深夜一時の奇奇怪怪 終
目を覚ました。
視界の天井は、いつもの光景。いつかの朝となんら変わらない。
上半身だけを起こして、ベッド脇のスマートフォンを手に取った。
五月十五日午前十一時二十二分。
丸二日間眠っていたらしい。どうも頭がぼやけている。視界が上手く定まらない。
それでも、どこか体は軽く感じた。
ベッドから出る。なにか、視界がおかしい。寝過ぎた弊害だろうか。
いや、それよりも——
生きている。
あの日、私は死んだ筈だ。深夜一時の化け物と成り果てた雪村純に、心臓を一突きにされて、死んだ。
あの日は二人目の私ではなく、一人目の私。胸の痛みをはっきりと思い出せる。
泣きじゃくる真凛の顔も、思い出せる。
私はあの時目を閉じた。意識が遠のくのを感じて、痛みが増して、冷たくなって、そして、死んだ筈だ。
なのに、私は今、生きている。
混乱する頭を落ち着かせようとした矢先、部屋の扉が開いた。
「鎖子ちゃん!」
扉を開けた真凛は、起き上った私を見るや否や、飛び込んで来た。
小さな真凛が抱き着いて来て、思わずベッドに倒れ込む。寝起きで足腰に力が入っていないらしい。
「真凛! 病み上がりだぞこっちは!」
「良かった……目を覚まして良かった!!」
真凛は、私が最後に見た表情と同じ様に顔をぐしゃぐしゃにして、涙を流した。
最後の会話を思い出す。そういえば、真凛は、謝ってばかりだった。
「あー……真凛、なんか、ごめんね」
「なんで! 謝らなきゃいけないのは、私の方……本当に、本当ごめんなさい……生きてて、良かった……」
過保護は、いけないのかもしれない。
私は真凛を守るのに必死だったけれど、あの結果から見て、それが正しかったのかどうかは分からない。
「あ! そういえば——」
真凛で、思い出す。
私が対峙していた、化け物。
真凛がここに居て、私が生きていた。つまりは、そうだ。
どうにかして決着は付いた筈だ。あの夜は、どうにか収束した筈だ。
「お、起きたか! 良かったー!」
私が声を上げるのと同時に、部屋に入って来たのは、戸破の家に引き取られたばかりである十歳の私にプロポーズしたロリコン野郎が居た。
「あれ、ロリコン」
「久々に会う兄にその呼び方はないだろ!?」
兄貴は大声でつっこみを入れてから、ベッドに腰かける私の姿を見て心底安心したように表情を崩す。
「兄貴、海外に居たんじゃ?」
「あの電話の後、心配になって調べたんだ。そしたら、日月で連続殺人と来た。仕事で全然知らなかったよ。これはまずいと思って、すぐに帰国した。家に到着したら、深夜なのに誰も居ない。それで、なんとなく事情を察して、探し回ったよ」
「じゃあ——」
「はい」
言いながら、兄貴は私に新聞を渡して来た。
兄貴が居たのなら、大丈夫だ。そう思った。
褒めるのは癪だけれど、兄貴は私では到底及ばない領域に居るし、何時にこちらに着いたかは知らないけれど、どの地点からも逆転するだけの力を持っている。
だから、一瞬安心した。
だから、新聞の見出しを見て、息を飲んだ。
日月市連続殺人事件、被害者が八人に。
昨日の新聞の一面は、それだった。
つまりは、私が最後に守ろうとした一人は、守られなかった。
「ごめん。僕が辿り着いた時には、既に……」
「いや……兄貴が謝る事じゃない。むしろ、私の方こそごめん。自分の力量を過信した結果だ」
兄貴が家を出て、次は私だと思っていた。
普段家に居ない父さんの代わりは、自分だと、決心した。
だから、今回の事件、もしかしたら私達の領域かもしれないと思いながらも、一人で進めた。その姿を確認して、事を確信してからも、自分でどうにか出来ると思った。
私が、一人で出来る事を見せなければと、思った。
その中で一度取り逃がし、犠牲者を増やした。焦った私は、力量を見誤って、真凛を巻き込んだ。そうして、負けた。
せめて、疑った時に兄貴に相談していれば。せめて、その姿を確認した時に、桜や深を頼れば。
そうすれば、防げた犠牲ばかりじゃないか。
《《私等の様なモノは》》、《《私等の様なモノと殺し合うべきだ》》と宣いながら、その枠を外れ続けてしまった。
私の所為で。
だから、同じ様な気概で事件に臨んで、それを悔いた真凛を見ているのが辛かった。自分が間違っていないと縋る様に、真凛を慰めた。
「せめて……僕を頼って欲しかったかな」
「ごめん」
「《《身内に犠牲がなかった事を良かったと言うのならば》》、本当に良かった」
「ごめん」
兄貴に、返す事葉がない。
私はもう、大人になったと驕っていた。
私は、まだまだ、子供だ。
「鎖子、一人でよく頑張ったね。でも、無理はしないでくれよ」
そういうのを察してか、兄貴は言う。
兄貴の言葉に、涙が出そうになる。
被害は防げなかった癖に、自分が生きている事に安堵している。
私は卑怯で脆弱な偽善者だ。
私は、最低だ。
「僕は鎖子のお兄ちゃんなんだから。なんでも話してくれよ。頼ってくれよ」
いつもふざけてる癖に、こういう時に限って。余計に、癇に障る。
「……うん。ごめん」
その優しさが、今は辛かった。
「取り敢えず、鎖子も起きた事だし——」
「あ! え、待って。あの二人は?」
事件は収束しなかった。
私は、化け物を打倒して、全てを終わらせるつもりだったけれど、それは叶わなかった。
あまつさえ、逸脱していない真田を、完全に巻き込んでしまった。
その二人は、何処に?
「あの二人って?」
「真田と雪村純だよ! 兄貴、どうしたんだよ?」
私は思わず真田を追わせてしまった。もしもそれでなにかあったのならば。
雪村純はどうなった。あの姿での犯行ならば、きっと司法は役に立たない。
「ああ、二人共、奥の客間に居るよ」
意外にも、それは近かった。
人間を逸脱した二人は、ここに居た。
私はそれを聞くと、部屋を飛び出した。
「あ、鎖子ちゃん待って!」
階段を駆け降りて、縁側を進む。一番奥の襖を乱暴に開けると、布団から上半身を起こした《《雪村純》》と、その隣で座布団に座る真田が居た。
「東雲……」
私の姿を見て、真田は安心した様に呟く。対して隣の雪村純は、眉一つ動かさずに私を見る。
「殺したのか」
私の第一声は、それだった。知っているのに、意地の悪い。
私が止めようとした、最後。私が止められなかった、最後。
「ええ、殺したわ。あれで最後。全部、殺し終わった」
拳を握り込む。
事情は知っている。全て聞いた。その上で、だ。
「私等の様なモノは、私等の様なモノと殺し合うべき——」
「お前の言う通りだと思うよ、東雲」
私から視線を逸らして、雪村純はそう言った。
「まさか、こんな事があるなんてね。境井先生は知っていたのかな。それは今となってはどうでもいいけれど、驚いた。まさかね、私自身が、妖怪になってしまうなんて」
雪村純は、深夜一時の化け物に成り果てた。
人間染みた言葉を失い、下卑た笑いを上げる怪異と成った——筈だ。
虚ろな目で言葉を続けるその姿は、やけに人間染みて見えた。
「境井先生に聞いた話や、自分の今までの考えも含めてね、東雲の言う通りだと思った。外れたモノは、外れていないモノに関わってはいけない。そう強く思う。けどね、私は、人間だもの。確かに私は都市伝説と成ったかもしれないけれど、人間だ。人間だから、心がある。心があるから、私はあいつ等が許せなかった。復讐を果たして、今尚、強く思う。私は人間で、そして、復讐出来て良かったと。力を手に入れられて良かったと」
雪村純は、強がる訳でも、逃避する訳でもなく、真っ直ぐとした目を、私から逸らしながら、言った。
「だって人間じゃないのなら、こんなに今晴れやかな気持ちで居る訳がない。そうでしょ?」
いつか私が縋った言葉に似ている。それを、雪村純は自分で口にして、自分で消化した。
「化け物ならば、なんとも思わずにそう在る筈だもの。私は、違う。私は、人間だ」
「屁理屈言って——」
「そうなんだよ」
私が、八つ当たりも込めて拳を振り上げた。その手を兄貴が掴んで、言う。
「兄貴……なんだよ、なんで止めるんだよ」
「《《僕達の様な輩は》》、《《僕達の様な輩と死に合うべきだ》》。それに準えるならば、雪村純は、僕達の領域に居ない」
「どういう事だよ!? こいつは……こいつは八人も!!」
「人間なんだよ、雪村純は」
「は?」
兄貴が、私の手を離す。その手が、力なく垂れ下がった。
「人間って……私は、こいつと戦った。こいつは間違いなく、都市伝説の怪異に成り果てた! 私は見た! 間違いない!」
「ああ、そうだろうね。僕が見つけた時も、そうだった。状況から考えて、間違いなく雪村さんは深夜一時の化け物に成っていたのだろう。でも、今は違う」
「今は?」
「ああ。顕現した事は確かだけれど、今雪村さんは、人間に成っている。噂を試してみた。今日の深夜一時に、儀式を行ってみた。それでも、彼女は人間だった。もう、彼女は化け物にはならない」
「は……? なんだよそれ……どういう事だよ!?」
「深の能力でも確かめた。確かに、彼女は人間だった。彼女の願いの性質は分からない。恐らく、復讐を果たすまでの限定的なものだったんだろう。それを成しえた彼女は、力を失っている。彼女はもう、人間だ」
《《私等の様なモノは》》、《《私等の様なモノと殺し合うべきだ》》。
こいつに声高に宣った私が、それを外れる訳にはいかない。
私には、こいつを殺せない。
「じゃあなんだ……この事件は終わり? 日月市連続殺人事件は、これで終わりだ。迷宮入り。そんな……そんな訳にはいかないだろ!?」
「いくわよ」
叫ぶ私に、笑いながら雪村純は言った。
「私はただ、復讐しただけだもの。悪いのはあいつ等でしょ。私は生きる、遥と生きる。人間として、雪村純として。これで、これでやっと、公平になったの」
目の奥が、ちりちりする。
叫びたい言葉は、幾つかあるけれど、そのどれもが、雪村純には無用だ。
雪村純は、逃避の言葉を述べているのではない。心から、その通りだと思っている。そういう人間性であるから、願いが横溢し、奇跡足り得た。
《《逸脱しているから》》、《《逸脱し得た》》。
だから、私の言葉は、届かない。
巡る気持ちの捌け口はない。私は、意地悪く呪いの言葉を思いついて、口にした。
「真田……お前はそれでいいのか。そんな女で、いいのか?」
本当に意地の悪い言葉。心底、自分を呪いたくなる。
「……俺は純と一緒に居るよ。俺だって……未練がない訳じゃなかった」
多分、事情は全部、話し終えているのだろう。
だから、真田はそう言った。
そう言いながら、自分の右肩を、左手で押さえた。
私は、子供だ。情けない。
私は、不条理に失った夢を押さえる真田を見て、口に出来る言葉を失った。みっともなく歯軋りをして、情けなく肩を落として、無言で部屋を後にした。
■
「はあ……」
大きなため息をして、テーブルに突っ伏した。
結局、只管私が子供で、どうしようもなかったと、そういう話だ。
大人になったと見栄を張った情けなさに死にたくなる。皆気を遣ってか、誰も和室に入って来ない。
私は、私等の様なモノは私等の様なモノ同士で決着しなければと思っている。
生い立ちの事もあってか、不幸はその逸脱者達だけで内包するべきだと強く考えている。
だから、やはり今回の件に納得はいかないけれど、もう私に出来る事はなかった。
「なんかなー……はあーあ」
溜息だけが、募る。
「失礼」
そんな私の気を、誰かに紛らわせて欲しかったが、相変わらず誰も来ない。その中で現れたのは、一番会いたくない奴だった。
「……なんだよ雪村純」
雪村純は、和室の襖を少し開けて、私を見ている。
「いや……それ、謝ろうと思って」
「それ?」
「そう」
言って、私を指差す。
「私の復讐に巻き込んでしまった。それは、私の本意じゃない。だから、ごめん。ごめんじゃ済まないと思うけど、私にはなにも出来ないから、ごめん」
それだけ言って、雪村純は襖を閉めて言ってしまった。
「それって……ん?」
刺し傷の事かと思い、服の中に手を入れて確認する。なにか違和を感じたけれど、手に傷の感触はない。恐らく、鬼束商店街の春比良ホスピタルだろう。そうでなければ、死の淵から完治する訳がない。
視線を胸に落とす。服を引っ張って刺された箇所を見ようとしたところで、気付いた。服に身覚えがない。
寝ている間に新しく買って来て貰ったのだろうか。その服には——いや、違う。
見覚えがない訳じゃない。なにか、知っている気はする。
最近着ていなかった? 捨てたものと同じものを買って来て貰った?
目を覚ましてから、妙な違和感が消えない。その微妙な気持ち悪さに頭を悩ませていると、また襖が開いた。
「あの……鎖子ちゃん」
襖を開けて、和室に入って来る真凛。どこか余所余所しい様子で、座ろうとしない。
「どうしたの真凛? 座ったら?」
「えっと……あのね……謝らなきゃいけない事が……」
「ああ、そういう事」
真凛は、優しい子だ。
多分に、まだ気にしている。それに、私が幾ら言ったところで、暫く引き摺るのであろう。
それは私も同じだ。私は真凛を責められない。今回の事件は、私が子供だった事が一番いけないのだから。
「真凛、謝るのなし。私も悪いとこ沢山あるし……それに、真凛が応急処置をしてくれたから、多分春比良のところに間に合ったんだろうし。だから、ね」
「え? 応急処置?」
「うん。だって、真凛ずっと私の傷口抑えててくれたじゃん?」
「ああ……あの……えっとね……鎖子ちゃん」
真凛の余所余所しさは、やはり私への後ろめたさだったけれど、それは今までの積み重ねから来るものだった。
「鎖子ちゃんは、私が《《こっち》》に来るの止めてくれたのに……ごめんね……」
「ん? こっち?」
私は、力を持たない真凛を巻き込むのが嫌だった。
私と桜は否応なく逸脱の道で苦しんだから、真凛にはそういう思いをして欲しくなかった。
幸い、真凛には逆廻の血が発現する事はなく、真凛は普通に生きられていた。だから、それを守りたかった。
願いは想い通りに顕現しないから、そんな理不尽な世界から、真凛を遠ざけたかった。
その私の気持ちを知っているからこその、余所余所しさだった。
「私の家はね……逆廻は、逆流、逆転、逆行、可逆の血。だから、それでね……」
「もしかして! 私の傷を治したのって……」
「……うん、ごめんね」
真凛は、途轍もない事を成し遂げたというのに、苦い顔で謝った。
名家は雑念の入らぬ幼少期に訓練を行う。それが在り得ないという想いを構築する前に、血脈の情報を知り、能力を宿す。
真凛はそれが出来なくて、逆廻の家に捨てられた。だから、大丈夫だと思っていたけれど。
私の願いは、私が馬鹿な所為で、叶わなかった。
真凛を、巻き込んでしまった。
「真凛が……謝る事じゃない」
「でも、鎖子ちゃんは私の事を守ろうと」
「真凛!」
もう、離さない。
今度は、こちら側で、守る。
真凛がそうしてくれた様に、今度は私が。
立ち上がって、真凛を抱き締める。
「元通りにする力?」
「うん……お兄ちゃんが言うには、そういう力だって」
「そっか」
きっと、それだけを、願ってくれたんだろう。
「真凛、助けてくれてありがとう」
一途な想いは、成就する。
「……うう……うん……良かった……生きてて、本当に」
真凛はまた、私の胸の中で、泣いた。
胸の中?
「あれ?」
私の身長は、百七十一センチ。真凛は、百五十センチ丁度。
その筈だ。
あれ? おかしい。
小さな真凛の頭が、私の肩に乗っている。
《《私の胸の中で泣きじゃくる筈の真凛は》》、《《私を胸の中に抱き締めていた》》。
思わず真凛を引き剥がす。
「あれ? どうしたの鎖子ちゃん」
首を傾げる真凛の顔が、私の視線、その少し上にある。
「え……なに、どういう事?」
横溢した願いは、切っ掛けを持って顕現する。
私や真凛は、血。
ただ、その願いは、思惑通りでない事が多い。
この世に神様、所謂ポピュラーな優しい優しい神様が居ない事は、それからも分かる。
そして無慈悲に願いは叶う。
「あー……鎖子ちゃん……だから、その……ごめんね。私、逆廻の血は、逆流、逆転、逆行、可逆の血なんだけど……私初めてでさ。治すとか元通りってよりは、《《巻き戻す》》って感じらしいんだ……えへへ」
私は真凛を置いて、二階に駆け上がった。
ああ、確かにそうだ。自宅の階段が、やけに長く感じる。
自室の扉を開ける。
ああ、確かにそうだ。ドアノブの位置が、高い気がする。
真凛と私のベッドの間、窓の方を向いた姿見の前に立つ。
「なっ……なにいいいいいいい!?!?」
姿見に映ったのは、毎朝の身支度で見慣れた私ではなかった。
けれど、初見ではない。見た事がない訳ではない。《《いつかに見慣れた》》、その姿。
「あの……ごめんね」
鏡を見て茫然とする私に、扉の陰に身を半分隠した真凛が言う。
「これ! なに!?」
私は、真凛より小さくなった——いや、《《幼くなった体》》で言った。
「うーん……十歳くらいの鎖子ちゃんかなあ。鎖子ちゃんと出会った頃、それくらいだった気がするよ」
逆巻く血脈、逆廻。
その血を引く真凛は、私を助ける為に、私を元に戻した。
《《私の体を元に戻した》》。
私は、東雲鎖子が十歳の時の肉体に戻ってしまった。




