Fairy crying①
聖はソードフィッシュで四方コンクリートで囲まれた平坦な通路を疾走する。
足のホイールが白い床を踏みつけ、優雅に車体を滑らせる。
本来、シートに被さっている筈の装甲は無く、シートのリアにマントのように収納されている。
――後ろから猟犬のように、ソードフィッシュの背後を張り付いて迫る無人の多脚ポッドの群れ。
赤い円盤に短い六本足の付いた小型のフォルムが機関銃を背負い、四方の床、壁、天井に悠揚と足の電磁ローラーで張り付いて駆ける。
一体が機関銃を打ち鳴らす。
「わっ!?」
大気を焦がして迫る弾丸を紙一重で避け、ヘルメットスレスレを弾が通る。
激しい銃声と吐き散らされる薬莢の澄んだ音が背中を撫でた。
「嵯峨さん、コレホントにペイント弾なんですか!?」
『ああ、時折青い塗料がなぜか紫色になる時があるがな。まったく持って謎だ』
「それ絶対血の赤が混じってますよ!?」
ヘルメットの通信機越しに響く嵯峨の声は実に楽しそうだ。何故十五歳の少女が、オッサンの特訓で弄ばれなきゃなければならないのか本気で悩んだ。
『まぁ、A・ホイールに乗った時から危険は付き物だからな、気ぃ張っていけ』
「A・ホイールに乗ってもマシンガンの危険はついて来ない――ヒッ!?」
自称ペイント弾が肩をこする。
密閉気味な通路は狭く、避けるのは常に紙一重だ。
ソードフィッシュのボディは黒いままだった事を確認し聖は安堵した。
「もう、怒った!」
多脚ポッドの無神経な無遠慮さに腹を立て、眉尻を上げた。
ソードフィッシュのスピードを落としてジワジワと手前の多脚ポッドに迫る。
多脚ポッドがソードフィッシュに狙いを定め、ペイント弾を打ち鳴らす。
瞬間、ソードフィッシュが後方に跳ねた。
「ほっぷ――」
ソードフィッシュの下をペイント弾が、獲物を見失って通り過ぎる。
中を浮くソードフィッシュの落下する足の先には、多脚ポッドが存在した。
止まったホイールの踵が、背負った機関銃ごと多脚ポッドの背の装甲をひん曲げ、多脚ポッドのボディを真ん中から叩き折る。
ひしゃげた装甲が床とこすれて火花を生んだ。
歪んだクッションで崩れそうな片足立ちの車体のバランスを取る。
乳白色の駆動系緩衝剤と冷却液の混合液を前方に撒き、バックで瞬間的な高速回転をするホイールに乗って、また後方に跳躍。
「すてっぷ――」
両脇に一体づつが壁を伝い、向かって来る多脚ポッド。
火花を噴く機関銃をかいくぐり、目の前で壁に向かって撃たれたペイント弾が交差する。
多脚ポッドがソードフィッシュを通り過ぎる間際、ソードフィッシュの両拳を二体に多脚ポッドに叩き込む。
ソードフィッシュの拳が大槌のように多脚ポッドの背の真ん中に叩き込まれ、機関銃が多脚ポッドにめり込んだ。
着地して膝を曲げ、ホイールが三度目の跳躍。
「――じゃんぷっ!!」
サスを利用し、今度は真上に跳ねる。
天井を通り過ぎる多脚ポッドに、真っ直ぐ上に拳を叩き込む。
拳が多脚ポッドを貫き、ソードフィッシュの腕力で着地地点を変え、更に後ろへ車体を下ろす
ホイールをホッピングさせ、たたらを踏んで着地。
「――片付き……ました?」
『なんで疑問系なんだ――さっさと戻って来い』
「あ、はい!」
ショートしながら落下する多脚ポッドを後目に、明はソードフィッシュのアクセルを回した。
*
「ほぉ……」
《ランス》日本支部社地下、A・ホイール用室内訓練室。
聖はメンテナンスルームでソードフィッシュを走行形態にして、ライダースーツのまま備え付けのベンチに座り、一息付く。
スチールの棚に無造作に工具が置かれ、油の匂いで充満した室内。
普通なら気分を害しかねない空気を、聖は気にする様子も無くのほほんと緩みきった笑顔でボトルのお茶を飲む。
冷たい緑茶の清涼感が、過激な運動で火照った体を駆け抜けた。
「なんて平和……」
「――おお、戻ったか」
いきなり、脇のドアが音を立てて開け放たれた。
平和なひとときに建て付けの悪いドアが横槍を入れ、びくりと身を縮こませ、お茶を落としそうになった。
「嵯峨さんっ!!」
勢いよく立ち上がり、嵯峨を睨む。
「なんだ、意外に元気そうだな。だったらもう一回行くか?」
「二度と行きませんっ!!」
「おーおー、こんな事でお冠か。癪の短い女は苦労するぜ」
「当たり前です!!なんなんですかあのマシンガン!!」
「ちと、火薬の量を増やしたんだ。大丈夫、威力はスチール缶をへこませる程度だ」
「あの、普通に頭蓋骨に穴を開けれそうな威力だと思うんですけど――」
「聖」
嵯峨の面持ちが真剣になる。
嵯峨の真面目な空気に、聖は畏まって、神妙に背筋を伸ばしてしまう。
「は、はい!」
「この訓練はライダーに取って一番大切な部分を鍛える為の物だ」
「大切な……部分……」
「そう、ライダーの一番大切な部分。それは――」
嵯峨が、聖の脇を通り――
「――――――尻だ」
――嵯峨の腕が無造作に聖の腰下の膨らんだ部分を掴んだ。
「――ヒャッ!?」
聖は顔を真っ赤にして、飛び跳ねる勢いでは背筋を伸ばした。
そのまま臀部を手で隠して嵯峨から逃げる。
「な、何するんですかっ!!」
「別に、俺はただデカい尻はライダーに取って利点だって言いたいだけだ」
「私のは言う程大きくありませんよっ!!真面目に話して下さい!」
「俺は真面目だ――三分の二は」
「残りの三分の一も真面目にやってくださいっ!!」
「莫迦言うな。俺がフルで真面目になったらお前のライダースーツ俺の指紋だらけになるぞ」
「なんで真面目でそっちの方向むかうんですか!!」
「まぁまぁ、とりあえず落ち着いて聞け」
「誰のせいで……」
あんまりな嵯峨のペースに対して口で言うのが無駄だと悟り、大きく溜め息を吐く。
「――お前も知っての通り、自動安定装置を切ったRAWはライダーの重心移動でRAWの姿勢を維持する。それにより、自由で高度な走りが可能になる」
嵯峨がソードフィッシュのシートを平手で叩く。
「そして、その重心移動をRAWに伝えるのが、シートの下の圧力感知計――プレスシートだ。尻の圧力で重心移動を伝える。尻の圧力で重心移動を伝える。だから、RAWは直立形態で立った姿勢を保てる。RAWは小手先のテクニックや足じゃ無い。RAWは尻で立たせるんだよ、尻で」
「なんか卑猥……」
気にする事無く、嵯峨は説明を続ける。
「RAWは人間の肉体の延長だ。アームは手で動かし、ホイールやレッグは足が動かす。そして車体は足腰が動かす。RAWは小手先だけじゃ動かん。肉体全てで動かすんだ」
一息。
「そして尻がデカけりゃ広い面積を取れて重心移動も伝わり易い――尻がデカいのは一種の才能だな」
「だから言うほど大きくありませんっ!!」
「ああいう、狭い通路なら、より機微なウェート・シフトが鍛えられる。基礎を鍛えるにはうってつけだ。その上シート・ボックス無しじゃGがデカいからGへの耐性も付く」
「無視された……!?」
聖はうー、と滝のようにコミカルな涙を流す。
「……お前、俺の訓練を受けて何年になる」
「え……」
聖は立ち直り、指折り数える。
「確か――もう、五年です」
「もう、そんなか……」
嵯峨は天井を仰ぎ見、虚空を見る。
この頃から嵯峨は自分を見ているようで、どこか遠くを見ているような目をし始めた。
自分は、父のようなライダーになりたくて、嵯峨に弟子入りした。
父の命日に――。
「――行くんだな。叔母の所に」
「……はい、高校に進学したら、そちらの家に住むって約束でしたから」
「そうか……」
「叔母も、悪い人じゃ無いんです――私の事を思ってくれてる」
叔母は、自分がライダーになる事に反対だった。
危険が多いから当然だろうし、兄である父と同じ死に方をして欲しくない。
そして、中学卒業までと言う期限付きで、嵯峨の訓練を受けることを許された。
「――こっちには来れませんね」
「正直、俺はお前の叔母が怖い」
「ソレは嵯峨さんが叔母の前で、“お前、母親似で良かったな、薄そうなのが遺伝しないで”って言うからですよ」
「だからって、いきなり殺虫剤とライターの即席火炎放射器で人を焼き殺そうとするか? ああ、思い出しただけでも怖い怖い」
嵯峨は首を竦めて身震いをする。
「アハハ……」
「――聖」
急にまた、真剣な面持ち。
危険を察して、臀部を隠すが不必要だったようだ。
「気持ちは――変わらないんだな」
「――はい」
聖は答えた。
「正直、女がやる仕事じゃない」
「……」
「仕事はいつも命懸けだ」
「ハイ」
「生傷が絶えん」
「ハイ」
「肉体的にもキツい」
「ハイ」
「機体のメンテもしなきゃいかんからオイルの臭いが肌に付くし、髪も汚れる。大変な部分の方が多い……それでも――」
「それでも――」
聖が嵯峨を見据える。
「――私は、やめるつもりはありません」
「……」
嵯峨はフッ、とシニカルな笑みを浮かべる。
「頑固な所は……親父にそっくりだ。あっちに言っても、しっかりやれよ」
「――ハイッ!!」




