表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第一話

7月31日。猛暑日。


「行くしかないよね、帰るわけにもいかないし」


 炎天下の中、ハンカチで額に滲んだ汗を軽く拭き取ると歩を進める。

 見知らぬ道であっても、アスファルトで舗装された道がどこの街でも暑いということはわかっている。わかりきっている。そしてそれがしばらく続くということも、手元の地図を見れば……いけない、既に諦めそうだ。


 今すぐ回れ右して帰りたい衝動を夏の暑させいにして、無理矢理足を前に出し、そして思い返す。

 例の衝撃的事実が明かされ、八日が経っていた。

 もうそれは大変だったの一言に尽きる。大金持ちのお家事情など関係ない事と思っていたけれど、いやいや、まさか私達多田野家がその分家だったなんて。


 国を代表する高級旅館の代名詞である宇市旅館、その経営主である宇市家。旅館経営だけでなく飲食、公共施設、娯楽、家電……その名前は普段の生活のありとあらゆる場面で、目に、耳にするほど超有名企業である。

 その当主であった宇市健造氏の訃報は、やはりニュースになって世間では騒がれていた。お国のお偉方、大物有名人、外国の有名俳優など哀しみの言葉をテレビではしばらく流していた。

 一方多田野家が分家であったという事実は一切ニュースになる事もなく、そこに関しては全くもって気が抜けたものだった。てっきり私は家の前にテレビクルーが待っていて、取材の一つでもされるもんだと思っていたのだけれど……。ここ一週間近く無駄にお洒落に気を遣ってしまっていたなどとは、とてもじゃないが周りの友人には言えない。


 結局そこに関しては無駄骨、余計な出費になってしまったわけだけれど(まあ、欲しい服を買ってもらえたりした)、大変だったのはそこではなく、私の生活だ。

 今向かっている土地だか店舗跡地を譲られた多田野家。それに関わる資料や物品の整理までもが譲られてしまった。両親は仕事をしているし、世間は夏休み。みなまで言うな、わかっています、はい。

 悠々自適な生活を送るはずの私の夏休みは知らない人物の遺品整理で幕を開けたのだった。


 相続に関する事は、宇市家の執事である真戸さんが全てやってくれていた。私達家族は言われるがままに話を聞いてハンコを押してサインをして。

 遺言書に書いてあったということもあったのか、本家の人達、葬儀の時に会った分家の方にも嫌な目一つされなかった。他人が……もう他人ではないのか。とにかくほぼ毎日お家に出入りしていたけれど、むしろだいぶ良くしてもらえた。

 血縁とわかればそんなものなんだろうか。もしかしたら土地の一つや二つ、他の相続したものに比べれば安いものなのかもしれない。一高校生である私には土地というものの価値すらわかってはいないのだけれど、いやあ、お金持ちの考えてる事なんかわかりませんね。

 とにかくお菓子もらったり、お茶出してもらえたり……待遇に関して言えば至れり尽せりでした。しかも超がつく高級なもので。美味しかったな、あのお饅頭。

 相続のそれと同時に真戸さんにはこちらのお手伝いもしてもらっていたので、気持ちの面ではいうほど大変ではなかったのだけれど、何しろ量が量だった。

 葬儀はすぐにとり行われ、息を吐く間も無く私は整理に駆り出されることに。

 健造氏の個室の他、蔵の中、地下室、幾ら人手があっても足りないほど。多田野家が相続する事となった物の整理というけれど、それがどこにあるのかまでは遺言書にはなかったし、とにかく広い家を片っ端から捜索、捜索、整理整理捜索整理お菓子整理お菓子お茶と、まあ忙しかった。いや、本当に美味しかったな、あのお団子。

 そんなことから、結局、整理には私も本家の方々も一緒になって手伝うことになったし、あちらも何か見つけては教えてくれた。

 そしてついに昨日、その土地に関する資料が入ったファイルを見つけることができたのだ。あの達成感、なかなかないよね! お宝を見つけた冒険者の気分だった。あれはこの夏一番の感動かもしれない。

 そして私は真戸さんに「早速足を運ばれてはいかがですか」と言われたこともあって、今に至るわけです。両親に話したら……みなまで言うな、わかっている。私は夏休みですからね!


 地図に書かれた最寄りの駅から歩くこと十数分。駅前の商店街を抜けると、人もまばらになってきて騒がしさもない。ふわっとどこか少し潮の香りがした。そういえば、ここって昔は港町だったって聞いたな、海も近いみたいだし。

 遺言書にあったF市は、私の住むN市と同県、隣の市である。電車で十分も乗ればついてしまう駅が最寄りだった。

 私が通う高校はF市とは逆方向であまり寄ることもない駅だったけれど、県内ではかなり栄えている市で、最近のゆるキャラブームで火がついた、キモカワイイキャラで全国的にも有名だ。つまり県内でも好立地と言える土地を譲り渡されたことになる。


 微かに感じる潮の香りと爽やかに吹き始めた心地よい風の中、しばらく道なりに歩いた先に現れた、寂れた商店街の中にそれはあった。


「ここだよね」


 地図に記された場所と建物とを見比べて確認する。間違いない、ここだ。

 言ってしまえば本当に古ぼけた小さな建物だ。二階建てとなっていて、木を感じさせるモダンな洋風な作り。通りに面した入り口は引き戸となっていて、見上げると二階の小さなベランダが屋根代わりとなっている。元店舗だとあったが、看板らしきものは見当たらず、本当に店だったかどうかも怪しい。

 壁にはどこから伸びているのか蔦が伸び、長く放置されていたことがわかる。しかしそれがかえって雰囲気を出していて、私は嫌いじゃない。はっきり言って両隣のもともと何かの店舗だった建物と比べれば浮きまくっているけれど、それもまた、ここだけ時間が止まっているような不思議な感じが漂っていた。

 私は預かってきた鍵を取り出し、改めて見やる。非常にシンプルな作りの古ぼけた金属鍵だ。入り口に一歩近づき鍵穴を探す。


「あった」


 小さく呟いて鍵穴に恐る恐る鍵を近づけると、胸が高鳴った。宝箱を開ける気分というのはこういうものなのだろうか、少し手が震えていた。


「あ、あれ……?」


 回らない。

 鍵も鍵穴も古いからだろうか、噛み合ってる感じがせず、結構力を入れてみたがガチガチと言うだけで、開く様子は微塵も感じられない。

 しばらく奮闘するも無駄だった。右に左に、建て付けが悪いのかと汚れることを承知で戸を動かしてみたりしたが、それも無駄に終わった。


「この入り口の鍵じゃないのかなあ」


 思いつくのはそれしかない。もし店舗だったのなら裏口があるのかもしれない。

 私は一歩下がって建物全体を眺めてみる。すっかり汗だくになって、汗が滲む首元をハンカチで拭いた。

 そして気づいたのだけれど、建物左横に通れるところがある。蔦が伸びてきている方向だ。恐らく庭かなんかが奥にあってそこにつながっているのかもしれない。

 不思議なことに何か吸い込まれるような感覚。もう服は汚れてしまったし、汗かいてるし、知ったことか。

 蔦を辿るようにして、石を敷き詰めた建物横の道を進んでいく。道自体は日陰となっていて心地よい涼しさだ。少し日が落ちてきたのもあるかもしれない。

 意外と奥行きのある建物だな……なんて思っていると、先に庭らしき開けた場所が見えた。そこを目指し一歩一歩進んでいく。

 今更だけれど、全身白で合わせてきたことを改めて後悔する。ワンピースに合わせ、夏らしくサンダルできたことが最も悔やまれた。

 そこまで思った時、右手から風が吹いた。カビ臭い……でも、微かに何かお酒と煙草のような。


「わっ」


 右を見やると地下へ降りる階段があった。先は暗くて見えないが、明らかに恐怖を感じ、自然と鳥肌がたつ。


「やだ」


 なんて言ってらんないよね、結局いつかは中に入らなきゃいけないんだし。

 諦め半分、勢い半分。責任は皆無で一つ階段を下る。

 ゾワッと。

 体を悪寒が襲った。むわっとする湿り気のある生温い風が全身を包み、居心地がいいとは言い難い。私は両腕をさすりながらも、一段一段下っていく。カビ臭さもありながら、さっき感じたお酒の匂いも強まる。うーん、酒蔵、的な?

 段数にして十数段、だった気がする。すごく長く感じたけど。階段ってなんか、ほら、数えたくないじゃん、怖い話が付き物だし。

 そして目の前には重々しいドア。なんだこれ、そう、アレだ、地獄の門。考える人だかなんだかが見てるとかなんとかのあの門。

 完全にうろ覚えの知識に頭を巡らし、少し間をおいて、息を吐く。


「よし、帰ろう」


 無理矢理に笑顔を作って一歩後退。手が震えていたかもしれない。その拍子に持っていた鍵が落ちた。狭い空間に音が反響し、響いた音に驚き、声をあげそうにもなるのをぐっと堪える。古ぼけた錆びた鍵だと思っていたのに、とても澄んだ音が響いた。


「あーもーあー」


 それがきっかけになったのかわからない。何かの意思を感じとったなんて、そんな超常的なモノを感じれるほど霊感なんてものも持ち合わせていない。でも、試すだけなら。

 私は、ええいままよと鍵を拾った勢いのまま、鍵穴に突っ込む。回す。回った。回ったよ。


「あ」


 開いてしまった。いとも簡単に。バッチリガッチリ噛み合ってしまったのが運の尽き、今ここに地獄の扉は開かれてしまった。

 何も知らない無垢な美少女の手によって封印されていたはずの地獄が開かれ平穏な生活は終わりの音を告げ世は混沌に落ちて、じゃない! 完全に緊張と不安と恐怖のの向こう側に行ってしまった思考を引き戻す。

 こうなってしまっては、最早言い訳もできない。別に幽霊がいるわけでもなし。

 本日何度目になるかわからない覚悟を決め、私は力を込めてドアを開けた。

 重い音を奏で、アルコールの香りを漂わせ、ドアは開かれていく。

 

 僅かに開いた隙間から顔を覗かせ、足を一歩踏み入れて私は思った。あ、幽霊は出ないけど、虫ぐらいはいるかもしれない。大量にいるかもしれない。


 時すでに遅し、既に、曰く地獄の扉は開かれたのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ