。


 受ける体制は万全。気概も十分。異形の猪突猛進は私にとっての脅威にはならない。冷静にその軌道を読み、いなしてカウンターを加える。


 そう頭に攻撃の展開を描いた。


 それを見透かしたのか、化け物は私と間合いが被るであろう領域までの一歩を、前進ではなく跳躍に使った。

 夜を舞ったその体は黒い靄と髪の毛を躍動させ、私の頭上を高らかに越え、背後に着地する。だが、焦りはない。

 勢いそのままの跳躍は、距離がある。背後を取ったとは言っても、意表を突かれて尚十分に体勢を立て直すに足る距離があった。

 だから、焦らずに振り向いて、再度相対そうとした。自分の遥か後方に着地した化け物と、仕切り直そうとした。


 そんな考えの私に届いた声は、第一声で聞く筈のものだった。


「振り向くな」


 頭上を越えていく化け物はそう呟いて、遥か後方へと飛んで行く。

 私は意に介さない。そんな言葉など、微塵にも。

 そうして、十分に距離がある筈の化け物と向き合う為に振り向く。


「げひっ」


 確かに、後方へと飛んでいった筈だった。私の頭上を高速で舞った化け物は、振り向いて尚、余裕を持てる程まで飛んでいった筈だった。


 筈だったのに。


 振り向いた眼前は、黒かった。化け物の長い髪の毛が、視界を覆っていた。


「え?」


 振り向き化け物と相対す。いや、《《相対してしまった》》。

 ただ、その間には想定した距離はなく、近距離——零距離と呼べる場所に、化け物は立っていた。


「げっげげげげっげげ」


 下卑た笑い声を、化け物が上げる。

 小さな痛みが、走る。ほんの小さな、痛み。それが閃光の様に胸に走って、すぐに熱を持つ。

 経験がある、痛みと熱。状況を理解して、視線を落とす。


 女が左手が、私の胸に。


 深々と、包丁の柄までが沈んでいた。包丁が、左胸、心臓を的確に、深々と突き刺していた。


「え……え……?」


 深夜一時に、右手を水で濡らし、左手に木の枝を持って街を徘徊すると、後ろから声をかけられる。振り向くな、と。振り向いてはいけない。



 振り向けば、右手を血で濡らし、左手に包丁を持った髪の長い女に殺されてしまうから。




 最後の一文だけが、噂に相違なく。




「げげげげげげげげげ」




 化け物は、包丁を引き抜き、また笑った。

 血が、流れる。

 右手で刺された場所を抑えると、掌が一瞬で真っ赤に染まった。鉄の匂いが喉元からせり上がって来て、咳き込むと同時に血が飛び散った。


「なん……で……?」


 確かに、十分な距離を飛躍した筈なのに。どうして、目の前に?

 薄れゆく意識の中で、理解が追い付かない。




 痛い、痛い、熱い、痛い。






「げげげげげげげげっげげっげっげ」





 耳障りな笑い声が遠のくのを感じながら、目を閉じた。

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