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過去 1

 


 きっかけは、些細な一言だったように思う。

 魔族にとって退屈は、敵だ。

 何年何十年何百年という歳月でゆっくりと土地や事象に凝った魔力が凝縮することで生まれる魔族は、その身の膨大な魔力を維持し、世界をゆがませない程度に拡散することが使命だ。むしろ、それ以外にないと言っていい。

 そのため、魔力が拡散するまで、いつ果てるともしれない悠久の時間を退屈を有閑を如何に面白く、愉快に潰すかを至上命題に過ごしていた。

 その暇つぶしの代表格が、同族との闘争だった。






 その時期、ひどく退屈していたリグリラは、暇に飽かせて他の土地から徒党を組んでやってきた下級魔族の喧嘩を進んで買った。

 いた場所が陸上だったためリグリラは人型で相手をしたが、その時すでに上級に上がりかけていたから押し寄せてくる魔族たちを散々弄んで大いに楽しんだ後、勝者の習いとして、相手の核を半分削り、己のものとした。

 やはり勝負事なのだから何か賞品が無ければつまらないと、暗黙の裡に作られた約束事だった。

 別に維持する魔力の総量が変わるだけで何の問題もない。

 一度に大量の魔力を取り込んだ高揚感を味わいつつも、それで用は済んだからさっさとその場を離れようとした時、ボロ雑巾のように地べたに転がる敗者の一体から悔し紛れにつかれた悪態の一つに足を止められた。


 《いくら幻術使いのあんただろうと、要の竜には通じないだろう!!》

 《聞き捨てなりませんわね。わたくしの幻惑を見破れるものなどいませんわ》


 がんがんと頭で鳴り響くような思念でなおもわめく虫型の魔族を、顔すれすれに鞭を叩き付けることで黙らせたリグリラは嫣然と微笑んだ。


 《よろしい、ちょうどわたくしの縄張りにドラゴンが現れたと聞いておりますわ。わたくしの幻惑が通じるか通じないか、その節穴でとくと確かめなさい》


 売り言葉に買い言葉だったのはよくわかっていたが、己の魔術に強い自負があったから、最強と名高いドラゴンにどこまで通じるのか確かめてみたくなった。

 そうして地べたに転がる下級魔族を引っ括ってドラゴンがいるはずの海域へ転移し、海の底深くでまどろんでいた赤い翼に黒い鱗のドラゴンに奇襲をかけたのだ。


 むろん己の技に自信はあっても油断はなかった。

 リグリラは海底にできた魔力溜まりの生まれだ。

さらに日々の闘争でどんな場所でもめったに後れを取らない実力をつけたが、特に海中での戦闘ならば格上だろうと互角に渡り合えると目算があった。

 本性である金色に紫の筋の入った海月の姿でより機動力を出すため傘から生えている昆虫の翅に似た翼を広げ、最上位の隠形術を身に施して近づく。

 長い首を胴体に乗せて猫のように丸まっているドラゴンはどことなく愛嬌があり、翼の赤みの美しさといい、鱗の質感といい、さすが世界を支える者にふさわしい奇跡のような造形美だとリグリラはひそかに感嘆していたが、それとこれとは別である。


 無数に従える触手の届く間合いに入り、その一筋を体にはわせ、致死量の刺胞毒を流せばそれで終わる。


 こればかりはひどく緊張したが、あっけなく必殺の間合いに入り込めて、その他愛なさに少々の落胆を感じつつも、触手をふるったのだが。


 その瞬間どこをどうしたのか強力な結界に弾き飛ばされた。

 失敗を悟ったリグリラの前で、黒竜の金の瞳がぱちりと開いた。


『ふぉっ!金色羽クラゲ!?』

『要のドラゴン!!あなたに尋常な勝負を申し込みますわ!!』

『え、ちょっと待っ――――!!』


 思念話ではなく古代語をしゃべることを意外に思ったのは一瞬で、無意識にそれに合わせて挑戦の名乗りを上げるや否や、怒濤の攻撃魔術をみまった。

 どれも森一つを消し飛ばし、海底の地形を変えることなど造作もないほどの威力がある。

 凄まじい爆音とともに、着弾の衝撃で広範囲の海中が白く濁った。


 だが、濁りが晴れてもえぐれているはずの海底は先程と毛ほども変わらず海藻が揺らめいており、ドラゴンがいたはずの場所には魚の形をした情報伝達のために魔力を与えられ、一時的に実体化された精霊が浮かんでいるばかりだった。


『ドラゴンと戦いたいのなら、他を当たって下さい。このあたりはやっと循環が安定したばかりなので、そっとしておいてくれるとうれしいです』


 メッセージを再生し終えた精霊がすうっと海にほどけた後も、リグリラはその場から動けなかった。

 あれだけの攻撃を物理的にだけではなく周囲のレイラインを乱さないように防ぎ切ったうえで、このような小細工まで残す余裕がある。

 ぞくりと己の心が震えたのがわかった。久しく感じなかった圧倒的な強者に出会った武者震いだ。

 これほど軽くあしらわれて、このままにしておけるわけ無いではないか。せめて一矢報いなければ、この熱は収まりそうになかった。


『ふざけんじゃありませんの。地の果てまで追いかけますわ』


 だれにともなく乱暴に言い放った声は、海中に消える。

 引っ張ってきた下級魔族のことは完全に忘れていた。











 こうして黒熔竜を追いかける日々が始まり、ドラゴンの噂を聞いてはその地に赴いた。

 その過程で様々なドラゴンと出会ったが、黒熔竜とはあまりに違う無機質さにますますかの竜を追い求めることとなった。

 精霊樹の木精の立会いの下、念願かなって真剣勝負が叶い、生まれて初めて決定的な惨敗を経験した時は悔しさの中にも爽快な気分を味わったものだが、一時的にせよ著しく弱体化していた。

 そのこと自体に後悔はないものの、魔力の回復の為に人族の召喚に応じて、このような頭の悪い要求を一蹴できない身になってしまったことは、少々不始末だったかもしれない。






**********







 男の頭を踏みつけていることに飽きたリグリラは、中空に作った不可視の力場に腰を掛けて長い脚を組みつつ深々とため息をついた。

 上からの重みがなくなり、そろそろと顔を上げた男に一応言ってやる。

 使うのは脳に直接語り掛ける思念話だ。言語が違おうと意思の疎通は自在だった。


 《それで契約すると、召喚主殿が本懐を遂げた瞬間、魂を頂くことになりますけどよろしくて?》


 言葉を取り繕う気すら失せていた。

 人の魂は魔族にとってはいざというときのための非常食、と認知されている。

手間はかかるものの、時間を賭ければそれほど難しくはないことから、人の魂を積極的に狩るのは弱い魔族の証として少しでも位が上がれば敬遠する行為だったが、一つ食べるだけでそれなりに魔力が回復することから、上級魔族は暇つぶしがてら二三人を契約で縛っていざというときの為の蓄えとしていたりした。


 逆に、弱い魔族はすぐに魂を手に入れようと詐欺まがいの契約を持ち掛け、あの手この手を使い一刻も早く契約を完了させようとする。

 だが、相手のリスクに見合わない内容で契約し、魂を縛り付ける契約の鎖が軽いと、契約を満了しても十分な拘束力を発揮せず、離れた魂を手繰り寄せる前に輪廻の輪に紛れ込んでしまうことがままあった。

 契約相手をたまたま切らせていたリグリラは、より確実に魂を手に入れるために、楽に契約を済ませられる状況でもしぶしぶ指摘をしてやったというわけだった。


 今どうしても魂が欲しくなければとっとと召喚陣を壊して去っていた、とリグリラが内心で悪態をついていることなど露ほども気づかず、男は慌てていった。


「それは困る。俺もまだ命は惜しい」


 魔族を召喚している時点で命が惜しいもくそもないのだが、青年は困ったように灰髪に包まれた頭を掻いて言った。


「だけどまいったな。実を言うと本当に召喚できるとは思っていなかったんだ。俺にはあんたのような極上の悪魔を満足させられるような願いはないんだよ」


 極上の、と評されて少し気を良くしたリグリラは、改めて召喚主をながめた。


 年は15,6といったところだろうか。人族ではようやく成人を迎えた位だろう。

 年相応のあどけなさが残りながらも、青年としての鋭さを持ち始めている、将来が大いに期待できそうな精悍な顔立ちであった。

 だが、この年頃特有の浮ついた雰囲気など微塵も感じさせず、髪と同色の灰色の瞳にはどっしりと落ち着いた色があった。

 かといって欲を捨てているわけではなく、今も抑えきれない興味で布一枚に包まれただけの肉感的なリグリラの肢体をちらちらとうかがっている。

 そして、本当にこの状況を困っているようなのだ。


 それはありえない。

 人族に出回らせた魔族の召喚術は、発動させた時点でその人族の欲の深さを選別し、より業の深いものだけ、その召喚主の近くにいる魔族に要請が届く仕組みになっている。

 より確実に魂を縛るための対策だったから、リグリラのもとに召喚要請が来たということはこの少年と言ってもいい青年にも、何らかの深い願いがあるはずなのだ。

 先の願いが思春期特有の思い込みでたまたま成立した、という可能性も捨てきれないが。

そのせいだろう、ふと、聞いてみた。


 《なぜ、同族の女ではなくわたくしに願いますの?》


 小首をかしげると、灰髪の青年は虚を突かれたように目を瞬かせた。


「それはあんたが俺の好みドストライクで俺なんかが一生かかっても出会えないようなイイ女に見えるからだ。男だったら玉砕覚悟でいってみたくもなる」


 己の本性を見ても同じことがいえるか見物だったが、己の欲求に正直な魔族であるリグリラにとって悪い気はしない。


「それに、俺は万が一にでも子供が出来てほしくない。その点悪魔のあんたなら心配いらないだろう?」


 大真面目に普通の女なら目を吊り上げて罵られそうなことを付け足した青年の顔に一瞬浮かんで消えた強い覚悟とわずかな寂寥感にリグリラは少し興味を持った。

 何が青年にそういわせるのか、魔族という強大な力を手に入れた青年がどうしていくのか、魔力の回復を待つ間眺めるのも面白そうだ。


 《―――ではこうしましょう》


 リグリラは中空から専用の羊皮紙とペンを取り出すと、床に座り込む青年の前に送った。


 《対価を魂ではなく、魔力によって願いをかなえることにいたしますわ。自由に力をふるえるわけではありませんけど、すぐに死ぬことはなくなりましてよ。まあ、魔力の量に見合わないことを願った場合にはその限りではありませんけど。それでよろしければ、その紙にサインをなさいまし。もちろん真名でお願いいたしますわ》


 驚いた様子でリグリラと羊皮紙を見比べていた青年だったが、そろそろと羊皮紙を手に取り読み始めた。


「……この三行目にかかれている”甲が乙を呼び出す際、乙の名を呼ぶこととする。だがその召喚に応じるかは、乙の任意とする”とあるが、また召喚に応じてくれるのか」

 《それはあなたがどれだけわたくしの興味を惹けるかにもよりますわ。せいぜい愉快な願いでわたくしを楽しませることね》

「わかった、契約しよう」


 さらさらと、ペンを走らせ終えると羊皮紙とペンは金と紫色に燃え上り、その炎が二人を包み込んだ瞬間、幻のように消えて契約が結ばれたことを知らせた。


 《さて、と》


 それを見届けたリグリラは虚空から降りると、呆然としている青年の肩を軽く押すことで床に転がし、青年に馬乗りになった。

さきほどからずっといい香りがしていたのだ。契約した以上もう我慢する必要もない。

 思わぬ展開に思考が追い付かず目を丸くする青年にかまわず己の朱唇を青年のそれに押し付け、そこから魔力を引き出した。


「なッ、はんぅ……っ!?」

 

 それでも香りばかり良くて味がすかすかという例もなくはなく、こればかりは直接味わってみないとわからなかったが、カカオのような苦味と蜜のような濃厚な甘みが絶妙なバランスで一体となり、リグリラに極上の美酒のような酩酊感をもたらした。

 予想以上の美味を思う存分味わってから唇を離すと、驚きと狼狽のないまぜになった顔を真っ赤にして息を上げた青年が、喘ぐように言った。


「い、いったい何を……!」

 《何って対価を先に頂きましたの。召喚に応じた足代のつもりだったのですけど、少々取り過ぎましたわ。少なくともあなたの魔力は気に入りましたから、特別にあの願い叶えて差し上げることにいたしました。感謝なさいまし》


 魔力は純度が高ければ高いほど吸収しやすく味も濃密に良くなる。人族の場合、感情の高ぶりが特に味を左右した。それは絶望だろうと幸福だろうと一時の快楽だろうと法則は変わらない。

 このままで十分おいしいこれがどれだけおいしくなるのか、気にならないわけがなかった。


「いや、でも俺、心の準備がっ」


 顔をひきつらせて悪あがきをする青年にリグリラは嗜虐心も煽られす、と手を伸ばす。


 《そうはいってもこちらの準備はできているようですけど?》

「っ!!!!?!???……だけど俺はまだあんたの名前を聞いてない!!」


 そこをつかまれて一瞬ひるみつつも叫ばれた言葉にそういえばそうだと気が付かされた。

 もちろん往生際の悪さに呆れもしたが、付き合ってやることにした。


 《私は海底から生ぜし金紫の魔族が一体、リグリィリグラですわ。再召喚したいのならしかと覚えなさいまし。あなたは?》

「……ハイドヴァン。ハイドでいい」

 《ではハイド、わたくしとてもおなかがすいていますの。覚悟してくださる?》


リグリラの妖艶な笑みに逃げ場がないと悟ったらしく、青年は諦めたように言った。


「と、となりの部屋にベッドがあるからせめてそっちにしてくれ……」

 《生娘みたいに要求が多いですわね、まあよろしくてよ》


青年の言う通り隣室に移動してやったリグリラは、それから大いに食欲を満たしたのだった。








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