現代 7
それから、ラーワに荷物運びだけ手伝ってもらったあとは荷解きを使い魔に丸投げし、必要な材料だけ専用の作業部屋に運び込んでドレス作りに没頭しようとした。
この憤懣やるかたない気分を削ぎ落したかった。
仕立屋組合からの妨害が続き、新規のドレスの注文こそ減ったが、中産階級向けの手袋やハンカチなどの小物類の販売は継続していたため、リグリラが戻ってからは開けることにした。
それでも店番をまかせた使い魔たちにはよほどのことがない限り思念話もよこさないように言い含めて作業部屋に引きこもっていたのだが。
邪魔が入ったのは帰還して翌日のことであった。
店内外に山ほど施してある防護術式の一つが反応しその直後、よほどのことが無ければ助けを求めることはない使い魔イルから思念話がつながれた。
《主、困ったお客さん。助けて》
遠慮がちではあったものの、イルエンミリィの本気の求めに重い腰を上げて店舗スペースへ駆けつける。
そこでリグリラが見たのは、床にのたうつ明らかにドレスと小物に縁のない荒んだ男たちと、壁際に追いやられへたり込んでいる見覚えのある職人風の男。
そしてその男に袋に入ったままの槍を突き付ける異装の狼人という組み合わせだった。
「おおリリィ殿、少々店を騒がせている」
屈託なく声をかけてきた仙次郎を無視し、床に投げ出されている剣やこん棒、ハンマーの類からおおよその事情を把握したリグリラは、大きなため息をつきながら恐怖と混乱に顔を引きつらせる仕立屋組合の使い役に言った。
「わたくし忙しいんですの。お引き取り下さいまし」
「だ、だがリリィ・モートン、お前にはすでに仕立屋組合から脱退した時点で営業停止を申しわたしていただろう! なぜかお前の留守中にやった人間は帰ってこなかったが、今日こそはここからたちのいて―――ひいィッ!!!」
突然自身のすぐそばで鳴った鞭の破砕音に言葉を飲み込んだ男は、それをふるった金の髪の美女のあでやかな笑みと一切の慈悲の無い紫の鋭い眼光に射抜かれた。
「確かにわたくし仕立屋組合からは脱退いたしましたけど、婦人仕立て組合には所属しておりますの。
仕立屋組合にはコルセットの縫製と材料の仕入れの為に在籍していましたけど、その垣根も曖昧になった今では必要ありませんわ。もちろん婦人仕立て組合はきちんと国王に認可をいただいた正当な組合でしてよ。
ですからこうして営業を妨害することは王の意に反するということですけれど、今だ特権に胡坐をかくその古びた頭でもお分かりいただないのでしたら、こちらも考えがありますけどよろしくて?」
更に権威のある魔装衣仕立て組合にも所属していたりするが、そちらはメンバー自体全非公開のため言う必要がない。
使い役の男は助けを求めるように周囲を見回したが、すでに用心棒役の無頼漢は全員意識を失い無力化されている。そこへ仙次郎が一喝した。
「事情は知らぬが、女子供しかおらぬの店に押し込みをかけて武力に訴えるとは不届きあろう。恥をしれいっ!」
仙次郎が槍の柄を外した途端、悲鳴を上げながら使い役の男が脱兎のごとく逃げ出したのを見送ったリグリラは、店の隅で困惑気味に成り行きを見守っていた使い魔たちに言った。
「イル、エーオ、この不用品を他のお客様の邪魔にならないよう外に搬出なさい」
「「はい」」
「で、そこのあなたは何をしていらっしゃるのかしら? ストーカーでしたら簀巻きにして警邏に引きずりますけど」
そう言って仙次郎にびしりと鞭を突き付けたのだが、言葉の意味がわからなかったらしくきょとんとしていた。
「すとーかーとはいかに?」
「ラーワ曰く、嫌がる人間に執拗に付きまとう迷惑行為のことだそうですわ」
紫の眼光が緩まないのを見た仙次郎は慌てて首を横に振った。
「誤解でござる、この店の場所はどうしてもリリィ殿に一言謝りたく思い、ラーワ殿に無理を言って教えていただき申したのだ。
そうしてこちらに参ったところ、ちょうどあのならず者どもが店に入るところに居合わせ、尋常ではないと仲裁に入ったところ。だが、どうやら余計なおせっかいだったようでござるな」
かなりの重量がある大の男を、華奢な少年少女が無造作に引っ張っていくのを見た仙次郎は苦笑していた。
その話で、使い魔たちは仙次郎にラーワの名前を出されて、本当の侵入者と一緒に対応していいかわからず苦慮したのだろうとリグリラは理解した。
「全くその通りですわ」
手加減を知らない使い魔に任せていた場合、いくらか商品や陳列棚に被害が出ていただろうということは棚に上げ、リグリラは続けた。
「要件は終わりまして。先ほども言いましたが忙しいんですの。昨日の無礼な物言いは水に流しますから二度とわたくしにかかわらないでくださいまし」
「リリィ殿、待って下され」
一方的に切り上げて奥に戻ろうとしたリグリラは仙次郎の制止の声に、不愉快もあらわに振り返った。
「あなたに名を呼ぶ許可を与えた覚えはありませんわ」
「あいすまぬ、ではそれを含めたお詫びに、この店の警護をいたしてもよろしいだろうか」
「はい?」
「ああいった輩は何度でも来るものでござる。恐らく次は日が暮れてからを狙うでござろう。
だがどうやらリリ――マダムは手が離せない重大ごとにかかわっているご様子。
それがし、ラーワ殿のような火力はござらんが人相手であれば滅多なことでは後れを取らぬ自信がござる。マダムの手を煩わせず、片づけて御覧に入れよう」
「……何が目的ですの」
意図を推し量ろうとリグリラが眼光鋭く睨み付けたが、仙次郎はこたえた様子もなくあっけらかんと言った。
「実は、惚れた女人に良いところをみせたいというのが本音でござる。出来ればうまく事が済んだ暁には、改めて友人から付き合いを始めていただきたいのだが」
使い魔の報告ではリグリラの留守中もそれなりのちょっかいを仕掛けてきていたようだった。
だが、使い魔たちが使った精神系の魔術を受けただろうに懲りた様子がないのは、ただ実行者の意志が弱いからと考えたか、外傷がないのならば問題ないと考えたか。
こういう輩が次に考えるのは夜襲であるという意見には腹立たしいが賛同する。
正直今、こう言ったことに煩わされるのは鬱陶しい。
女子供だけとなめられている状態だったから、一人とはいえ荒事になれた男が居ればけん制になるだろう。
リグリラに物理的な損は一切ない。
「……営業の邪魔をしないのであれば、好きになさいまし」
「では今夜から早速参らせていただこう」
問答する時間も惜しかったリグリラは、仙次郎のぬけぬけとしたその能天気な横っ面をいますぐ張り倒したいのをこらえ作業部屋へ戻っていった。
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納期まで二週間を切っていたが、型紙を完成させなおかつ別布で仮縫いを済ませていたことが幸いし、さらに昼夜問わず部屋にこもりきりになったことでドレスは10日後の深夜に仕上がった。
出来上がったドレスを前に初めて倒れるように眠るという経験をしたが、それでも人族には仮眠にもならないわずかな時間で目覚めたリグリラが、一番に向かったのは店の裏口にあたる居住スペースの玄関だった。
重い木製の扉を静かにあけた途端、夜明けの静謐な空気を裂く音がはっきりと聞こえだした。
私的な玄関としても使っている裏口は、密集する街並みにぽっかりと空いた広場に面していた。
日中であれば行商人が商品を広げたり、子供が遊んでいたりするような小さな広場である。
そこで、狼人の青年が一人、無言で反りの強い異国の剣をふるっていた。
流れるような動作だった。
東国の剣の型なのであろう流麗な動きの中に、見覚えのある癖が随所に見て取れた。
だが、あのころとは段違いに練りこまれた剣筋にリグリラはひっそりと気配を沈ませ、しばらくそのひとり稽古に見入った。
仙次郎は石階段に闇に溶け込むようにたたずむリグリラにすでに気づいていたようで、稽古の終了を告げるようにひたりと剣を止め虚空に一礼すると、玄関口を振り返りのどかな声音であいさつをされた。
「マダム、夜は空けておらぬがおはようにござる。本日は何もなく過ぎ申した」
「……そうですの」
使い魔たちからの報告で、仙次郎が宣言通り夕暮れから夜明けまで一人店の警備をしているのは知っていた。
その最中二度ほど店舗の破壊を目的としたならず者の集団が現れ、二回目には野良の魔術師を雇ってまで店に、引いてはリグリラたちに害をなそうとしたようだが、軒並み仙次郎に阻まれていた。
使い魔たちには毎晩交代で見張らせていたものの、全く必要なかったほどの仕事ぶりだった。
「あなた、剣も使いますのね」
「武士たるもの剣術の一つでもつかえねばならぬ、というのが東和での一般的な考えでしてな。
だが、それがしは幼少のころから剣の修行はしたものの、どうにも国の剣術になじめなかったのでござる。
更にいえば、その中に体内を巡る”気”を武器に通しどんなものでも切通す刃に変えるという技が故郷にはあるのだが、なぜか剣だと力の加減が出来ずに使うたびになまくらにしてしまってな。
不思議なことに他の武具だと問題ないゆえ、今使うのは槍ばかりでござるが、鍛練だけは続けているのでござる」
上着の袷から出した手拭いで汗をぬぐっていた仙次郎は、話がふられるとは思っていなかったようで、はじめ面食らっていたものの、なめらかに語りながら、嬉しいようなほっとしたような表情になっていた。
「それがし、マダムに嫌われたと思っていた」
「嫌ってはいませんわ。ただ気にくわないだけで」
「そ、そうでござるか」
わかりやすいまでに耳と尾をしゅんと垂れさせた仙次郎だったが、ふいにリグリラをまっすぐ見つめた。
「マダム、先日の言葉は浅慮であったと反省している。だが、偽りはないことだけは知っておいて下され。それがし、マダムの気性に惚れ申した」
「友人から、と言った口でよくもまあそんなことが言えますわね」
「それもそれがしの本心ゆえ、ご了承願いたい」
真摯にこちらを見つめる灰色の瞳からリグリラは複雑な思いで目をそらした。
仕事に没頭し冷えた頭で今までの仙次郎の態度や言動を振り返れば、この狼人が何も覚えておらず、全く別の人生を歩んでいるのは明白だった。
なのに自分だけ動揺し、一挙手一投足に過剰になるのは馬鹿馬鹿しい。
それさえ取りはらえばこの狼人はラーワの友人であり、一度は共闘した間柄である。
もちろんラーワと親しいからと言ってリグリラも親しくする必要はない。
むしろ精神の安寧のため徹底的に突き放すべきだ。
だが職人の性か、仙次郎の着ている服が糸繰り魔樹討伐時にかぎ裂きを大量にこしらえたものだというのが無性に気になった。
「まさか、今までそれ一着で過ごしていたんですの?」
仙次郎は、リグリラの視線が自身の着物にあると気づくと、自覚はあるのか困ったように自身のくたびれた着物を見下ろした。
「着替えは一揃いあるが洗濯中でしてな。仕方なしにこれに袖を通したのだが、やはりひどいか」
「せめて繕うくらいなさいまし」
「それがし、昔からどうにも針仕事だけは苦手でござってな。
自分でやろうとするとこれよりもひどくなる。かといってこちらの衣服にも明るくないうえ自分で尻尾穴もあけられぬでな。どうにも困っているのでござる」
いう割には全く困っているようには見えないのんびりとした物言いに、リグリラはこれ見よがしにため息をついてやった。
今の服装は清潔感こそあれど一歩間違えれば浮浪児のようななりである。
こんな男に近づかれたら営業妨害もいいところだ。
だからこれは、決して世話を焼くわけではない。
「……そんな恰好でうろつかれたら迷惑ですわ。東国の衣装には前々から興味がありましたから、それを貸す気がおありでしたらズボンに穴くらいあけて差し上げてもよろしくてよ」
扉に手をかけながら言うと、仙次郎は戸惑ったようだった。
「仕事が忙しいのではござらんのか」
「先ほど山場は終わりましたから、警備も必要ありませんわ。次来るのなら日中になさい。とっととわたくしの気が変わらないうちに持ち込むことね」
「マダム、ということは―――!」
驚きと喜色に彩られた仙次郎に言いつのられる前にリグリラは乱暴に扉を閉めた。
突き放すべきだとわかっていたはずなのに、細い縁を自ら繋いでしまったことに自己嫌悪に陥る。
いくら魔力の香りが同じでも、記憶がない以上これは別人。
面影など灰色の瞳以外何も重ならない。
決して短くはない年月で忘れたはずだ。断ち切ったはずだ。
なのに、ほのかに期待してしまっている己が厭わしかった。