現代 4
宣言通り一週間で片を付けナヴァレに舞い戻ったリグリラは、何食わぬ顔でホテルに戻った。
それを見はからったように商会からの使いがやってきて、商品が入荷したと聞くや否や街へ繰り出し、合流したラーワと共に豊富に出回りだした資材を精力的に買い回ったのである。
一番の目的であった布はもちろん、他の仕事のための布、ビーズ、リボン、レース、ボタン、はては異国の民族衣装まで、用意していた為替をすべて使う勢いで興味のあるものを片端から購入していったが、今回のために借りた二頭立ての幌馬車はそれらすべてを乗せても余裕があった。
そして丸2日かけて選び抜いた荷物を馬車に詰め込みあとは出発するだけ、という段階で、終始交渉の窓口となっていた商会所属の中年の商人から、街道の警戒レベルが引き上げられたことを知らされた。
「ご心配なく、わたくし個人的に護衛を雇っておりますの」
「いえ、ですが、ガボット大森林を抜ける街道でトロルに加えビッグボアの群れが出没し、死人が出るほどの被害が出たようでして。そちらは国から討伐部隊が出動するまで原則通行禁止令が出たそうです。あなた様の帰路にお使いになる街道ではございませんか?」
そのとおりだったため黙り込んでいると、我が意を得たように商人が胸を張った。
「私共としても、たかが街道が通行止めになった程度で商売をやめることはできません。ガボット大森林を迂回するため一日二日ほど遠回りになりますが、別ルートにてハンターの護衛を雇い、隊商を仕立てます。話は通しておきますのでそちらと同行されてはいかがでしょうか」
昔よりは街道が整備され行き来が楽になったとはいえ、街の城壁から外に出れば幻獣や魔物、更には盗賊なども跋扈するため、街道を渡る際は安全のために見知らぬ者同士でも隊列を組み、一緒に行動するのが常識だった。
むろん、リグリラとラーワであればガボット大森林を抜けるルートだろうと一切の問題はなかったが、商会側からのハンターの護衛が付いた隊商への同行許可、という破格の申し出を断るほうが不自然だった。
仕方なく了承し、出立が明日の夜明けというのを聞いた後、ギルドに立ち寄っていたラーワと合流してそのことを話すと、ギルドで街道閉鎖の情報はすでに知っていたようで、その話自体は意外に思わなかったようだが、隊商の護衛の下りになると目を丸くしていた。
「護衛につくのって商会子飼いの傭兵かい?」
「いいえ、今回予想されるのが幻獣ですので臨時にハンターギルドで雇ったようですわ」
するとラーワは思わぬ幸運に出会ったとでもいう様にうきうきと言った。
「そっかあ。実はね、この町で偶然仲良くなった”狼の人”がいてさ、リグリラがいない間その人と組んでちょくちょく依頼を受けてたんだよ。その人ギルドに登録したのは初めてだったのにずいぶん手馴れていて頼りになるんだよね。
次の街に移るために隊商の護衛依頼を受けたって言っていたから、もしかしたら道中一緒かもしれないのか。このまま別れるのは残念だと思ってたところだったから、すごくうれしいよ」
ラーワに嬉々としてその時の出来事をかいつまんで説明されたリグリラは、平常運転のお人好しぶりに頭が痛んだ気がした。
「食事の世話をしただけならまだしも、ギルドのランクアップ推薦までして差し上げたなんて。わかっていますの? その狼人とやらが問題を起こせばそのとばっちりがあなたに来ますのよ?」
ハンターギルドがもうけている”シングル”期間の免除制度は、すでに十分に実績のある”トリプル”以上のハンターによる推薦と、ギルド側の実力試験に合格することだった。
それは人手不足を解消するための措置だったが、ハンターギルドもそうやすやすと受け入れるわけもなく、試験で即戦力の目安となる”トリプル”並の実力を問われるうえ、その推薦された人物が問題を起こした場合推薦した側も後見人として責任を負わされる場合があり、最悪の場合降格処分が下される事もある。
そのため、よほどの物好きかその人物に義理でもない限り利用されない制度でもあった。
「大丈夫だって、確かにこっちじゃ見た目は珍しいけど、実力審査にも文句なしに合格した人だし、国では自警団みたいなところに入っていたらしくてしっかりした良い人なんだよ。どうせ万年人材不足のギルドが放っておかなかったって。
体術だけだったら私も一本取られるくらいだから、山ほど条件付けられて昇格させられるよりは、私が推薦しといたほうがずっと良いよ」
あっけらかんと言われた重要な事柄にリグリラは驚きをあらわにした。
人の世に溶け込むために能力の大部分を制限しているとはいえ、最強種族であるドラゴンのラーワが負ける?
「それは聞き捨てなりませんわね」
予想通り興味を示し始めた金紫の美女にラーワはにんまりとする。
「リグリラなら言うと思った。まあ私も対人戦は慣れていないしもともと勝つ気はなかったけど、ああも見事に投げられたのは初めてだったよ。本人も武者修行の為に諸国を漫遊しているというだけあって、修行には熱心な性質だったから、話も合うんじゃないかな」
「今のわたくしがその話題を持ち出すのははばかられますけど、せいぜい期待しないでおきますわ」
気の無い風をよそおいつつ、リグリラは答えた。
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出立の朝、旅の常識として少しでも日のある内に距離を稼げるように、まだ夜も明けきらぬうちからリグリラたちは城門前の広場に待機していたのだが、なぜか城門が開いても隊列が進む様子をみせなかった。
リグリラがいらいらしながらも辛抱強く連絡を待っていると、隊商の取りまとめ役に事情を聞きに行っていたラーワが馬車と馬でひしめき合う広場をひょいひょいと通り抜けて帰ってきて、苦笑しながら説明した。
「なんか、社交期に間に合うように王都に行きたい貴族の御嬢さんの同行が急きょ決まったらしいんだけど、その一行が朝寝坊してそろわないんだってさ」
リグリラは思いっきり舌打ちをした。
「その甘ったれの小娘は今どこに居ますの」
「ついさっき馬車に乗ったみたいだから、もうそろそろ動き出しそうなんだけど、そこでちょっともめごとが――――あ、仙さんこっちだよ!」
暇つぶしにやっていたレース編みを片づけたリグリラは、聞きなれぬ語感の名前で誰かを呼び寄せるラーワの声に引かれ顔を上げる。と、
「――――ノクト殿、それがしはあのような反応は慣れておるゆえ、気にせずとも大丈夫だ。
それよりも、それがしが原因で主殿との仲がこじれてしまうようなことになればノクト殿に顔向けできぬ」
「気にしなくていい、私の雇主は古くからの友人なんだ。少し誤解されやすい性格をしているけど、とても美人で素敵な人だから、きっと承諾してくれるよ。――――リグリラ、紹介するよ。この人が私とコンビを組んで活動していた、狼人の仙さんだ」
台詞の通り、一つに括った灰髪の間から飛び出た灰色の狼耳と、袴の間から同色のしっぽをのぞかせるその異装の男は、御者台に座り呆然と見上げるリグリラを灰色の瞳で見とめるとぴしりと伸びた背中のまま、丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかる。それがし鏑木仙次郎と申す。ノクト殿には大変お世話になり申した」
懐かしい、忌々しいほど懐かしい魔力の気配にリグリラは声を無くした。
ラーワはリグリラが仙次郎を見た瞬間、顔から血の気が引いたことを見逃さなかった。
数百年の付き合いだからこそ気づいたその微妙な変化に、だが理由がわからず当惑する。
怒りと、悔恨と、少しの悲哀が胸中で荒れ狂い、それをおしこめようとした結果表情が抜け落ちてしまったというような、そんな雰囲気だった。
浮かんだのもほんの一瞬で、あっという間にいつもの様子に立ち戻ったが尋常ではない。
ラーワは手掛かりを求めてちらりと仙次郎のほうを見たが、その横顔ははじめて出会う人物に対する礼儀正しいもので、不思議そうな顔をしてはいるものの特別な感慨は浮かんでいるようには見えなかった。
「……バロウ国王都で、婦人物の仕立屋をしています、リリィ・モートンと申しますわ。世間ではマダムリリィで通っておりますの」
動揺が嘘のように平静な口調で名乗ったリグリラは、困惑の表情を浮かべるラーワに気付いたが、あえて無視した。
「で、ただ紹介しに来たわけではなさそうですけど要件は何ですの?」
ラーワはとりあえずの違和感を置いて、状況を説明することに努めた。
「実は、同行する貴族のお嬢さんが仙さんと顔を合わせた途端卒倒しちゃったんだ」
「卒倒?」
柳眉を潜めたリグリラに、ラーワは慌てて続ける。
「あ、いやそのお嬢さんはすぐ目を覚ましたんだけど、お世話係の人がこんな人を傍に置いておくわけにはいかないって大騒ぎしてさ。仙さんは馬で同行するはずだったんだけど、急きょ馬車に同乗する人と交代になったわけ。
だけど、商品を乗せた馬車に乗せたくないって隊商の人が馬鹿らしいこと言ってきたから、じゃあいいですこっちで面倒見ますって啖呵切ってきちゃったんだよ……許可も取らずにごめん」
ラーワは補足説明をしつつ、つい短気を起こしてしまったわが身を反省しながらそっとリグリラを見ると、細い指で眉間をもんでいる姿に出会い、さらに申し訳なさが募る。
リグリラは溢れだそうとする感情を必死でなだめながらラーワの弁明を聞いていたが、その浅慮が実にかの竜らしいお人好しが理由であることに脱力したおかげか、少し胸の内に平穏が戻った。
端正な顔がしゅんとしながらも期待の瞳で見つめているのにすぐに答えるのも面白くないので、わざと怒っている風を装う。
「要するに、押し問答に我慢がならなくなって、喧嘩を売って帰ってきたと。その小娘が卒倒したというのも迷惑千万な話ですわね」
それに答えたのは仙次郎だった。
「それがしこのように東国から参った狼人にござる。かの姫君は犬が不得手だったようでしてな。
違うというにはこちらの人々にとってはそれがしの特徴が似すぎているゆえ、しかたなかろう」
「でも、まったくもって仙さんのせいじゃないのに他の使用人も過剰に反応しすぎだよ。この耳も! しっぽも! ばっちり手入れが行き届いているのにさ」
「その言葉だけで十分でござるよ」
彼らの掛け合いを眺めていたリグリラは、ラーワがこの狼人の名前を一部とはいえ呼ぶほどに心を許していることに気付いた。
かの竜は今ではそれなりに制御できているようだが、魔力抵抗力が弱い相手を意図せず縛らないために、万が一のことを考えよほど能力に信用の置ける相手でなければ名前を呼ぶことはなかった。
この狼人たった一週間でラーワに能力を認められたということになる。
そして認めるのも業腹だが、リグリラの戦う者としての本能が人族としては中々のものであると訴えていた。
「隊商のまとめ役も愚かなことをなさるものね。この狼人はそれなりの手練れですのに」
手練れと評された仙次郎は驚いて毛足の長いしっぽを揺らして何かを言いかけるのを無視して、リグリラは早口に言った。
「わかりましたわ。荷台であればどうぞお好きに。ただし、荷物には手を触れないでくださいまし。別にあなただけが特別ではありませんわ。向こうの愚か者どもが毛嫌いしたのとは違って汚れが付いたら困るものばかりだからという単純な理由ですの。よろしくて」
「仙さん、つまりは狼人だから忠告するんじゃなくて、一般的な注意事項って意味だからね」
「ありがとう存ずる」
深々と頭を下げた仙次郎に答えることもなく、リグリラはそれで用が済んだとばかりに手綱を握ろうとしたところに、ラーワは声をかけた。
「じゃあリグリラ、私が手綱を握るよ」
「いいえ、結構ですわ」
「え、でも」
互いは気にしないとはいえ衆目の手前、雇い主に手綱を握らせるのは体面上よくないのでは、と言いつのろうとしたラーワだが、リグリラの何かをこらえるような表情とその手綱を握る手が震えていることに気付き、引き下がった。
「わかった。じゃあ、そろそろ隊が動くだろうから、ほら仙さん乗って」
「……あいわかった」
穏やかに微笑んだラーワが困惑する仙次郎をせかして後ろから乗り込むのを確認する余裕もなく、リグリラは胸中を荒れ狂う嵐を押さえつけるようにきつく手綱を握り締めていた。
日が完全に昇ってから動き出した隊商は、大きなトラブルこそないものの、休憩の為に馬車の進みが中断される回数が多かった。
初日はかろうじて宿駅にたどり着いたものの、二日目は予定よりも大幅に行程が遅れていることを隊商全体が重い疲労と共に実感していた。
だがそういった不手際にはひときわ厳しいはずのリグリラが無言で従っていることにラーワはいよいよ非常事態であることを感じていた。
昼食休憩のために立ち止った野原で、隊商に雇われたハンターと少し話してきたラーワは、他の隊商の人間とは離れて座るリグリラの隣に腰を下ろした。
あれからリグリラはただひたすら手綱を握り、仙次郎はもちろんラーワともほとんど言葉を交わさない。一人で何か整理をつけようとしているのだけは何となく察したが、目も合わさないことに不安を感じていた。
何と声をかけるか迷っているとリグリラがぽつりと言った。
「何も、訊きませんの?」
ひどく、頼りない声音だった。
「リグリラが話して楽になるんだったら聞きたいけど、話すだけでもしんどそうだから。今は訊かない」
素直に言うと、ようやくリグリラはラーワと目を合わせた。
泣きそうな、だがほっとしたような表情に、これがリグリラの甘え方なのかもしれない、とラーワは思い至った。
何も聞かず、ひたすらふだん通り傍にいて貰うことが。
リグリラはほう、息をつくとラーワに訊いた。
「わたくし、今どんな顔をしていますかしら」
ラーワは少しためらったが、正直に言った。
「大昔に死んだと思っていた恋人に偶然会ってどうしたらいいかわからない顔」
「……どうしてあなたはそう的確に読み取りますの」
あんまりな答えにリグリラは頭を抱えていたが、突然、両頬を自分で勢いよく叩いた。
一際派手に響いた音に目を丸くしたラーワは、ほんのりと頬を腫らしたリグリラの顔に生気が戻ったことに気付いた。
「申し訳ありませんけど、ラーワ、今はまだ詳しく語りたくありませんの。しばらくはそういうことにしておいてくださいまし」
「……仙さんのほうは何も知らないんだね」
「あの顔ですと、十中八九そうですわ。ですからこれは、わたくしだけの問題でしてよ」
「わかった。もう手綱は代れそう?」
「ええ、さすがに疲れました。代って下さいまし」
良かった、とほほ笑んだラーワにつられ、リグリラもわずかに笑みを浮かべる。
丸一日以上居心地の悪い思いをさせたというのに、説明にもなっていない話だけで納得してくれた親友に改めて頭が下がる想いのリグリラだった。
「わたくしはしばらくこちらに居ますから、ラーワはあの狼人のほうに戻っていただいても結構ですわ」
「いや、いいんだ。仙さんは今ちょっと出てるから」
その言葉に疑問符を浮かべるリグリラに、ラーワは周囲にはばかるように声を潜めた上、古代語で話しかけてきた。
『リグリラ、このあたりの魔力の循環が少しおかしい』
顔色を変えかけたリグリラだったが、表面は普通の会話を装って応じた。
『具体的にはどのような』
『レイライン自体は問題なく機能しているんだけど、レイラインの太さに対して流れている魔力が少ないみたいなんだ。まるで、どこかで意図的にせき止められているみたいに』
リグリラが思い出したのはここからそう遠くない大森林に出た幻獣のことだった。
『まさか、トロルがこちらに移動してきていますの?』
『いいや、トロルは人型の幻獣だけど、レイラインに手を出せるほど魔力操作は得意じゃない。それに魔力が少ないレイラインの場所が少しずつ動いているみたいなんだ。嫌な感じがするから、今仙さんにできる範囲で探索に出てもらっている』
ラーワが魔力循環のエキスパートとはいえ、リグリラは己のことにとらわれ過ぎて周囲がおろそかになっていた自分の怠慢を恥じた。
ざっと意識を集中させてみれば、なるほど、わずかにだが違和感のある流れがあった。
『それを隊商に忠告するのは……』
『まだ早いだろうね。私たちには絶対の感覚だけど、普通の人族じゃあまずわからない。
クワトラブルの魔術師でもいればわかってくれただろうけど、商会側の護衛報酬が安かったせいかいま随行してるのは仙さんをふくめてトリプルが3人のダブルが4人。普通の護衛としては十分だけど、レイラインに干渉できるレベルの何かが相手だとギリギリだ。
出会わない可能性もあるし、目に見える証拠が出てくるまでは私たちだけの話にしておこう』
うなずいたリグリラだったが、仙次郎が探索に出ているということは、彼も事情を飲み込んだということになる。
人族のかたくなさを理解しているラーワが仙次郎に話したことを意外に思った。
『あの狼人はよく信用しましたわね』
疑問をそのまま口にすると、ラーワは苦笑とも感心ともつかない微妙な表情を浮かべた。
『実は気づいたのは仙さんが先なんだ。私は仙さんに森のほうの空気おかしいって指摘されてからそっちのレイラインを探って、初めて気が付いたってわけ。じゃなかったらもう少し流れが滞るまで気づかなかったかもしれない』
空気の異変という妙なものを指摘する狼人もそうだが、それでも違和感に気付いて探り続けていなければ、ラーワとはいえここまで迅速に動けなかっただろうとリグリラは思う。
『仙さんが帰ってくるまでわかんないけど、もしもの時は隊商のほうをお願いしてもいいかな。
いま護衛のハンターたちと世間話をしたんだけど、みんなおいしい話だって呑気なもので、魔術師も頼りなさそうだったんだ』
『あなたに言わせればどんな魔術師だろうと未熟な雛に見えるでしょう。まあ良いですわ、今回ぐらい完璧にサポートして差し上げます』
リグリラがちょっぴり苦笑しながら了承し、いくつか段取りを決めたところで移動の再開を知らせる声が響いた。