【番外編】 魔族様、ひゃんってなる。
「本当に、良いのかい?」
私は、緊張に高鳴る胸を押さえつつ、目の前にいる金砂の髪を結いあげた美女、リグリラにささやくように聞いた。
「もちろんですわ、むしろ、あなたこそ生半な覚悟で挑まないでくださいまし」
ソファに並んで座るリグリラは挑発的に笑んだけど、語調にいつもの覇気はなく、どことなく不安げなのが手に取るようにわかった。
一瞬、やめようか、という考えが脳裏をよぎる。
今のままの関係でも、私はかまわないのだ。
リグリラが大事な友達であることは変わらないのだから、こんな、危ういことをしなくても……
だけどその迷いを見透かしたように、リグリラににらみつけられた。
「ラーワ、受け入れたのはわたくしですわ。わたくしが良いと言っているのに、なにを迷う必要がありまして。それとも、あれは偽りでしたの?」
「ううん! そうじゃないんだよ。でも、まさかこんなことになるなんて、思わなくて」
どうしてあんなことを考えてしまったのか。
後悔のあまり膝で握りしめていた拳に、すっとリグリラの繊手が重ねられて、私ははっと顔を上げる。
「わたくしも、あんな風になるなんて思ってもみませんでしたけど、少し、嬉しくもあったのでしてよ? それだけわたくしに興味を持ってくれていた、ということなのですから」
顔は背けられてはいたものの、リグリラの紫の瞳は潤み、その頬は恥じらいの紅に染まっている。
その表情をさせているのは自分だ、と思うと私の喉は勝手に鳴った。
「ほんとに、良いんだね」
「くどいですわよ。それにわたくしにここまで言わせておいて、まだごねるようでしたら流石に怒りますわよ」
「いいや、やるよ」
もう、引き下がる気はなかった。
だってこれは、形は違うとはいえ、私も望んでいたことでもあるのだから。
重ねられていた手を握り、覚悟を決めてひたりと紫の瞳を見つめれば、リグリラがかすかに息を呑む。
包んだ手がこわばるのに、リグリラも同じ気持ちなのだと気づいた私は、安心させるために笑って見せた。
「なるべく、優しくするから」
「そんな気遣いは無用ですわ。どうせなら思いっきり忘れられないようにしてくださいまし」
そうして自ら手をふりほどいたリグリラは、あくまで抵抗をしないという意思表示なのだろう、豊かな胸を強調するように両腕を背後に回した。
最後まで強がりを言い放つのがリグリラらしいなあと破顔した私は、それでも遠慮がちに身を寄せて、その華奢な腰にふれた。
リグリラの今日の装いは、奇しくも体の線を強調するようなワンピースだった。
そっと指をはわせれば、服の上からでもしなやかでありながらやわらかな感触が伝わってくる。
指が沈み込んだ脇腹は、程良く弾力がありつつも、すべてを受け入れてくれるような柔軟さで、その先を想像させるような魅惑的な手触りに、私は我知らず息を呑んだ。
ふれた瞬間、リグリラは一瞬だけ体を揺らしたが、声だけは漏らすまいとでも言うように、唇を引き締めている。
その羞恥に染まった表情の悩ましさにくらくらとしながらも、今度は両手で包み込むようになで上げてみた。
「ひゃんっ!」
たまらず、といった風に上がった嬌声は意外にかわいらしく、だがそれ以上に艶めいていた。
その声をもっと聞いてみたいと、私ですら気づかなかったほの暗い衝動がわき起こる。
「ら、ラーワっ。そんな、生殺しみたいなことやめてくださいなっ」
「ごめんよ、あんまりにもかわいくって。ちゃんとやるよ、最後まで。それが約束なんだから」
「……っ!」
私が乗り上げるように距離を縮めれば、リグリラは赤らむ頬のまま息をのむ。
そうして美貌をのぞき込めば、私の黒髪と金砂の髪が混ざるように絡んだ。
不安に揺れる紫の瞳に映る私の顔が、加虐的な笑みを浮かべていることに驚きつつ、その魅力的な肢体に手を沈ませ――――……
「こちょこちょこちょこちょっ!」
「あはははっひうっふふふふふっ!!!」
「ほい、今度はこことかそーれこちょこちょこちょっ!!」
「はひっら、らめれすそこはっひゃうん~~~ッ!!!」
ソファの上で喜色満面でくすぐりにかかるラーワと身悶えるリグリラという構図に、外出から帰ってきた仙次郎は目を点にした。
仙次郎と出かけていたアールも、その光景に顔を真っ赤にしつつ見入っている。
「うひゃあ、お姉様とかあさまが……」
「はい、アールはちょっと向こうに行きましょうね」
その場にいたネクターがすかさずアールの目を塞いで、近くで待機していたリグリラの使い魔たちに任せて退出させる。
その間も上がり続けるリグリラの嬌声――否笑い声にようやく再起動した仙次郎が問いかけた。
「……その、ネクター殿」
「はい、何でしょう」
「これは、一体なにをやっているのでござろうか」
「ええとですね。原因はこれなのですが」
アールの隔離に成功したネクターは、どことなく赤い顔で困ったように笑いつつ、テーブルに置かれているものを指し示した。
「リリィさんが知り合いの魔族から借りてきた魔道具だそうです。何でも仲間内で決闘の勝利報酬に折り合いがつかなかった時に使うものだそうで」
「ただの穴の開いた箱にしか見えぬが」
「敗者が箱の脇に手をおき、勝者が穴のあいた部分に手を入れると、魔道具がお互いの表層意識を読みとってすり合わせ、勝者に益となる要求が印字された羊皮紙をランダムに箱の中に出現させるそうです。
ラーワが重ねた勝ち分を返済するために、リリィさんが持ち出したのですが……」
困った笑みを浮かべるネクターに問いかけようとした矢先、ラーワがこちらに気づいて顔を上げた。
「あ、仙次郎おかえりー。あれ、アールは?」
「アールは今イルさんたちと一緒ですよ」
「そうなのかい?」
「その、ラーワ殿」
仙次郎の些細な呼びかけが聞こえなかったようで、頬を昂揚させたラーワが非常に良い笑顔でまくし立てた。
「いやあそれにしてもこんなに全力でくすぐったのは初めてだよー!! まさか抽選器で”体中をくすぐる”ってのが出たときはびっくりしたけど、いちどリグリラの人型って触ってみたかったんだよー! 予想以上に柔らかいしさわってて気持ちいいし、反応良いし結構面白いもんだねー!」
返事を返すに返せずにひきつり笑いを浮かべるネクターと仙次郎に、ラーワはふと気づいたように腕を組む。
「ん、だけどこれ、後どれくらいやれば完遂ってことになるのかな? ネクター、確か魔道具の呪いが解けるには紙が燃え尽きなきゃいけないはずだけど、後どれくらいで燃え尽きそうかい?」
「え、ええとあと半分、という所でしょうか」
「そっかあ、じゃあ後もうちょっとだね! これが終わんないとリグリラはずっと羊皮紙に追いかけられるらしいし、それはよくないよね」
うんうん、とうなずくラーワの脇には、力なくソファに横たわるリグリラの、しどけない姿があった。
金砂の髪は汗ばむ首筋や頬に乱れかかり、ぽってりとした唇は無防備に空き、放心とも恍惚ともとれる凄艶な表情である。
肩で呼吸を繰り返すことで豊かな胸が緩く上下しているさまは、恐ろしいまでの艶を帯びていた。
「あ、あと、もうちょっとですの……?」
「うん、がんばろーねリグリラ!」
にっこりといっそ楽しげなラーワに対し、リグリラはどことなく青ざめた瞬間、ネクターたちを振り向きねめつけた。
その意味は明白だ。
とっとと退出なさいまし。
二人は同時に回れ右をして脱兎のごとく部屋を飛び出した瞬間、再びリグリラの笑い声が響き始めた。
ネクターと仙次郎はほっと息をつきつつ顔を見合わせる。
「なあ、ネクター殿、これは勝利報酬と言うより、宴席でやるばつげーむとやらではないのだろうか」
「さ、さあ。ともかく、ラーワは楽しそうなのでよいのでは、ないかと……思い、ます?」
自信なく答えるネクターの後ろから、リグリラの笑い声に交じりラーワの楽しげな声が響いていた。




