現代 2
三日後、二人は周辺国有数の貿易拠点である港町ナヴァレに至る街道を幌付馬車で移動していた。
季節は冬が終わり芽吹きの季節にいたろうとするころあいで、吹き付ける風は冷たいものの、春めいた暖かい日差しが平原に降り注いでいる。
幸か不幸か道中危険種との遭遇もなく、中継地点の街で一泊しつつ、順調に馬車を走らせていた。
宿で用意してもらっていたサンドイッチ等で昼食を終え、馬の手綱をとる手をリグリラと交代して御者台に座ったラーワは、軽い思念話を直接馬につなぎ、走ってくれるように頼んだ。
魔獣である鳥馬は己よりもはるかに格上の命に忠実に走り出す。必要なのは馬が道をそれない様に目配りをする程度で、手持無沙汰のラーワは幌の内に大量のクッションを置いて座るリグリラに話しかけた。
「それにしても、リグリラがあんなにギルド内で知られているとは知らなかったよ。一緒に契約しに行った時に居合わせていた野郎どもの怨嗟の声はすごかった」
赤みがかったオレンジのスカートに春を先取りした小花のプリント生地のオーバースカートにボンネットという旅装のリグリラは、自身の贈った黒に近い深緑色のロングコートを着た青年ラーワの背中を見るともなしに見ながら応じた。
「女性のみですけど魔術師や遊撃手向けの魔装衣を注文されることもありますから、それなりに付き合いはありましてよ」
「あれ婦人用だけ?でもこのコートは……」
「前々から言っておりますけどあなたは別格ですの。今回は形態変化にこたえられるマント以外の装備が欲しいといいましたから制作いたしましたけど、わたくしにむさ苦しい野郎の服を作る趣味はありませんし、婦人用でしたって実力の伴わないひよっこの注文は切り捨てますもの。
こればかりはいくらほかの男に頼まれても作る気はありませんわ」
「道理で女の子たちも野郎も目の色を変えるわけだ。ギルドで契約してリグリラが帰った後、やつらに酒場に連れ込まれてさ、質問をかわすのに苦労したんだ」
ラーワはこのコートがリグリラの経営するマダムリリィ店製とわかった途端、その場に居合わせた数少ない女性ハンターに取り囲まれたことを思いだし、苦く笑った。
その後更に服飾の話には近づきもしない魔法職や斥候を専門としている男たちまで加わり、どういった経緯で入手したのか、あわよくば同じルートで注文を受けてもらおうとマダムリリィとの関係を根掘り葉掘り訊かれ、半ばつるし上げのような状況にほうほうの態で逃げたことは余談である。
確かに制作に特殊な技術を必要とする魔装衣を仕立てられる人物は貴重だ。
その製法が国の秘術とされたこともある魔装衣は、その名の通り魔術的処理を施した衣服で特に普通の衣服と変わらない重さ、質感で重装甲冑にこそ劣るものの布一枚で十分な防御力を有し、作り手の腕次第では様々な魔術効果を付与することができた。
だが、なにぶん使う素材も特殊なうえ、衣服という性質上どうしても受注生産となるため、見た目何の変哲もないシャツとズボンだけで、ドレス一着作れてしまう値ではあるものの、ハンターたちの間では、腕のいい職人の仕立てた上下一式は一発当てた時にそろえることを夢見る垂涎の品だった。
ラーワが現在装備している肘まである革製の手甲や、ズボンの裾を押し込んでいるブーツ、物理強化を施した革製の胸部防具は、ハンターの体裁を整えるために防具屋で安価に買い求めた品だったから性能としては付けないよりはまし程度である。
むしろリグリラの手で仕立てられた深緑色のロングコートのほうがよほど高い防御性能を誇っている。
革のような布のような不思議な質感のフード付きコートは普通の衣服ではすぐに壊してしまうラーワのために、防寒性能はもちろん物理、魔術攻撃耐性に加え、着用した者の魔力を判別しがたくする隠匿性能まで付加されている優れもので、激しい動きも邪魔をしない優れた運動性にもかかわらず洗練されたデザインに仕上がっていた。
リグリラの気遣いに感謝するとともに、市場に出せば高級ドレスぐらいにはなってしまうだろうこのコートが今回の依頼の前払金代わりだということを、ギルドの面々にどんなに尋問されようと口を割らなかった己の判断は正しかったと改めて思ったラーワだった。
「ところで、あの小さな炎竜はどうしていますの」
「アールのことかい。あの子なら今おじいちゃんのところに居るよ。この秋から寮にはいるだろう? 仲良くなった精霊や魔獣とお別れついでに、学校では友達作りに専念できるようにおじいちゃんと幼年課程分を全部予習しておくんだってさ。
別にそこまでしなくても学校生活をのんびり楽しんでくれればいいと思うんだけど、おじいちゃんもアールも楽しそうだから、まあ良いかなって。
でも、あんまりに良いこ過ぎて少し心配だよ。竜とはいえ人の様に成長はゆっくりだから、あの子は人の子よりは大人びていてもまだ子供なんだ。もしかしてなにか我慢させているんじゃないかって」
喜びと不安と寂しさがないまぜになった様子で苦悩するラーワにリグリラは呆れつつも憧憬のまなざしを向けた。その幸せが健やかに続く事を願わずにはいられなかった。
「よろしいじゃありませんの。あの子の健やかな成長ぶりを見ればあなた方が寂しい思いをさせていないことなど明白ですわ。たまには親離れ子離れするのも成長にはよろしいのではなくて」
「そうは思うんだけど、気持ちがついていかないんだよねえ」
ラーワは、はあとため息をつくと、話柄を変えた。
「そろそろ城壁が見えてくるころだけど、街に入ったらどうする?」
「まずは宿の確保ですわ。それから街の大手の商会にはすべて足を運ぶつもりです。2、3日ほどで終わらせますわ。ラーワはのんびりお過ごしくださいまし」
「いやいや荷物持ちぐらいは手伝うよ。だけど、そういう商会っていきなり飛び込んで商品を売ってくれるものかい?」
「そのあたりはご心配なく。王都にも店を構える大手貿易商会の紹介状を書いていただきましたの。あそこのオーナー夫人とご令嬢はお得意様でして、少々無理を聞いていただきましたわ。その方以外にもいろいろ便宜を図っていただいておりますの」
「その人たちは今、リグリラが仕立屋組合から村八分にされているのを知っているんだよね」
「ええ、恐らく?」
くす、と唐突に笑みを漏らしたラーワにリグリラは訝しく思いつつ肯定する。
するとラーワはまるでわがことのように嬉しげに言った。
「それだけリグリラの腕に価値があるって認めてくれているんだね。貴族に目をつけられようと、リグリラのドレスを惜しいと思ってくれるなんて素敵じゃないか」
「……ことが落ち着いたら今まで断っていたサロンや夜会に出席する条件が付きましたから、ただの取引ですわよ」
「まあそういうことにしておこうか」
前を向いているラーワだったが、リグリラのいつにも増して冷めた物言いがただの照れ隠しだということも、背後では顔を薔薇色に染めているだろうことも手に取るように分かっていたから、振り返りはしなかった。
街を囲む城壁の頭が、遠くに見え始めていた。
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「在庫がない? 一体どういうことですの?」
紹介状を出すや否や通された応接室のソファに座ったリグリラに、殺気交じりににらまれた線の細い中年男の応対役が、上げかけた悲鳴を全力で飲み込んだことにラーワは同情した。
この男も海千山千の商人で、それなりの場数も踏んでいるのは自己紹介時のさり気ない値踏みの視線でよくわかったが、いかんせん今回の相手は生き死にの関わる修羅場に好き好んで身を投じてきた人外である。
今回ばかりは相手が悪いと、あくまで護衛だからと断りを入れてソファに座るリグリラの傍らに立っているラーワは、見る見るうちに顔から血の気が引いていく中年男の頭髪の冥福を心の中で祈りながら成り行きを見守った。
「ご説明、いただけまして?」
どすの利いた丁寧な追及に中年商人は顔に浮かぶ冷や汗もそのままに、しどろもどろになりつつも話し出した。
「いえ、決して商品を出し惜しみしているわけではございません。あなた様が仕立屋組合から脱退を要求されていましょうと、高貴な方々に目をつけられていましょうと、クロム伯爵様からの紹介状を持参されました時点で当方にとっては大切なお客様でございます。ですがないものをお売りすることはできません」
そこまで一息にしゃべった商人はようやく己を取り戻したか、幾分落ち着いた調子でつづけた。
「実は、この港から遠くない沖合に、大型の魔獣だか魔物だかが出没しているらしく、商品を乗せた輸送船が何艘も沈没しております。つい先日わたくしどもの所有する輸送船も一隻被害に合いまして、船体は無事だったものの、船足を上げるために荷物を海に捨てたために大損害を被ったところなのでございますよ」
深いため息とともにどっと疲れた様子を見せる男に、ラーワは思わず口をはさんだ。
「ハンターギルドから討伐隊は出ないんですか」
「それで解決するのでしたら、この街に拠点のある全商会で金を惜しみませんが、なにぶん広い外洋のこと。
出没海域も絞り切れず、海上戦ともなると丈夫な船を用意したとてどうしても動きは制限されます。情報も集まらない今、討伐には念密な計画と作戦もたてられず、化け物退治には手をこまねいているのが現状です。
――――まあ、その化け物に出会っても、幸運にも腕の立つ傭兵が乗り合わせていたおかげで無事に入港できた船もございます。
マダムリリィ、どうか求める商品が運搬される船が無事に港に入ってくることをお祈りください。船が着きましたら真っ先にお知らせすることをお約束いたしましょう」
ですから今回はご勘弁くださいと言外ににおわせ、中年商人は、薄い頭髪をみせるように深々と頭を下げた。
宿についてすぐ、荷物を解く間も惜しんで身なりだけ整えて訪ねた商会の建物を出た二人は、風に磯の匂いが混じる石畳の道路を並んで歩いた。
貿易の要にまで来て品物が手に入らないとは思わぬ展開である。
このまま船が無事入港するのを祈っているか、それとも今ある布地でドレスを仕立てるか。
どちらもまっぴらごめんだった。
沈黙を破ったのはリグリラだった。
「……ラーワ、まだ復路が残っておりますが依頼を休止させていただいてもよろしくて」
似たような結論になったらしい金の美女にラーワはうなずいた。
「別に終了で構わないよ、護衛の代金をケチるためにみんながやっている手口だし。それよりも、どうせなら私が行ってこようか」
リグリラはかつてこのドラゴンがかかわった出来事が軒並み騒動になったことを思い出し、懸命にも首を横に振った。
「そこまであなたの手を煩わせるわけにはまいりませんし、座して待つのも性に合いません。それに海はわたくしの縄張りですのよ。今回ばかりはわたくしのほうが適任ですわ」
「そういえばそうか。余計なお世話だったね」
「宿の部屋は商会の人間が来た際のカモフラージュに幻術をかけておきますからそのまま使ってくださって構いませんわ」
「いいや、契約が終了しているのに、出入りしているのもおかしいだろうし、安宿に移ってのんびりしてるよ。……あの高級ホテルにしがない傭兵は場違いだし、私自身も落ち着かないしね」
うっかり調度品壊したら怖いよと、冗談ともつかないセリフを吐くラーワに、これ以上ない美を誇る彼以外に誰が似合おうかと少々不満を持ったが、リグリラはどうせ押し問答になるだけだからと黙っていた。
「遠慮はいりませんのに、まあいいですわ、とっととそのはた迷惑な青二才にものの道理を教えてまいります。一週間でけりをつけてまいりますから、それまで気楽にお過ごしくださいまし」
「了解。気を付けてね」
「愚問ですわ」
そしてリグリラとラーワはギルド支部の扉をくぐったのだった。