【番外編】 おじいちゃんとまご
ラーワの帰還を阻止したアールとおじいちゃんは、こんな感じでありました。
神々の住処とうたわれるヴィシャナ山脈のふもとに広がる大森林の奥の奥。
精霊の楽園とも称されるその深淵にどっしりと生える精霊樹の木の下で、何人も入り込めぬはずのその場所に、いまは人族の姿をした幼子と老人がいた。
『……あ、ここ、かあさまが作った道?』
『おお、ようわかったな、アールや』
『うん、だって、かあさまの柔らかい夜の感じがするもの』
虚空を見上げてレイラインにその気配を感じ取ったやしない孫のアールの、まだあどけないその横顔に浮かんだ寂しげな表情を木精は見逃さなかった。
数日前に黒竜から仕事が長引くという思念話が入っても、いつものように森にすむ幻獣や精霊と転げまわって遊び、木精の講義に目を輝かせて聞き入っていたアールだったが、やはり空元気であったか。
木精は白髪に褐色の肌の老いた男の姿で、ぼんやりと虚空を見上げたままでいるアールの隣に腰を下ろし、その亜麻色に燃えるような紅の混じった髪をやさしくなでてやる。
『なあ、アールや。黒竜も不肖の弟子もお前さんの気持ちをわがままなぞとは思わぬよ。むしろ喜んで飛んでくるはずじゃ』
アールの願いを聞き入れて説得に手を貸した木精だったが、別に一日だろうと半日だろう会いたければ会いたいといえばいいだろうにと、妙なところで遠慮するこの幼子を少々心配していた。
撫でられて気持ちよさそうに目を細めていたアールはふるふると首を振った。
『いいの。とうさまもかあさまも、ぼくのために頑張ってるんだもん。休める時には休んでほしいよ』
『じゃがなあ、お前さんが我慢することをあの二人が喜ぶとも思えぬが』
すると、アールはきょとんと眼を丸くしたかと思うと、心底不思議そうに首をかしげた。
『ぼく、我慢してないよ? だって、おじいちゃんとこんなに一緒に居られるんだもの。
それにあと少しでとうさまとかあさまと一緒に暮らして、人族の学校に行くんだよ。寂しいのは今だけってわかってるから全然我慢なんかじゃないよ』
『お前さんは……』
思わず涙腺がゆるみかけた木精に気付いた風もなくアールはのんびりと付け足した。
『それに、もうそろそろだとおもうし』
『なに?』
問い返そうとした矢先、レイラインを伝ってやってくるそれの気配に気付いた。
その気配は、巨大な精霊樹の傍らに細く生えた若木にたどり着くと魔術陣が展開される。
そうして人型に魔力が凝ると、毛先に薄紅を乗せた長い亜麻色の髪をゆるく結わえた男、ネクターが顕現した。
だがその姿にはノイズが走り、体も背後の景色が透けて見えるほど薄い。
『ああ、やはり完全にはだめですね。ご無沙汰しております、御師様』
『ふん、そんな急ごしらえの術式で完全に顕現できるわけ無かろう、不肖の弟子が』
辛辣にあいさつ代わりの酷評を投げかけた木精の隣で、アールが嬉しげにぴょこんと立ち上がった。
『とうさま、いらっしゃい!!』
駆け寄ってくる小さな体をネクターは半分以上透けた体で抱き留めた。
『アール、元気でやっていますか?』
『うん! とうさまも元気?』
『ええ、元気ですよ。ですが、術式が不完全でこうして過ごせるのもあと30分ほどなのです』
『大変! たくさんしゃべりたいことがあるんだ!』
『一つずつ話せばいいですよ。たりなければまた来ますから』
そうして目を輝かせて勢いよく話し始めるアールとネクターをあっけにとられて眺めている木精の目の前に今度は転移の魔法陣が現れた。
ぽこんと可愛い音をさせて現れたのはやしない子の黒竜が良く使う夜色の鳥の姿を取った精霊で、その場で羽ばたきながら黒竜の声で語った。
『アールへ、この子がいつたどり着くかわからないから、伝言にしました。かあさまは帰らないけど、代わりに港町で面白いもの見つけたから送るね。迎えに行くときにはお土産話もするから、おじいちゃんによろしく! 愛してるよ、アール。かあさまより』
夜色の美しい鳥がそっと地面に降りるとその姿はほどけ、代わりに大きな包みが現れた。
その包みがひとりでにほどけていき、中から湯気が立っている海産物の串焼きや、海の砂や綺麗な貝殻がつめられた小瓶、恐らく木精の為であろう酒の入った小樽などが現れる。
『ありがとうかあさま、ぼくも大好きだよ!』
『ラーワも元気そうですね』
すでに精霊の姿はなかったものの虚空に言葉を投げかけ、土産物の山をネクターとともに改めだしたアールの姿に、木精は先ほどの言葉の意味をおぼろげながら理解した。
『もしや、もうすぐという意味はこれのことかな』
『うん。かあさまもとうさまも、寂しいのは一緒だからきっとお話しに来てくれるだろうなって思ってたんだ』
その言葉にネクターが気恥ずかしそうに頬を掻く。
『おや、ばれていましたか』
『だって、とうさまにとってかあさまが一番だけど、ぼくも居ないと寂しいでしょ?』
『その通りですよ。きっと私と同じくらいかあさまもあなたの顔を見たかったはずです』
薬師としての仕事の合間を縫って用意し、不完全でも顕現したのは、まだ遠くに思念話を飛ばすことのできない我が子の姿を一目見たかったからだった。
なんのてらいもないまっすぐな言葉をたじたじになりながら認めたネクターを呆れて眺めた木精だったが、アールの”ね、言うとおりだったでしょ”と言わんばかりの得意げな、だが花が咲いたような嬉しそうな笑顔をみれば、多少の術式の不備は許してやろうかという気になる。
『アールや、かあさまから土産物が来て良かったのう』
『うん!』
アールの満面の笑みに思わず口元が緩んだ木精は、人のことも言えぬかと考えながら、その柔らかな亜麻色と紅に包まれた頭をなでた。




