天竜使いのリディアーヌ
(ここって、乙女ゲームの世界よね?)
水属性の魔方陣前で冷気に中てられた瞬間、ふとそんな事が脳裏を過ぎった。
買収された教師はこの場にいないけど、ヴィオが居るからタクラーム侯爵家の野望を阻止するトゥルーエンドのストーリーは達成出来ていない。
このままだとヴィオは歴代最高の天才魔導師として第一王子殿下と婚約し、学院で彼女の派閥に入らなかった女子生徒たちはみんな悪役令嬢にされるバッドエンドに一直線だ。
タクラーム侯爵も勢力拡大と他の大貴族の派閥解体を推し進めるために孫娘ヴィオのワガママに便乗するので、王都では暫く陰謀の嵐が吹き荒れる。
暫く固まっていた私は、タクラーム侯爵家の策謀を先回りして潰す事を決めた。
ヴィオよりも先に各魔方陣で精霊石を使えば、ヴィオが召喚する時には魔力を上乗せする事が出来なくなる。
でもヴィオに先んじたはずの火属性の魔方陣で、私は精霊契約自体に失敗した。
(……まさか主人公が、私よりも先に回っている?)
慌てて周囲を見渡すと、エディトが水精霊の魔方陣に並んでいるのが見えた。
野望阻止のイベントが中途半端に終わっている事から、エディトは私と同じく力尽くで阻止する事にしたのかもしれない。
むしろ私が主人公エディトのやり方を真似しているという見方も出来るけど。
でもこのままだと、エディトがアルノルト第三王子の成績を抜いて王位簒奪ストーリーに入ってしまう。
もしも力を付けた平民出身のエディトと、側室の子供であるアルノルト第三王子が二人で組んで王位簒奪ストーリーを始めると、国内貴族の多くが敵に回って大規模な内戦に突入する。
やがてアルノルト王子に刃向かって敗北した貴族は厳しく罰せられ、中立を貫いた貴族も領地を大幅に減じられてしまう。
そうなると実家のグランジュ子爵家だって確実に巻き添えになってしまうし、領民にも犠牲が出る。
(どうしよう。私が4属性取って王位簒奪に加わるわけにも行かないし、3つだけ取ってあとは神様に祈るしか無いかも)
どうかエディトが3年間の学院生活で、真面目に勉強していませんように。
【最終試験結果(6属性の格・推定属性値)】
第1位
アルノルト・ルクレール
火4・水3・風3・土3・光2・闇4 合計63~
第2位
エディト・シャルトル
火4・水4・風2・土4・光2・闇2 合計60~
第3位
リディアーヌ・グランジュ
火0・水3・風4・土0・光4・闇4 合計57~
第4位
カール・ドーレンス
火3・水2・風2・土2・光2・闇3 合計34~
第5位
ローラント・デュドネ
火2・水2・風3・土2・光2・闇2 合計29~
・
・
・
第18位 ~ 第27位
ヴィオレット・タクラーム
火0・水0・風2・土0・光0・闇3 合計13~
結構危なかったけど、結果としてタクラーム侯爵家の野望もアルノルト王子とエディトの連携も阻止出来た。
エディトは攻略キャラの一人である金髪碧眼の貴公子ローラント・デュドネ伯爵と結ばれて、領地発展イベントに入ったみたいだった。
私たちが魔方陣を回る前に得意属性と契約を行って失敗した生徒も結構いた。
最終的に23人もの生徒が1属性の中位精霊とも契約出来なくて除籍処分になったけど、得意な属性値を削られたら無理も無い。
召喚術が成功する際の平均魔力200を2割も削られたら、中位精霊と契約するのに必要な魔力160ギリギリになる。
元々の魔力が200より低ければ召喚術は成功しなくなるし、そもそも平均とは魔力が高い人たちが引き上げた値なので、並の生徒なら属性魔力を200も持っていない。
でも全属性を注ぎ終わってしまった人達はもうやり直しが出来ないし、タクラーム侯爵家も特殊な精霊石は二度と作れないので、私はこの件を口外しない事にした。
本当は契約できていたはずだったなんて言われたら、今から修行のやり直しになってギリギリ下位精霊が操れる騎士階級になる人達は一生悔しいと思うし。
私は沈黙を保ったまま第三位の総合成績で残り3ヵ月間の学院生活を大過なく過ごし、やがて帰った実家で恐ろしい事を告げられた。
「リディア、喜べ。バティーユ侯爵家の嫡男エリゼオ殿との縁談がまとまった!」
「…………へっ?」
「バティーユ侯爵家と言えば、王妃殿下を幾度も排出している名門中の名門貴族だ。本来であれば我が子爵家など選ばれるべくもないが、複数の上位精霊を得たお前ならばと見込まれたのだろう!」
…………お父様。
エリゼオ様を上手く支えないと、アルノルト王子の簒奪が成功するのですが。
◇◇◇◇◇ ◇◇
バティーユ侯爵領の東には広大な森と山脈地帯が広がっており、数多の動物と魔物が生息している。
陸上生物の種類は多すぎて、一体どの魔物が強者であるか判然としない。でも不慣れな者が不用意に森へと立ち入れば、即座にいずれかの魔物の餌となるのは間違いない。
その一方で空に関しては、食物連鎖の頂点に立つ魔物が成竜した飛竜である事は誰の目にも明らかだ。
飛竜は、首と尾が長いトカゲに大きな翼を生やしたような外見の竜だ。
3月頃に2~3個の卵を産み、雌が抱卵して雄が食事を届け、約1ヵ月で孵化する。
産まれてから2ヵ月くらい経った6~7月頃に巣立ちを迎え、さらに2ヵ月後の9月頃に親竜によって群れを追い出されて独立する。
その後6~8年ほどで成竜になり、やがて番を見つけて子育てのために既存の群れに入るか、新たに小さな群れを作る。
成竜になった飛竜は全長8~10m、翼開張12~15m。
平均属性値は「火4、風6、闇4」で、空の支配者と恐れられる。
但し飛竜の強さは、個体差が非常に大きい。
飛竜の強さや寿命は、魔力が固定する成竜までどれだけ魔力を取り込んだかで決まる。
それは取り込んだ魔力量で牙や爪や鱗の硬さが、火属性で口から吐く火球の火力が、風属性で天空を舞う飛行力が、闇属性で尾から飛ばす毒針の毒の強さが変わるからだ。
寿命は弱い飛竜で30~40年、並なら80年、強くて200~400年ほどになる。
番は互いに並以上でなければ殆ど成立しなくて、強い飛竜は群れの長になる。
……そんな飛竜たちの中でも群れを作る並以上の強さの成竜たちと、さらに群れを支配する長に向かって、上位風精霊がダウンバーストを引き起こした。
上位風精霊は飛竜たちの必死の抵抗を悉く粉砕し、その巨体を軽々と大地へ叩き付ける。
飛竜は墜落する間際に辛うじて落下速度を減じられたが、それは飛竜の風属性が強いからでは無くて上位風精霊が手加減をしたからだった。
強風で飛び上がれない飛竜の頭上では、大翼を切り裂く鋭い風刃が無数に乱舞していた。
『…………我の負けだ』
飛竜の意志が上位闇精霊の精神感応を介して伝わった後、上位風精霊は攻撃を止めた。
風精霊が踊る大空の下では、既に大小13頭もの飛竜が地べたに寝転がされていた。腹を見せて転がる飛竜たちに向かって、一人の女性が声を掛けた。
「それではこの群れは、バティーユ侯爵家に従うと言う事で良いですか?」
呼びかけたのは上位精霊たちの契約主にして、魔法学院を卒業したリディアーヌ・バティーユ次期侯爵夫人……つまり私だった。
現在は、新婚旅行の真っ最中。
一体何をやっているのと思われたあなた様、それは私も同感です。
これでも新婚らしく先日は夫と二人で水辺に行って、ちゃんと肌着に……こほん。
この地には私の希望で立ち寄っていて、夫になったエリゼオ・バティーユ次期侯爵は私が結婚を受ける条件として出した一つのお願いに面白がってお付き合い下さっている。
結婚を受ける条件というのは、バティーユ侯爵領内の山脈に暮らしている飛竜の群れを私自身が1つ従えたいですって言うお願い。
大地図にも載る大山の一つに、昔から飛竜たちが暮らしている事は広く知られている。
『我らが従うのは、我らを負かした強者のみ』
本来飛竜は、人間と会話が出来ない。
飛竜は群れの仲間と鳴き声や闇魔法による意思疎通を行い、狩りや巣の見張りで協力し、強い者に従うなどの習性を持っているけど、人間ほどに高度な文明は持ち合わせていない。
人間で言うなら、文字と農耕が発生する直前で発展が停止している。
理由は諸説あるけど、飛竜は単独で獲物を獲るのに困らない強靱な肉体を持っているので農耕の必要が無いからだという説が有力視されている。
そんな我が道を行く飛竜と人間が意思疎通するためには、闇精霊による精神感応が欠かせない。
2格の中位闇精霊を介せば、単語の伝達か片言程度の意思疎通ができる。
3格の中位闇精霊を介せば、一行会話を交わす程度には意思疎通が出来る。
4格の上位闇精霊を介せば、今の私のような意思疎通になるみたいだった。
「それなら勝った私が命じます。バティーユ侯爵家の私に従って下さい」
『…………ぐぬぬ』
私たちのベーレンス王国には、3種類の空戦力が存在する。
それは飛行騎兵と呼ばれる大鷲馬、空騎士と呼ばれる大鷲獅子、竜騎士と呼ばれる飛竜で、そのどれを操るにも風と闇の属性が相応に求められるので空軍はエリート中のエリートだ。
大鷲馬は上半身が鷲、下半身が馬の魔物。
平均属性は「風2,土1,闇2」。人を乗せて大地を疾走し、短距離飛行も出来る。
背中から振り落とされたくなければ、背に乗って飛ぶ際にヒッポグリフの飛行を助ける風属性と、最低限の意思疎通を行うために必要な闇属性が求められる。
大鷲獅子は上半身が鷲、下半身が獅子の魔物。
平均属性は「風3,土2,闇2」。大鷲馬に倍する速度で、大地と空を駆け回れる。
強靱な爪と分厚い皮膚、発達した筋肉による瞬発力を兼ね備えるものの、騎乗には大鷲獅子と同等以上の風と闇の属性値が求められるので騎乗はとても難しい。
飛竜は竜の一種で、最大の特徴として大きな翼を持っている。
平均属性は「火4,風6,闇4」。強力な牙・爪・鱗を持ち火球と毒針も飛ばせる。
騎乗の最低条件は、風と闇の中位精霊との契約。飛竜は強い番を求めて群れのリーダーにも従う事から、人でも飛竜に1対1で勝てば従える事が出来る。
「背中に乗せるのは、あなたたちに勝った人間だけで良いです。無茶は言っても無理は言わないので、私が出す方針には従って下さい」
飛竜に乗るには、中位闇精霊で勝負を挑む事を伝え、飛翔を中位風精霊で阻害して、鋭い牙爪や毒針、火球を躱して巨体と硬い鱗を攻略しなければならない。
一番勝ちやすいのは比較的防御力が低い翼を破る事だけど、それをすると騎乗して空を飛ぶという本来の目的が果たせなくなるので勝負を挑む者はその手段が取れない。
じゃあどうするのって言うと、殆どは弱竜か老竜を狙って倒している。
強い飛竜は子育てが終わっても倒し難く、幼竜は従えても最弱竜にしか育たない。子育て中の飛竜は群れを作るので、群れ全体を倒して長にならないと従えられない。
だから飛竜を従える場合は、弱くて番を作れない弱竜を倒すか、子育てを終えた並の老竜を倒すかの二択になる。
でも私は夫のエリゼオ様をそれなりの飛竜に乗せなければならない。
なぜならエリゼオ様ルートの第二部では、王国軍に入ったアルノルト第三王子が今年中に子育てを終えた強い飛竜を従えて強い発言力を持ち、王国南部への魔物侵攻時に大活躍すると同時に王国軍の疲弊で機会が到来して王位簒奪を行うからだ。
それをされると、私の実家(子爵家)も嫁ぎ先(侯爵家)も困る!
だからアルノルト王子に対抗しなければならなくて、その一番手っ取り早い方法がアルノルト王子以上の飛竜を従えることだ。
伯爵以上の格式を持つ家の当主や夫人は、非常時に王都へ参集するために風と闇の中位精霊を従えて大鷲獅子に乗れる人が多い。エリゼオ様もその例に漏れず、ワイバーンを従える地力は持っている。
アルノルト王子は愚かでは無いので、自分より強い飛竜を従えた相手が正室派にいて勝率が低いと見れば王位簒奪を行わない。
『乗せるのは、我らに勝った者だけで良いのだな?』
「はい」
『ならば従おう』
「良かった。エリゼオ様、成功しました!」
「飛竜を群れ単位で従えるのは、我が国では前代未聞だな」
エリゼオ様が私に従った飛竜の長を見上げながら興味深く呟いた。
でもそれって、他国だと例があると言う事なのかしら。
タクラーム侯爵家みたいなズルをしなくても飛竜の群れに勝てるなんて、一体どうやったんだろう。
「……ええと、群れには何頭の飛竜が居ますか?」
『7組の番だ。子供達は飛べるようになってきた』
1つの巣には2~3頭の幼竜が居るはずなので、群れ全体には17~18頭くらいがいるはずだ。
「では群れの長として、方針を伝えます。まず私が上位光精霊の回復魔法で、成竜も幼竜も健康にします。その後は少し南の湖に鰐竜タラスクスの子供が大量にいるので、成竜が運んで幼竜に沢山食べさせて早く大きくしてあげて下さい」
『………………何故だ?』
「魔力の高い魔物を食べると、魔力が得られて早く強くなれるでしょう。まだ独立まで2ヵ月もあるから、少しでも強くしてあげないと。かなり遠いですけど、私の上位風精霊で飛行を補いますので往復時間は問題ありません」
生物が体内に持つ魔力は、他の生物の魔石を食べさせて消化吸収する事でも育つ。
並みの飛竜の平均属性値は「火4,風6,闇4」で魔力680。そこまで育てるには、成長期間である6~8年の間に、魔力6,800分の魔石を食べさせないといけない。
でもこれは、達成する事がとても難しい。
豚頭背鱗水牛なら魔力50の魔石を持っていて、1頭食べれば魔力5を得られる。魔力680に到達するには、136匹食べれば良いと言う事になる。
でも豚頭背鱗水牛のオスは体重1,000kgで大人の飛竜でも巣までは運べないし、幼竜たちは狩ること自体が出来ない。よって豚頭背鱗水牛で幼飛竜を育てるのは不可能だ。
でも南で大量発生した鰐竜は、今なら体長2m体重80kgくらい。
これはオスの豚頭背鱗水牛の12分の1の重さなので、飛竜なら数匹を掴むなり飲み込むなりして軽々と飛べる。
それでいて鰐竜の属性値は「水2,土1,闇2」まで育っていて魔力90もあるので、幼飛竜を育てるには76匹で済む。
『それほど理想的な獲物がいれば、他竜の縄張り争いも激しいだろう。我らは無謀な争いで命を散らす事を避ける』
飛竜の長の考え方は、彼がヘタレだからじゃない。
幼竜が並以上の力で成竜する割合は、40頭に1頭くらい。だから1回の子育て失敗よりも、子孫を作れる親竜の命を守る方が大事という考えにならざるを得ない背景がある。
でも鰐竜の幼竜を安全に沢山狩れるのだったら、それを避ける理由は飛竜にも無い。
「いえ。元々生息していた沼竜のギーブルたちは、水位が下がって暮らせなくなったのでその地を去りました。今は支配竜が空白状態なので、子育てのチャンスです」
『そうなのか?』
「はい。むしろ大チャンスです」
鰐竜の魔石を1日に1頭分ずつ啄ませてあげれば、幼竜は独立をする2ヵ月後までに、空を自在に飛べる540もの魔力を得られる。
独立後は自分で鰐竜を1日2頭くらい狩ってもらえば、半年後には総魔力が成竜の5倍以上の3,780くらいまで上がる。
これを飛竜が持つ属性値に割り振ると「火9,風14,闇9」になって、3つの属性で3格の中位精霊並の力を振るう事が出来るようになる。
力を付けた後は豚頭背鱗水牛を1日1匹のペースで1年間ほど食べ続けてくれれば、鰐竜で身に付けた魔力3,780に追加で豚頭背鱗水牛の魔力1,825を得られる。
独立から1年半後となる王国歴1018年3月時点での総獲得魔力は5,605。
属性値に換算すると「火11,風17,闇11」で、風属性は4格の上位精霊並みに上がる。
「幼竜たちが9月に独立したら、付いて来てくれる子には私の家の近くに住んで貰って、私の夫と他何名かと戦って騎乗を認めて貰います。その後は引き続き鰐竜を食べて、次に豚頭背鱗水牛を食べて、2年以内に上位精霊に匹敵するくらいの力が付くと思います」
『……その後はどうする』
「強飛竜なら長生きですし、その子供なら力も強く引き継げますよね。属性値が高い私や夫も長生きですから、一緒に長く繁栄しましょうね」
『群れの繁栄か……新たな長に従おう……』
飛竜の長は、半信半疑ながらも方針には従ってくれるみたいだった。
それとエリゼオ様は、飛竜の長を野心的な瞳で見つめていた。
……私自身は夫のエリゼオ様に従いますけど、あまり無茶はしないで下さいね。
◇◇
王国歴1016年9月。
親が巣から追い出した幼竜17頭中12頭が長である私に付いてきてくれた。
独立するのも本能だから仕方がないと思いつつ、残りの子をうちで預かった。
未熟な状態でエリゼオ様と勝負して貰って、4頭に騎乗を認めて貰う。
侯爵軍からも5人が1頭ずつに認められて、粘った3頭は私が直接手懐けた。
その後は鰐竜の捕食を開始。幼竜たちの移動は、私の上位風精霊で手伝った。
王国歴1016年10月。
幼竜の1頭が親鰐竜に噛み付かれて、水辺に引き摺り込まれて死んでしまった。
群れから離れたばかりの幼飛竜は死亡率がとても高い。これまで鰐竜を食べていたと言っても身体や翼は大きくなっていないし、自然環境にだって不慣れだ。
なんて事をずっと考えていたら、エリゼオ様が無言で私に寄り添って下さった。
エリゼオ様の飛竜で一番気にしているはずなのに。私はコロッと落とされた。
王国歴1016年11月。
私の竜のうち一頭が、ついに3格の中位精霊並の風の力を操れるようになった。
きっと血肉と魔石を効率的に食べ続けて、風が属性値9に達したからだと思う。
3格の壁は強飛竜の条件で、この子は寿命が百数十年の単位に入ったはずだ。
もう幼竜とは呼べないかな。あとエリゼオ様の3頭にも早く育って欲しいかも。
ちなみにエリゼオ様専用の飛竜が多いのは、失敗が許されないからです。
王国歴1017年1月。
……私が手懐けたはずの一頭が、勝手にどこかへ飛んでいった。
豚頭背鱗水牛も狩らせ始めた時期だったので、牛肉が嫌だったのかも知れない。
と言うのは冗談で、強い成竜の力を身に付けたから独立したかったんだと思う。
野生でも群れから飛び出すのは自由だし、死ぬのに比べたらマシだって諦めた。でも私の残り2頭には、改めて上位精霊の力を示して強者に従う本能に訴えた。
王国歴1017年3月。
飛竜達が鰐竜を食べ尽くして食事が豚頭背鱗水牛に変わった頃、飛竜10頭の全てが火と闇の属性で3格の中位精霊並の力を身に付けた。
物凄い火球を吐けて、強力な毒針も飛ばせ、意思疎通も凄く向上している。
アルノルト王子が従えた飛竜は子育てを終えた強い飛竜だけど、雛竜から計画的に魔力を高めてきたうちの子たちなら1対1でも互角以上に戦えるかもしれない。
王国歴1017年6月。
飛竜を従えたはずの私兵の一人が、自分の飛竜に噛まれて大怪我をした。
騎手に噛み付くのを許すわけには行かないからその飛竜は群れから追い出して、噛まれた竜騎士の方は上位光精霊の回復魔法で治した。でも私が自分で従えている子に話を聞くと、竜騎士の飛竜に対する扱いや態度も相当酷かったらしい。
苦労せずに強い飛竜を従えたので、虚勢を張って保とうとしたみたい。
王国歴1017年9月。
一頭が種族としての高い壁を越えて、ついに4格の上位風精霊並の力を得た。
小型で高魔力の鰐竜を食べさせ8ヵ月。次いで豚頭背鱗水牛から少々の血肉と魔石を効果的に食べさせ半年。自然界ではあり得ない食育でここまで辿り着いた。
一番甘えっ子のクーくん(飛竜・雄)が最初に到達したのは、この子に合わせて褒めて育てたからだと思う。でも甘えてツノを擦り付けるのは、痛いから止めて!
王国歴1017年11月。
竜騎士の一人がロルバッハ公爵家から引き抜きを受け、飛竜を連れて逃亡した。
連れ去ったはずの飛竜が自分で戻って事情を教えてくれたので事態が発覚。
再発は困るので、飛竜は群れの長である私に従っていると竜騎士達に説明した。
連れ去りに失敗した竜騎士が何食わぬ顔で戻ったからエリゼオ様に政治的な事をお任せして、乗り手を失った今回の飛竜は全く悪くないから私専属の子に加えた。
王国歴1018年1月。
ついに豚頭背鱗水牛の大侵攻が発生する年に入った。
既に飛竜は9頭とも最強飛竜と謳われ、領外にまで広く知れ渡っている。
そんな中、まだ侯爵家の嫡男でしか無いエリゼオ様が国王陛下から直々に招喚された。でも私はお留守番。幼竜だけじゃなくて、子供も育てていますから。
子供はいつ出来たのって……1016年10月にコロッと落とされた後です。
王国歴1018年3月。
飛竜育成が終わる頃、エリゼオ様が陛下の勅命で王国軍の天将に任命された。
天将とは天の将軍の事で、大鷲馬を駆る飛行騎兵の飛将、大鷲獅子を駆る空騎士の空将、飛竜を駆る竜騎士の竜将の3将を束ねる大将となる。
中世封建制度で「臣下の臣下は臣下でない」。でも貴族のエリゼオ様自身は、国家へ奉仕する義務がある。そのせいでエリゼオ様は、王都務めになられた。
王国歴1018年4月。
王都で貴賎を問わず、オースルンド帝国に対する開戦論が広がっているらしい。
この国とオースルンド帝国とは、両国の中間に位置する豊かな平地を巡ってずっと争い続けている。でも最強飛竜が何頭もいたら、帝国軍を一気に圧倒できる。
私は急速に心が冷たくなるのを感じた。現王家なんて、アルノルト王子が簒奪しても良いかも。……そう考えていると、ルーちゃん(飛竜・雌)が慰めてくれた。
王国歴1018年5月。
アルノルト王子の一行がバティーユ侯爵領を通った際、我が家へ寄られた。
当主のお義父様とエリゼオ様が不在だったので、お義母様と私で応対した。
エリゼオ様が突然王都へ招喚された事、開戦論が広がっている事をどう思うかって聞かれた。つまりこれは、偶然を装った私への勧誘だった。
……正直言って、迷いました。でも時間切れ、もうすぐ大侵攻が始まる。
◇
王国歴1018年6月。
数万から数十万頭という恐ろしい数の豚頭背鱗水牛の群れが、失われた豊かな草原地帯を求めて続々と北上を開始した。
ドムス大山の河川を引き込む大治水を行って自然環境を変えてしまったダウデルト帝国と似通ったことは私たちベーレンス王国も行っている。だから帝国が暮らしやすいように生活環境を変えたからと言って、私たちの国が公然と非難する事は難しい。
しかも相手が絶対に認めないので、相当の非難する時には戦争の覚悟も必要になる。
でも今はそんな背景自体が判明しておらず、とにかく数え切れない豚頭背鱗水牛の群れが一斉に北上を開始したという事実だけがある。
群れ群れ群れ、群れ群れ群れ。
体重約1,000kgのオスの豚頭背鱗水牛と、体重約750kgのメスの豚頭背鱗水牛と、それよりも一回り小さな子供の豚頭背鱗水牛たちが、一つの大集団となってひしめき合いながら土煙を上げて北へと駆けて行く。
先頭の豚頭背鱗水牛が安全を確認した荒れ地を後に続き、高低差の激しい場所は移動しやすい道順を一列に連なり、脱落者の屍を土台に谷を越え、牛豚のような鳴き声を上げて周囲の魔物を蹴散らしながら大地を走り抜ける。
地平線の果てまで続く豚頭背鱗水牛の群れは、何百匹脱落して周囲の魔物に食べられようとも一向に数が減っているようには見えない。
そんな大集団の先頭からやや北東側を、飛竜の群れがゆっくりと舞っていた。
飛竜たちは時折気まぐれに豚頭背鱗水牛の先頭に接近し、大口を開けて鳴き声で威嚇し、風圧を生み出して吹き飛ばし、火球を放って北東側を何度も焼く。
それでも群れは移動を止めず、進路を北西へと逸らしつつも走り続ける。
このままだと群れは真北のブラントーム公爵領や北東のバティーユ侯爵領を外れつつも、北西のタクラーム侯爵領とその北には侵入してしまう。
領主のタクラーム侯爵は魔法学院へ多額の寄付や儀式用の台座などの寄贈を行い、王国魔導師の育成に大変熱心な大貴族だ。
北のオースルンド帝国との開戦にも積極的で、もうじき領地で収穫される大量の小麦は、戦争のために王国軍へ売られるらしい。もし侯爵領の穀倉地帯が荒らされると、軍は糧食を確保する計画が根底から破綻してしまう。
その北側に位置するデリウス公爵領は大きな鉱山地帯を抱えており、国内の武具生産の要を担っている。もしも開戦賛成派の一人である公爵の領地が被害を受けると、戦争で兵士に持たせる槍や弓矢の生産力が一気に落ちてしまう。
さらに北のシュミット侯爵領は、戦略物資の運搬中継地だ。西のフレドホルム王国から国内の不足品を調達する貿易拠点でもあるので、シュミット侯も開戦を支持している。そんな重要中継拠点が寸断されれば、様々な軍需品の補給が停滞する。
ベーレンス魔法王国は東西に約3,000km、南北に約1,200kmという日本の10倍近い陸地面積を持つ大国だけど、国内へ侵入してからシュミット侯爵領土までは数百キロで済むので、豚頭背鱗水牛はしっかりと突き進んでいく。
なお開戦に積極的でない大貴族はブラントーム公爵、バティーユ侯爵、エーゲル侯爵、ゴルチエ侯爵だけど、豚頭背鱗水牛の群れは何故かそちらには向かわないような気がする。
どうしてだろう。不思議だなぁ。
群れの先頭を飛んでいるのは、私の飛竜2頭とエリゼオ様の2頭の計4頭だった。
私たちは自身の移動のために手元に1頭ずつを残していて、3人の竜騎士たちは伝令として各地を飛び回っている。
人間の乗り手がおらず何の装備も身に付けていない飛竜たちは野生種とみなされるので、うちの子たちが何をしても後から言いがかりを付けられることは無い。
……ううん、違う。あの4頭は野生種だ。
そんな野生種の1頭が、群れの中でもひときわ大きな豚頭背鱗水牛の背中を大きな後ろ足の竜爪でしっかりと掴み、上位精霊に匹敵する風の力で天地を反転させたかのように一気に空へと舞い上がった。
『ぎゅいーん。ぽいっ』
ブモーギュウ、ブモーギュウ……
数百メートルの高みに掴み上げられた豚頭背鱗水牛は、そのまま空で放り投げられて必死に四肢をバタつかせ、鳴き声を上げながら群れの中に落ちていった。
衝突と同時に大きな土煙が周囲に立ち上り、豚頭背鱗水牛たちが一斉にその場から逃げ出す。そして一部は、北東へと走り始めた。
それを空から見下ろしていた別の飛竜一頭が、豚頭背鱗水牛投げをして遊んだ飛竜に闇属性魔法で意思を伝達する。
『クヌート、北東はダメでしょう』
『えー』
『えーじゃないの。リーお姉ちゃんに怒られるわよ?』
『きゅるるる』
クヌートと呼ばれた飛竜は、第二の母親が叱る姿を想像して若干首を垂れた。
最近はあまり叱られないけれど、巣に強行着陸して屋根の一部を吹き飛ばした時とか、野生の飛竜ごっこをして街道を行く馬車を追いかけた時なんかは上位風精霊の力で地面に引っ繰り返された。
魔法は応用次第で化けるって学んだから、もう並みの上位精霊使いには負けないけど、異様に使い方が上手くて化学まで使う母が相手だと今でも全然勝てない。
クヌートは北東側に進み始めた豚頭背鱗水牛の先頭に急降下し、一頭を噛んで風に乗る。
ブモーギュウ、ブモーギュウ……
咥えた豚頭背鱗水牛の顔を北東方向に進もうとした群れの先頭に向けて飛び、少しずつ噛む力を強めると、噛まれている仲間の苦しそうな鳴き声を聞いた群れが北東から進路を逸らし始めた。
それを見たクヌートは母が自分を褒めてくれる姿を想像して目を細め、次いで周囲を見渡してやや不満げな表情に戻る。
先頭集団に続く第二集団の北東側で、別の飛竜が荒れ地を火球で焼いて風魔法で広範囲に広げるという火竜ごっこをしていた。
火竜は子供の数が少なくて成竜になるのも遅いけど、平均属性値「火12,風5,土5,光5」で、平均属性値「火4,風6,闇4」の飛竜に比べると格段に強い竜だ。
火竜の魔力量は、飛竜の3倍以上。光魔法で自分の身体の回復も出来て、仮に火竜が1頭でも現われたら町は半壊する。
でもクヌートたち最強飛竜は「火11,風17,闇11」まで育っているので、火竜並の炎だって再現できるし、上位風魔法で風を送れば大火災を生み出せる。
『ルイーゼ、南側。イグナーツだって火竜ごっこで遊んでる』
『北東に行かせていないから良いのよ』
『じゃあ僕も行かせなかったら遊んで良いの?』
『…………良いんじゃない?』
『ぎゅいーん!』
クヌートは空へと舞い上がり、風を集めながら地上へ急降下を開始した。
上位風魔法で強烈なダウンバーストが生み出され、クヌートが地上を飛び抜ける際に風の直撃を受けた数十頭の豚頭背鱗水牛たちが上空へと吹き飛ばされ、数百頭が大地を西側へと転げていく。
『はぁ……子供ねぇ』
現在2歳の二頭は紛れもなく幼竜だが、上位闇精霊の意思疎通や伝達で育て親であるリディアーヌから少しずつ知恵を与えられてきた彼らは、知能に関しては既に並の飛竜に大きく水をあけている。
現在のクヌートの行動は、どちらかと言えば性格によるところが大きい。
リディアーヌの飛竜であるクヌートは甘えっ子、ルイーゼはお姉さん、ミーナは良い子。
エリゼオの飛竜であるイグナーツはわんぱく、フォルカーは頼れる子、エリーゼはおしとやか。
3竜騎士の飛竜であるハーラルトは勇敢、テレージアは好奇心旺盛、サビーナは協調派と言う風に性格に違いが出てきた。
3竜騎士の飛竜や、ロルバッハ公の引き抜きを受ける前には竜騎士の飛竜だったミーナは乗り手が別人なので性格に違いが出たのは自然なことだ。
クヌートとルイーゼも雄と雌で差が出たのだろう。
リディアーヌの夫であるエリゼオの飛竜のうちイグナーツとフォルカーは、それぞれ乗り手の性格の一部に影響を受けたと思われる。
エリーゼは普段おしとやかな振りをしつつ時折エリゼオに色目を使うという行動をとるが、乗り手への執着や独占欲を考えれば理解できないことでも無いと考えられている。
『クヌート、倒しすぎたら駄目よ』
『えー、どうしてー?』
『倒しすぎると、戦争に駆り出されるってリーお姉ちゃんが言っていたでしょう。あたしたちはご飯が北東に行かないようにすれば良いの』
『……うちの近くに来たら、狩るのが楽なのに』
クヌートは渋々と天災を引き起こすのを止め、豚頭背鱗水牛の先頭集団がタクラーム侯爵領に入っていくのを眺めた。
臆病な豚頭背鱗水牛は、群れの先頭の進んだとおりに後ろを付いていく。数万とも数十万とも知れぬ後続たちは、みんなタクラーム侯爵領に入っていくだろう。
ここまで誘導してしまえば、バティーユ侯爵領に向かう可能性は殆ど無い。
『クー、イー、エー、うちに帰るわよ』
『はーい』『わかった!』『わたくしは王都のフォルカーと交代しましょうか?』
『あんたはエリゼオの傍に居たいだけでしょう。良いから帰るの』
乗り手を乗せていない飛竜達はルイーゼの指揮の下、豚頭背鱗水牛の群れからゆっくりと離れていった。
王国歴1018年。
数え切れない豚頭背鱗水牛の群れに侵入されたベーレンス王国では、その国土の南西部を広く壊滅させられた。
死者は多すぎて数十万としか数えられず、家財を失った者は死者の数を超えた。
だが王国東部の各領地は被害を免れ、壊滅した南西部を支えて国の復興に尽力した。
豚頭背鱗水牛の討伐はバティーユ侯爵家の飛竜たちが加勢した事で迅速に進み、やがてリディアーヌは天竜使いと呼ばれるようになる。
それから十年後、王国は大規模魔物災害を乗り越えて復興を果たした。