赤い宗家の白と黒⑥
「ばーかばーか」
「五月蠅いなあ!」
ホームの階段を降り、トイレの前で僕は幽亜くんに弄られていた。
騒動にかまけて、防衛戦に用意した一式と泊まり用品。その全てが入ったスーツケースを電車の中に忘れてしまった。防衛用品は幾つかポケットにあるものの、着替えは必要だ。駅員さんには伝えておいたから、後は折り返しの連絡を待つだけ。それにしても、間抜けすぎる。
「幾つだよ。ガキかよ。普通忘れるかよ」
「くっ……返す言葉もない!」
「それに、中二は引くなあ中二は。中二にプロポーズ。外身は大人でも中身はガキだぞ」
「だからどうした! 僕は十歳にだってプロポーズした事がある!」
「うわあ……ガチのあれか……まじ引くわ」
「勝手に引いていればいい。僕が押していくから」
「押すなよ!」
「お待たせしてすみません!」
玉子ちゃんが用を済ませトイレから出て来た。レディのトイレを目の前で待つというのもどうかと思うが、あまり離れ離れになるのは得策ではない、苦渋の選択だ。
「あ、あの……螺奈さん、連絡つきましたか?」
玉子ちゃんは手をハンカチで拭きながら、僕を正面に見ずに聞いて来る。ちらちらと横目で、どこか恥ずかし気に。
「いや、電話には出てくれないね」
それさえ繋がれば随分と簡単な話だったのだけれど、案の定の空振り。僕も幽亜くんも、螺奈さんに連絡はつかなかった。
「ま、当然だわな。内情隠して十一片を呼び寄せてたんだ。やる気満々ってとこだろうな」
幽亜くんの言葉に、玉子ちゃんの表情が曇る。恐らく、面識があるのだろう。
ただ、どこか気にかかった。確かに、螺奈さんは僕に全容を伝えずこの戦に巻き込んだ。幽亜くんの言葉を借りるならば、お家騒動の中自分の家、つまり、赤百合の家を有利にする為に戦力を外部招聘した。
だが、それにしては、雑だ。
もしかしたら、《《僕がそういう依頼を受ける事がない》》と知っていて、最大の急所を隠した可能性もある。それにしたってだ、だったらもっと確実に僕を戦に参戦させるべきだ。現地集合だなんて、そこに至るまでに交戦がある可能性がある。
現に、僕はこうして螺奈さんに辿り着くまでに、玉子ちゃんと幽亜くんと遭遇し、真実を知ってしまった。これでは、逆効果だ。
ここまでついて来たのは僕の勝手。引き返す可能性だって十分にある。
整合性の取れない螺奈さんの行動に首を傾げながらスマートフォンを見る。やはり、折り返しの着信はない。
「螺奈の話なら、駅に迎えが来てんだろ? 早速交戦する可能性があるな」
言葉とは裏腹に、まるで自室を歩く様に緊張感を纏わない幽亜くんが、切符を取り出しながら改札へ歩き出す。
「取り敢えず、話の通り戦闘は無力化を優先するんだろう?」
「ああ、玉子で敵意を確認して、基本はそれだ。極力無駄な殺生は避ける。俺は構わねえが、玉子がそうはいかねえみたいだからな」
そう言って玉子ちゃんに振り返ると、玉子ちゃんは強く首を縦に振った。
目の前で、両親と兄を殺されたと言っていた。
十四歳の少女に訪れる試練としてはあまりに苛烈だ。しかも、お家騒動。親族が親族が殺し合う、最悪の争い。
彼女はその地獄を経て尚、家を救おうとしている。
「そういえば、玉子ちゃんの八王子家は、赤踏が欠けて赤雪に名を連ねたって言ってたよね? どんな経緯でまた」
「五代前に、幽亜さん……赤弓の血を婿として迎え入れた事があったんです。政略的なものではない自然な交わりだったのですが、その縁で八王子が新しく」
「ほお、なるほど。そういえば、二人は前から顔見知りみたいだけど、それもそういう縁かな?」
「ああ、そうだな。五代前の赤弓に婿に出された俺の祖先は、血の入れ替えを主張していたらしい。名家であれど、古き潮流の中では朽ちていく、と。新しい血を求めていた。勿論、頭の固い連中の逆鱗に触れて八王子に婿に出された。そういう話も聞いてたから、俺は辟易してたんだ。案の定、八王子が赤雪分家に名を連ねてからも、赤弓始め、多くの家は八王子に良い顔をしなかった。そういうのが俺はムカつくんだ。変化を恐れているだけの癖に、家の誇りだなんだと自分の臆病を隠す奴が」
名家には名家なりの事情がある。無関係の僕が口を挟む事は出来ないけれど、玉子ちゃんも幽亜くんも、若いなりに家の事を考えているのだ。
ああ、だからか。
「ふうん、幽亜くんは優しいんだね」
「おいおい、まじかよ。そういう事言うか。別に俺はそんなんじゃねえ。年寄り共にムカついてるだけだ」
「そうなんですよ! 幽亜さん優しいんですよ!」
眉を顰める幽亜くんにお構いなしで、玉子ちゃんが言う。幽亜くんは更に怪訝な表情になる。
「だから、私は闘うんです。八王子が赤雪に名を連ねた時、私はまだ六歳でした。けれど、子供心に大人達に蔑まれている事だけは分かりました。ですから、幽亜さんや螺奈さん、それに、赤月のところの空さんみたいに、私を、私達八王子を受け入れてくれた人達に恩返しがしたいんです」
多分に幽亜くんにとっては恥ずかしい話であろうけれど、最後の一言でその怪訝な表情が崩れた。
「私達家族の事を受け入れてくれて、普通にしてくれようとしたんです。外の血が入る事を、普通に。ですから、私も同じ事をするんです。普通に戻すんです。争いなんかがない、普通の状態に」
地獄を越えて尚、彼女がこの家の為に動くのは、そういう事だった。
純真な子なのだ。かつての僕とは違って。
それを、僕は、浅はかだった。
かつての僕と似ているなどと、失礼にも程がある。
三人で話しながら改札を出る。売店の横を抜け、白い天井の下に、正体の分からない銅像とベンチが幾つか。開けた空間だった。
「あれ?」
周囲を見渡す。開けた空間が、壁に囲われていた。出口が見当たらない。陽の暮れた空が見えない。空間は、白い壁に囲まれていた。
「二人共、どっちが北口? 確か北口集合なんだ——」
振り向いて、ぎょっとした。
先程僕達が通った改札が、ない。
改札がなくなった訳ではなく、僕達の背後が、真っ白な壁になってしまっていた。
「背信、謀反、謀叛、逆心、乱逆、反故、不履行、裏切り、どれでも良いです、兎に角そういう事ですね」
声の方に向く。
白い壁に囲まれた空間。妖艶な彼女の存在がくっきりと浮き上がる。整った顔立ちで、黒く艶やかな長髪を振り乱している。
「螺——」
言いかけて、息を飲む。あの日と違う事と言えば、白い和服姿だった事。帯まで無垢な、白色。袖丈が短く、身動きを取るのにあまり邪魔にならなそうだった。
そして、最大の違い。
螺奈さんは、《《逆さまだった》》。
視線が僕と交差するけれど、真逆。僕の顔の高さに合う様体が宙から垂れ下がっている、異様な光景だった。
「十さん……万全を期した私は間違っていなかった……やはり、私がお伺い立てるより早く懐柔されていたのですね……それならば、仕方がありません」
「玉子!」
呆気に取られる僕より早く、幽亜くんが動いた。玉子ちゃんに声をかける。最初で最後の《《振るい》》だ。
玉子ちゃんの邪視が入れば、敵ではない。だから、僕達の先鋒は、いつだって玉子ちゃんになる。
幽亜くんの声に弾かれて玉子ちゃんが僕の前に飛び出すけれど、それよりも早かったのは、螺奈さんだった。
玉子ちゃんの直視を掻い潜って、宙へと引き摺られていった。
螺奈さんは、逆さまのまま天井まで引っ張られると、そのまま張り付く。天井に直立して、僕達を見下ろした。その位置の傍に、なにかが突き刺さっている。
「十一片! やべえのが来るぞ!」
僕はそのまま、螺奈さんを見上げていた。決して高くない天井で構える彼女は、まるで重力なんて存在していない様。地に足をつけたみたいに、自然体。
「赤雪分家赤百合筆頭赤百合螺奈。縊り尽くし候」
閃光の様だった。
螺奈さんは口上を述べ、傍に刺さっていたそれを手に取った。それを携え、僕に向けて飛翔した。
速度は十分に人外をも殺すそれで、携えたものは、ランス。
西洋風の槍、騎乗で持ち出す様な、円錐の刺突武器。鈍色のそれは、多分に人智のものではないのだろう。そういう雰囲気を纏っている。それの頂点を僕の心臓に向け、突進してくる。
「一片さん!」
玉子ちゃんが悲鳴にも似た叫びを上げる。
絶望を内蔵した喚呼は、この一撃の致命性を表しているのだろう。多分にこれは螺奈さんの必殺。
それならば。
「え?」
螺奈さんが、ぎょっと目を見開く。
「っつー……中々に強力だね」
鈍色のランスは、僕の心臓を突き刺す直前で止まった。円錐の突撃は、僕の手に阻まれた。まるで飛び込む矢を一掴みする様に、上空から一直前に僕の命を狙う刺突を、《《右手で鷲掴みにしてやった》》。
「螺奈さん!」
玉子ちゃんが声を上げて、思わず螺奈さんが声の方を向いてしまった。
「あ」
間抜けな声を上げた螺奈さんであったが、時既に遅く、硬直した体がランスを手放して転倒した。取り敢えず、邪視が効いたという事は、そういう事だ。
「おいおい、まじかよ! 螺奈の必殺を掴みやがった!」
僕がランスを手放すと、幽亜くんが声を上げる。
「ふー危ない……取り敢えず玉子ちゃん、拘束解いちゃっていいんじゃないかな?」
玉子ちゃんの拘束が入るという事は、敵ではないなによりの証明だ。少なくとも、対話をする事が出来る。
「あ、ああ。そうですよね、確かに!」
玉子ちゃんがぽんと手を叩くと、拘束の解けた螺奈さんは渋い表情で僕達を見上げる。
「え、え? なんで!? 玉子、なに考えてるの!?」
「ええー……だって、螺奈さん別に敵じゃないって事だから……」
「そうさ。螺奈さんも玉子ちゃんの能力は知っているだろう?」
「え、え、え? あれ? 十さん、私が依頼をする前に他の家に取り入れられていたとかじゃないのですか?」
「いいや、そういう訳じゃないけれど、えーっと、これはどういう状況だろうね」
ほんの十数秒前まで僕を殺しかけていた人の手を取って立ち上がらせ、和服に付いた埃を払う。
「いや、俺もお前等が依頼を頼んだ時の状況知らねえしだな。まあなんだ、取り敢えず螺奈、俺達は多分お前の敵じゃねえ」
「……それは拘束を取った事から分かるけど……そっちも、私の敵じゃないって事よね?」
「当たり前だろ。じゃなけりゃてめえなんざ今すぐ串刺しにしてやるぜ」
「あら奇遇ね。私もその下品な赤髪ごと捕食してやるところだわ」
ばちばちと眼光を交差させる二人は、未だに状況の整理が追い付かない僕と玉子ちゃんを置いて白熱する。
「いやいや、兎に角、えーっと、んん? 状況を整理しようよ」
僕が二人の間に割って入る。
「ふふ、確かにそうですね。それ、取って頂けますか?」
「ん、ああ、どうぞ」
螺奈さんに言われ、地面に置いたランスを手に取ると螺奈さんに渡す。
「よっと」
まるで布に巻かれた様だった。螺奈さんがランスを手に取ると、ランスは白で覆われた。
「ええ? なにそれ。布?」
僕が言いながら、何処からともなく現れた白で覆われたランスを触る。少しだけ、べたついている。
「ああ、これ私の糸です。さっき此処を覆っていたのも、私の糸ですよ」
気付けば、先程改札側、そして北と南にある出入り口にあった白い壁がなくなっている。
「糸?」
首を傾げる僕を置いて、螺奈さんが歩き出す。
「兎に角、敵ではない様ですから、車の中で話しましょう」
「ちょ、ちょっと螺奈さん! 糸って!?」
僕が駆け足で追い付くと、螺奈さんが言った。
「私、絡新婦ですから」




