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 燃え盛る王宮の、赤々とした熱で照らされてもなお暗いうっそうとした森を歩き、リグリラはいつかの塔にたどり着いた。

 扉に絡みつく蔦を魔術で引きちぎり、中へ入り込む。

 じきに暴徒もここまで来て王宮と同じように火をかけられるだろう。



 最後の王子となった男は、国外の適当な街中に放り出してやった。

 後は自分次第だ。

 自分のらしくなさに、リグリラは埃の積る階段を一段一段登りつつ自嘲の笑みを浮かべた。


「わたくしも、やきがまわったものですわね」


 望み通りだったかはともかく、見殺しにせず助けてやるなんて。

 だがあのときほんの少しだけ、あの王子の先祖に当たる金髪の赤子に握られた指のぬくもりを、思い出してしまったのだ。



 室内にあのころの面影は一切なく、埃よけのために家具にかけられた白い布だけが存在を主張していた。


 リグリラは魔術でざっと埃を追い出すと、あのころの定位置だったソファにどっと座り込んだ。


 意味のないことをしたと、ようやく理解できた。

 あの青年の代わりなど、何もなかったのだと。

 そして、自分が気づかぬふりをしたばかりに、己の矜持にこだわったばかりに、こぼれていってしまったのだ。


 虚脱感に、立ち上がれない気がした。


 これから、どうしようか。

 あの日々よりも楽しかったことなど何もないのに。





 暴徒の怒声が近づいてくる中、リグリラはふと、ドラゴンと交わした言葉を思い出した。




『好きなことっていうのはいくらあっても面白いものだよ。ねえ、きみが戦う以外に今まで楽しいと思ったことはないのかい』


 その時なぜか、かつてハイドと交わした言葉が鮮明に浮かんだのだ。




 ”あんたの着てくる服はいつもきれいだもんな。これならちょっと修行すれば仕立屋になれそうだ”

 ”……魔族が人族相手の仕立屋なんて馬鹿げていますわ”

 ”いや、きっと楽しいぜ。気に入った人にでも友達にでも仕立ててやるだけでもいいんだよ。あんたは人なんかよりずっと自由なんだからさ。できればいつか魔装衣の仕立屋なんかもしてくれれば最高だ”




『なくは、ないかもしれませんわね』

『そうなの!?じゃあそれを追求してみなよ。いつもと違うことに挑戦するのも気晴らしになるもんだよ』





 あの時のドラゴンの無邪気な言葉が、今になってがらんどうの様な胸に妙に響いた。


「……仕立屋、というのはどうしたらできるのかしら」



 リグリラはふらふらと立ち上がると、その部屋を後にした。














 ********** 













「―――という、わけでしたの。ご迷惑をおかけしましたわ」


 初夏の少し強い日差しがレースのカーテンに遮られ、室内はいまだ涼しい空気が漂っていた。

 あの舞踏会から3日後、リグリラはラーワを家に招き、約束通り仙次郎との―――かつての契約者だったハイドの話をした。


 ずいぶん大雑把になったが、それでも心の整理をつけるように長い話になったそれに、ラーワは熱心に耳を傾け、ほうとため息をつき。

 あのすべてを包み込むような柔らかな笑みを浮かべた。


「また出会えて、今度はちゃんと伝えられて、良かったね」

「別に、伝えることなんか」

「あったんだろう? そこは認めてもいいじゃないか」

「……剣で、語ったつもりですわ。ちょっと熱が入りすぎましたけど」


 あれからいくら転がしても何度も食らいついてくる仙次郎につい時間を忘れ、気が付けば夜が明け始めており、それを合図にしたように仙次郎が崩れ落ちた時はざっと血の気が引いた。

 半ば恐慌状態の中で無意識にラーワに思念話で助けを求め、一抹の不安を感じて近くで待機していたラーワはネクターとともにすぐさま駆けつけたのだ。


 治癒魔術が使え、腕に信頼がおけ、なおかつ口が堅い人物としてこれ以上の適任はいない。

 その期待通り、ネクターはてきぱきと応急処置を施し、安静が必要だとリグリラの家の客室に運び込み、いまも客室にいる仙次郎の診察をしてくれている。


「正直、助かりましたわ。わたくしにはどうしても治癒術は使えませんでしたから。……それでもあれを認めたわけじゃありませんのっ」


 だが、己のプライドを曲げてでも毛嫌いする相手に助けを求めたことは、昔のリグリラでは考えられなかったことだ。

 ぷい、と顔をそむけるリグリラに、ますます笑みを深めたラーワは立ち上がり、きゅっと抱き着いた。


「助けを求めてくれてありがとうね」

「……この場合、礼を言わなければいけないのはわたくしではなくて」

「いいんだ、うれしかったから」


 金の髪を滑るその優しい手が思いのほか心地よくて大人しくされるがままになっていると、居間の扉が開けられ、話題の中心だった二人が現れた。


「お、仙さん、もう体の調子はいいの?」

「狼人は頑丈さが取り柄でござるゆえ、もう大丈夫にござる」


 小袖一枚の着流し姿の仙次郎の顔には薬を塗ったガーゼが張られ、見える位置だけでも胸や手足には白い包帯が巻かれていたが、思いのほか元気そうな姿だった。

 何より自分の足で立てていることにほっとしたラーワは、リグリラに張り付いたまま声をかけたのだが、仙次郎の反応が鈍い事に気が付いた。


「どうかしたかい?」


 仙次郎が目を瞬かせる理由がわかっているリグリラは苦笑して成り行きを見守る。


「ええとその、どなたでござろうか」

「ん?」


 炎のような赤の入り混じった漆黒の髪に金の瞳の娘は、小首を傾げ、自分の身なりを確認し、得心したようにぽんと手を打つ。


「ああそっか、このなりじゃはじめてか。”私だよ、ノクトだ”」


 ラーワが器用に青年型時の声で話すと、仙次郎は度肝を抜かれたように口をあんぐりと空けた。


「ノクト殿にござるか!?」

「そうだよ、あれはハンターギルドで働くときだけだから。まあ本性も別にあるんだけどね。

 こっちのほうが落ち着くから普段はこれで過ごしているんだよ。ちょうどいいや、この時の私はラーワって呼んで欲しい」

「驚いた……まこと娘にしか見えぬ。金の瞳だけは似ていたゆえ、ノクト殿の妹ごかと思ったぞ」

「それで通せればいいんだけど。ちょっと事情があってこのなりだと外を出歩けないから、秘密にしといてくれるかい?」

「承った。遅れ馳せながら、それがしを運び込んでいただきありがとうにござる」

「どういたしまして」


 驚きさめやらぬと言った態の仙次郎とラーワの掛け合いを眺めていたリグリラは、仙次郎の後ろから現れたネクターと目が合った。


「獣人の方は体が頑健です。あなたの腕が良かったので傷の数はありますが、残るような深い傷はありません。あとは治癒力を促進させるだけで十分ですよ」


先んじて知りたいことを応えられてしまったリグリラは、苦虫をかみつぶしたようにネクターの顔を睨み付けた。


「……シーサーペントの皮がありますの。それで、カバンを作りますから。それで貸し借りはナシですわよ」


 シーサーペントの皮は頑丈な他にも天然の防水性能がある。

 さらに加工次第では調湿効果を持たせることが出来るため、乾燥に弱い薬草の採集などに重宝されていた。薬師を名乗る今ならばあって助かることはあっても困るものではない。

 リグリラのむすっとしながらも言うと、その意味を理解したネクターは目を瞬かせ、次いで嬉しげに微笑んだ。


「はい、楽しみにしていますね」

「それがしが未熟なばかりにネクター殿にも迷惑をかけ申した。こうなればまた一から修行し直しにござる。ノクト、いやラーワ殿に付き合っていただきたかったのだが、その姿ではちと頼みづらいな」


 ともすれば己よりも年下に見える華奢な娘姿に苦笑する仙次郎に、ラーワはさっぱりといった。


「違うのは体格だけだから別に気にしなくてもいいのに。まあでも純粋な剣術も体術もからっきしだからね。仙さんに教えてもらいたいくらいだから、むしろ、ネクターを稽古相手にしてみたら?」

「なんと、ネクター殿も武芸に通じておられたか」

「私の対人戦の師匠だよ」


 仙次郎に熱のこもった瞳で見つめられたネクターはちょっと困ったように笑った。


「確かに手ほどきはしましたが、魔術での支援ばかりやっていましたので私も近接戦闘は得意なほうではありません」

「そういえば、結局どっちが勝ったの? 修行し直しっていうくらいだからリグリラが勝ったのかな」


 ふと思いついたように問いかけるラーワに重々しくうなずいた仙次郎だった。


「まるで大人と子供のようだったぞ。世の中はまだまだ広いと痛感し申した」

「あたりまえですわ、私に追いつこうなんてまだ早くてよ」


 その微妙なニュアンスにラーワだけが気付いた。

 が、そこに突っ込む前に仙次郎が大きな爆弾を落とした。


「うむ。だが、勝負の約定にて今はそれがしマダムの物でござるが、できれば夫に昇格したいでな。

 一刻も早くマダムを討ち果たし、求婚させていただきたいのだ。

 ラーワ殿、ネクター殿それがしに手を貸してはいただけないか」

「求婚?」

「夫!?」


 リグリラはい殺さんばかりに仙次郎(とうへんぼく)を睨んだが、本人は泰然とした雰囲気で立っているだけだった。












 好奇心を爆発させかけたラーワをネクターに押し付けさくさくと見送ると、居間には家の主であるリグリラと仙次郎が残った。


「マダム、こうして立って歩けるようになったゆえ、そろそろ(いとま)させていただこうと思うのだが」


 所在なさげに立ち尽くす仙次郎をリグリラはちらりと見やり、ひそりと言った。


「あなたこれからどうするつもりですの」

「この街は居心地が良いゆえしばし腰を落ち着けられるよう、こちらに拠点を探そうかと思っている。いつまでも宿暮らしは出来ぬし、マダムに首を差し出した身でもござるしな。

近くにあったほうが落ち着かれよう?」


 そんなことを嬉々として口にされるのが無性に負けた気がして少し悔しい。


 だからリグリラはつかつかと仙次郎に歩み寄ると、無造作にその足をひっかけた。

 油断していた仙次郎はあっさりと体勢を崩し、背後のソファに転がった。


「っ……!」


 衝撃で傷が痛んだらしく、苦悶の表情を浮かべる仙次郎の上に、片膝を乗せてのしかかる。

 ソファに乗りきらなかった薄紫のスカートがさらりと床に流れた。


「何をッんぅっ……!!!???」


 仙次郎からの抗議の言葉を封じるように、リグリラは唇を合わせた。

 何百年ぶりに焦がれた魔力が舌に触り、このまま少しいただいてしまおうかと思わなくはなかったが、ちょっとだけ我慢して、深く口づけながら自身の魔力を流し込んだ。


「いきなり、何を」


 頬を赤く染め荒く息をつく乱れた仙次郎の姿にいい眺めだと思いながら、リグリラは灰の瞳を覗き込んで艶やかに微笑する。


「リグリラ、でよろしくてよ」

「リグリラ、殿?」

「感謝してくださいまし。愛称を呼ぶことを許したのは、あなたで二人目でしてよ」

「それは嬉しく思うが、それがしが言いたいのは」

「なんとなく、したくなったんですもの。わたくしとこうするのはお嫌い?」


 抗議の声をさえぎり、こてりと小首を傾げて問うてやると、案の定仙次郎はうっと言葉を詰まらせた。


「……っいや!」

「というのは冗談で、治療の一環ですの。身体が軽くなりましたでしょう?」


 そのことばでようやく身体のけだるさがないことに気が付いたようだ。

 リグリラが腹から太ももあたりに移動してやると、釈然としない様子ながらも身を起こした仙次郎に言った。


「ここに居ればいいですわ。あなた一人居候したって何にも困りませんもの」

「リグリラ殿、そのお気持ちは嬉しいのだが、夫婦でもない男女が一つ屋根の下に暮らすのは不味くは無かろうか。それにそれがしあなたのヒモになろうとは思っておらぬ」


 ちょっとだけ心惹かれたように、だがそれだけはきっぱりと言い切った仙次郎にそうでなくてはと内心の満足を表には出さず、すまして答えた。


「あら、勘違いしていませんこと? わたくしは大家としてあなたに部屋を貸し出すだけですもの。家賃もきっちりいただきますわ」

「そうで、ござるか?」

「それにあなた、わたくしに勝つまで挑戦するつもりなのでしょう? あの薬師やラーワに頼まずとも鍛えて差し上げますわ」

「は……?」


 リグリラは、思わぬ展開に灰色の耳をピンと立てて驚きを示す仙次郎の頬にふれる。


「だって、この首はわたくしの物なのでしょう? 首の面倒を見るのは当然のことでしてよ」

「だが、しかし」

「わたくしの言うことに文句がおありですの? センジロー」


 仙次郎の後ろで灰色の尻尾がぱさりと揺れた。


「今、それがしの名を」


 満面の笑みを浮かべて喜ぶ仙次郎がやっぱり面白くなくて、リグリラはふい、と視線を逸らした。


「わたくしに一太刀入れたのは事実ですもの。約束は守りますわ」


 確かにリグリラが勝ちを収めたが、その中で一度だけ、剣をはじかれて追撃をかわそうとした拍子に、ほんの少しだけ剣が二の腕をかすめたのだ。

 切り裂いたのはドレスだけとはいえ、前世から通算しても、これまで一度もなかったことだから一撃、に数えてしかるべきだ。

 そして、先ほど青年姿に立ち戻ったラーワが去り際に、そっとリグリラだけに聞こえるようささやいていった言葉を思い出す。


『もしかして、仙さんが旦那さんになる日ってそんなに遠くなかったりする?』


 まだ早い、という言葉の裏に、追い付くまでに一生はかからないという意味があることに気付いたかの竜の察しの良さには脱帽である。


 肉体的な鍛練はリセットされているはずなのに、仙次郎のまるであのころを受け継いでいるかのようなセンスの良さと身体能力の高さ何より戦闘の勘は目を見張るに値した。


 これからラーワも仙次郎もギルドから高ランクの討伐依頼を頼み込まれるはずだ。

 魔獣ならともかく、魔物であればラーワがその依頼を断ることは考え難い。

 仙次郎も気心の知れたラーワとネクターと共に依頼を受けることになるだろう。

 リグリラが己の技術を徹底的に叩き込み、高ランクの討伐をこなすことで磨かれればリグリラから稽古であれば10本に1本位とれるようになるのはそう遠いことではないはずだ。


「わたくしだって、いつまでも待つ気はありませんし、もう口約束はこりごりですの。手加減なんてして差し上げませんけど、早くわたくしに勝ちなさい。センジロー」


 仙次郎の着物の襟から覗く鎖骨に残る、己の契約印(しるし)を指先でなぞる。

 たった今、己の魔力を流し込んだことで色濃くなったということは、いまだ、契約は細くとも生きているということだ。


 リグリラが望めば、仙次郎に契約の対価として魂と同等のものを要求できるくらいには。


 自分に勝てないような男を傍に置く気もないのも本当だが、それにこだわってまたチャンスを失うような真似をするつもりはないのだ。

 今度こそ、逃がさない。


 リグリラは、狼の耳に唇をよせてそっと囁く。


「そうしないと、強制的にわたくしの伴侶にしてしまいますわよ」


 顔を真っ赤にして意味なく口を開閉させる仙次郎に、リグリラは頬を薔薇色に染めてゆったりと微笑んだのだった。











































「でもやはり、挑戦を受けるからにはわたくしにも得があってしかり、ですわよね」

「だが、それがしに差し出せるものなど、何も」

「それならあなたが負けた時にはお仕置き、というのも面白いかしら。もちろん、わたくしが楽しめるものがいいですわ。と、すれば――――」

「……リグリラ殿、どこを見ているのでござるか」


 なぜかぞくりと背筋に怖気が走った仙次郎が恐る恐る訊くと、明後日の方向を見ていたリグリラの唇が、にぃっこりと弧を描く。


「……一本取られるごとに1分、でいかが?」


 その視線の先には、戸惑ったように揺れる灰色の尻尾があった。













 **********











 ハンターギルド、バロウ国王都本部には現在、一つ名物があった。


 月に一度の頻度でギルド所有の野外訓練場で行われている私闘である。


 ハンターギルド内での私闘は禁じられているとはいえ、血気盛んなハンターたちのことである。

 合同訓練と評したそれが日夜行われているため、それ自体は珍しくない。


 こちらも一応ギルドには合同訓練として申請されているものの、あらかじめ勝者の取り決めがあると見届け人が漏らしたことから決闘であることは明白である。

 それがなぜ、そこまで注目されるのか。

 簡単だ。対戦カードが尋常ではないのだ。


 挑戦者は、最近ようやく国交の開けた海の向こうの島国、東和国からやってきた狼の獣人、鏑木仙次郎。

 それだけでも注目度は抜群だが、つい数か月前にハンターギルドに登録したばかりにもかかわらず、すでに”黒突”の二つ名をもち、クインティプルに匹敵すると言われる注目株である。

 そして迎え撃つのは、加盟者が全面非公開である魔装衣仕立て組合に所属し、自身も一流の魔術師であるリリィ・モートンなのだ。


 彼らは、あの第一級危険種糸繰り魔樹(マリオネットツリー)をたった三人で討伐した三人のうちの二人であり、特に鏑木仙次郎はそれ以後も古代魔導具(アーティファクト)級の魔剣”焔ノ剣”の使い手であり、たった一年でクインティプルに駆け上がった”炎閃”ノクトと共に数々の高難度の危険種討伐依頼を成功させ続け、今破竹の勢いで躍進している人物だ。

 その、”炎閃”ノクトも毎回見届け人として現れるというのだから、注目されないわけがなかった。


 そうすると、なぜこのように定期的に私闘をしているのか、という理由が気になるものが出てくるだろう。


 訓練場の風紀の乱れを名目に、だが好奇心いっぱいに見届け人であるノクトに事情を聴取したギルド職員からその答えはもたらされた。


 なんと、リリィ・モートンとの交際をかけているというのだ。


 一本でもとれれば、あの金髪の美女と付き合えるという何とも単純でしようもない話に、だがひそかにあこがれを持っていた男性ハンターたちの間で祭り騒ぎになった。

 そうして、数少ない女性ハンターが白い目を向けているにもかかわらず、我も我もと名乗り上げるものが続出し、当日会場に押し掛けたのだ。


 思わぬ事態に、対戦者であるリリィ・モートンは毛ほども動じず、名乗りを上げたものに条件を出した。


「わたくしと、()り合いたいのでしたら、まずはわたくしの挑戦者を倒しなさいまし」


 平たく言うと、只今の挑戦者である仙次郎に勝利すること、というそれに、がぜん張りきった男たちはもとより、以前から仙次郎の早い出世を妬んでいた者や、腕の立つものを雇って送り込んでくる貴族まで現れた。

 だが仙次郎は自国固有の魔術を宿した黒い槍で、軒並み返り討ちにしたのである。


 破れた者には二つ名持ちのクワドラプルが混ざっていたというから、思わず仙次郎の昇格が妥当であるのは自明の理であることが浸透した。

 そして同時に、以前からその絶世の美貌と、貴重な魔装衣の仕立て師であることからバロウ国本部のハンターの間では名の知れたリリィ・モートンが、凄まじい技量を持つ仙次郎を下すほどの尋常ではない武芸の達人であることが、称賛の声と共に瞬く間に広がったのである。


 中には負けてもあきらめない挑戦者も居たが、次第に腕試し目的で挑んでくるもの、更にはクインティプルである見届け人のノクトに勝負を申し込む者もあらわれ、月一回の”合同訓練”は規模を拡大しハンターたちの交流の場となった。

 だが、やはりメインイベントである鏑木仙次郎とリリィ・モートンの決闘になると、皆訓練を中断して観客に回った。


 どちらかが力尽きるまで、という取り決めでなされる試合は、大抵リリィ・モートンの華麗でありながらも烈々とした剣筋を、仙次郎が豪壮な剣技で迎え撃つ。

 だが、動きにくそうに見えるドレスにもかかわらず、リリィ・モートンの繰り出す凄まじい数の斬撃に圧され捌き切れなくなった仙次郎が、何度もノクトに一本を宣言されるのがお決まりだった。

 見物人の間でひそかに今日は仙次郎が何本取られるかが賭けの対象になっているのを、当人は知らない。


 それでも、何度負けようとめげることがない仙次郎を、主に妻帯者や恋人のいる一部の見物人や、賭けに参加したハンターらから応援する声が上がっていた。


 そんな見物人の間で、ひそかに話題になっていることがある。

 仙次郎が勝った時の要求がリリィ・モートンとの交際ならば、リリィ・モートンがその勝負を受ける理由は何なのだろうと。


 リリィ・モートンも王妃御用達のデザイナーと認められてからは多忙な人だ。

 負け続けているのは周知の事実である仙次郎が何を支払っているのか、気にならないわけがない。

 と、考えているのは主に男性ハンターたちの間でのみで、女性ハンターたちはその狂乱に呆れていた。


「男って……」

「リリィ様のあの表情を見ればわかるのに、どうして気づかないのかしら」

「でも、”黒突”がリリィ様に何か要求されているのは確かみたいよ」

「「一体なにをされているのかしらっ!」」


 結局はどこも一緒のようだ。



 そして、仙次郎に負けたハンターたちがせめて別の形で一矢報いようと示し合せ、ある日の”合同訓練”後、仙次郎を捕まえて直接問いただした時には、その場にいた全員さり気なく帰る足を止めて耳をそばだてたのだった。


「はあ、リグリラ殿が勝った場合の要求、でござるか。それはその……秘密、ということで勘弁願えぬか」

「そんなことを言わずになあ?」

「教えてくれたって減るもんじゃねえだろ?」


 仙次郎のその困りようを表すように狼耳は伏せられるのにもめげずに、男達は逃がさぬようにさり気なく取り囲んで問いただそうとしたのだが。


「あら、みなさん、センジローに何か御用がおあり?」

「い、いえなにも!!」

「失礼します!!!」


 試合の後で上気した頬が一層の艶を添えている金の美女に甘く睨まれた男達は、最敬礼で包囲網を解いた。


「さあ、行きますわよセンジロー。これから今日の勝ち分をたっぷり支払っていただくんですから」


 今日もだめだったかと一瞬残念がった男達だったが、リリィ・モートンのそんな声が聞こえ、聴覚に全神経を集中させた。


「リグリラ殿、本当にあれでなくてはいかぬか」

「あら、文句がありますの?」

「い、いやそんなことはござらぬが、少々己の矜持が痛いというか……」


 仙次郎が言いよどむのを華麗に無視したリリィ・モートンは、まるで猫がねずみをいたぶるような加虐に満ちた、だが美しい笑みを浮かべていった。


「最近あなたの故郷から来たという櫛を手に入れましたの。

 ついでにあの薬師からも艶が増すという油を都合してもらいましたわ。今日は覚悟なさいまし」


 彼女たちが訓練場を去った後、その意味深な会話に男達はもとよりその会話に耳をそばだてていた観客たちの間でさまざまな憶測が飛び交う中。


 全ての事情を知る黒髪の青年は、非常に機嫌のいいリグリラの隣を歩く仙次郎の、恐ろしいまでに手入れの行き届いた尻尾が、ぴんと緊張しながらもうれしげに振られていることに気付き、苦笑しながらも友人の冥福を祈ってやったのだった。










 おしまい



これにて終幕です。


活動報告にて後書き(のようの物)を同時に載せています。そちらもよろしければどうぞ。


ご愛読いただき、まことにありがとうございました。

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