過去 8
それから、リグリラは同族との闘争に明け暮れた。
元の生活に戻っただけだ。
なのに、いくら魔物をほふっても、数段格上の魔族に勝利を収めても、満たされないどころかますます飢えに似た渇きに襲われた。
それが淋しい、という感情だとは断じて認められなくて、リグリラは戦う相手をひたすら求めた。
どうしても見つからない時は、黒熔竜の元へ行った。
ドラゴンの中でも特に変わった感性のかの竜は、リグリラがいくら来ようと殺そうとせず、うんざりとした態度を崩さないまでも付き合ってくれて、その間だけは何も考えずただひたすら闘争に没頭できた。
それがどれほど楽だったか、きっとあの竜は知らないだろう。
ある日、珍しく黒熔竜のほうから呼び出してきて、人族の言語のことについて聞かれた。
どうやら自分の使う言葉が古くに失われた古代語とは知らなかったらしい。
人界に関する常識がごっそりとぬけている点は、ほかのドラゴンのようだなと思いつつも、なぜか人族とコミュニケーションをとりたそうにしている黒熔竜に、自分が人族の言葉を使えることは言わなかった。
もしかしたら、たかが人族に右往左往し、惑わされ、今のリグリラのようになるかもしれない。
この竜がそんな風に無様に堕ちるすがたを見たくなかった。
飄然と何物も寄せ付けないまま、どろどろとした感情に毒されないでほしかった。
百数十年ほどたったころだろうか。
トーレスに灰髪灰瞳の王子がいると風の噂で聞いた。
胸が跳ねた気がした。
昔は金髪碧眼の血筋として誇っていたが、近年は混血も進み、それほどうるさくは言われないようになったらしい。
その王子も公に認められているという。
リグリラは、はやる気持ちを抑えて宮廷に入り込み、その王子を見に行った。
あれからトーレスではイグアルの緩やかな統合侵略が続き、数回代替わりするころには自治こそ保っているものの、国の形はほぼ形骸化していた。
タシオスは孫姫をめあわせる計画をイグアルの横やりによって頓挫して以来、沈黙していた。
紛れ込んだ園遊会で間近で見た噂の王子は、確かに灰色の髪と灰の瞳をしていたがあの極上の気配はしなかった。
落胆したところでリグリラは愕然とした。自分は何を期待していたのか。
「レディ、お加減でも悪いのですか」
自分の心の動きに戸惑い、混乱を鎮めようと紛れ込んでいた園遊会をはなれ木陰で休んでいると、とうの灰髪の王子に声をかけられた。
「ご心配には及びません。少し気疲れをしてしまいましたの」
「なんだ、退屈して抜け出したわけではないのか。仲間がいたかと少々期待していたのだが」
煩わしくて追い払おうとしたのだが、改めて間近で見ると灰髪の王子が驚くほど顔だちがハイドに似ていることに気付かされ、足を止めた。
直接ではないとはいえあの男と同じ血筋だ。それになかなかおいしそうな魔力の匂いもする。
彼ならば、このがらんどうの様な心も、埋まるだろうか。
「……実はわたくしも、少し退屈しておりましたの」
気が付けば艶やかな笑みを浮かべ、そう答えていた。
王子はあっけなくリグリラの手に落ちてきた。
むしろそれが普通なのだ、とリグリラは愛人に迎えたいという王子の望みに応えて適当な貴族の娘に成り代わり、王宮近くの屋敷に入ってやった。
王子は三日と空けずリグリラの元に通ってくる。
リグリラが欲しがらないうちからドレスや宝飾品などを買い与え、望むことはすべて叶えようとした。
「愛しているよ。リリィ」
その視線も言葉も心もすべて自分のものだ。
なのに、
つまらない、と感じる自分がいた。
これは違う、何が違う?
この男だって灰髪だ灰眼だ。顔だちも似ている。
更にいえばこの男はリグリラの虜である。
この間だって、この国の秘伝である魔装衣の作り方だってリグリラが知りたいと言ったらおしえたではないか。何を不満に思うのか。
民衆の間ではイグアルの属国扱いされている不満の矛先が、享楽的にかわった王族への反発として噴出しようとしていた。
その感情を裏でタシオスが煽っていた。
やがてその不穏な空気は王宮まで忍び込み、ひりひりとした緊張感と言い知れぬ不安をもたらしていた。
「なに、君は心配することはない。僕たちの後ろにはイグアルがいる。早々王宮にまで乗り込んでくることはないさ」
だが王子はそのようなことを一切関知していないかのように会いに来る。
当然だ。リグリラがそう望んだのだから。
だが、他人事のように語る王子に安堵を覚えるどころかもやもやしたものが晴れることはなかった。
それでもずるずると傍に居続け、そして―――――
リグリラは暴動に乗じて略奪を働こうと侵入してきた暴徒を、金の髪から変じた触手で締め上げる。
首をねじ切り、ただの肉塊に変わった最後の一人を投げ捨てふりかえると、部屋の隅に縮こまっていた王子はひっ、と息をつめた。
今だ戦闘の余韻を残して揺らめく金髪から何から返り血を浴びて赤く染まった姿は、それなりに壮絶な姿になっているだろう。
それに今のリグリラは濃密な魔の気配を抑えることを放棄していた。
「ま、魔族ッ……!?」
先ほどまで抱き合っていた男が化け物を見る目でリグリラを見つめ、ガタガタと震えているのがおかしい気がして、にこりと、男が好きだと言った愛らしい笑みを浮かべてやった。
「今更気づきましたの? 本当に、可愛いくらい愚かな方ですわね」
「魔族というなら魂でも魔力でもくれてやるから助けてくれっ、何もしていないのにこんな最後はあんまりだ。僕はまだ死にたくないっ!!」
涙を流しながらすがられたのに驚くほど感慨がわかなかった。
面白くもない、ただ急速に心が冷めていく。
ハイドであればここまで悪化するまえにどうにかしようとしたはずだ。
むしろ自分たちで政治をするというのならお膳立てして喜んで明け渡したかもしれない。
これは違う。
この男は、ハイドに似ていても、ハイドではない。
同じ愚かでも、愚かしいほど周囲に優しかったあの男ではないのだ。
自身の醜態にようやく気付いたリグリラは、己への煮えたぎるような怒りを飲み込み、目の前の男を見下ろす。
何もしていないのが悪かったのだ、と憐れなこの男は気づかないのだろう。
見捨てても全く構わない。
「なあ、リリィ頼むよ」
最後の王子になるであろう男が、涙に濡れた顔で卑屈に笑うのに、リグリラは口元に張り付かせた笑みで答えた。