過去 3
そんなリグリラにとってはお遊びのような訓練でも天分の才があったのか、ハイドはめきめきと腕も体力もつけ、五年もたつころには人族であればそれなりの強さに達していた。
初めて会った時よりも随分と五体は引き締まり、顔つきも精悍な鋭さを帯びた。
もちろんリグリラにかなうわけもないが、すぐに音を上げると思っていたのが予想以上に続いてしまったことに戸惑いながらもいまさらやめる気も起きず、気が付けば鍛練をせずとも退屈を感じたらあの汚い部屋を訪れるのが習慣になっていた。
「おう、ちょうどいいや。ちょっとこいつを見てくれよ」
いつも前触れなくいきなり部屋にあらわれるリグリラに驚いた風もなく、ハイドは、机に向かって木製の鳥のからくりを弄る手を止めると、脇に置いてあった何かを得意げに差し出した。
床に散らばっていたなにかの素材や作りかけのがらくたを(もちろん魔術で)適当に端へ寄せてスペースを作ったところに、リグリラが発掘した良い座り心地の良いソファを魔術で引き寄せて座る。
ハイドは何かを作り上げるのが趣味らしい。
と言っても技工士ではなく、どちらかというと発明家に近いと自分で言っていた。
ガラクタのようなものもあれば、古今東西の魔術を知るリグリラでさえ目を見張るような魔道具まで作り上げるその腕に感心していたが、今回示されたのは乱雑に糸で縫われてつぎはぎだらけになったぼろ布で、見るからに用をなさないガラクタにしか見えなかった。
「……なんですの、このボロ切れは」
「布を織りあげる段階から魔術的加工を施して、防御力を甲冑レベルにまで引き上げた上着だ。洗っても耐久性は変わらないうえ、布だからとにかく軽いし仕立て次第では動きやすさも抜群。施す魔術次第で、様々な付随効果も施せるんだ。仮に”魔装衣”とでも名付けて――――っておい何を!?」
布きれを指先でつまんだリグリラが、初歩的な魔術で火をつけようとしているのに気付いたハイドが慌てて取り返そうとする手をひらりと避けて、作業を続けた。確かに魔術の炎を拒むようにほんのりと布に施された魔術式が発動していた。
「何って、耐久性を調べていましてよ。……なるほど、確かに普通の布よりは丈夫なようですけど、身を守るためとはいえ、このボロ切れを着て歩くのは最悪ですわね。わたくしはご免こうむりますわ」
布にかけられた魔術効果は微々たるものとはいえ、たった一人でゼロからここまで形にしたことは驚嘆に値すべき事柄だということは毛ほども顔に出さず、ひょいっと布を返すと、ハイドはがくりと肩を落としていた。
「裁縫は苦手なんだよ……」
「この縫い目も布の裁ち方も、苦手以前の問題ですわ」
ノミやハンマーその他工具を使った工作は大得意だというのにこの落差が面白くてリグリラがくすくす笑うと、灰色の瞳で恨めしげに睨まれた。
「魔術効果を引き出すためには、布にかけられた術式を邪魔しない様に縫う最中も微妙な魔力の調整をして、法則にしたがって呪文を唱えるみたいに針を動かすんだぜ。これだってここまで形にするのに一か月かかったんだ」
「かかり過ぎですわ。この程度の上着でしたら一日もあれば形になりましてよ」
「じゃあやってみろよ」
「……いいでしょう」
挑戦的に差し出された布と針に一瞬きょとんとしたものの、挑まれた喧嘩は買う主義だ。
もう一度ぼろ布を取り上げ、縫い目の特徴と、魔力の残滓を拾い上げる。それから魔力精査をして布に組み込まれた術式を確認して、針に糸を通し、針を刺し始めた。
一応、裁縫に関しては以前の契約者の要求で必要にかられ多少の心得はあったものの、確かになかなか難しい。一目でも糸と共に通した魔力によどみが出た途端、格段に魔術の質は落ちるだろう。
だが、こういう繊細な魔力操作は大得意だ。
「できましたっ、わ?」
ひと針ひと針集中して針を布目に通し、最後の一針を縫い上げた時には、重い疲労とともに達成感に満ち溢れていたのだが、いつの間にかとっぷり日が暮れているのに驚いた。
リグリラの目は昼でも夜でも変わらないため全く気付かなかった。
きょとんと辺りを見回していると、となりの部屋に通じる戸から現れたハイドが顔を上げているリグリラに気付き破顔した。
「いくら声かけても全然反応しないからちょっと心配したけど、その顔だと終ったみたいだな」
「ええ、見てくださいな、あなたのとは違いきちんと上着の形になっていますわっ」
本当はハイドの作ったものより少しまし、胴着の形になっているというだけで、外に着ていくには全く適さない仕上がりだった。
それでもぼろ布ではなはなかったしきちんと魔術式も機能している。
得意げに掲げていても反論の為に身構えていたのだが、サイドテーブルに持っていた盆を置いたハイドが素直に感心の声を上げたことで肩透かしを食らわされた。
「へえ、初めてなのにうまいなあ。何よりまったく術式を崩してない、繊細な魔術が得意なんだな」
「え、ええ、わたくし、幻影魔術に関しては右に出るものはいないと自負しておりますもの。初めての魔術だろうとモノにしてみせますわ」
戸惑いながら返したリグリラを気にした風もなく、ハイドは続けた。
「あんたの着てくる服はいつもきれいだもんな。これならちょっと修行すれば仕立屋になれそうだ」
「……魔族が人族相手の仕立屋なんて馬鹿げていますわ」
「いや、きっと楽しいぜ。気に入った人にでも友達にでも仕立ててやるだけでもいいんだよ。あんたは人なんかよりずっと自由なんだからさ。できればいつか魔装衣の仕立屋なんかもしてくれれば最高だ」
「友達とはただ慣れ合うだけのものでしょう。わたくしのような強いものに必要ありませんわ」
「そりゃもったいない」
もやもやと胸の奥に凝るものを持て余してムスッとしていたリグリラは、ハイドがリグリラのことをまぶしげに見ていたことなど気付かなかった。
よくわからない気持ちのまま肘掛けに頬杖をつき暗くなった外を眺めていると、サイドテーブルにふわりとかぐわしい湯気を立てるティーカップが置かれた。
「なんですの?」
「悪魔でもまったく食べられないってことはないんだろう?あれだけ長い時間針仕事をしていたんだ、帰る前にお茶でも飲んで一息つくといいさ」
「余計なお世話ですわ」
憎まれ口をたたきつつも、良い香りに惹かれて口をつけたお茶は思いのほか美味で、全部飲みきるまで不承不承ハイドと他愛のない話に付き合うことになったのだった。