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一年程前。
葵がSATに入って、何ヶ月かした頃だった。
その頃は、補正予算案が下りずに、警察ではいまだにA・イェーガーは配置されていなかった。
それでも、その事を良い事と言わんばかりにA・ホイールを用いた犯罪は増える一方だ。
そのため、警察の機動隊は厳しい状況に身を置かれ、常に戦場の中にいた。
入隊した機動隊員は大概は一年で去る。
去った人間達の殆どの理由はA・ホイールとの苛烈な戦闘に恐れて去った者、負傷した者、そして命を落とした者の三種類だ。
そして、その中で一番厳しい状況を強いられるSAT。
その制圧班は戦場の最前線にいた。
そして、葵もその憂き目にあった。
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「カハッ……!」
鈍い音と共に黒い戦闘服を纏った人間の体がコンクリートの壁に叩き付けられる。
傷だらけの葵の体は、壁をこすってずり落ちる。
平日の、都内のあるホテルにテロリストが立て籠もり、籠城していた。
その鎮圧の為もSATも出動した。
だが、改造したA・ホイールを用いるテロリストの抵抗は予想以上に激しく、葵はホテルの地下駐車場に一人取り残されてしまった。
「くっ……」
小さく呻きながら壁にもたれかかり、満身創痍の体を無理やり持ち上げる。
ズキズキと背中も痛む。右腕も既に動かない。
手元にある武器は衝撃で動かなくなった自動拳銃一丁のみ。
テロリストのビビッド・ドンキーが無言で葵に近寄る。
ビビッド・ドンキーは頑丈で汎用性に富んだ機体だ。
だから、市販のA・ホイールでありながらチューン次第でA・イェーガー並の性能を持てる。
ビビッド・ドンキーの巨大な鉄の腕は、葵の頭を鷲掴み、人形のように持ち上げる。
足が浮き、頭から首を引っ張って力無くぶら下がる葵の体。
留めを刺そうと、ビビッド・ドンキーは腕を振りかぶる。
「……っ!」
ビビッド・ドンキーの拳が繰り出される瞬間、撃てなくなった自動拳銃の銃身を掴み、振りかぶってライダーの首にグリップをハンマーのように叩きつける。
思いがけない悪あがきに、ライダーは首を折り、頸椎への直撃はライダーの意識を奪うのに充分だった。
ハンドルを握る手が緩み、葵の頭を掴むビビッド・ドンキーの手が開く。
殆ど動かない体は立つ事すら出来ず、鈍い音がして、葵の体は床と激突した。
ビビッド・ドンキーが停止したののに気づいて、他のビビッド・ドンキーも葵に近づく。
――もう、終わるのか……。
朦朧とする意識の中、ビビッド・ドンキーの腕に付けられた軽機関銃の銃口が向けられる。
その時、激しい光が目に飛び込む。
軽機関銃の光では無かった。
外に出るための坂状になった駐車場の入り口が開け放たれ、日の斜光が入り込む。
光の中に一つの影。
頭の無い歪な人型のシルエットに、それに乗った人影。
「オイ、生きてるか」
真剣味に欠ける、呑気な言葉が投げられる。
「まぁ、答えられやせんか。結構痛め付けられたみたいだしな」
場違いな程に間の抜けた空気は張り詰めた緊張をぶち壊す。
ゆっくりホイールで坂を下りる。車種はオレンジのマルゴットMk-IIだ。
今はシートを覆うシールドをオープンにしてある。
「――ほう、一体倒したのか。この状況で大した根性だよ。結果的に、この老体には優しい限りだ」
別に貴様の為じゃ無い。
言おうとしても、葵は声を出せる程調子は良好じゃない。
葵に向けていた銃口が、乱入者に向けられる。
そのままビビッド・ドンキーは軽機関銃を撃つ。黒煙と光を撒きながら、とてつもない連射速度で鉛の弾丸は乱入者に押し寄せる。
乱入者はアクセルを回す。
シールドで囲み、コンクリートの柱を盾にしながら、深く穿たれる弾痕を足跡のように閃光の雨をマルゴットは駆け抜けた。
「いきなり襲いかかったか。ノリの良い奴等だな、まったく」
軽口を叩きながらマルゴットを高く跳ね上げさせる。
弾丸が飛び交う空中を、サスを使い、重心を移しながら柱から柱へとを跳び跳ねてマルゴットは突き進む。
マルゴットの武器はトライアルの為に軽量化された車体の軽さにある。
だから、こんな空中戦も優々と出来る。
途端、柱を蹴りアスファルトにホイールを擦らせ地上に降りる。
上を向くビビッド・ドンキーの懐を滑り込むように突撃。マルゴットの肘をビビッド・ドンキーの胴に叩きつける
杭を打ち込むようにビビッド・ドンキーの装甲を貫く衝撃。胴の装甲はひしゃげて丸く陥没し、補助装置に衝撃を与える。
A・ホイールの内部構造を完璧に把握した上での攻撃、その要領は発徑に似ていた。
支えを失ったビビッド・ドンキーは弾切れになるまで空へと軽機関銃を打ち鳴らし、火薬の炸裂音と弾丸を吐き出しながら仰向けに倒れた。
隙を作らせず、となりのビビッド・ドンキーが軽機関銃をマルゴット目掛け乱射。
マルゴットは倒れたビビッド・ドンキーを踏み台に弾丸の上を跳ね上がった。
「どいつもこいつも、A・ホイールの乗り方をまるで分かっちゃいないな――走ってこその“アクティブホイール”だろうが。コイツをただの力としか見とらん、不愉快な戦い方だ」
空中で右腕に備え付けられたA・ホイール用にサイズアップした暴徒鎮圧銃がゴム弾を吐き出す。
野球ボール大のゴム弾は、ビビッド・ドンキーの軽機関銃の装着した腕への被弾で、車体が仰け反らせるのに充分な威力があった。
「――そういう莫迦者には、直接お仕置きだ」
その瞬間、柱を蹴り、その勢いでマルゴットの車体は一直線にビビッド・ドンキーに向かう。
軽機関銃を向ける前にマルゴットは懐に入り込む。
油圧併用の関節はパワーが出る分、初動が遅れる。
その隙を突き、ホイールをビビッド・ドンキーのライダーの頭に食らわせる。
ヘルメットの破片を撒き散らしながら、ライダーの身体がビビッド・ドンキーのシートから吹き飛ばされた。
主を無くしたビビッド・ドンキーの上に、マルゴットがサスを弾ませ着地する。
「立ち止まってると、全員俺が踏んづけちまうぞ」
――強い。
葵の胸中にある簡潔な感想だった。
自機の特性を完璧に把握し、そこから他を圧倒する勢いを作り出す。
意識が朦朧てしていた筈なのに、その光景はしっかりと、鮮明に焼き付く。
敵兵の屍を踏み鳴らすようなマルゴットとそのライダーの姿には、全ての頂点に立つ覇王の風格が存在した。
「……と、どうも手酷くやられたみたいだな。同情するぜ」
ライアットガンの弾を装填して、マルゴットがビビッド・ドンキーから降り、葵に近づく。
葵の前にあったビビッド・ドンキーを押しのけ、葵にマルゴットの手を差し伸べた。
葵が手を取ろうとした瞬間、葵は一つの影が見えた。
一体のビビッド・ドンキー。
最後のビビッド・ドンキーが、マルゴットの背後で、グレネードランチャーの砲身を向けていた。
「……後ろだ!」
思わず叫んだ。
その瞬間、ライダーは背後を見据え苦し紛れのように壁に飛び跳ねるマルゴット。
だが、マルゴットは走った。
――“壁”を。
垂直な壁に、上り坂モードで爪先をしまって前面に出したホイールを擦らせ白煙の尾を引かせ、壁を駆け上がる。
絶妙な加速のタイミングと車体の軽さ、そして、ライダーの神業的テクニックが、重力法則を打ち破った。
天井間際で壁を蹴り、マルゴットが中を飛ぶ。
標的を失ったグレネードが壁に当たり炎と煙を吹き出して爆発した。
爆風で中を進み、空中でライアットガンを打ち鳴らす。
ゴム弾は放たれた三発ともビビッド・ドンキーのライダーに当たる。
マルゴットの腕の中に居る葵は、それを確認して気を失った。
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葵が気が付いた時、最初に目に入ったのは白い天井。
周囲を見て、警察病院の物だと分かった。
ズキズキと痛む体を起こし、自分の体を見渡す。
予想通り、患者用の衣服に着替えさせられ、右腕にはギブスが嵌められ、身体も包帯だらけだ。
だが、A・ホイール相手にこの程度ですんだなら、軽微な方だ。
「邪魔するぜ」
病室のドアが開け放たれる。
入って来たのは、ビジネススーツの男。
見た上の年齢は自分より少し上くらいか。髪を括ったサムソンスタイルに、ニヒルさが滲んだ風貌。表情と瞳はエネルギッシュで快活な色をしていた。
「一応は命の恩人だ。アフターケアがてら見舞いをな……まぁ、反応が遅れようがあの程度、俺は軽くいなせるがな」
男は自信に満ちた表情を葵に見せつける。
声音から、男がマルゴットMk-IIのライダーだと分かった。
「……貴方は?」
「ランスの専属ライダー……を、引退した筈のロートルだ。まったく、いつまでも老体に鞭打たせやがって」
「……ランス」
「知らないか?警備保証会社」
「いえ、知っています。一応ランスの騎乗車両部隊は仕事上で」
A・ホイール犯罪に置いて、警察はランスに頼る事はよくある。
だが、先のホテルジャックではいきなり過ぎて、ランス側の対応が遅れ、人質救出の為、SATが先に突入するしか無かった。
「まったく、休暇中の俺を呼び出して尻拭いをさせるなんて信じられん。全く弛んどる。そうじゃなかったら俺も今頃はハワイ島で優雅にやってた筈なんだ。呼び出される直前なんか、こんぐらいのデカい肉を前にして、目の前にこんなデカい胸の女が通ったんだ。人間の三大欲求の二つを同時に満たして天国だって思ったのに携帯に日本から電話が来て一気に現実に引き戻された。電話を掛けられるのはキライだってのに。俺はもう休暇中には携帯は持ち歩かん」
手でジェスチャーを交えながら休暇中の余韻に浸って、男は軽く憤慨する。
「って、お前の方が散々か……一つ聞いていいか?」
「ハァ……」
「お前、あの時人質と仲間を逃がす為に囮を買ってでて、それで逃げ遅れたらしいな。なんでまたそんな酔狂を起こした」
「……なんと、言いますか……」
生返事。
「自然とそうしてしまったんです……自分なら残っても、なんとかなると思って」
「ほう、自信はあったんだな。だが、あの結果だ。過分な自信は単なる傲慢だぜ」
葵は、男の言葉に俯いた。
男の言葉に傷付いたのかと思ったが、違うのが直ぐに分かった。
「――やしいです」
「ハ?」
「……正直、悔しいですよ。自分を強くしたくて、機動隊に入り、SATまで登り積めたのに、自分はまだ弱いまんまだ……もっと上手く立ち回れる筈だった。もっと上手く、行動出来る筈だった。終わった後になって、方法が色々思い付くのに、それが実戦出来ずに無様な姿で……死ぬほど悔しいです」
声音こそは平坦を装って聞こえるが、葵は本気で後悔の色を顔に滲ませて拳を握りしめ、震わせていた。
その様に男は思わずキョトン、と呆気を取られる。
葵は、A・ホイールと言う鉄の化け物相手に、本気で勝とうとしていた。
爆発的な力を生み出す鋼鉄製の強靱な心臓を持ち、特殊合金の肌をして、時速二百五十キロの速さの足を持ち、腕の一振りで何人もの人間を草刈りのように軽く薙払う。
そんなたがの外れたような化け物相手に、この男はほとんど素手の状態で、本気で勝とうとしたのだ。
「ク、クク……」
その様を見て、男は笑いを漏らす。
「……?」
「ハハハッ、お前、本気で勝とうとしていたんだな。なんて、単なる正義感かと思ったが……お前、お袋の腹の中に恐怖するとかそうゆう考え忘れて来てるんじゃないか?じゃなきゃそんなセリフは絶対吐けんぞ」
「恐怖……それなら子供の頃、山登りで熊に遭遇しまして」
「その時の経験が恐怖を忘れさせてしまったと?」
「いえ、熊そのものじゃ無くて。その時一緒だった母が、細い身体なのに素手で熊を圧倒した上に崖から熊を投げ飛ばしまして……優しかった母のあの豹変ぶりに本気で怯えてしまいました。あの恐怖に比べたら、A・ホイールは別に見慣れた感じなんで」
「……なる程、アグレッシブなお袋が後から抜き取ってしまったと」
男はなにか微妙な顔をした。
「まぁ、ともあれ、俺は予想外の掘り出し物を見つけ出したらしい」
「……?」
男の言葉に葵は疑問を浮かべる。
男は懐から名刺を出して、葵に手渡す。
【警備保証会社ランス日本支部支部長】
【嵯峨 隼人】
名刺にはそう書かれていた。
「お前の任務に対する執念とSAT隊員としての実力は是非、ランスに欲しい。ウチも最前線を退いたロートルを引っ張り出さないといけない程に人材不足に頭を抱えているからな」
嵯峨は初めて葵に見せるシニカルな笑みを浮かべる。
「返事はそこに電話してくれ――ウチは給料良いぞ。まぁ、その分命懸けだが」